初期機関誌から

「文学と教育」第16号
1960年6月発行
 ‖共同研究‖作家の内部   
(司会)鈴木 勝 
福田隆義 佐藤和男 篠原由喜子 熊谷 孝 荒川有史

 

 夏の研究集会にそなえて
 
 鈴木 八月の六日から九日にかけて、三泊四日の全国研究集会が、日本生活教育連盟を中心に、全青教(全国青年教師連絡会議)、体育研究同志会、そして私たちのサークル文学教育研究者集団……この四者の共同主催のかたちで持たれることになっております。会場は未定ですが、九段会館とか神宮外苑の日本青年館といった所だろうと思います。私たちにとっては、したがって先日の小金井 浴恩館での合宿研究集会に次ぐ、いわば第二回の公的な集会となるわけであります。分担は国語教育分科会の運営が中心になるかと思います。しかし共催とはいっても、ほかは何百、何千という会員を擁する大きな団体ですし、それぞれ十年以上の歴史を持っている有力な団体です。ちょっと、てれるのですが(笑い)しかし、てれずに与えられたパートの責任をもってやろうじゃないか、という申し合わせを、この間、私たち、したわけでしたが……で、その責任を果たすためにも、きょう、これから先日の第一回研究集会をふり返って、徹底的な自己反省、相互批判をやろうじゃないか、ということで集まったわけです。荒川さんも、それで、こうしてわざわざ大阪からかけつけてくれました。この合評会に参加するため、土曜日の授業を終えるとすぐ列車で、昨日の夜行でかけつけてくださったわけです。本当に感謝します。東京の私たちも本当に心強い。ありがとうございました。で、さっそく、「作家と教室との交流」という、集会第一日の日程から検討というか、成果を吟味していただきます。大体んなふうなことだったか、進行の大体のところを福田さん、紹介してくださいませんか。


  本来の読者と非本来の読者

 福田  この部面は、鈴木(勝)さんと私とでやりました。講師に児童文学者の岡本良雄・塚原亮一の両先生と『綴方教室』の豊田正子女史をお迎えしました。関英雄先生に、司会者である私たちへの助言やらチューターの役を買っていただいたわけです。岡本さんの『馬車と走る子』、塚原さんの『馬鹿はひとりで』の実践報告をサークルの小川さん。『綴方教室』の報告を木村さんがやる……その後、作家の立場から、現場へのアドヴァイスを自作案内を兼ねた形で講師が語る、そして討議というようなことだった、と思います。ただ短い時間に内容が盛りだくさんすぎたという感じでしたね。
 鈴木  時間の足りないことが惜しまれるぐらいに、内容が豊富だった(笑い)……
 篠原  ことばの魔術ですよ(笑い)……でも、内容が豊富だったのは本当ですね。岡本先生やほかの講師の先生方の指導、力がこもっていて、とても教えられました。報告者との呼吸がピッタリ合っていましたね。豊田さんの場合、すこしスレ違ってしまったような所は見うけられましたが。
 鈴木  そうでしたね。講師の先生方には本当に感謝するな。うれしかった。
 福田  そうですね。本当に。
 鈴木  計画には、しかしムリがあった。が、それはそれとしまして、「作家との交流」――ここのネライですね、何をねらった企画だったか、という点について、先生、どうぞ……
 熊谷  そうですね。皆さんと企画を立てたとき、たしか、こんなことが話題にのぼりましたね。第一は、作家の表現意図と実際の結果との一致・不一致を確かめることがこの機会に出来はしないか、というふうなこと。集会のなかで討議した「流露」といようなことも含めてですね。流露……つまり作家の意図からハミ出た表現、無意識の流露が実際の表現効果を高めたり、逆効果をもたらしたり、というような場合なども勘案してですよ。作家のツモリと結果は必ずしも一致しない。それが必ず一致するものだとすれば、だれでも文豪になれるはずです(笑い)……そこの所ですね。文学学習指導の問題点の一つになるわけです。以上が第一点。つぎに、本来の読者と非本来の読者……あらい言い方をすれば、作家が作品を書くときに対象としていた読者というか、内に、作家の創造主体のなかに温めていた読者……これが本来の読者ですね。つまり、作家がその創作過程において、たえず対話の相手として選びとった「内なる読者」……その内なる読者は、或種の現実の読者の反映像であるわけですね。部分的反映だったり、再構成された、より高次の高められた読者だったり、その反対だったり、さまざまですが、ともかくそういう本来の読者と、非本来の読者、歴史時間の次元を異(こと)にした読者……この二つの読者の間における表現理解の差が、どういう性質の差であるかということが、ハッキリつかめるんじゃないか、この機会に……と考えたわけです。
 荒川  量的な差でなくて、それは質的なものだ、という点ですが。
 熊谷  僕りゅうの言い方をすると、それは、たんに個人差をあらわすものじゃなくて、方向差の問題だ、ということなんですが。それが、はっきり方向差だというデータが出れば、この問題に対する僕の仮説は一つの裏づけを得るわけだし、そうは簡単に割切れない、ということになれば、それはそれで反省のいい機会だし、と僕は考えていたわけです。このことに加えて、第三に……これは第一点と関連する事がらなのですが、教師自身のツモリと事実との一致不一致をたしかめることを、ねらったわけでした。自分の主観では、成功したつもり の指導が、果たして成功であったか、どうか、というような点を反省するためにも、ですね。教師は生徒の動きをリアルに見つめているつもりでいるのだけれど、そうは行っていない場合もあるわけでしてね。


