研究集会テキスト関連記事   … 2016年第65回全国集会テキスト:吉野源三郎 『君たちはどう生きるか』 …  
   
 ■ 高村英夫  山本有三/吉野源三郎 著 君たちはどう生きるか  (唯物論研究会 『唯物論研究』64 1938.2)
  ※掲載誌の発行元である唯物論研究会は1938年2月を以って解散。『唯物論研究』誌は65号(1938.3)で終刊となった。 
 
 本書は、帝大新聞、読書新聞、それからコンテムポラリー ジャパーンなどにも既に新刊紹介されてをり、近頃の評判の書の一つで、過ぐる歳末には築地小劇場で芝居にもなつたものである。
 執筆者は、山本有三、吉野源三郎の両氏とあるが、序文によると、山本氏は病気のために殆んど吉野氏によつて出来たものだと言はれてゐる。吉野氏は、聞くところによると、哲学専攻の学者であると言ふ。さう言ふ一哲学者によつてこの児童の物語が書かれたと言ふところが本書の特異な点を形造つてゐる。
 これまでの児童読物はいつも定つた一つのイデオロギー的前提のもとに書かれてゐた。そのイデオロギーなるものも一応童心尊重を主張するものではある。けれどもそれ等は児童がその既成イデオロギーと全く別に自分自身の経験を獲得しても、その経験の糸をほぐし、それを解明し、育てるやうな児童の「真実の経験」尊重を意味するものではない。旧来のイデオロギーを前提とした童心尊重は児童が未発達であることに興味をつなぐが、それの成長に興味をつなぐものではない。
 本書は何よりもまづ児童の「真実の経験」を既成のイデオロギーから解放する。本書の物語の主人公はまだ白紙に近い中学二年生であつて、彼は彼として少年なりに社会を観察し、自然を観察して、古きイデオロギーに教はらない素直な自分の経験を獲得してゆく。さうしてこの本のなかには「叔父さんのノート」と言ふものが出て来て、これが著者の立場を示し、少年が獲得したまだカオス状態の然し少年としては真実な経験、それを親切に迎へて、分化させ、発展させ、無イデオロギーの原始から救ふ。そして正しい世界観へ誘導する。そのことが同時に若き読者に対して正しい方向の説明となつてゐるのである。
 或る日、不図ビルデイングの屋上から都会を眺めて、その少年は、自分をも含めて凡て人間と言ふものは等しく(、、、)社会形成の一分子である、と言ふ重大なる発想を獲得する、「叔父さんのノート」はその発想に解明を与へて、自分も一分子であると言ふことから自己中心的見方の誤りを説明して、知性的な、客観的な、ものゝ見方と言ふことを話して聞かせる。物語はそう言ふところから始つて、社会の正義が尊重され、それの実行力が賛美され、また自然についても社会についても科学的思考の尊重さるべきであること、そのほか消費と生産、富と貧困、或は英雄についての反省、実践のチヤンスについて、文化の世界性、等々、物語のなかの事件の起伏と織り交ぜられて一々重要な思想が暗示されてゐる。
 「どう生きるか」と言ふことは児童特有の問題ではなく成人にとつても切々たる問題であつて、本書は、いまのやうな時代、成人にとつても亦興味ある書物である。
 何よりも本書は著者自らが謂ふ文化進歩の線を行くと言ふその一つだけで他のあらゆる雑多な子供の読物と比較すべくもない。そして真実の広い教養と言ふ点でも秀越する。
 著者の説述の立脚地は人道のそれであると言へる。私はいまの社会でそれは正義であると思ふ。「結論」がそのまま理解できない場合そこへ誘導される諸前提を本書によつて与へられる子供等はせめても幸福である。
 ただ一二の疑問を言ふと、本書中には再三人類の進歩と言ふことが説かれてゐるが一般に又「いま現に」何が進歩的であるかと言ふ事の暗示がこれで足りてゐるのか、と言ふこと。実行の契機をつかむべきことを知り乍ら何がそれであるかを将来帰趣すべき諸条件の提示が乏しくはないかと言ふこと。それから童心が切望する話の本当の面白さ、笑ひ、従来の児童文学がその方面で相当に開拓した部分が本書では、欠けてゐないか。
 それから豊かな説得力を感じながらも何かしら著者の作物を感ずる部分も可成りにあつた。
 このやうなアルバイトの持つ意味は大きい。著者の将来への継続と発展を期待したい。

