初期機関誌から

「文学と教育」第8号
1959年6月20日発行
 喜劇的方法と典型の問題  西沢静子  
 喜劇的方法による典型化の問題を考えるわけであるが、これを悲劇的方法との対立において捉えられないであろうか。
 例えば『桜の園』を悲劇として描いた場合どうなるか。真の芸術家であれば、悲劇によっても典型化をなしうるはずであるが、その場合、作品のありようが示す内容(及び観客が理解する内容)はどのように変って来てしまうのであろうか。『桜の園』はやはり喜劇的方法によらねばならぬ必然性があったのであろうか。こういうことを突っ込んでいくうちに喜劇と悲劇の問題がもう少しはっきりした形をとって来はしまいか。はかない望みをかけて以下考えてみたことを記します。

 『桜の園』を悲劇として描いたらどういうことになるであろうか。先ほどから私の頭に浮んで消えない作品がある。太宰の『斜陽』である。『桜の園』が悲劇として描かれ悲劇として受けとられていたならば、その時の感動は『斜陽』が与える感動にも似たものになりはしないか。時代(歴史的背景)も国も文学のジャンルも異る作品を並べることは大きな間違いのもととなるかもしれないが、それは皆様の御批判にまつとして、あえて引合に出すわけである。
 ラネーフスカヤ夫人やガーエフという対象をつきはなして描かず「多くの理想と詩情と感激とをはぐくみ育てて来た貴族文化の反映」として、満腔の同情をもって描き出したら『斜陽』のほんものの貴婦人の最後のひとりである「お母さま」になるのではなかろうか。真にまがいものならぬ貴族ならでは企て得ぬ上品な破格さをもって、いかにスープを口へ運び、骨つきチキンを賞味し、いかに美しい月夜にお庭の萩のしげみにオシッコをしたか……この「お母さま」がこれだけ理想的に描かれただけに運命への抗議という新しい主題をになわされたかずこには「自分の胸の奥にお母さまのお命をちぢめる気味の悪い小蛇が一匹はいりこんでいるようだ」と感じられて来るのだ。完璧な調和的な理想の世界をかずこの反逆思想がほろぼして行く。新しい倫理をになったかずこが、しかも最後のところ、背徳者上原によって受胎したかずこはやがて生まるべき子を、唯一の肉親の弟直治の哀れな恋の形見と錯覚するという妖しい夢想が意味するものは、かずこが自分の体の中に血すじ をしかと受けとめたというのだ。血すじ 即ち理想である。亡びて行った母たちの善きものを発展的に受けついだのである。古い母の何かしら艶かしいすぎ逝きと新しい母の荒々しい誕生、悲劇的かっとうを通じて典型化された作品であると私は読みとったのである。
 『桜の園』はこのようには描かれなかった。喜劇として描かれた。『斜陽』が新しい倫理という面にしぼられているのに対し『桜の園』は農奴解放に伴う地主階級の没落と平民ブルジョアの台頭、更にアーニャとトロフィーモフが代表する可能的な新しい社会というように社会形態の歴史的推移という広い範囲のテーマが展開されている。ラネーフスカヤが純粋に個人的ではあり得ず、善も悪ももっていたとことの地主階級を代表する歴史社会的なタイプとして描かれねばならなかった。
 だから、やさしい愛情や美しい詩情をそなえたラネーフスカヤ夫人も無為無能で浪費しかしらず、真実を見る眼をまたない人間としてつきはなして見られねばならない。つなり喜劇的精神によって描かれねばならなかったのであろう。
 「あなたの祖先はみんな生きた魂を自分のものにしていたのです。本当にこの桜の木一本一本から桜の葉一枚一枚から生きた人間があなたがたを睨みつけていないでしょうか?」だから「まず始め過去の罪を贖って、すっかりその片をつけて了わなければならない」のだ。過去をつぐなうには「ただ苦なんによるほかはない」のであるが、それは「言ばにつくせない予感にみちた」明るい希望に裏打ちされたそれなのである。喜劇の一つの大きな要素、シェークスピアの恋をテーマとしたコメディーなどに共通な苦なんを克服するという要素もここにはある。

 次に、『桜の園』の場合にはほとんど考えられないのであるが、それが悲劇として描かれる場合も一つの道が考えられる。それは今みたような肯定的、または理想的追究とはまた反対な喜劇がもつ否定精神をさらに徹底させ、否定の矢をさらに鋭くした場合である。
 例えば、シェークスピアのコメディーにみられる道化は中世的な非人間的恋のロマンスにしばしば諷刺の矢を放って新しい近代的ロマンスを打ち立てるのに大きな役割を果したのである。が、この道化というのは、往々にして理想の光に対して盲目なのだ。彼は人間の眼をおおっていた幕を引きやぶり現実を冷静にみる途は開いたけれども、そこから新しく建設すべき理想には無関心である。この道化のもつ宿命が、人生の愚かしきものや悪を否定する本来の喜劇精神をはなれて、人生の善なるもの美なるものまで否定する虚無の世界へ、つまり悲劇へと移行する可能性をはらんでいるのである。
 『桜の園」の場合、チェーホフは理想をこそ追求したのであるから、このようなことはあり得ないにしても、歴史的必然といったものをステロタイプとしてしか描けない作家などであったら、部分的に例えば、ラネーフスカヤ夫人やガーエフがすっかり否定されてしまわないとは限らないのである。もしそんな場合、我々が、彼らのはぐくみ育てた「輝かしい理想」の中に批判的発展的に受けつぐべきものを見出せない時、文字通り悲劇的に感じないでいられようか。過去のよきもの美しきものをみるもむざんに踏みにじった時、果して本当の意味の新しき者、トロフィーモフやアーニャが生れるであろうか。真の典型化がなるであろうか。
 以上のことから、チェーホフの『桜の園』が喜劇によらなければならなかった必然性がつかみ得たことになろうか。ともかくも言えることは、喜劇というのは、人生の明るい面をとり扱ったものであるとか、主人公が単に困難をのりこえて幸福をつかんでいるとかいう理由でそれが喜劇であるとかないとかいうのでなく、喜劇精神を通してある事柄なり人物なりを典型化するその方法であり、作者の態度の問題であるということである。
 私はこれだけの文を書いたが、この前すでに認識したはずのベリンスキーのことばに表わされている出発点にもどってしまった。私には手に負えない課題ではある。報告の日までには、また考えを練るつもりでおります。



 参考文献
 麻生磯次氏   『笑いの研究』
 太宰 治     『斜陽』
 河出・文芸特集 『太宰治読本』
 中橋一夫氏   『道化の精神』


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