初期機関誌から

「文学と教育」第16号
1960年6月発行
 教育課程の自主編成  川合 章   (講演記録) 

  一.戦後教育の展開と自主編成

 はじめに戦後の地域教育計画ブームの前後をふりかえってみたいと思います。
 戦後教育の展開を考えるさいに見落してならないのは、敗戦直後の教育界の動き、その背後にある民主陣営の動向と物の考え方ではないかと思います。それがその後の教育の展開にきわめて重要な影響を与えていると考えられるからです。
 敗戦直後、最初に生れた民主的な教育団体は、四五年秋に発足した民主主義教育研究会(機関誌「明るい学校」)、のちに民主主義教育協会)でした。ところが不思議なことには、この唯一の教育団体には、教育者や教育研究者はほとんど参加していなかったのです。このことはいったい何を意味するのでしょうか。いろいろな事情、とくに教師や教育研究者の敗戦による虚脱状態や、生活難の問題などもあると思いますが、そうした事情の中でとくに注目しなければならないのは、教師や教育研究者における戦争責任の欠如ということと、民主陣営における前衛党の指導のあやまりではないかと思います。戦時中、みずからの生き方の問題とはきり離した次元で教育の問題をうけとめていた教師や研究者の大多数は、戦後もまた、同じように、教育と子どもの問題を、自分の思想や生活の問題とはきり離して考えていきました。そのため、教育の問題は、教師の生活問題とは別個の次元でとり扱われ、民主主義教育研究会の活動も、教育の研究実践よりも、教員組合作り、教師の労働条件改善のためのたたかいにだけ向けられていったのです。したがって、敗戦という事態で、戦時教育を根本から考え直し、教師として、独自に戦争責任を追及することを回避して、一億総ザンゲという直接の戦争責任者のデマゴギーにそのまままきこまれていくことになり、戦時教育体制の本質的な批判を展開することなく、いわゆる教育民主化に同調していくことになった、といってよいでしょう。みずからの生き方の問題ときり離された次元で、教育をとらえていくかぎり、教育民主化政策は、いちおう結構なこととしてしかうつらないのです。民主化政策の欺瞞を見ぬくこともできないことになります。例えば、新しい文部省や教育委員会制度があります。この制度は、一般行政からの教育行政の独立を指向しているものとして歓迎されました。しかしよく考えてみると、それは、かつて、内務官僚組織の末端に位置していた教師を、新しい、いわば文部官僚組織の末端におきかえるものであっても、教師じしんの姿勢をすっかり民衆の側に向けるものではなかったわけです。しかし、そのことを当時は見ぬくことができなかったのです。もちろん、このような、教師じしんの民主教育への批判のアイマイさの後には、占領軍を解放軍と規定するとともに、赤色組合主義をふりまわした共産党の指導のあやまりがあったことはいうまでもありません。
 こうした、モヤモヤした状況のもとで、文部省の指導要領の趣旨にのっとってすすめられたのが、四七年から五〇年にかけての地域教育計画作りの運動でした。この運動をどう評価するかが、現在日教組が中心になってすすめている自主編成の正否にもかかわってくるものと考えられます。