 ■ 川本隆史  現代を生きる倫理・序説 (跡見学園女子大学文化学会『フォーラム』11 1993.3) 
 
 (…)子どもが自分中心の見方から抜け出していくこと、そして自分 が社会の中で生きていることを発見する筋道を、分かりやすく描 いた作品として、皆さんにお勧めしたいのは、吉野源三郎さんの名著『君たちはどう生きるか』(岩波文庫)という本です。中学 の国語の教科書などに、その一部が使われたりしているそうですから、すでにお読みの方もいらっしゃるかも知れません。この本は、中学一年生の主人公が、銀座のデパートの屋上から町並みを 眺めていたときに起こった「変な経験」から始まっています。人間一人ひとりは、社会を構成する分子なのだ、と気づく主人公の心の動き、ものの見方の変化は、まさしくカントの「コペルニクス的転回」を具体的に描き出したものだといえます。それで主人公のアダ名が、「コペル君」というのです。図書館や本屋さんで見つけて、ぜひ読んでみて下さい。(…)
 
 ■ 川本隆史  連続講座 花崎皋平≠回顧する――「三人称のわたし」はひらかれたか
 (成蹊大学アジア太平洋研究センター『アジア太平洋研究 = Review of Asian and Pacific studies』40  2015
 
 (…)第3回のハイライトは『生きる場の哲学』――たぶん最初に通読した花崎の単著だったろうし、 刊行前年の1980年4月から大学の教壇に立つようになった私にとって、忘れられない一冊となっ ている。初体験となる一般教育科目「倫理学」の教材に、私は吉野源三郎の『君たちはどう生きるか』(1937年初版)を採用した。鶴見俊輔がこの児童書を絶賛していたのを思い出したからである。講義の枠組みも、鶴見のデビュー作『哲学の反省』(1946年/『鶴見俊輔集』第三巻、 筑摩書房、一九九二年所収)が打ち出した新機軸――「哲学は次の三条の道に従って把握される場合、現代の社会においても生きた意味をもつことが出来る。第一に思索の方法の綜合的批判として把握される場合、第二に個人生活及び社会生活の指導原理探求として把握される場合、 第三に人々の世界への同情として把握される場合、即ちこれである」――に沿って、「批判」、「原理」、「共感」(「同情」の言い換え)の三本柱でもって編成しようとした。(…) 

 ■ 川本隆史  記憶のケア・脱中心化・脱集計化 : ある倫理学研究者のスローな足どり
 (東京大学大学院教育学研究科基礎教育学研究室 『研究室紀要』42 2016.7) 
 
 (…)「脱中心化」から始めましょう。正義(・ ・)ケア(・ ・)の編み直し=\―『脱=社会科学』(原著1991年、邦訳:藤原書店、1,993年)においてイマニュエル・ウォーラーステインが全面展開している《unthinking》に、鶴見俊輔さんが当てた達意平明な訳語がこの「編み直し」です――という私の年来の主題のうち、とりわけ正義(・ ・)のほうに関連するのが、「脱中心化」という方法的態度にほかなりません。言うまでもなく、decentrationとはピアジェの発達心理学の中心概念であり、「自己中心性」(自分中心のものの見方)を脱け出して、ものの見方・観点が複数あることを自覚していく認知発達のプロセスを指しています。ここではピアジェの原典や研究文献ではなく、吉野源三郎の名著『君たちはどう生きるか』(初版は1937年)の一節を引いて「脱中心化」の要点を押さえておきましょう(ただしここで吉野さんが意識されていたのはカントにおける「コペルニクス的転回」であって、ピアジェではありません)。
 「子供のうちは、どんな人でも、地動説ではなく、天動説のような考え方をしている。子どもの知識を観察して見たまえ。みんな、自分を中心としてまとめあげられている。電車通りは、うちの門から左の方へいったところ、ポストは右の方へ行ったところにあって、八百屋さんは、その角を曲がったところにある。[……]それが、大人になると、多かれ少なかれ、地動説のような考え方になって来る。いろいろなものごとや、人を理解してゆくんだ。」(岩波文庫、25〜26ページ) (…)
 
