終了しました。ご協力ありがとうございました。
「文学と教育」バックナンバーをお譲りします | |
文教研ではこのたび機関誌「文学と教育」バックナンバーの残部について調整・整理することになりました。 対象となる号とその主な記事内容は下表の通りですが、これらの中に少しでも資料として役立てていただけるものがありましたら、ご希望の方にお譲りいたします。 ▼ 会員、一般の方の別を問いません。なるべく多くの方にご利用いただきたいと思います。〔申込み先〕 (略) |
〔対象となる号の記事内容〕 | |
・★印の数は対象冊数の多少を示します。 ・★印のあとにあるのは、その号の特集名(等)です。 |
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「文学と教育」第69号 (1971.5) ★ | |
○〈巻頭言〉新たなる賭を(夏目武子) 《『山椒魚』から『丹下氏邸』へ》 ・なぜこの作品をとりあげるのか(夏目武子) ・井伏文学をどう評価するか(高澤健三) ・近代主義の行きつく「絶望」の世界(佐藤嗣男) ・絶望をこえて(山下明) ・現代文学としての井伏文学(荒川有史) ○熊谷孝氏授業体験を語る―『コシャマイン記』から『丹下氏邸』へ(熊谷孝) ○私の研究・私の教室(安田栄子) ○例会ノート=『コシャマイン記』/戯曲『夜明け前』(山崎宏) |
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「文学と教育」第97号 (1976.8) ★ 第25回文教研全国集会特集 | |
○〈巻頭言〉第25回全国集会に思う(鈴木益弘) 《井伏文体の成立―文学史論としての作品把握》 ・『丹下氏邸』前後―井伏鱒二の文学的イデオロギーについて(熊谷孝) ・大正期の歌曲に見る〈倦怠〉の心情(佐藤嗣男) 《『幽閉』から『山椒魚』へ》 ・“幻”の処女作『幽閉』(杉浦寿江) ・『夜ふけと梅の花』について(黒川実) ○第25回全国集会プログラム(山下明) 《『さざなみ軍記』の総合読み》 ・『さざなみ軍記』と古典(鈴木益弘) ・『さざなみ軍記』ノート(荒川有史) ○特別研究集会案内―井伏文学の教材化(福田隆義) ○『ドリトル先生アフリカゆき』案内(佐伯昭定) ○自主編成の条件と条件づくりについて(熊谷孝) ○私の研究・私の教室(井筒満) ○座談会=文教研理論形成史(三) ○井伏文学略年譜 |
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「文学と教育」第108号 (1979.5) ★ | |
○〈巻頭言〉“教材は教師の武器”(佐伯昭定) ○井伏鱒二『増富の渓谷』補説―初出稿の表現がサジェストするもの(熊谷孝) ○文学と文学教育と(夏目武子) ○近刊紹介=『太宰治―「右大臣実朝」試論』 《私の教室》 ・定時制での文学教育(橋本伸弥) ・O君のこと(鈴木哲夫) ・民話の教材化(宮沢薫) 《森鴎外の歴史小説》 ・『護持院原の敵討』の総合読み(荒川有史) ・二月例会報告=『佐橋甚五郎』メモ(樋口正規) ○『大川の水』小論―白秋的世界との同質性と異質性(佐藤嗣男) |
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「文学と教育」第118号 (1981.11) ★ 第30回全国集会の記録 | |
○〈巻頭言〉今われわれに求められているもの(福田隆義) ○文学が文学でなくなる時―吉行理恵『小さな貴婦人』論(佐藤嗣男) ○異端の文学の系譜―透谷をくぐることで見えてきたもの(高田正夫) ○西鶴『万の文反古』の現実像・人間像―「代筆は浮世の闇」に即して(井筒満) ○鴎外の眼に映じた近世的現実の重層性―ゼミナール『護持院原の敵討』(夏目武子、他) ○文学をとおして生きる姿勢を学ぶ―第30回文教研全国集会に初参加して(鈴木律子) ○私の教室=『最後の一句』の授業(森田美香子) ○一九八一年度 第一期研究計画―系譜を軸とした文芸認識論の立体化(研究企画部) ○文教研理論形成史 前史資料=「不可知論と芸術学」(熊谷孝) |
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「文学と教育」第121号 (1982.8) ★★ 第31回全国集会・レジュメ特集号 | |
○〈巻頭言〉第31回全国集会を迎えるにあたって(福田隆義) ○文学教師の条件(熊谷孝) ○文学教育とは何か(夏目武子) 《文学史の方法》 ・『コシャマイン記』(鶴田知也)―文学史一九三六年へのアプローチ(高澤健三) ・『不思議なかみそり』と『鱧の皮』―上司小剣(福田隆義) ・『稲熱病』と『空気がなくなる日』―岩倉政治(樋口正規) ・『空気がなくなる日』―児童文学史の中の位置づけ(尾上文子) ・歴史小説の必然性―太宰治と井伏鱒二に即して(井筒満) ・メンタリティーの文学としての歴史小説―『右大臣実朝』と『かるさん屋敷』(内貴和子) ○私の研究=叢の文学教師に(佐藤礼子) ○『松江印象記』から『雛』へ―芥川文学、その反近代主義の道すじ(佐藤嗣男) ○文学史の画期、一九二九年―井伏文学成立の意義(山下明) ○休憩室=三人道づれ、広島、京都 |
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「文学と教育」第132号 (1985.5) ★ 討論=文芸認識論の諸問題 | |
○〈巻頭言〉「私」は「旗手」になれるか(佐伯昭定) ○太宰治語録―付/太宰治の文学的イデオロギーの底流(熊谷孝) ○討論=文芸認識論の諸問題(熊谷孝、他) ・〈第一部〉文学における内容と形式 ・〈第二部〉文学の対象と科学の対象 ○母国語ノート(荒川有史) ○私の教室=異端の文学系譜をたどる中で(森山昌枝) ○例会レポート=『葉』と『列車』の総合読み(高田正夫) ○国語教育講座 第七回=印象の追跡としての総合読み―森鴎外『高瀬舟』に即して(夏目武子) |
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「文学と教育」第135号 (1986.2) ★ なぜ、今、太宰文学か | |