 ところで、地域教育計画運動ですが、いま申し上げたような教師の側の姿勢の根本的な欠陥のもとで進められたために、いくつかの点で重大な破綻をきたした運動でした。たしかにそれが教師に学校教育を一応全体として構想しようという姿勢(一定の限界のもとにではあったが)と、とにかく戦時体制のもとでウッセキしていたエネルギーを発散させることによって、教師の自主性を育てるうえに役立ったことは否定できないし、高く評価したいと思います。しかしそれにもかかわらず、二、三の根本的な欠陥を蔵していたこともまた否定すべきではないと思います。カリキュラム作りのエネルギーは、ほとんど無目的のままに、いわゆる教育民主化という教育政策に吸収されていったとみてよいでしょう。したがってその欠陥の一つは、結果として指導要領にしばりつけられていたことです。指導要領を貫いている機能主義の教育観(国語では場面言語主義、言語道具観となってあらわれ、社会科では社会の機能主義的把握となってあらわれています)を、それのもつ歴史的役割までほり下げて検討することをしなかったために、一方的にそれにしたがうか、あるいはそれを頭から否定して、その歴史における進歩的性格を完全に否定するかのどちらかの立場しかとりえなかったようです。(この二つのうけとり方の前者がカリキュラム作りを支配した教育観だったわけです。)そしてこのことと、前述の教師の官僚主義的傾向と結びついて、「校長しだい」のカリキュラム作りに終り、作ってしまえば飾っておくだけ、校長が変わればガタッとくるということにならざるをえなかったのだと思います。
 第二の欠陥は、現地解決主義ともいうべきもので、教育に対する過大な期待と「教育はオレのもの」という無責任な教師の自主性とが結びついたものです。社会発展においてしめる教育の役割を過大に評価したことと、誰に誰が責任をおうて教育をすすめるかという点の追求の不足に結果するものと思います。さらにそれに、地域の問題は地域で解決するという非科学的なとらえ方もつきまとっているわけです。地域の課題を地域の学校が全部ひきうけて何とか解決しようというのです。教育というしごとの歩留りを考えない教育セクト、自分の学校だけやれば、という学校セクト、学校内での個人プレイ、それに機能主義的社会像と結びついた農民主義などなどが、その欠陥です。
 このような欠陥をもつために、地域カリキュラムの大部分は、作りあげられると同時に校長室の机の中にしまいこまれるだけのものに終ってしまったし、また父母の素朴な教育要求とくいちがって動きのとれないものになっていきました(このことには、文部行政のサボりも影響しています)。そして、ガイダンス・ブーム、道徳教育論議などをへて、三〇年前後からの、教育の全面的な官僚支配へとうつってきたわけです。
 こうみてくると、今日教育課程の自主編成をすすめようとするときに、われわれが一番考えてみなければならない点は、教師とその組織が、教育プランとしての教育課程を、みずからの生き方や思想の問題、しかも教師集団という組織の問題としてとらえる、いわば組織の主体性の問題として考えることが、ほとんどなかったという事実ではないかと思います。
 勤評闘争を通じて、この点はかなりの教師のあいだに漠然とではあるが、自覚されるようになってきました。わたしどもは、この時点で、戦後の学校が、その教師たちが、どんなうけとめ方で戦後と対決したか、をあらためて自分の学校について検討してみることが必要ではないかと思います。そうする中で、教育のあり方をみずからの生き方、権力との対決のし方の問題としてとらえ、民衆の生活に組織として責任をおう姿勢が、教育課程の自主編成を本物にすることと、どんなに本質的な結びつきをもっているかを自覚していくことができるのではないかと思うからです。


