初期機関誌から

文学と教育 第30号
1963年10月10日発行
  〈教科処分額教材の再検討 3 〉 中学校の場合―『信号』の指導を通して―  吉田 宏  
  ◇ はじめに

 近ごろ行われた新指導要領の説明会で「国語の教材は、幅広い国語の力をつけるためにあらゆる種類の文章を載せることによって、従来のかたよった教材のあり方を改善するのだ。」という話を聞いた。
 現にわたしたちの使用している教科書にも生活文、論説文、説明文、文学とあらゆる分野の作品が落ち度なく並べられるようになった。そして、それぞれ作品に応じた多くの知的内容が盛られ、形の上で整備された教材となっている。
 しかし、はたしてこれら多種のものを、それぞれの機能に応じて指導することが、本当に国語の力をつけることになるのだろうか、何かわりきれないものをもつのである。
 たとえば、手紙文にしても「従姉妹のところへ遊びに行き、そのお礼の手紙」として、形式的には整ったとおりいっぺんの作品が教材として載っている。たしかにこの作品からは手紙文の形態や手紙に盛るべきものの事例などの指導はできるかもしれない。しかし、この教材からは、読むものの心にくいいるようなことばや感情はとらえることができないのだ。そこにはただ幅広い国語の力をつけるということでは解決出来ない問題が含まれているのである。
 中学の文学教材もそれらの波の中で量的にみると、非常に少なくなってきた。そして、とりあげられている教材自体、どうも「名作即感動」の方向性が強く感じられる。そこから必然的に云えることは、既成のモラルの上に安住している、ということである。
 指導そのものも、安易に教科書や指導書を利用することが危険なことというよりは、あやまった方向にいく場合があるのではないかと考える。
 「友情のありがたさ」とか「助け合う心の美しさ」とか短いことばで主題をかたづけた教科書(指導書)に盲従し、その主題追求にと授業を組み立てるとき、文学のもつ多岐的感動が、だんだんとかたすみに追いやられる危険性が十分に考えられるのである。そういう面からガルシンの『信号』を実際指導して自分ながらつかんだ考えを述べてみたい。


  ◇ 既成のモラルにとらわれない指導を

 『信号』を教科書にそくしてあつかうことにして、指導書をみると主題は「人間の犠牲の心が、どんなに美しく、強い力を持って」いるかということと、また「どんな場合でも、どんな人にも人の心に根ざしている美しいものは失わずに持っているということ。」と書かれている。
 たしかにこの作品は「列車転覆を企てた友達のワシーリイを、正しい道に戻そうとしたセミョーンが、それが出来ないと知って線路を直そうと努力する。
 しかし、列車通過の時刻が刻々と迫ったため、ついに列車に乗っている多くの人々を助けるために犠牲的行為にでる。それは直線的に強烈な感動を読むものに与える。
 けれども、この作品を単に「ワシーリイがその犠牲的行為によって、人の心に根ざす美しさにめざめた」とする点へ迫る、と指導したあとで、何か割り切れない大きな問題が残されているような気がしてならなかった。
 ワシーリイは、ぐるりと一同を見回すとそのまま首を落して「あっしをしばっておくんなさい」と云った。「あっしがレールをはずしたんだ。」ということばを、単にワシーリイの心に根ざす美しさにめざめたという既成のモラルでは、表現出来ない感動の深さがあるのではないかと考えたとき、この作品を指導する目が開けた気がした。
 そこにワシーリイの人間性が新しく芽ばえたのだ、新しい人間性を芽ばえさせたセミョーンのヒューマンな行為こそ、この作品のテーマとして、強調しなくてはいけないのだととらえたとき、自己犠牲も単なる感傷的な美徳のすすめに終らせずにすんだのである。


  ◇ 時代考証の重要視を

 ワシーリイの人間性の再発見に取り組んだときに、教材化された『信号』の文脈からはどうしても認識できない問題があることに気づいた。
 それは「戦争のために体のきかなくなったセミョーンが、放浪しなくてはならなかった」ということや、「月十五ルーブルと決められた手当てが、十二ルーブル半しかもらえない」という時代の、しっかりした時代認識がなくては、この作品に流れる暗い重苦しい空気や、階級層の激しいこともわからないし、その中におけるセミョーンとワシーリイの立場も明確にとらえることが出来ないということである。
 登場人物二人の考え方の違いも、上官とのいざこざも、単に自己犠牲への伏線としてではなく、一八七〇年代の領土拡張争いの中にひしがれた一民衆のリアルな考え方として受けとめたとき、そこに、はじめてワシーリイの考え方を見つめる目が、文学を文学らしくとらえるものとなっていくものと考えるのである。
(千葉県館山市・館山一中)
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