 ■ 「君たちはどう生きるか」 80年経て大ヒット  (『朝日新聞』東京版 ニュースQ3 2017.12.6) 
 
 日中戦争が始まった1937年に出版された本「君たちはどう生きるか」のマンガ版が大ヒットしている。刊行から3カ月あまりで100万部に迫る勢いだ。80年の時を超え、なぜ売れるのか。(…)
 マンガ版は8月にマガジンハウスから刊行され、95万部を突破。同時に出た原作の新装版も24万部となった。アニメ監督の宮崎駿さんが10月、同名のタイトルで次回作を手がけると明らかにしたことも影響したとみられる。(…)
 その古典をなぜいま、改めて世に出したのか。マガジンハウスの担当編集者、鉄尾周一さん(58)は原作を愛読していたが、「若い人には説教くさいだろう」と思っていた。だが、20、30代の同僚たちに話を向けると、彼らはすでに読んでいて「すごくいい作品ですよね」と返してきた。鉄尾さんは「もっと読んでもらえる作品なのかもしれない」と考え始めた。
 難しさを和らげるためj、マンガ化を選択。担当した漫画家の羽賀翔一さん(31)は、古い街並みを参考にしようと東京・湯島に引越し、2年かけて完成させた。「コペル君」の成長物語という原作の骨格は維持しつつ、対話を通じて「叔父さん」も変っていくようにしたのが、マンガ版の特徴だ。子どもだけでなく、大人にも自分を投影してほしいと考えたという。マガジンハウスは、ヒットの理由を「題名に代表されるシンプルで普遍的なメッセージが幅広く受け入れられた」とみる。
 80年前の作品が輝きを放つ理由について、吉野をテーマにした研究論文がある佐藤卓己・京都大教授(メディア史)は、この本の吉野の主張を「主体として能動的に生きていくことの重要さだ」と説明。「『ポスト真実』という言葉が流行したように、情勢判断の難しさに不安を感じている人は多い。一人ひとりが高所から全体状況を見極める能力を求められており、その視点の重要さを説くメッセージが共感を得ているのだろう」と話す。(高久潤、田玉恵美)
 
 ■ 池上彰  特別授業『君たちはどう生きるか』  ( NHK出版『別冊NHK100分de名著 読書の学校』  2017.12)
     ※2017年7月7日に東京・武蔵高等学校中学校で行われた「池上彰 特別授業」をもとに、加筆を施したうえ構成したもの。(同書の注記より)
 