  二.教育課程編成の原則

 ◇ 教育認識論
 第一には、子どもの生活意欲、学習意欲を掘りおこし、組織するという観点で、教育認識論とでもいうべきものにとりくむことが必要ではないかと思います。いうまでもないことですが、教育のしごとでは、科学の体系とか、芸術の本質をだいじにするといっても、教育される子どもの側に立ってみれば、そうした文化財は、子どもの成長、人間としての発展にとってはまさに手段であり、条件であるわけです。子どもが変る、変革的に発展するという観点、別ないい方をすれば、子どもの中に矛盾の感覚をひきおこし、自覚させ、その矛盾を克服しようという意欲をひき出し、矛盾の解決へとすすめていく、というすじみちで教育課程を考えていくことが、第一に大切だということになろうと思います。
 このようなものとしての教育認識論は、これまでの観念論的な哲学的認識論をこえたものであると思います。で、その場合の認識とは、いったいどういうものなのだろうか。哲学辞典をみますと、直感的なものから論理的なものに高めていく、その過程と成果が認識だと書いてあります。これをこの通りうけとりますと、認識というカテゴリーは科学的なものについてしか使えないことになります。このとらえ方はそれじたいあやまりだとはいえないでしょう。つまり、この集会でも、「芸術的認識」と科学的認識とはかなり質的にちがうということが討議されていますが、このちがいに着目するかぎりで、認識を科学に限るといういい方はまちがいだといいってしまうわけにはいかないと思います。しかしこの使いかたは、いちおう狭い意味のものだといっておきたいと思います。
 問題は、そういう使い方だけで、教育のしごとを切っていくメスとして十分に役立つかどうかということです。教育の場において認識を考えるとき、結果としての認識は、認識過程ときり離しては考えられません。ところが、その過程は、じつは一人一人の子どもの生活経験やその背後にある物的基礎のちがいによって、非常にちがってきます。結果としての認識だけに注目しますと、それは一般的で共通、普遍のようにみえますが、一人一人の認識過程までたちいったうえで結果としての認識を考えると、そこにかなりのちがいを見出すだろうと思います。このちがいには、子どもの生理的なもの、生活的なもの、情感的なものが色こくまつわりついています。このようないわば観念論の立場からは「不純なし」
(ママ)といわれそうなものが、じつは子どもの変革的発展、実践をめざす子どもの学習の場合には重要な意味をもつものと考えられます。認識の問題を実践的な角度から問題にしていくと、どうしても、観念論的にキレイゴトの認識論ではかたづかなくなってしまうと思うのです。
 実践的な角度から認識を考え、その過程を重視することになりますと、結果としての認識もとうぜん、観念論的なそれとちがったものになります。子どもの価値観とか、実践的エネルギーとか、力量とかといわれるものを十分に考えて結果としての認識も問題にしなければならないということになるだろうと思います。
 例えば、歴史の学習の場合に歴史意識の発展が問題になってきます。歴史意識はたんに歴史学の成果をキチンと教えていくことによって育つかというと、そうではなくて、民話だとか、さまざまな物語だとかをつうじて、歴史についての漠然としたイメージが固まっていき、それが歴史意識の発展を助けるという側面があると思います。歴史はたしかに科学ですが、科学としての歴史の認識の場合でも、やはり「芸術的認識」といってよいような、対象を丸ごとのものとして、典型としてとらえるとらえ方がなければならないと思います。
 こう考えてきますと、芸術的な把握と理論的な把握との接触の解明が教育認識論の一つの課題になり、そのためにも、いわゆる芸術的認識の本質究明が不可欠になってくると思います。
 このことと関連して問題になるのは、子どもを一定の生活をせおっているものとしてとらえることだとおもいます。都市工業地帯の子ども、山の手の子ども、単作地帯の子どもなどそれぞれ自然に対する意識、社会観、労働観、すこしずつちがっているはずです。こうした点をつっこんであきらかにしていかないと、子どもの生活意識を大切にするということが、たんにスローガン的にうけとめられるだけで終る危険性があるし、また、子どもの現在の意識を変革するために、教材として何を 、どんな風に子どもにぶつけていったらよいか、もあきらかにできないと考えるからです。子どもの生活構造を、地域の経済構造との関連でおさえていくことが必要だというわけです。この点で山形県教組がすすめている教育運動には学ぶべきことが多いと思います。
 こう考えてきますと、さらにこれまで生活指導といわれてきたものを、改めて、学校教育全体の中で、子どもの生活意識を育てるという面から、その役割を考え直す必要があるような気がします。仲間作りだ、解放だということで分ってしまったように思いこんではいないでしょうか。生活指導的な発想で、子どもをつねに環境とのかかわりで、しかも集団の中で発展していくものとしてとらえるのでなければ、さきほど申し上げたような意味での教育課程の編成はできない、したがって、生活指導のとらえ方を、学校教育全体のあり方にかかわるものとしてみていく必要があるのではないかと思うからです。生活指導はある意味では、子どもを研究する方法だ、といえると思います。この点をもっともっとつっこむと、学校をどういうものとしてとらえるか、教育をどう考えるかという時に、生活指導のとらえ方が基本的な役割を果すということがいえそうです。学校のあり方とかかわって生活指導のあり方を追求することが必要だ、というわけです。したがって生活指導のあり方の追求と教育認識論の確立とは別のものではないといえましょう。

