初期機関誌から

「文学と教育」第18号
1960年12月20日発行
 一つの感想   鈴木 勝 
 ことしも教育研究集会が県、支部と各地で催されることになりました。ぼくの支部でも昨日と今日(10月22日、23日)もたれました。ぼくの印象として(もちろん、この事実はぼくの支部だけのものと思われます)現場の教師の多くは教科の部会に入りこんできたという傾向にあるようです。
 (支部教研のしくみをくわしくのべないと理解していただくことに不足だと思いますが)昨年あたりまでは、教科の部会にも入ってはいましたが、特別分科会といわれた、例えば、教師の生活について、民主教育確立草案、勤評と現場、等々の分科会がはなやかだったわけです。
 ところが、今年は、こういう分科会に入る教師の数が少ないばかりか、中には会員がないためとり止める(分科会構成ができないため)部会さえあるような状態です。
 こうした状態をひきおこした原因は、さまざまな視点から分析されねばならないと思います。運営の面から、現場教師の教研に対する認識、等々からです。が、一般的に言えることとして、ほんとうに教科の指導が今必要なだいじなこととして要求されている、だから、という教科への認識から出発しているかどうか、きわめて疑問なんです。
 勤評実施以来、何か、教師の本分は、という問に対する無言の解答として、教室の中に立てこもるという傾向が目立ってきたと思われるのです。このこと自体は否定されるものではないと考えます。問題は、どんな認識から出発したそれであるか、ということです。つまり、教室に立てこもる教師の姿勢です。たしかに、教室は最後の砦として守らねばならないところです。そのことをぬきにした教研はあり得ないわけです。
 ところで、こうして教室に立てこもった教師の教科研究部会での討論はどうだったか、ぼくは国語の部会にも出席をしてみたのですが、そこで問題にされていたことは、読解指導はどんな手順で行われることがのぞましいか、また効果的か、という読解の方法のみに終始しているのです。事実は、参加会員はそれぞれちがった読解に対する理解をしているのにもかかわらず、そこを明確に出し合わず伏せておいて指導の方法、技術にむいてしまうのです。発表者は西尾実氏の例の追体験論にもとづいた読解指導過程をのべているのです。で、そこでは、何を何んのために、がきめこまかく追求されていない。こんなことから今の現場の一般教師の要求が、指導技術だけを欲している、と考えられるのです。
 そうたどって行くと、教室に入りこんだものの、教育技術がわからない、だから、いま必要なものは技術の体得だ、教科の論理(本質から出発した)ではない。すぐに役立つものなのです。安保闘争、各種の抗議集会に参加した、またする、意識と断絶したところで教科指導を考えている。よく考えて行けば各種の集会に参加する意識も、ほんもののそれではないともいえるわけです。
 教研が教師にとって生命であり、抵抗の極致であることはいうまでもありません。ですから、教育そのものが、いま、どういううごきの中に方向をとろうとしているかを明確に認識した上での教科研究でなければ、反動化への協力を招来する結果となります。東京サークルはいま、このような現実をとらえた国語教育の基本路線を打ち出し、それの実践とのかかわりあいを検証している段階にあります。
 大阪サークルも、大阪という地域の実体のなかで実験していただきたい。さらに、東京も大阪も、横への拡がりを、ナカマの拡がりを努力していきたいと思います。
 反動へ協力する傾向にある教室実践をくい止める堤防の役割を果す意味においてであります。

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