  文学者の姿勢

 荒川  いまのお話しの流露のことですが、岡本先生がおっしゃっていましたね。『馬車と走る子』には流露が乏しい。というのは、これは教科書会社の註文で書いた作品で、規格に合わせたような所がある。こういう作品は、どうしても自然に流露するものが欠けている、というお話しでした。岡本さんとしても、きっと意に満たない作品だということでしょうし、ヘンに持ち上げられたりしては迷惑だという感じでしたね。
 佐藤  集会参加者の声なのですが、同じようなことを言っている人たちがいましたね。岡本先生の作品は欠かさず読んでいるが、そして、いつも感動させられるのですけど、自分は岡本さんの読者だというのですね、しかしこの作品は教室で扱ってみて、いつもと調子が違った、と言ってました。
 鈴木  『馬鹿はひとりで』にも同じような点があるのかもしれませんね。
 佐藤  ええ、塚原先生が謙虚におっしゃっていましたね。封建制下の農民の暗い宿命みたいなものを語ったが、その暗さが、読者である子どもにどうひびくか、非常に危惧した、と話しておられましたね。打たれましたよ。
 熊谷  誠実な人だからな、あの人は。
 荒川  教室実践の結果を聞いて、ほっとした、というお話には本当に誠実なものを感じました。問題は、ただ主人公の万蔵の生き方が当時として唯一の農民の生き方だった、という作家の認識には異論もあり得るわけでしょうね。
 佐藤  僕も、あの点で、ちょっと引っかりましたね。西鶴の作品なんか読んでみても、ほかの生き方もあり得る、ありえたということが言えそうだし、文学を離れて考えてみても、百姓一揆につながる何かが考えられないこともないし、「唯一の」というわけではないですね。しかし、それは作家はつねに基地問題を描かなくてはいけない式の、勇ましく生きた人間形象だけを造型しなければいけない、ということではありませんね。あの作品は、第一、民話に取材した作品ですし、姿勢そのものとしては文学者らしい文学者の姿勢を示していると僕は思うんです。
 荒川  『馬車と走る子』ですけれど、作家ご自身おっしゃっておられるような意味で、また佐藤君の紹介した、参加者の言っていたような点でなのですが、教室で生徒に読ませて、全部が全部肯ける作品として生徒が読んでしまった、とすると、かえってその指導に問題がある、ということになりませんでしょうか。
 福田  こんどの報告を離れての話ですが、活字になって報告されている「すぐれた実践例」というのに案外多いのじゃないですか、「成功したつもりの失敗」とういのが……それがむしろ多いような気がします。荒川さんがおっしゃるように、指導の仕方に問題があるのでしょうね。
 鈴木  そうかもしれませんね。そして、これは、他人ごとではないですね。きょうの授業は、うまく行ったぞ、と思った時ほど気をつけないといけない、ということになりますね。
 熊谷  戦前派の、むしろ生徒としての体験だけれど、以前は、教科書に出てくる作品に頭を下げることを教師は強要した。それを絶対のものとしてですね。作者の意図にせまるとか、その精神の真髄にふれる、というようなことをめざして、教師は生徒を指導したわけです。「追体験」がどうのこうのという、例の形象理論ですね。これが当時の国語教育の、また文学教育の指導理論だったわけですよ。……生来ナマケモノのせいもあるが、それで僕なんかは中学時代、すっかり教科書嫌いになったし、すなくとも日本の古典文学というものに対しては、食わず嫌いになった。と同時に、つまらん作品を有難がって、自己陶酔におちいっているような先生方の顔がバカみたいに見えてきた(笑い)……先生をバカにすることで、しかしこっちもバカになった。また、こういう先生方の指導に盲従していた、お級長さんタイプの模範生徒は、むろん「醜(しこ)の御盾(みたて)と出で立つわれは」式のバカになった(笑い)……横道にそれたけど、作品の表現や作家の認識を絶対なもの、完璧なものとして扱うことは、文学教師の態度ではない、ということですね。


