初期機関誌から
「文学と教育」第27号 1963年4月14日発行 |
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〈烏語蛙声〉 ひたり読み・うっかり読み 寒川道夫 | |
「つかずはなれず」というコトバがある。用心深さを示すコトバであろう。作品読みとりの態度もまたこのようでなければならないという訓えがある。しかし、事実はなかなかむずかしい。 ぼくは、いとも簡単に作品にひきこまれる性質である。だから、作品に対する疑いを持たない。一度読みひたると、作品の流れに沿って思念や感情がどんどん進んでいく。その快さが作品のよさとして肯けてもくる。 ところが、一つ「おやっ」とつまずくと、俄然夢からさめたように作品をむこうへおしやり、「え?」と小首をかしげ、その違和感を解こうと焦る。そういうくりかえしで読み終る。 これは、およそ「つかずはなれず」とは別な「流され、おしやり」で、作品のより理解者としての知性を失った態度と言わねばなるまい。 子どもは、すばらしい疑問をなげかける。 二年生になって第一日目第一時間目、次の詩を読んだ。 ぼくたちの教室に 一年生が 勉強を見に来た。これを読んで、子ども達とさまざまな話をしている。その場の状況を明確なイメージとして読みとるためである。 突然、こういう問題が出た。 「この子は、二回目はふでばこを顔にあててかくれたんだろ。一回目は、どうやって顔をかくしたんだろう。」 「顔をかくしたのに、どうして、一年生が、もっとぼくの顔を見たという事がわかったんだろう。」 まったく、青天霹靂である。思いがけない問題である。教授者たるぼくは、しどろもどろの心境で、 「一年生の方も見ながら、顔をかくすという方法はどうだろう。」などと発問する。子どものさまざまな工夫を見ながら、ぼくは胸の中でつぶやく。「つかずはなれずという読み方は、子どもの方にある。ひたり読みなどというのは、うっかり読みではないか。」
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