  はじめに――いま、君たちに一番に読んでほしい本
 よい本との出合いは、人生の宝物です。(…)
 書店や図書館には、一生かかっても読みきれないほどの本が並んでいます。いま、あなたに読んでほしい本を、そのなかから一冊だけ挙げるとしたら――。そう考えて選んだのが、『君たちはどう生きるか』です。
 この作品が刊行されたのは、一九三七年(昭和十二年)。第二次世界大戦がはじまる二年前、いまからちょうど八十年前のことです。作者の名は吉野源三郎(一八九九〜一九八一)。東京帝国大学(現・東京大学)で哲学を修め、戦前・戦後を通じて編集者として活躍した人物です。
 『君たちはどう生きるか』は、もともと「日本少国民文庫」全十六巻シリーズの一冊として書かれたもので、作者はこのシリーズの編集主任も務めていました。その後、岩波書店に入社して、岩波新書を創刊。戦後は雑誌『世界』j初代編集長を務め、岩波少年文庫の創設にも尽力しました。『世界』に寄稿していた学者・知識人と共に市民団体「平和問題懇談会」を結成し、反戦運動にも取り組んでいます。
 『君たちはどう生きるか』は、こうした活動の、いわば原点とも言える作品です。日本少国民文庫シリーズの配本が始まったのは、一九三五年。その四年前、日本は満州事変をきっかけとして、アジア大陸に侵攻をはじめます。日本国内には、戦争へと突き進む重苦しい空気が広がっていました。軍国主義に異を唱える人はもちろん、リベラルな考え方の人も弾圧され、作者自身も治安維持法違反で逮捕されるという経験をしています。
 そして一九三七年、『君たちはどう生きるか』の刊行とほぼ時を同じくして、中国大陸で盧溝橋事件が起き、日本は以後八年にわたる日中戦争の泥沼へと入っていきます。ヨーロッパではドイツにヒトラーが、イタリアにムッソリーニが登場し、人々の暮らしに影を落としていました。
 そんな時代だからこそ、次代を担う子どもたちには、ヒューマニズムの精神にもとづいて自分の頭で考えることの大切さを伝えたい。すでに言論の自由も、出版の自由もいちじるしく制限されていましたが、偏狭な国粋主義から子どもたちを守らなければという強い思いから、この本は生まれたのでした。
 戦前に書かれたにもかかわらず、この作品は戦後も売れ続けます。むしろ戦後のほうがよく売れたのではないでしょうか。戦前を知らない多くの子どもたちが、この本を手にとり、引き込まれていきました。かくいう私も、その一人です。
 私がこの本と出合ったのは、小学生のとき。珍しく父が私に買ってきた本でした。当初は「親に読めと言われた本なんて」と反発していましたが、読んでみると面白く、気がつくと夢中になっていました。
 ひと言で言うなら、これは子どもたちに向けた哲学書であり、道徳の書。人とて本当に大切なことは何か、自分はどう生きればいいのか。楽しく読み進めながら自然と自分で考えられるよう、いくつもの仕掛けが秀逸にちりばめられています。(…)

 ■ SEALDs Books Selection  15選書  (SEALDs HP 2015.9)
 
INTRO
  まず、このブックレットを手にとって下さり、ありがとうございます。  これは、私たちSEALDsのメンバーが影響を受けた本をまとめた ブックリストです。SEALDs(Students Emergency Action for Liberal Democracy -s/自由と民主主義のための学生緊急行動)とは、自由で 民主的な日本を守るための、学生による緊急アクションです。担い手は 10代から20代前半の若い世代です。  このブックリストにまとめられている15冊は、今、この国で起きてい ることを理解するために、私たちが最も参考にしている本です。現在の 政治情勢は確実に悪化しています。立憲主義が蔑ろにされ、平和主義の 理念が危機に瀕しています。また、貧困問題や雇用問題など、経済面で も多くの課題を抱えています。こうした現状に、この国の自由と民主主 義を担う一人の個人としてどう向き合うか。私たちがあげた15冊は、そ うした問いに真正面から答えるものであると確信しています。  私たちの多くは大学生です。最初は政治のことなんてよく分かって なかったし、自分たちの言葉を作るのにも苦労しました。けれど、政治 に参加しつづけていくことで、自分が参加する「政治」というゴツゴツし たものを少しずつ掴んでいきました。法案を調べたり国会答弁を注視し たり、それまで社会運動に携わってきた人の言葉を聞いたり、路上でス ピーチを見たり。そして、このような路上での学びに「型」を与えてくれ ているのは、紛れもなく大学での学びです。ここにある本は、私たちの武 器であり、盾であり、私たち自身でもあります。私たちは思考し、そして 行動します。  最後に、ブックレット作成にあたりご協力してくださった方々、この ブックレットを置いて下さった書店の皆さま、そして、このブックレッ トを手に取って下さったあなたに感謝申し上げます。願わくば、この先 の15冊にまで目を通して下さることを。

