初期機関誌から

「文学と教育」第8号
1959年6月20日発行
 文学の方法――『桜の園』をめぐって  篠原由喜子  
 「文学と教育」前号での私の問題提起に対し、編集部の方々から沢山のご批判をいただきました。
 それらの主なものは、
 (1) ロシヤの十九世紀においてリアリズム発生の基盤がイギリスのそれと大分異なっていた。その特殊性を社会・経済の面から端的に示すこと。
 (2) 喜劇性の問題。
 (3) 本来の観客について。
ということでした。
 私自身問題を充分にあたためている暇がなく、このご指摘によって盲点が一層明確になってまいりました。
 十九世紀末のロシヤの現実は、農奴制が桎梏となって、イギリスと比べて民衆がよりするどい視線を社会問題になげかけざるをえなかったこと、これがリアリズムの基盤となったのでしょう。(1)と(3)の問題は後にゆずることにして、前号の提起を深めるかたちで、(2)の問題を中心にご報告したいと思います。
  (一) 喜劇に対する私の考えについて
  前号では、私の「桜の園」の喜劇性についてはふれることをしませんでした。しかし、全くそれらについて考えていないわけではなかったのです。じつは、読み方が浅くて、脇役の道化だけに目をうばわれ、「桜の園」が本質的に喜劇であるというところがわからなかったのです。だれかが「桜の園」を悲劇と読みちがえたという時、私はもっと深く読んでみること、そして同時に、喜劇の本質について把握する必要を感じました。そんなときベリンスキーが文学について語っている(除村訳岩波文庫)中で、私は以下のような素晴らしい句をみつけました。
 「ユーモアというものは、創造の偉力ある要素であって、それの助けによって詩人は高く美しきものに言及しないで、本質からすれば高く美しきものに対立する人生の諸現象を正確に再現することのみによって、別言すれば、人生の理想的な方面のみを創作の対象としてえらんだ詩人も到達するその同じ目的に否定の方法で、しかし時として一層確実に到達することによって、あらゆる美しきものにつかえる云々――」。
 ここで、私は、喜劇に関するいくつかの認識をえることができました。
 一つは、「喜劇性」という方法が、リアリズムの方法だということ。もう一つは、「喜劇化」という方法が否定のそれだということでした。
 ある対象にむけて肯定する場合には、ユーモアの態度をとることはないわけです。否定さるべきもの、消極的なものをみた場合に、人はユーモアで否定するということ。そして喜劇化は、現実の再現でこそ、存在理由をもちえたのでした。人生において単に喜劇と悲劇の二面が存在するということではなかったのでした。
 ここで当然、意識すると否とにかかわらず、喜劇化という方法が使われた場合、作家は、現実のうちに、ある「理想」をみ、「新しいいぶき」を感じたのでしょう。作家が喜劇化で示したおおかたの現実のありようと、この場合の「新しいいぶき」とは、無関係であろうはずはありません。作家が語れるのは、おおかたの現象にとって、必然であるべき「理想」なのです。これが「典型化」なのだと思います。
 したがって、「桜の園」をみていくときに、私は、@笑いの対象は何か、Aそれが否定だというとき、どんなものにとってかわられるべきなのかという二点において考えていきたいと思います。
  (二) 「桜の園」における人間像
  (1) ラネーフスカヤ夫人は、兄のガーエフやピーシチックとともに地主という特権階級としての存在です。
 彼らにむけてどんな笑いが用意されているかといえば、彼ら自身には、断片的な道化はないのです。しかし、桜の園が競売になるという予告にもかかわらず、それに打つべき手段がありながらうろたえるだけの、桜の園なしに生きられぬという精神主義の人間としてかかれているのです。彼らは昔のよき時代の幻想につきまとわれていて、視力を失い、現実のありように気がつきません。お金もないのに、まきちらしてそのすぐ後で、ロパーヒンや親せきにお金をかりる算段ばかりしています。これらのばかばかしさにむけて、ロパーヒンの口をかりた笑いが用意されています。
 が、しかし、去りゆく階級にむけての愛惜として、チェホフは夫人自身には、きわめて親切で、人間性にとんだ性格を与えることを忘れませんでした。老僕・フィルス・ワーリャ・ロパーヒンに対してと質がちがうにしても、暖い心づいが見られます。しかし彼女には個人としての否定面もあるのです。大金持の伯母にきらわれても、貴族でない弁護士と結婚をしたのでしたが、この借金ばかりして大酒のみの夫が死ぬと、一か月たつかたたぬうちに夫人は別の人を恋している――ガーエフにいわせると「きわめて不身持な」人間でした。別の人を恋するのがいけないのではなくて、その愛情の質に明るさを見出せないのです。
