初期機関誌から

「文学と教育」第18号
1960年12月20日発行
 ことばと認識―文学教育の視点から  荒川有史  

  T 問題の背景

 東京の私立の女子高校ではたらいていた私が、大阪の工業高校の教師になってから、やっと一年たちました。この短い経験で物を言うのは危険ですが、教室実践においていちばん困ったことは、生徒の考え方があまりにも形式的であること、また、目の前の利益だけから判断し行動しがちであること、の二点でした。
 たとえば、国語科は就職試験に出てくるような漢字とか、ことわざとか、格言などを重点的に教えてくれればよいのであって、古典の学習や文語文法の習得は必要でない、というのです。こうした声は、ところが、生徒だけでなく、現場の国語科教師のなかにさえもあるのです。ウチの生徒は卒業すれば就職するのであって、大学を受験するのではないから文語文法にまで手をひろげる必要はないというのです。文語文法の系統的な学習を否定することは、古典教育の必要性を否定することです。そのことは、つまり、古典の世界をくぐることで、今日の私たちの生き方を見なおす、という契機を認めないことにつながります。
 こうして、就職のために、という至上命令は、深い人間的な感動をとおして、自分自身の生き方をたえずふりかえるという機会を生徒からうばいさり、物事を目前の小さな利益のみから判断する人間へと再生産しつづけているわけです。
 今回の教育課程高校編の改訂では、コース制が強化され、進学組と就職組とが、画然と区別されることになりました。山下清ふうに言えば、社会の選ばれた人間に参加しうる将校グループと、その将校の命を受け、肉体労働に従事する兵を監督する下士官グループとの養成を、教育制度の面からも、教育内容からも、きびしくワクづけていく。工業高校は、そういうコース制を、学校全体の規模で再生産しているわけです。しかし、子どもたちの全面的な発達を疎外するいとなみは、高校の段階においてとつじょおこなわれているのではなく、中学校において準備され、さらに小学校において準備されていることです。教育基本法第一条に明示されている「平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたっとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成」という目標は、小・中・高が一貫したプログラムをもって実践してこそはじめて達成されるものです。ところが、そうした見通しなしに、バラバラに悪現実にとりくんでいる。そのスキマから、子どもたちを、将校用、下士官用、兵卒用と分類する動きがはいりこみ、猛威をふるいはじめつつある。これが、私たちのおかれた教育現場の見取り図ではなかろうか、と思います。