 ◇ 何のための教育か
 今お話ししたことの中に入るのですが、第二に、何にむかって教育していくかという、いわば教育目的論、内容論を明確にしていく必要があります。さきほど荒木さん(繁氏、日文協)のお話の中で、「しんの文学は、現実との妥協を許さないものだ」という意味の伊豆さんの言葉がありましたが、こういうことを、科学にも技術についても自身についても、しんけんに考えていく必要があると思います。しんの科学は、日本の現実との妥協を許さないものである、あるいはしんの体育は、資本主義の矛盾を身体を通じて感じとるような体を作る方向のものでなければならない、という観点です。本物はいったい何か、遺産といわれるものを何でもとりあげるのではなく、本当に大事にしなければならないものはいったい何なのかを今日改めて考えていこうということです。もちろん、科学や芸術には立場だとか、イデオロギーだとかのちがいはない、という反論があると思います。たしかに科学の成果としての科学的真理は普遍的で、資本主義の世界でも、社会主義の社会でも通用します。しかし、その成果を生みだした科学者の自然観や、それにもとづく方法の問題までほり下げて考えていくと、科学には立場がないといいきれるかどうか。わたしは、立場のない科学なんてないと思います。本当に民衆の一人一人の発展をめざして科学をすすめていく人の研究の対象、とりくみの方法は、そうでない人のそれとはっきりちがっているといえないでしょうか。人間を育てる教育においては、とうぜんこのような立場や方法を直接問題にしたり、少くとも、立場や方法を吟味して学習の内容をきめていくのでなければウソだと思います。教師にそこまで期待することがコクなことは分ります。しかしそこまで考えていかなければ国民の発展に責任をおう教育にならないというのであれば、そのために科学者や文学者などの専門家との緊密なていけいをこそ要望すべきだと思います。他方、科学者や文学者も、国民の発展に責任をおう姿勢で、科学や文学にたずさわっておられるわけですから、この緊密なていけいについて、教師の側でだけ負い目を感じる必要は毛頭ないと思います。
 このあいだ、教科研の夏の集会に参加しましたが、そこでの「認識と教育」の部会で、哲学者の三枝博音さんのいわれたことは、きわめて印象的でした。三枝さんは、「ほんとうの認識論が、哲学者のあいだでよりも、より生き生きと、具体的に現場の先生方の中で追求されていることを発見して非常に驚いた」という意味のことをのべておられました。哲学も科学も、教育の場で生きて働くものでなければウソだと思います。
 それでは「何に向って教育」するかという時に、その「何」をたしかめる視点はないだろうか。わたしはそのような視点として二つの極を考えることができると思います。一つは、熟さない言葉ですが、「人間としての発展」、「人間としての価値の発展」であり、もう一つは、それを支えるものとして、「生産労働の発展とのかかわり」であろうと思います。もちろん、この二つは対立するものではなくて、構造的に関係しているものと思います。
 理科で鉱物の勉強をするときに、岩石が風化して土ができるという土のおさえ方と、土は生きている、有機物も含まれるし、植物を育てれば土は疲労し、ガサガサになっていく、という土のおさえ方とでは、生産の結びつきという点で本質的なちがいがあるわけでしょう。生産との結びつきで土をみていくと、岩石が風化によって土になるという観点とちがった見方を土にたいしてしなければならなくなる。こういう観点が第二の観点であります。
 もちろん、この場合、岩石→土というおさえ方を全く排除したり、否定したりするのではなくて、生きている土というおさえ方の中に生かしていくことが考えられます。どの段階でも、何もかもつねに生産と結びつけよというのではなくて、学習全体のねらいが結局そこを向いている、というものであってほしいわけです。要するに、新指導要領の自然観ではなく、自然というものに人間が働きかけ、改造し、変革していく、つまり生産活動をつうじて人間生活を豊かにしていく、その対象としての自然をとらえていくことが必要だといいたいのです。
 もう一つは、例えば文学教育などにはっきりみられるように、間接的には生産とつながっているが、直接的には、生きるよろこびというか、生活のエネルギーというか、あるいは生き方の追求といわれるものにつながっていくものです。人間が人間としての価値を高めていく、したがって、その活動じたいに人間としてのよろこびを感じるといったものです。
 このような二つの角度から、それぞれの教科のねらいや内容をたしかめていくべきではないかと思います。しかし、くりかえすことになりますが、この二つの視点はそれぞれ無関係ではけっしてないわけです。それぞれの教科の中にこのねらいが含まれているし、一方が結局他方になるという関係にあるものと思います。数学でいえば、一方では生産技術の基礎として生産労働とつながっていく面がある。が同時に、論理的な思考力の高まりそれじたいは、生産と結びつかなくとも、人間としての高まりになるのではないかといえそうです。体育についても同様です。身体活動にわれわれがよろこびやはげみを感じるという、いわば身体活動の自己目的性の中に体育をつうじての人間としての高まりがひそんでいるような気がします。他面また体育は生産活動のにない手としての身体を育てていくというねらいをもつべきだと思います。