7 吉野源三郎 君たちはどう生きるか
  1937 年。盧溝橋事件があり、中日事変となり、以 後八年間にわたる日中戦争の始まった年にこの本は出 版されたらしい。小学五年生の時にこの本を初めて読 んだときはそんな時代背景など幼い私には全く目に入 らなかった。今回レヴューを書くにあたって改めて読 み直したのだけど、その時代背景を頭に入れて読むと また見え方が変わってくるように思う。言論統制のさ なか、著者は何を少年少女に伝えたかったのか?  コペル君とともに考えてみる。(Anju)

 ■ 丸山真男  『君たちはどう生きるか』をめぐる回想―吉野さんの霊にささげる―
  (岩波書店『世界』 1981.8 /岩波文庫『『君たちはどう生きるか』1982.11)
 
 (…)ここではその学恩の発端――つまり吉野さんが私という人間などまったく御存知なく、もっぱら私の側で一方的に吉野源三郎という一個の偉大な哲学者の存在に圧倒された時代のことを語ろうと思います。人から持ち上げられたり、舞台の前に押し出されたりすることを極端に避けた吉野さんが御存命ならば、こういう仕方の回想にも照れて顔をそむけられるかもしれません。でもこれはあくまで未知の一青年の魂に刻まれた、あなたの思想の形姿であって、ここにあなたが主体的に関与しているわけではありませんので、お許しをいただきたいと存じます。
 一方的な会遇と申したのが、もう御推察なさったと思われますように、昭和十二年に『日本少国民文庫」の一冊として新潮社から出た『君たちはどう生きるか』なのです。

(…)私がこの作品に震撼される思いをしたのは、少国民どころか、この本でいえば、コペル君のためにノートを書く「おじさん」に当る年ごろです。私はこの本がはじめて出たのと同じ昭和十二年に大学を卒業して法学部の助手となり、研究者としての一歩をふみ出しました。しかも自分ではいっぱしオトナになったつもりでいた私の魂をゆるがしたのは、自分とほぼ同年輩らしい「おじさん」と自分を同格化したからではなく、むしろ、「おじさん」によって(、、、、)、人間と社会への眼をはじめて開かれるコペル君の立場に自分を置くことを通じてでした。何という精神の未成熟か、とわらわれても仕方がありません。当時私はどちらかというと、ませた(、、、)青年だ、と自分で思いこんでいましたから、一層滑稽なのです。この点をもうすこし立ち入ってのべることが、吉野さんへの追悼をかねてこの画期的な名著に対する一つの紹介の役割をもあるいは果すかもしれない、というのが私のささやかな希望です。

(…)これはけっしていわゆる人間の倫理だけを問うた書物ではありません。吉野さんが己を律するにきわめて厳しく、しかも他人には思いやりのある人――ちかごろはその反対に、自分には甘く、もっぱら他人の断罪が専門の、パリサイの徒がますますふえたように思われますが――であることは、およそ吉野さんを知るひとのひとしく認めるところでしょう。モラーリッシュという形容は、吉野さんの人柄ともっとも結びつきやすい連想です。けれども、吉野さんの思想と人格が凝縮されている、この一九三〇年代末の書物に展開されているのは、人生いかに生くべきか(、、、)、という倫理だけでなくて、社会科学的認識(、、)とは何かという問題であり、むしろそうした社会認識の問題ときりはなせないかたちで、人間のモラルが問われている点に、そのユニークさがあるように思われます。そうして、大学を卒業したての私に息を呑む思いをさせたのは、右のようなきわめて高度な問題提起が、中学一年生のコペル君にあくまでも即して、コペル君の自発的な思考と個人的な経験をもとにしながら展開されてゆくその筆致の見事さでした。