  U ことばの機能と国語教育

 人間の全面発達に背中をむけた教育政策は、国語教育の面にしぼって申しますと、ことばを、思考し、認識するという機能からきりはなして、たんに、「思想、感情、知識、情報などを伝達する」手段(学習指導要領)としてのみおさえている所に、象徴的にあらわれております。
 ほんらいことばは、『文学教育』の著者熊谷孝さんが語っておられるように、「仲間の体験を交換し交流する」という認識・思考とわかちがたい関係のもとで発生し、発展してきたものであります。したがって、私たち文教研グループは、認識を「仲間の体験をくぐってする客観世界の反映」というふうにおさえ、そうした反映活動をすみからすみまでささえるものとして、つまり記号の記号ともいうべき第二信号系として、ことばを理解しているわけです。また、表現し(話し・書く)理解する(読み・聞く)ことも、認識の一側面として考えなければ意味がない。もともと一つのまとまりをもったことばをバラバラにきりはなして教えれば、どうしても詰めこみに終わってしまうことを強調したいのです。
 もちろん、ことばには、人類学者のマリノフスキーが「言語交際」と名づけたような機能、つまり「おはよう」とか「こんにちは」とかいう挨拶のように、「あることを知らせるためでもなく、またある活動に人を結束させるためでもなく、思想を表現するためではなおさらなくして、ただ漫然と取りかわされる」かのような機能のあることは事実です。また、重いものをもつときの、「ヨイショ」「ソレ」「ソコダ」に見られる「合図」に重点をおいたかのような機能のあることも事実です。が、それらのはたらきが、バラバラに共存しているのかというと、かならずしもそうではない。記号の記号ともいうべき第二信号系が成立して以後は、「言語交際」とか「合図」などいう機能も、認識機能の一モメントとして位置づけられてこそ意味をもつ、と思うのです。
 たとえば、挨拶の成立していた人間関係が敵対的なそれに変化したときのことを想定すると、「言語交際」の機能自体、じつは体験交流の習慣化したものであり、無意識的な再生過程にくみこまれたものだ、と位置づけることができるのです。つまり、挨拶は、現実の人間関係のことばをなかだちにした再生産であり、その確認だ、ということです。「合図」のばあいも同様です。カケ声の生み出されている行動の場は、行動の体系としての世界観によって規制されているのであり、その世界観の運動様式は、内語による認識活動を軸として展開されているのであります。「合図」は行動をはらんだ感情的なよびかけだ、とも言えましょう。
 ですから、私たちは、ことばのたくさんある機能のなかでもっとも本質的な機能は認識機能であると考えます。ことばのことば性は、あくまでも「思想の直接的現実性」(K.マルクス)にあると考えます。
 認識とことばの関係を以上のようにおさえないかぎり、私たちは、改訂指導要領の「思考力をもばし心情を豊かにする」というキャッチフレーズについ足をすくわれてしまうことになるでしょう。
 足をすくわれた以上、さらに、話すことをとおして考える、聞くことをとおして考える、読むことをとおして考える、書くことをとおして考える、という方式へと展開します。改訂指導要領の言語技術主義的なワク組みに思考方式を直接導入したところで、国語教育の系統的な発展は期待できるはずがありません。清新な空気のもとで生きることが必要不可欠なときに、汚れた空気のもとで深呼吸の仕方を習うのは、馬鹿げたことであり、命とりにもなってしまいます。
 もっとも、たとえば、高校の改訂学習指導要領国語科編では、第1現代国語「指導計画作成および指導上の留意事項」第4項目で、「聞くこと、話すこと、読むことの学習は、相互に関連させて、有機的に指導し、片寄りのない学習を行わせることが必要である」と注意深く表現しております。ところが、有機的な指導をという強調をしたすぐあとの第5項目で「作文を主とする学習、および聞くこと、話すことを主とする学習は、計画的に指導するようにする。この際、作文を主とする学習には、各学年とも年間授業時数の2/10以上を充てるものとし、聞くこと、話すことを主とする学習には、各学年とも年間授業時数の1/10程度を充てることが望ましい。」と注文を出す始末です。この点、小・中のばあいも同様です。「主とする学習」などいう逃げ口上は使っておりますが、まるで文部省が形式的な分割授業を奨励しているみたいな感じです。これでは、子どもたちは、場面場面の言語活動にしばられて、自己のおかれた特殊条件を、普遍化し、一般化することはできません。
 ですから、私たちは、全面発達を目ざす人間形成を追求するかぎり、その発達をささえ、おしすすめて行く中心軸としての認識機能を大事にしていきたいと思います。また認識と結びついたところでのことばの訓練を重視していきたいと考えます。
 ところで、この見地に立つばあい、さらにことばの二重性について明らかにしておく必要があるようです。ことばが、『ジーキル博士とハイド氏』のように、二重の性格を持ている点に関してです。たとえば、「悪友」ということばは、ほんらい「悪い友だち」とか「まじわってためにならぬ友」とかいう意味ですが、親友を親しみの気持ちから表現するときにも使われます。熊谷さんは、前者のことばほんらいの意味での用法を規定性による表現といい、後者のことばのあやを生かした用法を融通性による表現と整理しております。この整理の上に、「コトバのこの規定性に徹する方向で(つまりまた、それの自覚的な利用によって)事物にせまるとき、そこにやがて、〈概念による概念への抽象〉〈概念的抽象による世界の再構成〉としての科学――科学的認識の世界が成り立」つこと、また、「コトバのこの融通性をくぐりぬける方向で、事物をその事物に対する人間の感情ぐるみの形でつかもうとするところに、文学という芸術的認識の世界が生まれ」ることを、明確に位置づけておられます。(生活教育 60.12臨時増刊号参照)
 誰かの比ユを借りて言えば、地球が北極と南極を軸として回転しているように、国語教育も、また、科学と文学とを軸として展開されていくことになります。あくまでもコトバに出発し、コトバにかえってくる作業のなかで、文学学習、文法学習、論理学習等々を軸とした一まとまりの国語教育が予想されてくるわけです。


