初期機関誌から
「文学と教育」第10号 1959年9月1日発行 |
第八回全青協別府集会報告 福田隆義 |
八月六〜九日の三泊四日間、大分県別府市鉄輪(カンナワ)の湯治旅館数軒を借切って開催されました。その文学教育部会に、東京から講師として、熊谷先生、サークルから、前田・福田が参加致しました。 文学部会は、東京から前記三名、熊本から大挙五名、地元大分から三名、香川、千葉から各一名、計一三名でじっくりした討論が行なわれました。が、ここでは、その概要と、東京サークルでの討論過程や結論と重複しない面を主に御報告いたします。 (一) 東京サークル報告と指導要領批判 @ 柄でない私が報告致しましたので、東京での討議内容を充分皆さんに伝えることができず、「文学をどう考えるのか」「典型とは何だ」「準体験をもっとくわしく」等々、質問攻めにあいましたが、熊谷先生の助け舟で、何とか私たちの考え方が共通のものになりました。 A こうした概念規定や、討論の中で、指導要領の言語観、文学観に対する厳しい批判がなされました。が、この結論や討議過程も、東京サークルのそれと重複する面が多いので省略させて頂きます。 B これ等の討議が終った夜、某会員は「私のやっていたことが論理的に整理された」又「非常にスッキリした、もう一度サークルで復習して現場へ……」等、もらしていました。ともあれ、この討議が参加者の一人一人に明日の実践への意欲と方向を示唆したことは確かです。そういう意味でも至極充実した会であったと思います。 C 指導要領批判から、更に移行措置の問題に話が発展し、日教組講師団声明にもふれました。が、ここでは、改訂指導要領が地方でどんな形で現場へおしつけられているか、どう現場が受けとめているかのいくつかを紹介致します。 イ. 外部からの圧力 小学校、中学校では文学教育などあり得ない、と頭から決めつけた指導主事(東京)、そんな指導主事でも講師不足の田舎では依頼して来てもらわなければならない(大分)、校長、校務主任、教務主任等上級教員と内談して帰り、我々には会ってくれない学校訪問(熊本)等々、指導主事の圧力、又我々のPRのまずさから父兄の抵抗が強くて……(熊本)、中学校の場合入学試験問題、国語に限って云うなら、移行措置にあわせた、形式文法や文学の知識を要求しており、心ならずもそれに引きこまれがち(熊本)。 ロ. 内部の問題 まず我々の学習不足が指摘された。移行措置の問題で調整をしたが、時間の増加で労働加重になる、研究会ができなくなる等が問題点であり、内容にはちっともふれられていなかった(熊本)、研究不足で問題点の指摘ができない(東京)、相手の綿密さに反論するだけの実践の裏づけがない(熊本)等々、又、勤評・移行措置が云々されるようになってからサークルがこわれた。結局サークルも栄達の具でしかなかったのではないか(香川)、年齢層によって受けとめ方が異る、立身出世主義の老教師と、どう仲間となるか? その限界は? 校長は敵とみる(大分・熊本)等々。 極めて悲観的な実状が報告されましたが、唯一つ、熊本の某中学校では、各教科の先生が毎週同じ時間をあけて時間割を組み、その時間を職場での教科研究にあて、独自に教材選択や、その与え方について討議を継続しているという、積極的な発言がありました。 結局我々は、サークルを作ろう、専門を持とう、そして共通の問題をみつけ、そこで全職員がガッチリ組み、全教育構造の中で、それぞれをしっかり位置づけていく以外に道はない、と結論されました。 (二) 香川報告と提案をめぐって @ 報告・提案の概要 貧富の差のはげしい、図書不足の農村の子供に、何とかいい文学作品にふれさせたいと思って読んで聞かせたが、“春をつげる鳥”は、遠い遠いお国のできごとと感じ、“一ふさのぶどう”では、同情と理想を教師の前でいえばそれで文学を鑑賞した気持でいる子供。 こんな子供に、まず自分をみつめるために、自分と同じような子供のでてくる作品を、「この作品の中にあなたと同じような人をさがしなさい」と示唆して聞かせ、一方では子どもたちの住んでいる社会を読後に話しあう。こんな考え方、方法で“空気がなくなる日”“善太と三平”“坂道”などを読んでやったが、やはり特定の子供しか、貧しさの中にも光を求めて生きてゆく人間の姿をグッとはつかんでくれない。 いったい、仲間と共に話しあう子供とは、どんな認識を積み重ねた子供をいうのか、又、どういう作品を読ませ何を話しあわせたらよいのか、大要右のような報告・提案がありました。 討議は、必ずしも提案にそってはおこなわれませんでしたが、その主なものを拾って報告致します。 A 読んで聞かせるということについて この報告に対して、熊本から、(イ) モラルとしての把え方はそれでよいかも知れないが、文章表現のきめの細かさはとらえられないのではないか。(ロ) 朗読を聞かせたのでは、どうも道徳的なとらえ方をする傾向があるようだがどうか、等の意見・質問が出されました。が、香川から、先にのべたような環境であり、積みあげのない子供たちには“読むこと自体”に大きな抵抗がある。当面の問題としては、作品を一人一人のものにしていきたい。そのためには聞かせることもやむをえなかった、等の補足説明があり、終極としては、文字を通して、文学を受けとめていくことでなければならないが、作品によっては、又、プロセスとしては、聞かせることも認めてよいのではないか、と結論されました。 ここで聞くということに関連して、ラジヲ番組の編集に関係している、千葉の君から「我々(委員としての彼)がいくらいってもどうにもならない。誰かの意図でまげられたものが放送される。そうしたところにマスコミの問題があり、熊本からの道徳的云々の心配もでてくるのではないか」という体験談が発表されましたのでつけ加えておきます。 