○〈巻頭言〉人、みな、同じものではない(佐伯昭定) ○国語教育講座 最終回=太宰文学と文学教育―『走れメロス』に即して(夏目武子) ○なぜ、今、太宰文学か―〈現代史としての文学史〉の視点から(荒川有史) ○ゼミナール=太宰文学の原点―『列車』の印象の追跡(佐藤嗣男、高澤健三、荒川由美子、芦部寿江、樋口正規) ○インタビュー=『十二月八日』を扱って(樋口正規) ○私の教室=イヌに食われろ、共通一次(熊谷孝) ○例会レポート=「タネあかし」のことなど(鈴木日女美) ○絵本を媒介とした障害児とのかかわり (一)子どもたちとの出会い(荒川由美子) ○テキストを選んで読む権利―『山椒魚』と『おおきなかぶ』と(佐藤嗣男) ○「文学と教育」総目次(11) |
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「文学と教育」第139号 (1987.2) ★ 文学史を教師の手に | |
○声明=「国家秘密法」制定に反対する(常任委員会) ○〈巻頭言〉教養(さとう みつる) 《現代史としての文学史―『日本人の自画像』の再検討》 ・近代主義の克服(井筒満) ・日本的近代の成立(高田正夫) ・『舞姫』と『浮雲』(金内美智子) ・君死にたまふことなかれ(山口章浩) ・『灰燼』『思出の記』(山口りか) ・『破戒』(椎名伸子) ○紅葉と蘆花―『金色夜叉』と『不如帰』(佐藤嗣男) ○私の教室=高啓と杜甫―漢詩の授業への試み(鈴木哲夫) ○日本人としての存在証明―母国語ノート〈その三〉(荒川有史) ○例会レポート=太宰治『右大臣実朝』補説(高木春枝) ○続 国語教育講座 第四回=長編の教材化―井伏鱒二訳『ドリトル先生アフリカゆき』を事例に(福田隆義) |
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「文学と教育」第140号 (1987.5) ★ 文学史を教師の手に(二) | |
○〈巻頭言〉現代日本語への関心を(夏目武子) ○日本語の壁―母国語ノート〈その四〉(荒川有史) ○蘆花と龍之介―近代散文成立への一つの道すじ(佐藤嗣男) ○私の教室=狂言『木六駄』の世界(小関敏子) ○例会レポート=豊かな発想をはぐくむために―国語の学力とは何かを問う(山上英男) 《現代史としての文学史(二)『日本人の自画像』の再検討》 ・幸徳事件前後(芝崎文仁) ・『三四郎』(橋本伸弥) ・『煤煙』(佐藤礼子) ・『冷笑』(高木春枝) ・幸徳事件をめぐる一連の詩作品(森田美香子) ・大正デモクラシーの文学体験―連帯への志向(森山昌枝) ・『電報』(鈴木日女美) ・『大導寺信輔の半生』(山口章浩) ○新刊紹介=〈リアリズム志向のロマンチシズム〉の解明―熊谷孝著『太宰治「右大臣実朝」試論』(井筒満) ○井伏鱒二と「若草」(佐藤嗣男) ○続 国語教育講座 第五回=「表現学習」をめぐって―小学校低学年の場合(福田隆義) ○「文学と教育」総目次(14) |
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「文学と教育」第141号 (1987.7) ★★ 国語の力とは | |
○〈巻頭言〉「教育基本法」四十周年における緊張(山下明) ○討論=国語の学力とは何か(熊谷、井筒、荒川由美子、夏目、山下、樋口、佐藤、荒川有史、高田) ○続 国語教育講座 第六回=素材主義の克服を―教材選択『あんじゅとずし王』をめぐって(福田隆義) ○私の教室=「人生の先輩」に学んだ生徒の作文(夏目武子) ○志賀の日本語・芥川の日本語―熊谷孝著『増補改版 太宰治』に寄せて 〈母国語ノート その五〉(荒川有史) ○例会レポート=全国集会へ向けて(鈴木日女美) 《現代史としての文学史(三) 『日本人の自画像』の再検討》 ・暗い谷間の人間像(樋口正規) ・『太陽のない街』〈徳永直〉(宮沢薫) ・戦後へ(高田正夫) ・『野火』〈大岡昇平〉(香川智之) ・『されどわれらが日々――』〈柴田翔〉(沼田朱実) ・『時間』〈黒井千次〉(金井公江) ○井伏鱒二と遊び歌(佐藤嗣男) ○新刊紹介=国語教育への根源的問い直し―夏目武子著『国語教育としての文学教育』(佐伯昭定) ○蘆花と龍之介―新文体創造への胎動(佐藤嗣男) ○「文学と教育」総目次(15) |
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「文学と教育」第142号 (1987.11) ★ 第36回全国集会総括 | |
○太宰治のいう、〈待つ〉ということ―秋の公開研究集会へ向けて(熊谷孝) 《言文一致再説―現代日本語の創造を導いた人々》 ・母国語奪還―熊谷孝氏の講演を聴いて(井筒満) ・通説〈言文一致〉の再検討(荒川有史) 『灰燼』から『思出の記』へ(高田正夫) ・新しい、言文一致への模索―寺田寅彦『団栗』/鈴木三重吉『千鳥』/夏目漱石『三四郎』 (夏目武子、森田美香子、森山昌枝、森田高志) ・森鴎外『寒山拾得』―変形ゼミナール総括(山下明) ・芥川龍之介の文体(鈴木日女美) ・文学史〈一九二九〉の課題と継承―『炭鉱地帯病院』/『コシャマイン記』/『野火』(樋口正規) ・座談会=『右大臣実朝』再説(荒川有史、福田隆義、鈴木哲夫、宮沢薫、山上英男、高木春枝) ・討論=文学教育の原点を問う―花森安治『戦場』(夏目武子、川浦節子、武藤美知子、山口りか) ・資料=『戦場』(花森安治) ○続 国語教育講座 第七回=『ヴィーチャと学校友だち』―長編の特質を生かして(福田隆義) ○「文学と教育」総目次(16) |
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「文学と教育」第144号 (1988.5) ★ 文学の科学と鑑賞体験と | |
○〈巻頭言〉二人の作家の死を悼む(佐藤嗣男) ○文学の科学と鑑賞体験と(熊谷孝) ○ゼミナール=上田秋成『菊花の約』を読む(熊谷孝、夏目武子、山下明、他) ○連想 読書雑感―母国語ノート その六(荒川有史) ○続 国語教育講座 第九回=“文体”意識をはぐくむ試み(福田隆義) ○再録『芸術とことば』=マス・コミの時代の芸術家(熊谷孝) |
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「文学と教育」第145号 (1988.7) ★ 全国集会号 | |