  V 国語教育としての文学教育

 ことばの認識機能を軸として、国語教育のしくみを模索してきたわけですが、このことを、さらに実験例をとおして検討してみたいと思います。
 生徒は、工業高校・機械科の2年生。
 教材は、井原西鶴作『大晦日はあわぬ算用』です。
 ご承知のように、この作品は、大晦日のあわただしいとき、江戸をくいつめ場末におちついた浪人原田内助は、ここでも借金とりにおしかけられます。朱ざやの反りをかえしてみんなおいはらったものの、お正月の餅のアテはない。それで毎度のことながら、女房の兄半井清庵に無心する。きっと、「拙者は水を飲んでもガマンするが、長年苦労させてきた女房に餅ぐらいはと思います。せめてこんどだけは……」という調子で訴えたのでしょうか。
 そんな連想をおこさせる前後の表現です。そのくせ、予想以上の金を手にすると、さっそく隣近所の仲間を集めて、忘年会です。そのさい、義兄からもらった小判十両と、その上書“貧病の妙薬金用丸”を回覧して、浪人仲間から「こんなしあわせにあずかりたい」とおせじを言われる一幕がある。ところが、散会間ぎわに小判を集めたら九両しかない。浪人たちは身の潔白を証明するため裸かになります。上座からはじめて、三番目の男の番になったとき、彼は、たまたま一両もちあわせていた理由を説明し、うたがわれる状況におち入った自分の名誉を回復するため、ただちに切腹しようとする。すると、丸行燈のかげから、誰かが「ここに小判があった」と一両なげだす。一座がほっとすると、第四の男が、「物には念を入れたほうがいい」と言う。その声が終わるか終わらぬうちに、台所から内儀が「小判は、こちらにとりまぎれて来ていた」と言う。ここまで、ドンデン返しの場面が重なり、息もつかせぬ表現になっています。そのあと、誰かが友の危急を見かねてなげだした一両の処置をめぐって一座は白けてしまう。そこで、主人公の内助は、その問題の一両を、庭の手水鉢の上において、一人一人帰らせたところ、誰とも知れず持ちかえったというわけです。
 翻訳は、生徒と交互にやりましたが、原田内助の日常生活、無心状の具体的な内容、友の危難を見かねて一両投げ出す場面、「物には念を入れたほうがよい」と得意そうにいった男が、一転して、台所より声があり、黙りこんでしまう場面、等々にアクセントをおきました。また、丸行燈や浪人たちの座っている順序を、生徒に図で確かめさせました。
 その上で、さい後に、「かれこれ武士のつきあい格別ぞかし」をとりあげたわけです。表面の意味は、「亭主の当意即妙の工夫といい、客人たちの座馴れたふるまいといい、いずれも立派なもので、さすがに武士のつきあいはちがったものだ」ということですが、はたして「格別ぞかし」ということばは、ほんとうにほめているのか、あるいは、皮肉っているのか、という質問をなげかけたのです。
 というのは、このさい後の一句は、生徒の問題意識を集中させるのにふさわしく、さかのぼっては、作品の構成を明らかにするきっかけとなることばだと考えたからです。
 さいしょ、生徒一人一人の意見が出そろうまで、数名前後のグループで自由に話しあわせ、相互の立場を確認してからクラス全体の討論にもちこみました。クラスによって大きなちがいはありますが、大別すると、@肯定、A半肯定半否定、B否定 の三つにわかれます。
 肯定の側は、名誉を重んじる武士のあり方とか、内助のとりなしの上手さとか、あるいは、貧しい生活をおくりながら、友人をすくうために、一両を惜しげもなく捨て、しかも最後まで黙っている一浪人の奥床しさなどを指摘します。
 半肯定・半否定の側は、一両をたまたまもちあわせたという理由だけでただちに切腹しようとするのはナンセンスであること、しかし、仲間が切腹しようとするとこに発揮された友情とか、余分な一両の処置などは美事であること、などを指摘します。
 否定の側は、疑われると早合点して、すぐに死を思う浪人の考え方、まだたしかめる方法が残されているのに、生きて解決しようともしない非合理性、などを指摘します。
 三グループの説明が終わってから話しあいにはいったわけですが、。さいしょに問題になったのは、名誉を重んずる武士のあり方についてです。肯定の側は、名誉を重んずるのはなぜ悪いのか、と率直に反論します。否定の側は、名誉を重んずることがいけないのではなくて、合理的な問題解決を放棄したところで切腹という形で名誉を重んずるのがおかしい、という。すると、肯定の側は、それは、時代精神のあり方に関係するという。つまり、元禄時代は、封建権力のもとで、実力をのばしつつあった町人たちの天下である。金が人間世界の動向を左右している。町人の合理性は、必然的に金もうけ、エゴイズムなどと結びついているのであり、武士道徳はどんなに馬鹿々々しいように見えようとも、友情ないしあたたかい人間的な配慮をとおして、ヒューマニズムの線をうちだしている。今日ではアホらしく見える切腹行為さえも、名誉を大事にする武士らしさ、人間らしさのあかしとして、時代精神の支持をうけている。そこに作者の共感が語られるという筋道なのです。
