初期機関誌から

「文学と教育」第26号
1962年11月30日発行
  明星学園研究発表会に参加して―自主編成はすすんでいる―   福田隆義  

 職場のサークルで、『日本教育運動史』(三一書房)の輪読会をしています。ちょうどいま、成城小学校創立のいきさつや、児童の村小学校 設立の運動などについて、読みあっているところです。(そこで私は、明星学園が、成城小学校の流れをくむことを知りました。)
 こうした遺産を学びながら、ふと「今の私立学校は、いったいどうなんだろう。」と、かつての教え子が進学した私立学校を、彼等の報告をたよりに、一つ一つ思いうかべてみました。そして、首をかしげていたやさきに、今回の、明星学園研究発表会に出くわしたわけです。
 率直に、私は、明星には、今なお成城小学校設立当時の血が流れていると思いました。これからも、いつまでもその血が流れつづけるだろうと思いました。

 ところで“教育課程の自主編成”ということは、すでにいい古された感じですが、その実、どれだけの成果があがっているでしょうか。むろん、民間団体や、それに属する人たちは精力的に取り組んでいる、そして、かなりの成果をあげていることも知っています。しかし、それが、学校全体、全教科をふくめた教科構造まで、といういことになると、まだ手もつかない、というより、手をつけようとしない、といったほうが適切ではないかと思います。その点、明星は、学校全体がうごいている。国語部会では、討論の資料として公開できるまでに進行している。しかも、それはありきたりのものではなく、確かな認識論、言語観、文学観に裏づけられた、リストであり、体系であるということです。
 ためしに、国語関係の提案・報告・資料を紹介しますと、まず基本提案に「国語教育と教材の自主編成」寒川道夫、分科会提案の「国語教材の自主編成」佐伯昭定、別冊資料の「教材リスト」などです。
 具体的に述べられずに残念ですが、ともかく仕事は進行しています。そして、その仕事が確かな方向にすすんでいることを、何より雄弁に物語ってくれたのが、公開された授業です。そこで生き生きと学習する子どもたちでした。

 会のおわりに、ある先生が「明星のような学校がまだあるということは何としても心強い」と発言されましたが、まったく同感でした。
 十一月の雪は、東京では何十年ぶりとか、その雪の中を、明星を、児童の村 のような苦境においこまぬために、「いったい、おまえは何をすればいいのか」と、問いつめながら帰ってきました。

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