初期機関誌から

「文学と教育」創刊号
1958年10月発行
 改訂・学習指導要領(国語科)の問題点――熊谷孝氏をかこんで

 〈はじめに〉 これまで二回にわたる研究会で、何が話しあわれたかを確かめるために、ご多忙な熊谷先生に時間をつくっていただき、一緒に話しあいました。記憶ちがいや、落ちもずいぶんあるだろうと思います。また、発行をいそぐため、いちいち皆さんにあたって確かめることもいたしませんでした。この点お許しください。

 以下は、テープ録音による記録を、できるだけ忠実に再現したものです。 (編集部―小沢・鈴木・荒川)


 《君が代》と《国民的自覚》

 A  九月例会と十月例会の二回のゼミナールにおいて、国語科学習指導要領改訂案の検討をやりましたが、問題点として指摘されたことを一つ一つ拾っていきましょうか。
 熊谷  福田(隆義)さんのほうから指摘されたことだが、学習素材の選択の基準として、現行指導要領には十四項目あげられているのが、こんどは十項目に減っている。何が削られたのかというと、「自由・平等・博愛・正義・寛容の思想の理解と発達を助けるもの」といった項目であって、反対に、新しく(1)「道徳性を高め、教養を身につけるに役立つもの」を選ぶようにとか、(2)「国土や文化などについて理解と愛情を育て、国民的自覚を養うのに役立つもの」を選べ、という二項目が加えられている、ということ。この辺のところから、改訂案のねらいがつかめやしないか、という福田さんの意見でたね。
 B  「自由」という項目が削られたからどうのこうの言うんじゃないですが、何かひっかかるものがありますよ。
 A  「道徳性」だの、「国土への理解」だの、「国民的自覚」だのという、新しく付け加えられた項目に問題がある。そんなふうにみんなの意見が、なったのでしたね。
 C  そうでした。「国民的自覚を養う」というんだが、問題はその実質的な内容ですね。一方で《君が代》を必修歌唱にしておいて「国民的自覚」をうんぬんするからには、これは《国粋主義》の線での国民的自覚と理解するほかない、という熊谷(孝)先生のご意見でした。
 熊谷  戦前の国粋主義とイコールではないですけれど……ファシズムのニュー・ルック政策というところですか。
 B  今はいったい《君が代》なのか、《民が代》なのかといって、みんなで笑いましたね。
 熊谷  木村(敬太郎)さんが社会科改訂案のほうからそれをいっていた。改訂案による日本歴史はひどいものだ。戦争をへるたびに、日本の国力が伸びていく。あれは戦争礼讃の歴史だ、という面から、さっきの国民的自覚というコトバの内容を批判していた。
 A  そうでしたね。
 B  そこで第一の確認事項は、今度の改訂の方向は、国粋主義――ファシズムのニュー・ルック版ですか――の方向へむけての改訂であるということ……
 A  それが特設「道徳」に対する批判・検討とつき合わされて結論された。


 「道徳」の特設との関連

 C  「道徳」との関連においてでしたね。そうでしたね。「道徳」を特設した意味と、改訂のねらいとの関連・関係……
 B  天野文相以来の「修身」復活のねらいが、両者の密接な関係のもとで一おう成功した、ということ。
 A  もう少し具体的に……
 熊谷  家を建てるのには土地が必要だ、ということ。「修身」という家を建てるための地所が「道徳」という名の空地だった、ということが一つ。
 C  杭は打ってあるが目下空地だということなんですな。そいつをカヴァーするために各教科の内容のほうを「修身」の方向に改訂する必要があった。音楽科では《君が代》を必修にするという調子で……
 A  そういう一環としての国語科の改訂というわけですね。
 B  国語や算数の時間が増えていますが……
 A  国語がソンチョウされたのさ。(爆笑)
 C  尊重のされ方だな。
 熊谷  それだよ、ゼミで問題になったのは。