(…)社会科学的な認識が、主体・客体関係の視座の転換と結びつけられている、ということの意味は、「へんな経験」の章のあとにつづく、おじさんのノート――ものの見方について――で、一段と鮮明になります。社会の「構造」とか「機能」とか「法則性」とかいうと、もっぱら「客観的」認識の対象の平面で受取られ、しかも「客観性」は書物(、、)史料(、、)のなかに書かれて、前もってそこにある(、、、、、)という想定が今日でも私達の間にひろく行きわたっております。以前から問題になっている、社会科学的認識と文学的発想との亀裂(それは同一人物のなかに両者が並存(、、)するのを妨げません)ということも、そうした想定に根づいているように思われます。それにたいして、この作品の「おじさん」は、天動説から地動説への転換という、ここでも誰もよく知っているためにあまりにも当然としている事例をもち出して来ます。
 コペル君というあだ名の由来であるこの事例の意味づけは全篇の主要主題として流れているのですが、地動説は、たとえそれが歴史的にはどんなに画期的な発見であるにしても、ここではけっして、一回限りの、もう勝負がきまったというか、けりのついた過去の(、、、)出来事として語られてはいません。それは、自分を中心とした世界像から、世界のなかでの自分の位置づけという考え方への転換のシンボルとして、したがって、現在でも将来でも、何度もくりかえされる、またくりかえさねばならない切実な「ものの見方」の問題として提起されているのです。

(…)『君たちはどう生きるか』の叙述は、過去の自分の魂の傷口をあらためてなまなましく開いて見せるだけでなく、そうした心の傷つき自体が人間の尊厳の楯の反面をなしている、という、いってみれば精神の弁証法を説くことによって、何とも頼りなく弱々しい自我にも限りない慰めと励ましを与えてくれます。パスカルの有名な言葉にはじまる「人間の悩みと、過ちと、偉大さとについて」と題する「おじさんのノート」(第七章)はその凝縮です。自分の弱さが過ちを犯させたことを正面から見つめ、その苦しさに耐える思いの中から、新たな自信を汲み出して行く生き方です。

(…)吉野さんには、私の場合などとは比較を絶するような特高体験があります。吉野さんが取調べの際に、まったくのフィクションを供述用に「創作」してまで、親友に特高の手がのびるのをくいとめた、という話は(吉野さんはむろんそういう話を得意になって披露する人ではありませんが)、私は古在(由重)さんから直接うかがって感動しました(参照、毎日新聞社編『昭和思想史への証言』)。けれども、それほど毅然としていた吉野さんでさえ、はじめ陸軍少尉として軍法会議にかけられたときには、どこまで自分がこの試練に堪えられるかに深刻に悩まれたようです。あるいは、そのときの心の動きが、コペル君に投射されて可愛らしい変奏曲を奏でさせたのかもしれません。

(…)天降り的に「命題」を教えこんで、さまざまなケースを「例証」としてあげてゆくのでなくて、逆にどこまでも自分のすぐそばにころがっていて日常何げなく見ている平凡な事柄を手がかりとして思索を押しすすめてゆく、という教育法は、いうまでもなくデュウィなどによって早くから強調されて来たやり方で、戦後の日本でも学説としては一時もてはやされましたが、果してどこまで家庭や学校での教育に定着したか、となると甚だ疑問です。むしろ日本で「知識」とか「知育」とか呼ばれて来たものは、先進文明国の完成品を輸入して、それを模範として「改良」を加え下におろす、という方式であり、だからこそ「詰めこみ教育」とか「暗記もの(、、)」とかいう奇妙な言葉がおなじみになったのでしょう。いまや名高い、学習塾からはじまる受験戦争は、「知識」というものについての昔からの、こうした固定観念を前提(、、)として、その傾向が教育の平等化によって加熱されたにすぎず、けっして戦後の突発的な現象ではありません、そうして、こういう「知識」――実は個々の情報にすぎないもの――のつめこみと氾濫への反省は、これまたきまって「知育偏重」というステロ化された叫びをよび起し、その是正が「道徳教育の振興」という名で求められるということも、明治以来、何度リフレインされた陳腐な合唱でしょうか。その際、いったい「偏重」されたのは、本当に知育(、、)なのか、あるいは「道徳教育」なるものは、――そのイデオロギー的内容をぬきにしても――あの、私達の年配の者が「修身」の授業で経験したように、それ自体が、個々の「徳目」のつめこみではなかったのか、という問題は一向に反省される気配はありません。
 私は、こういう奇妙な意味での「知育」に対置される「道徳教育」の必要を高唱する人々にも、また、「進歩的」な陣営のなかにまだ往々見受けられる、右と反対の意味での一種の科学主義的オプティミズム――客観的な科学法則や歴史法則を教えこめば、それがすなわち(、、、、)道徳教育にもなるというような直線的な考え方――の人々にも、是非『君たちは……』をあらためて熟読していただきたい、と思います。戦後「修身」が「社会科」に統合されたことの、本当の(、、、)意味が見事にこの『少国民文庫』の一冊のなかに先取りされているからです。