 ここまで討論が発展してきますと、ついあげ足とりになりがちです。ともすれば、生徒相互の考え方を媒介することのむずかしさによろめきながら、私はつぎの二点を討論に生かすよう提案しました。
 第一は、時代精神ということが問題にされているが、西鶴文学ほんらいの読者は、新興町人であること、彼らは特権的な商業組織をうち破り国内市場を形成していくなかで、新しいタイプの人間として登場してきていること、町人のすべてをエゴイストとして想定すること自体大きな問題をはらんでいること。(文学史・政治史・経済史の復習と新たな問題提起)
 第二は、翻訳のとき、会話の主体を確認する手がかりとしてのみ格助詞の「と」をとりあげたが、たとえば、
     尸のの恥をせめては頼むと申しもあへず、革柄に手を懸けくる時  (第三の男)
     小判は是れにありと、丸行燈の陰より投げだせば、……  (第五・六・七のうちの誰か)
     さてはと事を鎮め、  (一同)
     物には念を入れたるが良いと云ふ時、  (第四の男)
     内証より内儀声を立て、小判は此の方へ参ったと、…… 
という一連の行動のなかでどんなはたらきをしているか、また、「投げ出だせば」の「ば」は、サ行四段活用の他動詞「投げ出だす」の已然形と結びついて確定条件をあらわすことをたしかめておいたはずだが、「さては(そうであったか)」ともらす一座のふん囲気をどう規定しているか、またそのふん囲気におんぶしてなされた「物には念を」という発言の性格をどう規定しているか、等々を再検討すること。(文法学習の整理)
 以上二点の学習を話しあいをすすめるささえとして、私たちは、ほぼつぎのような順序でテーマを追求してみました。
 まず第一に、誰もとっていなかった、という状況が設定されていること。
 第二に、それにもかかわらず、偶然一両もちあわせていたという理由だけで名誉が失われたと判断する武士の思考態度。
 第三に、危機の瞬間には沈黙し、事情が好転したときに“後ろ向きの予言”ともいうべき発言をする人間のあり方。
 第四に、一両なげだした人間の動機と性格。(もしかすると、第三番目の男と同じ立場になげだされたかも知れない人間であること。)あとで小判が出てくることまで予想していない。その場その場の矛盾解決と友情のあり方。
 第五に、ことばと事実とのくいちがい。「あるじ即座の分別」といいながら、実さいには深更まで思案している。「世なれたる客のふるまい」と言いながら、一座は白けかえって沈黙している。
 こうした事項を確認しあって行くことで、「格別ぞかし」という最後の一句がもつ比重も明らかにしていくことができました。武士の生き方って、なんてナンセンスなんだろうという正面きった批評より、「格別ぞかし」という表現が、諷刺として、どんなに強烈なものであるかを理解しはじめたのです。また、西鶴文学本来の読者のように、“後ろ向きの預言者”を嘲笑しうるだろうか、という不安をなかだちに、自分の生活や体験のあり方を見なおしていく手がかりを見つけたようにも感じられます。
 もちろん中には、観念として諷刺の構造を理解しはじめても、具体的な分析になると、肯定の側に逆転するものもいる。たとえば、太宰治の『走れメロス』との比較
 メロスがもし浪人の立場に立ったとしたならば、彼も浪人と同じ事をしたであろう。メロスのように、一本気で正直者には、うたがわれるということが自尊心を傷つけられることである。彼が「死ぬために」城に走り続けたのは、友を見すてるということを、彼の自尊心がゆるさなかったからだ。浪人のばあいも自分が友からうたがわれるということはたえられなかったのであろう。両者とも名誉を重んじた。
などから、肯定の意見を再確認するというばあいもありました。
 が、大方の方向としては、つぎの分析
 ――『走れメロス』の主人公は、親友を人質にまでしても、三日間の余裕を求めたのであるが、自分は死ぬのである。それをわかっていて親友を人質にしたということは、よほどの勇気がいると思う。もし三日間のうちに来られなかったら、親友は処刑されるのである。メロスのほうは、暴君をたおそうとして処刑されることになるのだが、これと反対に浪人は、名誉の問題で死のうと決心する。この時の勇気と、メロスのときの勇気とは正反対である。浪人が、自分は正しいということをはっきり主張したら、メロスと共通な点が出てくるかもしれない。