○〈巻頭言〉“私の大学”としての全国集会(山下明) ○印象の追跡=井原西鶴の『人には棒振虫同然に思はれ』を読む(文責 編集部) ○例会レポート=鑑賞体験の変革(井筒満) ○続 国語教育講座 最終回=民話の教材化―絵物語としての『かさじぞう』(福田隆義) ○私の教室=教科書を読んで、悩み、考えたこと(夏目武子) ○再録『芸術とことば』 2=文学観・言語観の変革のために(熊谷孝) ○「文学と教育」総目次(17) |
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「文学と教育」第146号 (1988.11) ★★★ 第37回全国集会記録 | |
○〈巻頭言〉初心忘るべからず(福田隆義) 《第37回全国集会記録》 ・文学の科学の対象領域(熊谷孝) ・『人には棒振虫同然に思はれ』を読む(山口りか) ・『菊花の約』の人間群像(香川智之) ・芥川龍之介『黄粟夢』―〈古典の受け継ぎ〉という面から(高澤健三、山下明、山上英男、沼田朱実) ・『寒山拾得』の再検討―鑑賞体験の相互変革のために(夏目武子) ○子どもに精神の自由を(荒川由美子) ○鑑賞体験の変革―芥川・太宰の作品に即して(高田正夫) ○再録『芸術とことば』 3=作家の内部―自己凝視(熊谷孝) |
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「文学と教育」第147号 (1989.3) ★ | |
○〈巻頭言〉歴史に「こだわり」続ける(高田正夫) ○再録『芸術とことば』 4=作家の内部 その二(熊谷孝) ○『芸術とことば』を読む(夏目武子) 《例会レポート》 ・例会あれこれ(成川日女美) ・リアリズムとは何かを問う(山口りか) ・付/資料=文学的イデオロギーとしてのリアリズム ○子どもに精神の自由を―「モモからのメッセージ」(荒川由美子) ○日教組全国教研に参加して(樋口正規) ○関口安義『芥川龍之介 実像と虚像』を読む(荒川有史) ○「文学と教育」総目次(18) |
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「文学と教育」第148-149合併号 (1989.7) ★ | |
○〈巻頭言〉岐路に立つ日本の教育(福田隆義) ○全国集会の研究課題を展望する(熊谷孝、夏目武子、山下明、高田正夫) ○印象の追跡=『長刀はむかしの鞘』(熊谷孝、山下明、他) ○『百三十里の所を拾匁の無心』について(井筒満) ○上田秋成『浅茅が宿』(夏目武子) ○例会レポート=偶然と必然と(土肥秀高) 《私の教室》 ・精神の柔軟体操(荒川有史) ・悲鳴が聞こえる(金井公江) ○子どもに精神の自由を―『モモ』の再読(荒川由美子) ○再録『芸術とことば』 5=作家の内部 その三(熊谷孝) ○樋口正規著『文学教育の主体』を読む(高田正夫) ○「文学と教育」総目次(19) |
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「文学と教育」第150号 (1989.11) ★★★★ 一五〇号記念 第38回全国集会記録集 | |
○〈巻頭言〉一五〇号に寄せて―広範な仲間との交流を(福田隆義) ○シンポジウム・残された課題―鑑賞体験の変革を促す読みのありかたを(熊谷孝、他) ○初日を終えて―四氏の報告・講演を聞く(山口りか) ○書誌的・伝記的な年代史と、文学的イデオロギーの視点に立つ文学史と(高澤健三) ○西鶴文学の階級的・世代的基盤―「新興町人」概念の動的なつかみ直しを(森山昌枝) ○西鶴文学の展開にみる、鑑賞体験の変革と文学的イデオロギーの深化(荒川有史) ○『多甚古村』から『増富の渓谷』へ(高田正夫) ○大岡昇平『野火』―“銃”を捨てるために(香川智之) ○石川達三『熔岩』(夏目武子) ○きみは「君が代」を歌うか―政治と教育(芝崎文仁) 教科書はだれのものか―学習指導要領について(樋口正規) ○文学の機能に賭けた、臨床心理の作業(荒川由美子) 《書評》 ・『漱石と天皇制』―「多元的思考」による天皇制との対決(井筒満) ・『文学教育論批判』の反動性(佐藤嗣男) |
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「文学と教育」第151号 (1990.3) ★ | |
○〈巻頭言〉混沌―仲間づくり(金井公江) ○「所謂批評の『科学性』についての考察」―一つの中間考察として(夏目武子) ○例会レポート=“あそび”の系譜―鴎外・太宰(森山昌枝) ○文教研創立の思い出(福田隆義) ○子どもに精神の自由を―死者との語らい(荒川由美子) ○〈インターナショナル〉への旅(荒川有史) 《私の教室》 ・激動する時代の中で―文学教師の模索(橋本伸弥) ・専科教師として(谷川雅子) ○再録『芸術とことば』 6=作家の内部―天才とタレント(熊谷孝) ○「文学と教育」総目次(20) |
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「文学と教育」第152号 (1990.6) ★ 太宰治『葉』の虚構性 | |
○〈巻頭言〉文体喪失の時代にあって(夏目武子) ○変形シンポジウム=『葉』の虚構性(熊谷孝、他) ○子どもに精神の自由を―『さっちゃんのまほうのて』(荒川由美子) ○例会レポート=体制内知識人批判(椎名伸子) 《私の教室》 ・若い魂の文体反応―芥川文学を通路として(荒川有史) ・岩音鳴りて―転勤に年目の春に(樋口正規) ・東北の一分校から(千葉一雄) ○再録『芸術とことば』 7=作家の内部―精神分析(熊谷孝) 《尾上文子さんを偲ぶ》 ・尾上さんと文教研(福田隆義) ・おふくろさん(鈴木益弘) ・かけがえのない人(高木春枝) ○「文学と教育」総目次(21) |
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「文学と教育」第153号 (1990.7) ★ 第39回全国集会号 | |