(…)最後に亡き吉野さんの霊に一言申します。この作品にたいして、またこの作品に凝縮されているようなあなたの思想にたいして「甘ったるいヒューマニズム」とか「かびのはえた理想主義」とか、利いた風の口を利く輩には、存分に利かせておこうじゃありませんか。『君たちはどう生きるか』は、どんな環境でも、いつの時代にあっても、かわることのない私達にたいする問いかけであり、この問いにたいして「何となく……」というのはすこしも答えになっていません。すくなくとも私は、たかだかここ十何年の、それも世界のほんの一角の風潮よりは、世界の人間の、何百年、何千年の経験に引照基準を求める方が、ヨリ確実な認識と行動への途だということを、「おじさん」とともに固く信じております。そうです、私達が「不覚」をとらないためにも……。

 ■ 吉野源三郎  作品について  (『ジュニア版 吉野源三郎全集T 君たちはどう生きるか』ポプラ社 1967)
 
  一九三五年十月に新潮社から山本有三先生の『心に太陽をもて』という本が出ました。これは山本先生が編纂された『日本少国民文庫』全十六巻の第十二巻で第一回の配本でした。この文庫は、ときどき間をおきながらも、だいたい毎月一巻ずつ出して、一九三七年の七月に完結しました。『君たちはどう生きるか』は、その最後の配本でした。
 一九三五年といえば、一九三一年のいわゆる満州事変で日本の軍部がいよいよアジア大陸に侵攻を開始してから四年、国内では軍国主義が日ごとにその勢力を強めていた時期です。そして一九三七年といえば、ちょうど『君たちはどう生きるか』が出版され『日本少国民文庫』が完結した七月に盧溝橋事件がおこり、みるみるうちに日中事変となって、以後八年間にわたる日中の戦争がはじまった年でした。『日本少国民文庫』が刊行され『君たちはどう生きるか』が書かれたのは、そういう時代、そういう状況の中でした。ヨーロッパではムッソリーニやヒットラーが政権をとって、ファシズムが諸国民の脅威となり、第二次世界大戦の危険は暗雲のように全世界を覆っていました。
 『日本少国民文庫』の刊行は、もちろん、このような時勢を考えて計画されたものでした。当時、軍国主義の勃興とともに、すでに言論や出版の自由はいちじるしく制限され、労働運動や社会主義の運動は、凶暴といっていいほどの激しい弾圧を受けていました。山本先生のような自由主義の立場におられた作家でも、一九三五年には、もう自由な執筆が困難となっておられました。その中で先生は、少年少女に訴える余地はまだ残っているし、せめてこの人々だけは、時勢のわるい影響から守りたい、と思い立たれました。先生の考えでは、今日の少年少女こそ次の時代を背負うめき大切な人たちである。この人々こそまだ希望はある。だから、この人々には、偏狭な国粋主義や反動的な思想を越えた、自由で豊かな文化のあることを、なんとかしてつたえておかねばならないし、人類の進歩についての信念をいまのうちに養っておかねばならない、というのでした。荒れ狂うファシズムのもとで、先生はヒューマニズムの精神を守らねばならないと考え、その希望を次の時代にかけたのでした。当時、少年少女の読みものでも、ムッソリーニやヒットラーが英雄として賛美され、軍国主義がときを得顔に大手をふっていたことを思うと、山本先生の識見はすぐれたものでした。
 先生は、こういう考えから少国民のための双書の刊行を思いたち、その計画を私に相談なさいました。なくなった吉田甲子太郎さんも入れて、この相談は、前後、五、六十回も重ねられ、その結果十六巻の『日本少国民文庫』ができましたが、『君たちはどう生きるか』は、その中で倫理をあつかうことになっていました。そして最初は、山本先生自身がこれを執筆される予定になっていたのですが、この計画をいよいよ実行にうつす段階になって、残念にも先生は重い目の病気にかかって、執筆はとうていのぞめないということになりました。それで、他に頼む人もないままに、私が代わってこの一巻を書くことになったのです。
 私は、そのころ哲学の勉強をしていて、文学については、学生時代から好きで親しんではいましたが、なんといってもまったくの素人でした。とても山本先生の代わりをつとめる資格はありませんでした。しかし、いまのべたような動機からはじまった計画であり、『君たちはどう生きるか』は、十六巻の中でも特にその根本の考えをつたうべき一巻でした。私は非力でしたけれど、計画者の一人として、先生に代わって、この文庫発刊の趣旨をこの一巻に盛りこむ仕事を引き受けねばなりませんでした。一九三六年十一月ごろから執筆にとりかかり、文庫の編集主任としての事務をとりながら書きつづけ、一九三七年にはいってからしばらく中絶しましたが、春ごろにまた筆が動き出して、同年の五月に書きあげました。少年のための倫理の本でしたけれど、三百枚という長さを、道徳についてのお説教で埋めても、とても少年諸君には読めないだろうと考えましたので、山本先生に相談して、一つの物語として自分の考えをつたえるように工夫しました。文学作品として最初から構想したのであったなら、また、別の書きようがあったかもしれません。
 (…)
  
