初期機関誌から

文学と教育 第30号
1963年10月10日発行
  〈教科処分額教材の再検討 2 〉 教科書教材のウラをさぐる  福田隆義  

  ◇ はじめに

 同じ趣旨のことを、かつて『金の魚』(プーシキン)や『手ぶくろを買いに』(新美南吉)について書いたことがあります。また、『虔十公園林』(宮沢賢治)や『おかあさんの手のひら』(壺井栄)などについておしゃべりした記憶もあります。
 同じ趣旨とは、教科書の教材にはまともなものが少ない、たまにある一級品も、ひどい改作になっていたり、大事なところがカットされて、子供たちの感動をもりあげ、思考を発展させるのにふさわしくないのがほとんどだ、ということです。
 すばらしい作品を教材に、すばらしい授業を展開してこそ、本ものの文学教育は可能だ。ということには、誰しも異論はないと思います。ところで、現実はどうでしょうか? “教科書”という制約から、このすばらしい作品 という大前提をわすれて、教科書教材をどうこなすか、ということに汲々としているのが現状だと思います。が、それは次善の策でしかありません。次善の策というより、枝葉末節でしかないもの、多くは枝葉末節でさえないと私は思います。
 そこで、文学教育を原則にもどして考えるために、ここでもう一度、同じ趣旨のことをウラ側からみなおしたいと思います。ウラ側――それは、作家や作者が、教科書にのった作品をどう思っていらっしゃるか? ということを中心にして、という意味です。


  ◇ かつて岡本氏はこぼした

 文教研第一回研究集会のときのことです。今は故人になられましたが、岡本良雄氏に講師としておいで願い、氏の作品『馬車と走る子』(当時は東書・五上、改訂後は同・四下)の実践報告を聞いていただき、作者の立場からご意見をお伺いしました。そのなかではっきり覚えているのは
あれ(『馬車と走る子』)を教科書にのったからといって、私の代表作と思ってもらっては困る。
と、おっしゃったことです。なるほど、氏の『あすもおかしいか』とか『ラクダイ横町』などと読みくらべて、おっしゃることがもっともだとうなづけます。これだけではわからないと思いますので、氏が語った話の一部を、私の記憶をたどりながらつけ加えます。
 たしか熱海だったと思います。旅館にとじこめられ、「あたたかい心」というテーマで何かひとつ、と注文されたのだそうです。そこで岡本氏は、やむなくこの『馬車と走る子』と、もう一つ、これも題を思い出せませんが、とにかく二つの作品をやっつけ て、どちらでもということで原稿を渡したのだそうです。
 だが、内心『馬車と走る子』は、どうも教訓臭くていけない。上できとは思わないがのせるなら、もう一つの作品であってくれればいいがと思っていらっしゃったそうです。が、教科書にのったのは、こともあろうに『馬車と走る子』であった。どうも……というわけです。


  ◇ 『第三の火』の作者は気に病む

 詩教材で、教科書は〈学図・六上〉です。作者は教科書にも書いてないので特にふせます。長いので四連だけを転記します。
文明の歩みは さらに進む。
三たび 人間のとらえた火、
これこそ 第三の火――原子エネルギー。
  しかし、 わすれてはならない、
  それは、 にくしみの火として 最初 広島に燃え、
  つづいて 長崎――一九四五年。
  一しゅんのひらめき、天にそびえるあくまの足もとに
  つみもない たましい四十万が はかなく消えた。
  人間は こんなおそろしい火を 手にいれたのだ。
 後になって、変な教科書だと気づいたのですが、検定月日、定価のはいっていない教科書からの転記です。
 ちょっとここで、にくしみの火戦の火 に、つみもない をカットして四十万のたましいがはかなく消えた、と書きなおしてみてください。検定月日・定価の記入してある教科書(検定を通った)は、そうかきかえてあるのです。
 このちがいを知ったのは授業の最中です。私は補充教材として、前者のプリントで授業をすすめていました。ところが、たまたま、後者の教科書を持って授業に出ていた子があり、その子の反応のちがいから、原文のちがいに気がつきました。そして、どっちが本当なのか確かめなければならないハメに私は立たされたわけです。幸い作者が、私たちの仲間であったので、すぐに伺うことができました。そのとき、作者は開口一番、
私は、のろいの火 とかいたんだが、戦の火 になっているそうですね。それでも沖縄では使えないらしいですよ。
といいました。私はただ『第三の火』は先生の作ですか? それだけ伺ったのに、作者はのろいの火 が、にくしみの火 に、さらに、戦の火 へと三転していることが、よほど気になっていたと思われます。もはや、この詩は、この作者の詩ではないわけです。


  ◇ おわりに
 

 結論ははじめにかきました。ともかく、教科書の教材が、一流の作品でない、不本意なものであるとすれば、私たちは、確かな文学教育をすすめるために、何から始めなければならないか、ここらでもう一度考えなおす必要を痛感します。

(墨田区業平小)
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