○〈巻頭言〉虚構精神の確立のために(福田隆義) ○変形シンポジウム=『丹下氏邸』の虚構のあり方(熊谷孝、他) ○例会レポート=太宰治『葉』の虚構と文体(夏目武子) ○子どもに精神の自由を―人間ってやり直せるんだよね(荒川由美子) ○真の対話とは?(井筒満) 《私の教室》 ・なぜ、いま、母国語か(荒川有史) ・文集『平和を求めて』をめぐって(高木春枝) ・自然と遊ぶ(千葉一雄) ○再録『芸術とことば』 8=芸術の対象と方法(熊谷孝) ○作品紹介=さわい みちこ「青マントのおしろ」 |
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「文学と教育」第154号 (1990.11) ★★★★ 第39回全国集会記録号 | |
○〈巻頭言〉全国集会を終えて(金井公江) ○あいさつ(福田隆義) ○教組分裂の現状の中の教研活動のあり方を問う(芝崎文仁) ○文教研広島グループの場合(中野斉子) ○虚構精神の衰弱と文体の喪失―現代の文学と現代文学と(佐藤嗣男) ○熊谷孝氏の「談話」を聞いて―〈教養的中流下層階級者の視点〉の文学(山口りか) ○表現と表現理解と―日常性・科学性・芸術性(荒川有史) ○文体意識の欠如と文学史意識のブレとひずみ(高田正夫) ○解釈学復活の今日的意味(夏目武子) ○体制内知識人の発想と文体 (1)―日本ロマン派(保田与重郎)の場合(井筒満) ○体制内知識人の発想と文体 (2)―今日のマス・コミ・ジャーナリズム(梅原猛・中村元)の場合(森山昌枝) ○井伏鱒二『丹下氏邸』の虚構と文体(香川智之) ○太宰治『葉』の虚構と文体(樋口正規) 《私の教室》 ・がんばる子どもたち(千葉一雄) ・『おじさんのかさ』の教材化―自主編成に向けて(宮沢薫) ○「文学と教育」総目次(22) |
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「文学と教育」第155号 (1991.5) ★★ | |
○〈巻頭言〉戦争の現実と文学教育(香川智之) ○文学にとって主題とは何か―『芸術の論理』他を読んで(夏目武子) ○『かさじぞう』―その源流と直接の母体を求めて(福田隆義) ○子どもに精神の自由を―児童文学を読みませんか(荒川由美子) 《私の教室》 ・若い魂にみる文体反応の軌跡―ふたたび芥川龍之介作『地獄変』をめぐって(荒川有史) ・湾岸戦争と古典の授業(成川日女美) ・番外編 山田太一氏邸訪問記(高田正夫) 《読書コーナー》 ・関口安義氏の近業―『評伝 松岡譲』他(佐藤嗣男) ・絵本『いやといったピエロ』(山口りか) ○再録『芸術とことば』 9=芸術の対象と方法―第二信号系としての「ことば」体験(熊谷孝) |
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「文学と教育」第156号 (1991.7) ★★★★★ 第40回全国集会号 | |
○〈巻頭言〉第40回全国集会を迎えて(福田隆義) ○読者論ノート (1)―W.イーザー『行為としての読書』の批判的検討(井筒満) ○子どもに精神の自由を―出会いの場をつくろう(荒川由美子) ○例会レポート=階級論としての世代論(山口りか) 《私の教室》 ・日米学生気質をめぐって(荒川有史) ・夢は果てず(芥川敏子) ○再録『芸術とことば』 10=芸術の対象と方法―表現と理解のあいだ(熊谷孝) ○「文学と教育」総目次(23) |
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「文学と教育」第159号 (1992.7) ★★★ 小特集=アプローチ徳冨蘆花 | |
○熊谷孝先生を偲ぶ(福田隆義) 《アプローチ 徳冨蘆花》 ・『灰燼』の印象の追跡(金井公江) ・『思出の記』の改稿をめぐって(夏目武子) ・『謀叛論』を読む(山口りか) ・教科書に掲載された蘆花の作品(夏目武子) ○例会レポート=西鶴文学の再検討(森山昌枝) ○子どもに精神の自由を―絵地図からのよびかけ(荒川由美子) ○読者論ノート (4)(井筒満) ○私の教室=『女殺油地獄』〈その2〉(荒川有史) |
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「文学と教育」第161号 (1993.4) ★★ 小特集=第41回全国集会の記録 | |
○〈巻頭言〉文教研の再出発にあたって―基本路線の継承と発展を(福田隆義) ○文学史の中の近世と近代―西鶴と蘆花に即して(佐藤嗣男) ○売り渡してはならないもの―西鶴世代との対話(森徹) ○徳冨蘆花『思出の記』の印象の追跡(夏目武子) ○例会レポート=『羅生門』の再読(樋口正規) ○私の教室=クマさんの教室風景―英語による母国語再発見(荒川有史) ○読者論ノート (5)(井筒満) ○再録『芸術とことば』 12=芸術の対象と方法―芸術的認識(熊谷孝) |
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「文学と教育」第164号 (1994.3) ★ ’93文教研秋季集会の記録 | |
○〈巻頭言〉今だからこそ“教師論”(佐伯昭定) 《'93文教研秋季集会の記録》 ・ゼミナール=森鴎外『高瀬舟』の印象の追跡(夏目武子) ・『一〇〇万回生きたねこ』の問いかけるもの―荒川有史「はじめに」を聴いて(朱通節子) ○例会レポート=人間のコミュニケーション、その創造性(村上愛) ○私の教室=芥川龍之介『芭蕉雑記』の教材化〈その二〉―創造と鑑賞の秘密を通路に(荒川有史) ○読者論ノート (7)(井筒満) ○再録『芸術とことば』 14=古典鑑賞の現代的意義―古典と現代(二)(熊谷孝) ○『母国語ノート』を読んで(山口章浩) ○「文学と教育」総目次(24) |
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「文学と教育」第165号 (1994.6) ★ | |
○〈巻頭言〉乾孝先生を悼む(夏目武子) ○『おじさんのかさ』をめぐって(福田隆義) ○安良城理論をめぐって(上)―「読者論ノート」番外編(井筒満) ○再び、『羅生門』について(下)―芥川の歴史小説の方法(佐藤嗣男) ○例会レポート=井伏文学をめぐって―〈相互主観性〉および〈媒介者〉という概念について(成川日女美) ○佐藤嗣男著『井伏鱒二―山椒魚と蛙の世界』を読む(高田正夫) ○私の教室=芥川龍之介『芭蕉雑記の教材化〈その三〉―創造完結者としての芭蕉(荒川有史) ○再録『芸術とことば』 15=発展的モティーフの発見(熊谷孝) |