 ――第三番目の浪人が、一両と自分の一生とを引きかえにしようというのは、ひじょうに馬鹿げている。それに、自分の潔白を証明する手段は、考えればあったはずだ。この人は、ほんとうに自分というものを大事にしない。ただ外面的にしか考えない。武士自身の表現ともいうべき道徳に、固くしばられてしまっている。ところが、メロスは、自分の計画が失敗し、暴君より死を命ぜられても、一時の感情にとらわれない。死に直面してなおかつ妹のことを考えている。『大晦日はあわぬ算用』の表現には出ていないが、浪人のばあいも家族がいるはずだ。それが、死のうというときに問題にされていない。こんなところにも、自分と、自分の仲間たちとを大切にして生きぬいていくメロスとのちがいが見られる。
等々からも明らかなように、思考の過程そのものが、ひじょうにしなやかさを増し、本質への洞察につらぬかれてきている、と言えるのです。それは、生徒が、ことばの認識的意義において現実をとらえはじめたことの、ひとつの反映だ、とも言うことができます。
 今後の課題としては、ですから、一にも二にも、認識・思考の質的発展と結びつくようなことばの訓練を、意識的に、効果的におこなっていくことだ、と要約されるでしょう。

 さて、以上の実験例による整理などをふまえて、国語教育の構造と運動形態とを、私たちはつぎのようにおさえていきたいと考えます。
 1. 文学作品の理解にあたっては、まず語い学習をやり、文法や読解をやり、その上でおたがいの感動を話しあう、というふうに段階的にはかならずいかないこと。また、そういう順序を追っておこなわれる場合でも、テーマを追求するなかで、語い学習・文法学習自体がふりかえられる必要があること。つまり、何が、いかに描かれているかという全体の作品構造を追求していくなかで真のことばの学習も成立すること。
 2. 文学教育の視点――典型の認識をささえとしない読解指導は、表現のしくみを平面的にとらえがちであり、道徳教育へ転落する危険性をもつ。したがって、学習指導要領でいう「文学に片寄るな」という主張は、国語教室から思考力の訓練を排除する方向につながること。
 3.
文学教育は、文法学習・語い学習・文学史等々をささえとすることなしには成立せず、それらの統一的なまとまりとして国語教育が存在すること。熊谷氏のことばをかりて言えば、国語教育としての文学教育とは、「文学の学習を軸として、その側面から文法も扱えば読解もやる。作文もやる。そしてまた話しことばの指導もおこなう」という一まとまりの作業を意味する。同様に、国語教育としての文法教育も、「文法学習を軸とした、その側面からの統一的な国語の学習指導」であること。

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