初期機関誌から

「文学と教育」創刊号
1958年10月発行
 サークル・文学と教育の会成立まで  木村敬太郎 

 サークル・文学と教育の会が生まれた。
 会員の一人として、ひそかに自負しているものがある。その一つは、この種の会にありがちな、ごもっともではあるが、極めて抽象的な趣意書ではなくて、「私たちのしごと」を明確にかかげた点である。そして、サークルの進む方向・責任をはっきり示したことである。これは、今日この時において、大きな歴史的意義がある、と思っている。
 二つめのささやかな自賛は、「生まれた」サークルには違いないが、父親が誰の、母親がどうの、といった「親」のないことである。誰か特定の個人が作りあげたサークルではない。作りあげ、育てあげたのは、いまの会員であり、同時に、その会員が生まれた子どもである点である。
 だから、ここで成立の過程を書くことは、「生まれ出ずる胎動」のいくつかを拾いあげていくことになる。
 八月初旬、四日間にわたって、愛知県の河和で、「全青協」(全国青年教師連絡協議会)が持たれた。いうまでもなく、「勤務評定」闘争のさ中で、「道徳教育実施要綱」が出され、「新学習指導要領」の発表直後である。「新指導要領」の国語科は、まったく子どもをダメにしてしまう「内容」ではないか。この子どもをダメにしてしまう代物で、教育はできない。この代物が「評価の規準」で「勤評」されたら、たまったものではない。
 ここで、当然のこととして、昨年に引き続き、「文学の機能」が問題になり、「国語科における文学教育の役割」が、熊谷講師を中心として追求された。どんなに充実した会でも、四日間という限界はまぬかれない。お互に、「理論的追求」と、「積み上げ」を約束したのである。東京からの参加者は、定例の会を今後持とうと話しあった。
 丁度、時を同じくして全く同じ理由で、“ほんものの指導要領国語科を、みずからの手で組み上げよう”“文学教育の方法を客観化しよう”としている、幾人かの教師たちの動きがあった。
 と同時に、文学を愛し、民族の文学を育てあげようとしている人々が、これらを積極的にもり上げてくれたし、参加を希望してくれた。
 既にあるものの発展と協力、これが自画自賛の成立過程である。

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