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「文学と教育」第166号 (1994.8) ★ 第43回全国集会号 | |
○〈巻頭言〉対話精神の回復を(福田隆義) ○戦時下の現実を模索する『厄除け詩集』―『仲秋名月』での展開(山上英男) ○印象の追跡―内なる仲間との対話(夏目武子) ○小学校低学年 読む楽しさを保障する国語教育としての文学教育―絵本『かさじぞう』を中心に(宮沢薫) ○安良城理論をめぐって(下)(井筒満) ○サークル紹介「哲学ゼミ」―心に汗をかきながら(山口章浩) ○「私の教室」を求めて(荒川由美子) 《私の教室》 ・井伏鱒二『厄除け詩集』の「勧酒」について(芥川敏子) ・芥川龍之介『芭蕉雑記』の教材化〈その四〉―勧賞体験の方向差・個人差(荒川有史) |
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「文学と教育」第168号 (1995.3) ★ ’94秋季集会記録 | |
○〈巻頭言〉新春雑感―思想の混迷と文学の役割(樋口正規) 《特集=文教研秋季集会記録》 ・『おじさんのかさ』補論―成人読者の視点から(福田隆義) ・戦後の井伏文学(佐藤嗣男) ・井伏鱒二『かきつばた』の印象の追跡(夏目武子) ○ブックレビュー=関口安義著『評伝 成瀬正一』(佐藤嗣男) 《私の教室》 ・芥川龍之介『芭蕉雑記の教材化〈その六〉―其角の視座(荒川有史) ・『コシャマイン記』を読む(香川智之) ○読者論ノート (8)(井筒満) ○社会現象としての「一寸法師」物語(佐伯昭定) ○井伏鱒二 初期の詩二つ―『厄除け詩集』未収録作品「粗吟断章」「レギーネを愛す」を見る(山上英男) |
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「文学と教育」第169号 (1995.6) ★ | |
○〈巻頭言〉文教研と太宰文学(夏目武子) ○佐野洋子作・絵『だってだってのおばあさん』を読む(福田隆義) ○「平太郎殿」を読む―詐欺師と嘘つきと(土肥秀高) ○例会レポート=西鶴『世間胸算用』―作品相互の照射を通して見えてくるもの(成川日女美) 《私の教室》 ・芥川龍之介『芭蕉雑記』の教材化〈その七〉―時期区分の視座を通路に(荒川有史) ・『羅生門』雑感(橋本伸弥) ○読者論ノート (9)(井筒満) ○続 『コシャマイン記』を読む―旧友への手紙(香川智之) ○井伏鱒二 初期の詩二つ(承前)(山上英男) ○サークル紹介=日曜に集まるから〈日曜会〉(村上愛) ○再録『芸術とことば』 最終回マス・コミ時代の芸術家―〔付〕あとがき(熊谷孝) |
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「文学と教育」第170号 (1995.8) ★ 第44回全国集会号 | |
○〈巻頭言〉今こそ文学教育を(福田隆義) ○太宰文学への視角―研究論文アラカルト(高田正夫) ○『トカトントン』の印象の追跡(夏目武子) ○西鶴―人間喜劇の文学〈その一〉(荒川有史) ○『母国語ノート』(荒川有史著)の書評をめぐって―「母国語」とは何か(井筒満) ○私の教室=過去に学ぶ(荒川由美子) ○サークル紹介=佐野洋子の作品を読む会(鈴木益弘) ○再録=西鶴の創作方法と喜劇精神(熊谷孝) 《荒川有史著『日本の芸術論』を読む》 ・楽しく厳しい思索の書(樋口正規) ・世代に受け継がれる創造の歴史(芥川敏子) ・古典をもつ作家の系譜(高澤健三) ・“対話精神の文学史”(香川智之) |
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「文学と教育」第172号 (1996.3) ★★ ’95秋季集会の記録 | |
○〈巻頭言〉明日へ向けての思索(金井公江) 《秋季集会の記録―〈精神の故郷〉を見なおす》 ・戦後児童文学の原点―岩倉政治『空気がなくなる日』 壺井栄『あたたかい右の手』(夏目武子) ・太宰治『たづねびと』の印象の追跡(井筒満) ○井伏鱒二文学碑除幕式の後に(佐藤嗣男) ○佐野絵本の原点―『すーちゃんとねこ』を中心に(福田隆義) 《私の教室》 ・自分をみつめる(荒川由美子) ・いま、思うこと(森田高志) ・山田洋次の映画づくりから学ぶ(上)(香川智之) ○対話精神の文学教育の重要性―荒川講演を聞いて(樋口正規) ○西鶴―人間喜劇の文学〈その三〉(荒川有史) |
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「文学と教育」第173号 (1996.6) ★ 小特集=佐野洋子の世界 | |
○〈巻頭言〉不可能を可能にしようとする夢を(夏目武子) 《小特集・佐野洋子の世界》 ・佐野洋子の作品(作・絵)リスト ・『一〇〇万回生きたねこ』前後―初期八一九七〇年代)の絵本(福田隆義) ・『おぼえていろよおおきな木』―印象の追跡(西平薫) ・『空とぶライオン』―印象の追跡(鈴木益弘) ・作品紹介=『さたしのぼうし』(雨宮偉子) ・作品紹介=『おれはねこだぜ』(子安紀子) ・作品紹介=『ふつうのくま』(櫻井清子) ・作品紹介=『わたしクリスマスツリー』(新澤初江) ○例会レポート=熊谷孝『芸術の論理』の再検討―虚構論を軸として(山崎圭) ○山田洋次の映画づくりから学ぶ(中)(香川智之) ○西鶴―人間喜劇の文学〈その四〉(荒川有史) ○読者論ノート (完)―W.イーザー『行為としての読書』の批判的検討 (井筒満) |
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「文学と教育」第174号 (1996.8) ★ 第45回全国集会号 | |
○〈巻頭言〉明日への行動選択の足場を確かなものに(福田隆義) ○“児童観”の今日的課題(夏目武子) ○「映像と言語」雑感(高田正夫) ○児童文学と成人文学と―ケストナー・ドストエフスキー・トルストイたちの〈よびかけ〉を聞く(荒川有史) ○春夏秋冬=不良老年のつぶやき―森田高志「いま、思うこと」につなげて(佐藤嗣男) ○例会レポート=『皇帝の新しい着物』と『コシャマイン記』(橋本伸弥) ○山田洋次の映画づくりから学ぶ(下)(香川智之) ○ブック・レビュー=『太宰治全作品研究辞典』、他(佐藤嗣男) ○喜劇精神と単純化と―広島・第十九回教育基礎講座・講演記録(井筒満) ○広島講演随行記/井筒講演を聞いて(土肥秀高) |