 授業時数の増加と毛筆習字

 B  戦前の教育では、国語・算数がだいじにされていた。一通り読み・書きができて、数の勘定も間違えないような、詔書必謹の臣民をつくるための……
 熊谷  こんどは、どこの国の臣民にたればいいのかね?(笑声)
 A  国語の授業時数が増えたからいい、というものではない。それが、さっき出された意味での「国民的自覚」を促がすための時間増加であったり、というのでは困る、というのが、小沢(雄樹男)さんや、藤井(亨蔵)さんや、福田さん方みんなの意見でした。
 熊谷  それから、せっかく時間は増えたが、毛筆習字にあんなに時間を割かれるのでは、これは増えたことにならない、というのが前田(幹枝)さんあたりの意見ではなかったかしら?
 C  前田さんは、あそこで面白い話をしてましたね。毛筆習字をやろうとして、その導入として《毛筆習字学習の意義》について児童にディスカッションをやらせたら、児童たちの結論が「毛筆習字はやらなくともいい」というところへ行ってしまって手を焼いた、という話(笑声)……あれは愉快でしたね。
 B  手を焼いたのかな、よろこんだのかな。(笑声)
 熊谷  ともかく、国語の授業時数を増やすことを、僕たち、何年になく主張してきていたわけだが、これではスリ替えですよ。


 経験主義、系統性、発達段階

 A  次に経験主義と系統学習の問題ですね、系統性を持たせた指導要領というけれども、実際はどうだろう、という点……
 B  何が系統学習だ、これで系統性を持たせたといえるかい、と小沢さんリキんでいたそうだね。
 熊谷  あれは小沢氏のいう通りですよ。文学教育のほうと関係してくるが、ふたことめには「経験を広め心情を豊かにするための」文学学習だ、というんですものね。こっちにいわせると、文学を読むのは《経験の仕方を変革する》ためなんであって、たんに「経験を広める」ためじゃない。
 C  そうだと思いますね。あれは、経験領域のただの拡大です。小川(勇)さんの口まねをしていうと、黄色い指導要領(笑声)……今の指導要領の経験主義は、すこしも反省されていないし改められていないですよ。
 B  同感だな。
 C  こんどのは系統性を持たせた、というが、たとえば「目標」のところで、一年生では「文字をていねいに書くことができるようにする」とあり、二年では「文字を正しく書くことができるようにする」。三年になると「文字をいっそう正しく書くことができるようにする」というぐあいですね。
 A  「ていねいに」の次が「正しく」、その次が「いっそう正しく」ですか。作文ですね、まるで。(笑声)
 熊谷  こういう作文を書いていれば、つとまるのなら、僕にだって指導要領作成委員の資格は十分あるな。(笑声)
 C  いや、それだけじゃダメですよ。心を入れ替えませんと。(爆笑)
 B  小沢さんが怒ったのが、わかるね。
 A  たんに技術的にいっても、一年ではこれを、二年ではこれをやる、というふうに形式的に細分したところに無理がある、と熊谷先生がいってらしたが、まったく形式主義ですね、この分け方は。
 熊谷  形式論理から割りだされた形式主義……
 B  そうだと思いますよ。発達段階にそくして目標を立てた、と改訂案の前文にありますが……
 C  そこがゼミの席上で問題になった。発達段階というのを、何か固定的で宿命的なものと考えているのじゃないか、というのでね。
 A  発達段階にそくした学習の系統性だというのです。が、たとえば同じ三年生でも個人差や地域差があるでしょう。佐藤(和男)君がいっていましたが(彼は青森の定時制高校で教えているのですが)、生徒の基礎学力は中学一二年程度だ、というのですよ。学年や学校が上になるに従って、この落差が大きくなっていく。
 B  そう、それを固定的に動かないものときめてかかっている発達段階説で割り切って、指導目標を一律におしつけても無理ですね。
 熊谷  そうだと思います。が、木村(広子)さんもいってたように、そのことは指導目標が不要だということじゃない。目標のない教育というのはありえないのでね。
 C  そこで、かりに改訂案に準じて考えていっても、形式的な細分ではダメなんで、目標の括り方にもっと幅をもたせる必要がある、ということになる。荒川(有史)さんがいってたように、項目によって括り方も違ってくる。体裁は不揃いで見てくれは悪くなるが、しかしこいつが本物だ。
 B  いや、見てくれだって悪くないよ。形式主義的な感覚から無体裁な感じがするだけで、リアリズムの観点からは……
 C  リアリズム、ばんざい……か。(笑声)