  (2) ロパーヒンについて
 前号で、私はすっかりロパーヒンを肯定しきっていました。人物について、つねに歴史的記述がありますので、それに信頼をおきっぱなしといったところでした。しかし、彼な対する笑いは決してないわけではないのです。
 彼は、まえにもかきましたとおり農奴の出身です。祖父が農奴で三五〇〇ルーブリという大金で自由を買いもどし、父は商店をかまえたというチェホフの出身を思わせるのですが、チェホフが「貴族の作家たちが生まれながらにして持っているものを、平民の作家たちは青春という代価を払って買うのです。若い農奴の息子の以前小売商の倅で合唱隊員だった少年が、服従や坊主の手に接吻することや、他人の考えにひざまづくことを強いられ云々 ――の青年が、どのようにして自分の体から農奴の血を一滴一滴しぼり出すか」ということで悩み、努力を重ねて「ある朝、目がさめて彼の血管に農奴の血ではなく真の人間の血が流れているのを知ってどんなに感じるか」という明日をえた喜びを語る人間であったのに反し、彼はロパーヒンをそうした人間には描きませんでした。
 「ところで君、ロシヤには何のためともわからずに生きているような人間がどれくらいある知れないんだよ」といいながら、「が、まあそんなことは、どうだっていい」といって「金が金を生む」面白さに熱中しているようなロパーヒンです。「私たち自身も、本来ならば、もっと大男でなければならないはず」だとする自分の事業に対する意欲。
 もうすでに私有をこえて「全ロシヤがわれわれの庭」だとするトロフィーモフの認識と比較してみて、そこにはっきりと彼の限界を感じます。ロパーヒンは、新陳代謝としての役割をもった大男の存在で、現在は必要かもしれませんが、未来をになう任務までは、与えられてありません。
  (3) アーニャとトロフィーモフ
 トロフィーモフは、ラネーフスカヤ夫人の息子の家庭教師をしていた万年大学生です。彼は、アーニャが新しい認識をえるように助力しました。彼は、ロパーヒンを個人の立場をこえて新陳代謝のために必要な猛獣的存在として、歴史的に把握しているのです。
 「だんだん近づいてくる足音」に耳をかたむけ、来るべきこの幸福を目ざして進む先頭としての自覚もあるのです。
 彼には、おかしな風采や、階級から落ちるなどのような滑稽な態度を与えて、笑いの対象とせざるをえなかったのはチェホフの当時のきびしい検閲を意識した表現なのではなかったかと思います。
 さいごに、幾人かの脇役の道化や、ロパーヒンの教養の性格について論及できませんでしたことを、おわびいたします。

問題点
一、 喜劇精神と典型化との関連を、一つ一つの形象をとおして検討する。
一、 誰が、何を、どんなふうに笑っているか、あるいは諷刺しているかを明らかにすることで、喜劇精神が、ドタバタ調の笑い、くすぐり、道化等々と無関係であることを検討する。
一、 「桜の園」における本来の享受者層の準体験の性質。
一、 ラネーフスカヤ夫人について――
 彼女が理想像として描かれていないことの意味。ロパーヒンがひかれるような一面と、人のいい子どものようなむじゃきさの側面との矛盾。
一、 ロパーヒンについて――
 彼の農村ブルジョアジーとしての一面と、インテリゲンチャとしての一面。ロパーヒンの教養の質。ワーリャに対する愛情のあり方。
一、 トロフィーモフとアーニャについて――
 ラネーフスカヤ夫人やロパーヒンとくらべた場合、二人の形象は、
 a  不充分であるか?(作家の主体条件、技術条件による制約から)
 b 充分であるか?(本来の観客層・享受車窓との相対関係において)
 また、彼らは、一九一七年の課題のにない手かどうか。もし、肯定的な人間像であるなら、なぜ、喜劇的な形象を与えられているのであろうか。
一、 フィルス、その他
 一見脇役に見える群像の役割と意義
一、 一九一七年の課題に対し、文学と科学は、どのような方法ととりくんでいるか。「桜の園」と『ロシアにおける資本主義の発展』とを手がかりに、表現機構の側面から検討する。
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