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「文学と教育」第175号 (1996.11) ★ 第45回全国集会の記録 | |
○文教研の初心―挨拶にかえて(福田隆義) ○文学教師の条件―虚構精神に触れて(夏目武子) ○印象の追跡―言語メディアと映像メディアと(高田正夫) ○文教研運動の原点をさぐる―「児童文学と成人文学と」の課題を射程に(荒川有史) 《ゼミナール》 ・『皇帝の新しい着物』の印象の追跡(上)(井筒満) ・『コシャマイン記』の印象の追跡(金井公江) ○春夏秋冬=『二百十日』の跡を行く(佐藤嗣男) ○寅さんファンはつらいよ(香川智之) ○想像する力―沖縄・全国高校生平和集会(岩ア晴彦) |
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「文学と教育」第176号 (1997.3) ★ ’96秋季集会の記録 | |
○〈巻頭言〉いまどきの学生気質(佐藤嗣男) 《変形シンポジウム・佐野洋子の世界》 ・一九七七年前後をめぐって(井筒満) ・『一〇〇万回生きたねこ』の魅力(芥川敏子) ・『一〇〇万回生きたねこ』との出会い(福田隆義) ・ことばと絵のダイナミズム(鈴木益弘) ○ゼミナール=『芋粥』の印象の追跡(成川日女美) ○例会レポート=冬合宿で学んだこと―国語教師としての文学教育・「一寸法師」に即して(加藤彰) ○児童文学と成人文学と―文教研の初心にふれながら 〔付〕訂正と反省(荒川有史) ○『皇帝の新しい着物』の印象の追跡(下)(井筒満) ○人と人との心のつながり(荒川由美子) ○私の教室=『多甚古村』日誌(一) (香川智之) ○井伏鱒二初期の短編『祖父』のことなど―新編全集に収録されなかった作品(高澤健三) ○「文学と教育」総目次(26) |
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「文学と教育」第178号 (1997.8) ★ 第46回全国集会号 | |
○〈巻頭言〉二十一世紀に生きる子どもたちを見すえた母国語教育を(福田隆義) ○〈特別報告〉のための覚え書 子ども・共同体・説話(荒川有史) ○『山椒大夫』(森鴎外)の検討のために(成川日女美) ○広島教育基礎講座レポート=夏目講演を聞いて(山崎圭) 《広島通信》 ・今年もやっぱり、やってよかった基礎講座(中野斉子) ・広島教育基礎講座二十年の歩み(澤井充子) ・広島教育基礎講座に参加して(松浦雅子) ○『芭蕉自筆 奥の細道』ノート(続)―“かるみ”への道をさぐって(森山昌枝) ○インタビュー=荒川有史氏に聞く 『文学の教授過程』の再評価をめぐって(荒巻りか) ○例会レポート=御伽草子『文正さうし』の印象の追跡―『一寸法師』の印象の追跡のための基礎作業(芝崎文仁) ○『空気がなくなる日』―文学教育からの“いじめ”問題へのアプローチ(岩ア晴彦) ○私の教室=『多甚古村』日誌(三) (香川智之) ○井伏鱒二『祖父』と文芸同人雑誌「人類」(上)(高澤健三) ○「文学と教育」総目次(27) |
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「文学と教育」第180号 (1998.3) ★ ’97秋季集会の記録 | |
○ゼミナール=絵本『マーシャとくま』の印象の追跡(西平薫) ○ミハイル・ブラートフ(再話者)とエフゲーニ・ラチョフ(画家)(福田隆義) ○ロシア児童文学研究者・翻訳家 松谷さやか氏訪問記(朱通節子) ○『文学の教授過程』の再検討―『マーシャとくま』の検討を通して(夏目武子) ○香川智之氏特別報告《文学を読むということ》―『ラヂオの時間』の“さわやか”な感動を(芥川敏子) ○太宰治『たづねびと』について―友への手紙(佐藤嗣男) ○芭蕉俳諧を読む〈その三〉―芭蕉像変容の契機(荒川有史) ○黙ってはいられない―『21世紀の国語科学習指導要領』を読んで(荒巻りか) 《私の教室》 ・進学校で思うこと(橋本伸弥) ・教師と生徒の間には……?(子安紀子) ・『多甚古村』日誌(五) (香川智之) ○『夜更と梅の花』の初出をめぐって―文芸誌「人類」時代の井伏鱒二(高澤健三) |
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「文学と教育」第181号 (1998.6) ★ 井伏鱒二生誕百年記念号 | |
○〈巻頭言〉内なる対話(金井公江) ○井伏鱒二と“プロレタリア文学”―転機としての一九二八年を中心に(高澤健三) ○『朽助のゐる谷間』から見える近代(岩ア晴彦) ○戦中の井伏文学―『多甚古村』前後を中心に(夏目武子) ○最近の『かるさん屋敷』論をめぐって(井筒満) ○井伏鱒二とトオマス・マン―〈芥川と『トビアス・ミンデルニッケル』〉にも言及して(佐藤嗣男) ○例会レポート=『屋根の上のサワン』を読む(樋口正規) 《私の教室》 ・『多甚古村』日誌(六) (香川智之) ・内部を耕す―『太陽は四角!』の授業(村上愛) ○芭蕉俳論を読む〈その四〉―第二芸術論者の芭蕉像(荒川有史) ○さようなら 岡宏子先生(荒川有史) |
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「文学と教育」第183号 (1998.12) ★★ 第47回全国集会の記録 | |
○〈巻頭言〉文学教育の研究者集団であること(夏目武子) 《第47回全国集会の記録》 ・文学史における井伏文学の位置―文学史〈一九二九〉の意味(高澤健三) ・ゼミナール=『屋根の上のサワン』の印象の追跡(橋本伸弥) ・芭蕉の時代(井筒満) ・『奥の細道』の虚構性(鈴木益弘、森山昌枝) ・ゼミナール=〈風流の〉歌仙の印象の追跡(鈴木益弘) ○私の教室=心の仲間づくりを求めて(松浦麻紀子) ○芭蕉俳諧を読む〈その六〉―人間疎外とたたかう文学(廣末保) (荒川有史) ○「文学と教育」総目次(28) |