 文学教育の側面から

 A  文学教育の面から話題にしたことを、ふり返ってみませんか、この辺で。
 C  そうですね。
 B  さっきも出ましたが、改訂案による文学教育も、やはり経験主義学習だということが一つ。改訂案は「経験を広める」ための文学作品の読み、ということに終始している。
 C  さっきの系統性につながる問題ですが、小川さんも指摘していたように、一年生では「童話、説話、詩などを読む」とあるのが、三年では「童話、物語、伝説、詩、脚本」と種類をふやしていっているだけで、系統性を持たせたみたいな印象を与えているんですよ。ただの印象にすぎないんですがね。
 B  「経験を広め心情を豊かにする」文学作品の読みというのは、熊谷先生でしたか教養主義の臭みが強い、と批判されてましたね。
 A 情操教育として文学教育をおさえていく行き方だ、ということでしたね。
 熊谷  と同時に、前に出た「道徳性を高め、教養を身につける」国語教育や文学教育というのは、一本テコ入れが行われているわけですよ。そこで身につける教養なり情操というのは、例の逆コースの意味での国民的自覚に裏打ちされたものでなければならない、という但し書つきのものなわけですね。
 B  中学校の改訂指導要領になると、文学作品全体の認識とか表現の理解ということの指針は全然ないですね。この点は小学校の場合も同じですが。その「構成や修辞に注意して、味わって読むこと」というふうなことになっている。第一回のゼミで、このところが問題になりましたね。
 熊谷  方向としてそれが問題になったが、しかしそこのところまで割り切った結論へは到達していなかったんじゃありませんか。
 A  そうでしたね。話がそれちゃった、あのとき……。
 C  中学校の面で、もう一つ大きな話題を呼んだのは、改訂案の「指導計画作成及び学習指導方針」の項の3で、「読み物は、文学作品に片寄らないで」とあって、その次のセンテンスで「古典に対する関心を持たせるように留意」せよ、とある点でした。
 B  古典は文学でないのかね。(笑声)
 熊谷  底意地の悪いいい方になるけど、文学性を疎外して考えられる古典、例の国民的自覚と結びつけて考えられる古典というのは、未来形における戦犯候補みたいなコテンですね。もっとも、これは古典のほうの罪ではなくて、悪用するほうの側に一〇〇パーセント罪があるのだけれど。この間は、その点が問題になったのでした、たしか。


 漢字とローマ字、教科書のなしくずし国定化

 A  今までの話し合いで、こぼれているものがないでしょうか?
 B  漢字学習にウェイトがかけられている反面、ローマ字学習はほんのつけたりだ、という指摘がありました。
 C  低下している基礎学力を向上させるというのですが、生徒が漢字をどれだけ読めるか、また書けるかというようなことは結果が外から見えやすい。それで、外から見ただけでは成果のつかみにくい基礎学力――それが文学教育や何かだと思うのですが、そういうのを教師はあまりやらなくなるのではないか。そして結果の出やすい漢字のドリル学習・書き取りなんかにヘンに力こぶをいれたりすることになりやしないか……というようなことが話題になりましたね。たしか、宗岡(裕忠)さんあたりからも。
 熊谷  あまり話題にはならなかったが、教科書の問題が大きい。教科書会社は一二〇パーセントの安全率を見こすから、指導容量の要求をはるかに上回った――下回ったといったほうがいいですかね。(笑声)おメガネにかなうような編集をやって検定をパスしようとかかりますね。こいつが、こわい。
 A  ほんとうにそうですね。どの学年で、どういう漢字を何十字とか百何十字おぼえさせなくてはいけないなんてのが、それで教科書の編集にひびいてきますね。
 B  実質的な意味で《教科書の国定化》です。なしくずし国定化といったらいいかな。篠原(由喜子)さんあたりに、何か問題があったらしいが聞きはぐってしまった。


 課 題

 C  国語教育のなかで文学教育をどう位置づけるか、ということですが、それと同時に国語教育の指導体系というか、国語教育とは何かということですね、小川さんがさかんに問題にしていましたね。
 A  そのことの追求が、次回からの課題になるわけですよ。
 B  こちら側で実際に役に立つ指導要領を作ろう、というわけでしたね。
 熊谷  藤井さんが、前から主張されていることですね。
 A  では、今夜はこの辺で。先生どうも遅くまでお世話さまでした。

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