  童心主義の変形

 福田  いかに指導するか、という「いかに」が教師の課題です。しかし、その「いかに」が作家の意図といいますか、作品の表現といいますか、そういったものを絶対のものと考えての、単なる指導技術上のテクニックや何かであってはいけない、ということを僕も考えるのです。与える作品の選択がだいじですね。
 篠原  そうですね。それを教壇で扱う私たちの能力不足ということにも問題はありますし、こっちが知らないせいもあるのでしょうが、なかなか、これと思う作品にぶつかりませんね。ほかの一般の作家も、関先生や岡本・塚原先生方みたいに、私たち現場教師の間へはいってきて、私たちの言い分も聞いてくれ示唆も与えてくれるようになるといいのですが……その点、こんどの作家との交流は大きな意味があったし、私としては刺激になりました。表現理解の指導と表現指導との接点が、私にもすこしわかりかけたような気がします。
 荒川  これと思うような作品が少ない、といういまの篠原さんの話ですけれど、高校低学年向きのいい作品が少ない。ここを、こういう方向で書いてくれたら、書き換えてくれたらと思うような作品が多くてね。作家と教師・教室の交流が必要ですね。子どもをつかんでいない作品が今ハンランしている、というのは、作家の側に回ってみて、どういうことになるのでしょうか?
 熊谷  作家が内に温めている子ども、対話の相手として選びとった「内なる読者」としての子どもの人間像に、きっと問題があるのでしょうね。つまり、それが現実の子どもの反映像になっていない、ということ……自分の子どものころへの回想のノスタルジア、童心への郷愁と結びついた、アイデアルに観念化された子どもの人間像みたいなものが、そこにあって、現実の子どもに結びつかない、というふうなことがあるんじゃないですかね。創作の過程で、作家がその主体の内側で、対話の相手として語り合っている「子ども」というのが、実は子どもの頃の自分や自分たち……それも、回想のなかで美化された自分なんですね。一種の童心主義ですね。童心主義は、「赤い鳥」時代の特産物じゃなくて、今もそれがある。だから、本当の意味での児童文学にならないで、おとなの手になる「童心綴り方」みたいなものに終っている(笑い)……と言ったら怒られるかな。ともかく、いまの時代のナマの子どもとの、いきいきとしたダイアローグがそこにない。
 鈴木  童心綴り方ですか。綴り方の話が出たところで、「文学と生活綴り方」というところへ話題を移しましょう。


  流露――ハンドルは受け手の側に――

 荒川  文学と生活綴り方のけじめなんか自分にとって問題でない、と豊田さんはおっしゃっていましたね。とにかくコトバというもの、文章というものを使って、自分の見た現実の本当のところを書こう、と努力してきただけだ、というのでしたね。豊田さんという作家自身の気持としては、本当にその通りだということは、よくわかるつもりですが、しかし、やはり区別があるわけですね。指導する側の教師としては、読ませる場合でも、書かせる指導の場合でもそこをつかんでかかる必要があるわけですね。
 佐藤  綴り方を書いているつもりで、それがある程度に文学になっているとか、自分では文学の創作をしているつもりで、ですね。それが綴り方の域にとどまっている、ということはあるわけですが……
 熊谷  ここの話題に即していうと、生活綴り方といわれているものも、それがある程度に典型化が行われている場合に、異質の体験、異質の生活のワク組みのなかにいる人間に対しても訴えるものがある、ということになるんじゃないですかしら……流露としての典型化、送り手・書き手にとって無意識の、意図してもいなかった典型化というようなことも含めての話ですが。
 荒川  木村君の『綴方教室』の学習指導も、それをやはり文学として生徒に準体験させていた、という感じですね。セルと弁当……あそこの扱い方にしてもですね。原作のセルに対する豊田さんの切実な気持、それを山の手の中産階級の子どもたちにつかませるために、学校へ自分たちが持ってくる弁当……そこへ結びつけて、つまり自分の身にひきくらべて考えさせる手段として弁当のことを出して来て指導した、あのやり方は正しい。というより、一種の文学作品として『綴方教室』を扱う以外に、それを準体験させる以外に、違った生活のワク組みの子どもに、生活綴り方の「生活」はつかませえないわけですね。
 鈴木  生活綴り方と文学との違い……その点が、集会では不十分にしか話し合われなかった。それで、ここで方向だけでも出せたらと思いますが。
 荒川  綴り方作品が文学として機能する場合もあるというのは、さっき先生がお話なさった「流露」ということで考えていいわけですね。
 熊谷  送り手(作家)の側の表現の問題としては、そういうことでしょうね。が、流露が流露として、つまりそれが表現として機能するというのは、むしろ受け手(読者)の側の表現理解の仕方のほうにアクセントがあるわけですよ。ハンドルを握っているのは、送り手の方じゃなくて、むしろ受け手の方だ、ということ……流露の問題も、どうもこれまで送り手の側からしか考えられていなかったわけだけれど、受け手の側を軸にしてもう一遍考えなおしてみる必要がありそうですね。
 荒川  そうなりましょうか。
 熊谷  例の自然美というのですね。自然は、だれが表現したものでもないけれど美しい。それは、送り手があっての芸術作品ではないが、ヘタな芸術作品よりはかえって「芸術」としてこちらに訴えてくる、それはなぜか、という昔からの美学上の問題ですね。受け手の側から考えて行かないことには解決つかないにきまってますね。ムリに送り手の「表現」を突っつき廻したりすると、送り手でなくて作り手……神さまでもかつぎ出すほかなくなる(笑い)……自然の美しさは神さまの流露だ(笑い)……なんての、いただけませんよね。