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「文学と教育」第185-186合併号 (1999.8) ★ ケストナーの世界への誘い | |
○国家主権の思想こそ=国柄変わったことの意味―「君が代」問題に考える(芝崎文仁) --------------- 《ケストナーの世界への誘い》 ○ケストナー語録と若干のコメント(井筒満) ○作品紹介 ・エーミールと探偵たち(成川日女美、村上愛) ・ファービアン―あるモラリストの物語(高澤健三) ・点子ちゃんとアントン((夏目武子) ・五月三十日(佐伯昭定) ・飛ぶ教室(金井公江、橋本伸弥) ・エーミールと三人のふたご(岩ア晴彦) ・動物会議(森田高志) ・ふたりのロッテ(朱通節子、西平薫) ・わたしが子どもだったころ(樋口正規) ・一九四五年を銘記せよ―ケストナーの終戦日記(鈴木益弘) ・サーカスの小びと(荒川由美子、中野斉子) ○エーリヒ・ケストナー略年譜 ○ケストナー作品別邦訳図書リスト(戦後) (福田隆義) ○初期の翻訳状況(夏目武子) --------------- ○芭蕉俳諧を読む〈その八〉―芭蕉一座の成立と展開(廣末保) (荒川有史) ○私の教室=『多甚古村』日誌(八) (香川智之) |
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「文学と教育」第187号 (1999.11) ★ 第48回全国集会の記録 | |
○〈巻頭言〉自分の言葉で考え、自分の頭で学びとる―全国集会のあいさつから(夏目武子) 《小特集=第48回全国集会の記録》 ・現代にとって〈虚構〉とは何か(佐藤嗣男) ・一九三〇〜四〇年代の文学―ケストナー文学を中心に(井筒満) ・『飛ぶ教室』の印象の追跡(荒川由美子) ・太宰治『津軽』と〈風土〉 (高澤健三) ○Vorbild(フォアビルト)をさぐる―第22回教育基礎講座(広島)に参加して(富永真理子) ○芥川龍之介と菊池寛―触発する作家と作家(佐藤嗣男) ○芭蕉俳諧を読む〈その九〉―〈対象の声なき声〉の源流をさぐる(荒川有史) |
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「文学と教育」第190号 (2000.11) ★★ 第49回全国集会の記録 | |
《第49回全国集会の記録》 ・ケストナー文学の視点的立場(井筒満) ・ケストナー詩の印象の追跡(鈴木益弘) ・太宰治『駈込み訴え』の印象の追跡(成川日女美) ○文学的抵抗の精神―井伏文学を考える(佐藤嗣男) ○〈ケストナーの邦訳詩〉ノート―「カスタニエン」「コギト」掲載詩をめぐって(夏目武子) ○第23回広島教育基礎講座レポート 鴎外文学の魅力―歴史小説を中心に(中野斉子) ○近世偽書の条件〈その一〉―芭蕉俳論に即して(荒川有史) |
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「文学と教育」第191号 (2001.4) ★★★ ’00年秋季集会の記録 | |
《二〇〇〇年秋季集会の記録》 ・文学の可能性―今、私にできること(樋口正規) ・『エーミールと探偵たち』(井筒満) ○森田草平『煤煙』―近代主義の落とし穴(佐藤嗣男) ○文学よもやま話=文学教師の条件(福田隆義) ○近世偽書の条件〈その二〉―芭蕉俳論に即して(荒川有史) 《追悼》 ・熊谷敬子様を悼む(夏目武子) ・熊谷敬子様の想い出(荒川由美子) |
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「文学と教育」第192号 (2001.8) ★ 第50回文教研全国集会号 | |
《往復書簡》 ・『芥川龍之介―その文学の、地下水を探る』を読んで(高田正夫) ・〈共生〉を考えた芥川―高田産への手紙(佐藤嗣男) 《第50回全国集会基調報告・レジュメと資料》 ・「日本型現代市民社会と文学」(井筒満) ○例会レポート=芥川龍之介『偸盗』(夏目武子) ○春合宿研究会レポート=芥川龍之介『藪の中』を読む(金井公江) ○人間回復を目指す「授業」の工夫―佐野洋子『一〇〇万回生きたねこ』との対話を通して(西平薫) ○『一〇〇万回生きたねこ』を読みあって―教育相談室から(伊藤洋子) ○デンマークを旅して、日本人の私は考えました―アンデルセンの国、福祉大国は別世界?(成川日女美) ○私の教室=『俘虜記』を読む(床枝ひろみ) ○文学よもやま話(2)=まぶしかった新卒先生(福田隆義) ○近世偽書の条件〈その三〉―芭蕉俳論に即して(荒川有史) ○第50回全国集会プログラム |
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「文学と教育」第193号 (2001.11) ★ 第50回文教研全国集会の記録 | |
《第50回文教研全国集会の記録》 ・第50回集会を迎えて(夏目武子) ・日本型現代市民社会と文学(井筒満) ・芥川龍之介『六の宮の姫君』(金井公江) ・大江健三郎『奇妙な仕事』(高澤健三) ○みたび〈文体づくりの国語教育〉―広島・教育基礎講座に参加して(荒川由美子、中野斉子) ○現代市民社会の中でだ「つくる会」教科書採択阻止の市民運動にかかわって(山本直美) ○文学よもやま話(3)=私と「学習指導要領」(福田隆義) ○近世偽書の条件〈その四〉―芭蕉俳論に即して(荒川有史) ○文教研、ホームページを開設! 《付録》 ・文学教育研究者集団研究集会の歴史 ・文学教育研究者集団秋季集会の歴史 |
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「文学と教育」第194号 (2002.4) ★★ | |
○〈巻頭言〉文教研の歴史を ウェブサイトで(夏目武子) ○戸坂潤再読―その大衆論をめぐって(井筒満) ○芥川文学へのアプローチの視点―松本常彦氏の書評にふれて(佐藤嗣男) 《2001年文教研秋季集会の記録》 ・ゼミナール=ケストナー『エーミールと三人のふたご』(成川日女美) ○心の癒しと芭蕉文学(荒川由美子) ○私の教室=迷走する自主編成(中野斉子) ○文学よもやま話(4)=『サクラ読本』一期生の弁(福田隆義) ○近世偽書の条件〈その五〉―芭蕉俳論に即して(荒川有史) 《藤村生誕百三十年記念企画》 ・島崎藤村『若菜集』―思い乱れて嗚呼恋の(佐藤嗣男) |
