初期機関誌から
「文学と教育」第15号 1960年4月発行 |
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“馬鹿はひとりで”について 塚原亮一 | |
児童文学の本質とは何ぞや? ということになると大問題であるが、少くとも、“児童”がついているだけで一般に考えられる“文学”と、何等、変る所がないことは確かである。と、すれば、その作品が、作家主体と密接に結びついていることはいうまでもない。巷間、テレビの活劇ものや、マンガ、甚だしきは野球との対比で、児童文学作品の興味を云々されることは、比較すべからざるものを比較しているということがいえる。児童文学の興味とは、文学それ自体の興味である筈だ。若し、作家の主体と係り合いのない作品があるとすればそれは、単なる、読み物であって文学ではない。 作家主体(あるいは生 き方)から生れ、しかも、児童を対象とした文学――そこに、児童文学のさまざまの問題がひそんていると思う。 私は、児童文学作家と名乗るのは気が引けるほど作品が少い。(従って、自ら名乗ったことはないが)それには、いろいろの理由があるが、その一つに私自身の生き方の混迷から発見できる題材が少い(又はそのような生き方をしている)からである。これは、決して、名誉なこととはいえないので、今後、克服して行かねばならないと思っている。 拙作、“馬鹿はひとりで”の題材は、楽屋話をすれば、私が音大の“文学”のレポートに、地方出身者に民話の採集を課した時に、新潟県の一学生が、提出した、“馬鹿の万蔵”である。私は、稚拙な文章でつづられたその民話に、大変、感銘した。そこで、学生に話して、作品の題材に貰うことの許しを得、さらに、民話の舞台の地方の自然などを丹念に聞いて私は頭に一つのイメージを作り上げて執筆したのである。 私が感銘を受けた点は二つある。一つは、民話の背景で私が□(不明 「釣」?)が好きで“沼”に特別の愛着を抱いていたこと、一つは、民話の内容で、一生を“馬鹿”になって暮さねばならなかった主人公の生涯に、今日の時代に生きるわれわれにも通ずる悲劇を感じたのである。 拙作が発表されてから、主人公の抵抗の弱さが指摘されたが、それはその通りで、作者としては、むしろ、その“弱さ”の悲しみを書きたかったのである。そのような主題が、理想を求めて成長している子どもに与えるものとしてふさわしいかどうか、私自身、迷っている。然し、“弱さ”の悲しみを感得することから、“強さ”へ向わせることが出来るのではないかと思うし、果して、子どもたちはどう受けとってくれたか――作者である私は、研究集会における小川勇先生の実践報告を心からお聴きしたいと思っている。
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