 ◇ 内容・方法の統一的把握と教師の組織
 教育認識論と教育目的ないしは内容論についてのべてきました。前者を方法的側面、後者を内容的側面といってもいいでしょう。この両者は、これまで申し上げてきたことからもある程度おわかりいただけると思いますが、けっしてバラバラなものではないはずです。この両方の視点が重なりあい、統一的におさえられるところに教育課程が成立する、といえると思います。内容と方法を統一的にとらえていく姿勢がないと、教育課程を問題にすることはできないという気がします。
 そして、こういうふうに内容と方法を深めてまいりますと、とうぜんそれについていけるとかいけないとか、が問題になり、初めにとりあげた教師の組織が問題になるわけです。ここに改めて、今日の現場の先生方が何を考えているか、父母はいったいどういう生活要求をかかえているか、そういうものを検討していくことの必要に気づくはずです。そして、父母の表面だった生活要求や教育要求の中から、何をほり出していくかという際に、さきに教育のねらいで問題にした二つの視点(生産労働との結合と、人間としての高まり)がいかされなければならないと思います。この二つの観点から、父母の要求をまとめていかないと、父母の要求を組織するとか、職場の仲間作りをすすめていくとかいっても、結局、表面的な仲よしの段階を大きくふみこえることはできないであろうと考えられます。


  三.自主編成の手続き上の問題

 自主編成はプラン作りではない、理想的な教育プラン作りではなくて、教師が自主的に研究をすすめていく、自分たちの実践を本気で検討していくことだ、といわれてきました。教師が自由に研究することをはばむ条件を克服していくことであり、自主編成はまさに教育の自主的な研究体制を確立することだ、といわれてきました。
 また、この問題ともからんで、自主編成は、われわれの教壇実践そのものを俎上にあげてつぶさに検討し、その中から、今後実践をどう改めたらよいか、この次の段階ではどうしたらよいかを見つけ出していくことだ、実践の検討こそが自主編成だ、といういい方もなされてきました。
 第三に、そんなことをいっても、われわれには時間の余裕と力量が不足している。日教組で作ってもらえさえすれば、われわれはどんなに無理してもそれを実践してみせる、といういい方もされてきました。これは表面的にうけとると教師の安易さ、主体性のなさのあらわれのようですが、かならずしもそうとだけはいえない。われわれには力がないから、というのではなくて、前にもふれたように、科学者や芸術家といった人びととのきんみつなていけいがないと何をいったい起したらよいかについて、本当に国民に責任をおえるものをうち出すことができない、教師が片手間にやるのには、余りにも重大な問題だ、というむしろ高い自覚から出ている発言だともいえると思います。
 こういう三通りの考え方が今日、自主編成をめぐって出されています。わたしじしんは、この三つの考え方はそれぞれ対立的なものとしてみるべきではないと思います。例えば実践の検討をやっていっても、何のための学習内容かを考えなければ、実践の検討はできなくなります。したがって第三の考え方に含まれていることがとうぜん前提になってきます。また、実践の検討は一人ではできません。また自由な空気の中でなければ成果をあげえません。したがって、自主的な研究体制を不可欠なものとしているわけです。ですから、自主的な体制づくりということだけでなくて、ドシドシ、専門家とのていけいのもとで理想プランも出していかなければならないと考えます。
 こう考えてきますと、ここに民間教育研究団体が位置づけられてくると思います。民間団体は、現場の先生方が中心になって組織され、科学者や文学者などの専門家が積極的に参加され、その共同作業をつうじて、国民のための教育課程の見通しをはっきりうち出し、現場の大多数の教師の教育実践の推進力となっていくべき性格のものであり、いわば、教育課程の自主編成における前衛としての役割をになうべきだと思います。
 前衛とは何か。ただつっ走るだけではもちろん前衛とはなりえません。国民大衆に責任をおうべく、教師大衆の現状をおさえ、それを一歩一歩高めていくことを前提とした教育論をうち出し、運動をすすめていくのが、しんの前衛だと考えます。しかし反面、組織としての前衛は、どんな考え方の人でもやみくもにかきあつめて組織された者の量を誇るということではないと思います。方向の同じ人びとの同志的な結合でありながら、教師集団の現実をはっきりとみすえ、そのうえでどうすべきかをうち出していく、つまり教師大衆の要求を組織していく責任が組織的に確立されていなければいけないと考えます。
 そういうものとして、この文学教育研究者集団に、今日お集りの方々が参加され、集団が発展していくなら、それはとりもなおさず、教育課程の自主編成にとって一つの大きな力になることと思います。

 (全体として講演の録音をもとに、やや簡略化して書き直した。しかし、一、は録音がとれなかったため、講演のさいの要項をもとに新しく書いた。したがってお話ししたものというよりは、話したかった内容という意味にうけてっていただきたい。川合)

HOME「文学と教育」第16号初期機関誌から機関誌「文学と教育」