  感動の質の問題

 鈴木  話が飛躍しますが、農村の生活綴り方ですね、都市と農村という分け方は便宜的な分け方ですが、都会の子どものほうにそれが訴えるのか、それとも農村自体の子どものほうにより訴えるものがあるのか、一体どっちなんでしょう?
 佐藤  『山びこ学校』の場合でいえば、読まれてるし訴えているのは、都会のほうでしょうね。僕は高校時代に読んで、すごく意欲をかき立てられましてね。僕一人の経験だけじゃなくて、まわりがそうでしたね。むろん、東京の高校生だったわけですが、僕は……
 福田  佐藤さんの場合は高校生なのですね。小学校の場合は、経験的にいうと、逆のような感じがしないでもないんですが……
 佐藤  一つの例ですが、壺井栄さんの『坂道』ですね、あれはバタヤの子どもには訴えなかった、といいますね。これは文学作品の例で、生活綴り方ではないですが。同じような生活体験では、かえって関心をひかない、ということがあるのですかね。
 福田  いや、僕が『坂道』を扱った場合には、クラスに新聞配達をしている子どもがいるのですが、その子が一番感銘した。ですから、必ずしも佐藤さんのようには言えないのではないですかね。
 鈴木 めいめいの経験にだけ固執していても結論は出ないわけですが、どう考えたらいいのでしょうか。佐藤さんの場合も福田さんの場合も、確たる経験的事実であるわけなんで……
 佐藤  僕のいいたいのは、『坂道』もそうですけれどね、『山びこ学校』にしても何にしても、生活綴り方が日常性を越えて……農村なら農村生活の日常性を越えて、都会の子どもの生活のなかへ文学として機能してくる場合がある、ということ。それは綴り方としてでなく、文学として実は読まれている場合がありはしないか、ということなのです。日常性を越えてつかむということがあれば、文学としての自覚が読者にあるなしにかかわれず、とにかく一種典型化してつかんでいるという一点で、文学として読んでいる、ということですね。
 熊谷  そうですね。日常性を越えているか、いないかの問題ですね。
 福田  そういう考え方でおさえて考えてみますと、『坂道』を読んで両極が……というのは豊かな家庭と貧しい家庭の子どもたちが感銘して、中間層の子どもに感銘が薄かった、ということがないでもないのです。むろん、全部をならして、そう割り切ることは出来ませんが、傾向としてそう言えないこともないのです。かつ、その両極の感銘の仕方に、また差があるのですね。
 鈴木  どういうような違いなんですか?
 福田  相手を見下したような、恵んでやるというか、あわれみみたいな、本当のナカマになっていない同情の仕方と言ったらいいですかね。それと、さっきの新聞配達の子の共感ですね。
 鈴木  おかわいそうに……というヤツですね。
 熊谷  自己の日常性のワクのなかでの共感、日常性を越えていない感銘というのはこの場合ただの優越感にすぎないのであって、それは文学として 作品の表現をつかんだことにはならないですよね。文学的感動というのとは、ほど遠い感じですね。
 篠原  よく言いますね、この作品は五十何人かの生徒に、一様に感動を与えたとか何とか……ああいう実践報告というのは、福田さんのおっしゃる「両極」の表現理解の差というのが教師自身につかめていない証拠ですね。
 鈴木  手きびしいですね(笑い)……しかし、本当にそうだと思います。ひとつ、この辺で、今まで話し合ったことを整理して、つぎの柱へ進みましょう。