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「文学と教育」第195号 (2002.7) ★★ | |
○『マルセル・ライヒ・ラニツキ自伝』を読む―「祖国としての文学・ドイツ文学」(井筒満) ○心の癒しと芭蕉文学(荒川由美子) ○平家物語を読む(夏目武子) ○ブック・レビュー=親子二代―倉本初夫著『商人という生き方』(荒川有史) ○文学よもやま話(5)=人間が人間として処遇されなかったころ(福田隆義) ○近世偽書の条件〈その六〉―芭蕉俳論に即して(荒川有史) ○文教研ウェブサイト・コーナー(1) 《第51回文教研全国集会プログラム》 ・統一テーマ 現代市民社会と文学 U |
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「文学と教育」第197号 (2003.7) ★ | |
《2002年秋季集会の記録》 ・ゼミナール=ケストナー『わたしが子どもだったころ』(井筒満、高澤健三) ○若者の声に耳傾けた「教育改革」か(夏目武子) ○真の伝え合いとは何か―「学習指導要領」における「伝え合う力」批判(井筒満) ○「心の癒し」考―『鬼の橋』にふれて(荒川由美子) ○佐藤春夫『殉情詩集』―紀の国の五月なかばは(佐藤嗣男) ○ブック・レビュー=『CとTの物語・文学の授業をよむ 「ちいちゃんのかげおくり」 小学3』(あらかわ ゆうし) ○文学よもやま話(7)=教材体系 〈自主編成の資料〉として(福田隆義) ○近世偽書の条件〈その八〉―芭蕉俳論に即して(荒川有史) 《第52回文教研全国集会プログラム》 ・統一テーマ 太宰治とケストナーにみる戦争の現実―現代市民社会と文学 V |
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「文学と教育」第199号 (2004.5) ★★ | |
《2003年文教研秋季集会の記録》 ・ゼミナール=ケストナー『動物会議』(金井公江) ○金子光晴『こがね虫』 海は私の前に新鮮な霧を引裂く(佐藤嗣男) ○私の教室=『平家物語』を読む その2―課題をもらう(夏目武子) ○文学よもやま話(9)=記憶をたどる―「読み聞かせの時間」と民話(福田隆義) ○近世偽書の条件〈その十〉―芭蕉俳論に即して(荒川有史) ○告知板=文教研、ケストナー紹介本に挑戦! |
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「文学と教育」第200号 (2004.8) ★ | |
○「文学と教育」200号に寄せて(夏目武子) 《「文学と教育」200号記念 特別企画》 ・特別インタビュー=〈文体づくり〉をめざし続けて―福田隆義、荒川有史両氏に聴く(聴き手/文責 荒巻りか) ・熊谷孝、乾孝両氏の仕事をめぐって―アジア太平洋戦争末期における抵抗精神(井筒満) ・再録@=『武学答問書』(大西一男=熊谷孝編著)抄 ・再録A=兵法家の言葉―松宮観山について(佐川映一=熊谷孝) ・再録B=未来に生きる過去―習慣と伝統(予科教授 乾孝) ○1930年代の笑い・喜劇・及びユーモア―井伏鱒二・太宰治の「ユーモア小説」を考える(佐藤嗣男) |
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「文学と教育」第201号 (2005.5) ★★ | |
《『ケストナー文学への探検地図』刊行記念小特集》 ・ケストナー本の刊行にあたって(編集委員会) ・ケストナーの一九三八年前後(井筒満) ・ゼミナール=『オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら』(山上英男) ○ゼミナール=太宰治『禁酒の心』(成川日女美) ○私の教室=卒業生のMさんへ(荒川由美子) ○文学よもやま話(10)=「強制」と「統制」―いつかきた道(福田隆義) ○西鶴と芭蕉―ふたりの俳諧師(荒川有史) ○芥川龍之介『桃太郎』―お前たちも悪戯すると、人間の島へやってしまふよ(佐藤嗣男) ○上川淳先生 ありがとうございました(あらかわ ゆうし) |
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「文学と教育」第202号 (2005.8) ★ | |
○ケストナー『ファービアン』をめぐって(上) (井筒満) ○ゼミナール=太宰治『黄村先生言行録』(橋本伸弥) ○私の教室=『平家物語』を読む その3(夏目武子) ○文学よもやま話(11)=三十年めの「学年会」(福田隆義) ○西鶴と芭蕉―ふたりの俳諧師〈その二〉 (荒川有史) ○復刻=筆跡と人柄―実際家の書相学(乾孝) |
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「文学と教育」第203号 (2005.11) ★ | |
○ケストナー『ファービアン』をめぐって(中) (井筒満) 《第54回文教研全国集会 小特集》 ・〈未来に生きる過去〉をめぐって(荒川由美子) ・ゼミナール=ケストナー『長靴をはいた猫』(高澤健三) ○私の教室=蔵原伸二郎(上)―『定本岩魚』と飯能(森田高志) ○西鶴と芭蕉―ふたりの俳諧師〈その三〉 (荒川有史) ○雑感=対話の精神をもつということ―飼いならされた人間にならないために(山本直美) |
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「文学と教育」第204号 (2006.7) ★★ | |
《文教研春合宿 特別報告》 ・〈歴史社会学派〉の西鶴論―熊谷論文に即して(報告:荒川有史) ○太宰治、三鷹から発信す(佐藤嗣男) ○ケストナー『ファービアン』をめぐって(下) (井筒満) ○私の教室=蔵原伸二郎(中)―『定本岩魚』と、その周辺(森田高志) ○西鶴と芭蕉―ふたりの俳諧師〈その四〉 (荒川有史) |
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