B 買った作品と、書いた作品 香川の“遠い遠いお国のできごと”に対する一つの打開策として、熊本から、買った作品より、書いた作品をもっと取り入れては、という発言があり、生活綴方を集団思考の場へ持ち込むときの留意点について話しあい、更に、その本質的な面について、次のような確認をしました。 生活綴方作品も、結果的には文学作品に立っていることがある。これは、“にじみでた文学”であり、今日の文学は、このにじみ出ることを否定している。これを否定したのでは、いい文学は育たないだろう。(にじみでた作品は、後述の前田提案でも問題になった) C 作品の選択について ここでは、香川の君が、選択条件の一つとしてあげた“社会体制や、自分の属している階級の認識に役だつもの”ということが問題の焦点になりました。 千葉から“どこまでも人間の自由な生き方の追求という立場で選択すべきだ。階級を正面にだすべきではない”と反論があり、熊本からは“階級への橋わたしとして、階級に連なる作品を”という意見も出されました。 が、我々は、やはり、自由な生き方の追求という立場で選択すべきである。しかし、人間的感動で迫ってくる作品というのは、究極では階級の問題に連なることが多い、と結論されました。 ここで具体的に、いい作品として熊谷講師から、西鶴の“万の文反古”の一例が紹介され、更に、選択上の留意点として、(イ) 教師の独善にならないこと、それを避けるのは、サークルの討議であること、(ロ) 目の前の子供を一般と考え、安易な作品評価をしてはならない、の二点が補足されました。 次に、教科書にある教材についても、話し合いましたが、その要旨だけを報告します。 教科書の作品は概してくだらない、しかし、それをどう扱うかの自由は、まだ我々にある、として、千葉から、“くだる”ように指導した実践報告がありました。 D 文学作品を読んだ子供の認識や行動のちがい 香川報告に加え、熊本から、中学校での事例として“八年制”を読んで、何故父親が酒をのむのかを考えた子供が、父親に対する怒りが和らぎ、本当に怒るべき対象に気付いた。又、“カニ工船”を読んだ子供が、「社会科で習ったことが、スッキリした。」と感想を書いてあった等にみられるように、文学作品を読むことで、(イ) 自分を客観的に見なおすチャンスが与えられる。(ロ) 知的理解と現実のあなうめをする。ここに自己改革があるのではないか、という意味の報告がありました。 ここで考えられることは、社会科では、社会の流れや、体制について、知的な理解はできても、それが実感として迫ってこない。文学作品を準体験することによる実感が、子供たちの意識を変革し、なにかしら行動へかりたてる力をもっているのではないか。スッキリしたという中には、少なくとも行動への準備がなされている、ということがあるのではなかろうか。 又、ここでは“人間の壁”が話題になりました。「この作品は、事実の列挙であり、人物も類型でしかない。印象に残ったのは背景としての社会である。むしろ教育史を読んだ方がましだ」という熊本・香川の発言と、“田舎教師”と比較し、“人間の壁”が実験作であり、未完成な作品で典型としても“田舎教師の清三”の方が秀れている。にもかかわらず、教育史では得られない何かが実感として迫ってくる。それは、尾崎先生のあの情勢の中での身の処し方ではないか。これは教育史では描き得ないもので、文学特有の機能もここらにある、等々。 このような、文学作品による自己変革は、人間形成に欠くことのできない一面であることを確認いたしました。 (三) 生活綴方と文学〈特に詩〉 @ 前田提案(東京)の要旨 学級経営という立場で生活綴方をかかせ“広場”という文集を発行しているが、その中に時々光った作品がある。これは文学作品といってよいか? 又、国語と、どう関連させて伸ばしたらよいのか? という教室での悩みがぶっつけられました。が、ここでは詩に限って話しあいがすすめられました。 A 生活綴方作品も文学作品といってよいか? の問題につきましては、買った作品、書いた作品のところで述べましたので省略いたします。 B 光った作品について 結果的には文学作品になっているとしても、それは無意識にできたものであり、一種のできそこないではないか。やはり詩情の燃焼度を問題にしなければいけない。指導としては、もう一度冷静にその作品をみなおさせる操作が必要で、それをせず放置したのでは、伸びないだろう。 C 詩の指導について 熊本から、長い作文に抵抗を感じ、詩ににげこむ傾向はないか。だから詩情も、形式もない短い作文にしかならない。又、千葉から、多分、同様の影響と思われるが〈ちょうちょうが、ひらひら〉式のものが多い、この先入観をこわす事が先決だ等の意見が出されました。 結論的には、(イ)短い作文 (ロ)直観の詩 (ハ)リズム (ニ)詩情の燃焼、というふうに発達してくるように思われる。この中で先述の無意識的な作品を意識化してやること、更にそれを普遍化すること、で全体が高まるのではないか。と同時に、何をかくかの指導〈人間をかく〉がなされなければならない。これは鑑賞する場合も同様。詩の形式のおしつけにならないよう特に留意することが大切である。 (四) 来年への課題 理論的にはわかった。来年度は実践を通してこの理論をより明確にしたい。実践によって子供の認識や行動がどう変ったかは、質的な問題である。なかなかつかみにくいが、できるだけ客観的なものにしよう。 ※柄ではない私が又報告をしなければならない立場になりました。内容はたしかにしっかりしたものでした、が、その何分の一しかお伝えできない様な気がいたします。お許しを。 九・一三 |
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