  生活綴り方と文学教育

 荒川  綴り方作品が本来、文学作品として創造されたものでないにもかかわらず、それが結果として日常性を越えて機能するというハタラキを持っているものだから、ついそこに安住してしまって、生活綴り方にかえれ、というようなことを言う人がいますけれど、おかしいですね。
 熊谷  意図において文学作品で本来ないものが、文学として幅広く機能するというのは、実は受け手の側に、或る程度以上に文学的修練が出来ているから汲みとれるのであって、そういう修練なしには成り立たないわけですね。その意味で、生活綴り方は、文学教育に媒介されて成り立つ、ということが言われていいんじゃないかな。生活綴り方や生活記録にかえれではなくて、むしろ、これからの生活記録はどういうものにならなくてはならないか、ということですね、問題は。……朝日新聞の「ひととき欄」のあの生活記録なんか、書き手はみんな、ちゃんと、読者のツボを心得た表現をやってますね。日常性に即しつつ日常性を越えた、一種、生活の典型化としての生活記録、その表現指導……むしろ、これは文学教育の任務ですね。
 篠原  余談ですが、「ひととき」の調子に、何か一つの型みたいなものが出来かかっている、という批判がありますね。
 荒川  そういうステロタイプにおちこまないための構えというか修練……それが小学校の時代からつみ上げられなくては、ということでしょうね。
 福田  さっきの問題……農村の子供の綴り方ですが、そういう生活記録が都会の子どもに共感を呼ぶとか、呼ばないという問題ですけれども、一おうメドはついたようなものの、もっとハッキリさせる必要がありはしませんか。
 荒川  そうですね。「ひととき」の場合と同じことで、文学教育にある程度媒介された今の子どもの綴り方表現は、異なる体験の相手にもかなり訴えるようなものになってきているのでしょうね。全般的にそうであるかどうかは、わかりませんが、そういう傾向は芽生えているのでしょう。その芽が実(み)を結べば、今までのような意味での都市と農村との境界はなくなるわけですね。「今までのような意味での」という所にアクセントを置いて言うのですけれど……
 佐藤  それはそうですけれどね、それだけにですよ、自分と似たりよったりの生活体験を平板に書いた綴り方では読む気がしなくなる、ということがあるわけです。
 熊谷  それと反対に、その似たりよったりの生活体験の記録が、戦前にはさかんに読まれた、ということがあるのですよ。農村の子どもの生活綴り方が、同じ農村の同じ層の農民の子どもたちに感動をもって読まれた、ということがですね。自分の家の内のことは、ひた隠しに隠すという習慣、「よその人にこんなことを言うんじゃないよ」とか「学校へ行っても、家の内のことは口にするなよ」というわけでしょう。そこから妙なコンプレックスが子どもたちに生れますね。そういう子どもたちにとって、「わが家の生活」が赤裸々に書かれてある綴り方には惹かれるものがあるわけですね。そして、そこに書かれてある「他人の生活」は、実は自分の生活とふれ合うというか「似たりよったり」のもでしょう。「苦しいのはオレだけじゃない、みんなが暮しに困ってるし、みじめなんだ」ということがわかって、クラス・メートどうしの連帯感も生れてくるということですね。つまり、文学として機能し作用していた、ということになるのでしょうね。
 荒川  それが今は変ってきたわけですね、表現そのものが、さっき言った意味で文学的なものに。
 熊谷  つまり、戦前におけるような意味でのコンプレックスから、子どもは解放されはじめていますね。隠す習慣がなくなったとは言いませんが薄れてきた。戦後の抵抗教育の役割が、そして大きい。そういう子どもたちにとっては、もはや自分と「似たりよったり」の生活記録や、記録の仕方……つづり方では打たない、ということがあるんじゃないですかね。作家の童心綴り方、エセ児童文学作品が子どもの心を打たないのも、同じ理由からでしょうね。対話の相手である「内なる読者」としての子どもが、戦前のコンプレックスを持った子ども……つまり、自分が子どもであった時分の「子ども」の反映像にすぎない、ということがそこにあるからでしょうね。
 鈴木  未整理のところもありますが、この辺で二日目の日程に入って、「児童文学の系譜」それから「国語教育と文学教育」の部面を検討しましょう。
(以下、次号)

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