 ■ 羽賀翔一  自分の意思 メンターが照らす  (『朝日新聞』東京版 希望はどこに 2  2018.1.5)  
 
 80年前から読み継がれてきた小説「君たちはどう生きるか」(吉野源三郎著)を昨年、漫画化しました。恥ずかしながら、話を頂くまで原作を知らず、お堅い教養書だろうと思って読み始めました。
 でも、主人公のコペル君が街を歩く人を見て「分子みたい」と思う場面から始まるように、言葉ありきでなく、叙情的な部分がしっかりと描かれていました。誰もが持っている、でも時と共に記憶からこぼれ落ちてしまったような経験からコペル君が感じたことを、「おじさん」といっしょに言語化していく。題名は問いかけても、答えは書かれていない。こう生きなさい、と押しつけるのではなく、考え続けるための姿勢を書いた本でした。
 吉野さんの息子さんにも話を伺いました。父が作品を書いた時は軍国主義まっさかりで、国全体が戦争に突き進む状況への危機感が強かった。それではいけないという思いを書きたかったが、検閲が厳しくてやむなく児童書にした、と。作品中、子どもたちが意識せざるうちに集団で化け物のようになる場面がありますが、まさに社会全体もそうなろうとしていると伝えたかったのでしょう。無自覚なまま何かの一部に加担してしまうことは、いつの時代も人間の本質的な問題としてある。時代背景を全面に出せず、教室の出来事などに翻訳したことで結果的に普遍的な作品になり、時代を問わず共感されるようになったのだと思います。(…)

 「いま君が苦しみを感じているのは、正しい道に向かおうとしているからだ」という「おじさん」の言葉があります。この視点は、苦しんでいる人自身は持ちづらい。自分の苦しみが何なのかを整理できない時、メンター[助言者]がこういう言葉をかけてくれることで、正しい道に進む力を振り絞れるのです。メンターは、本でも動画でもいいのかもしれない。(…)   (聞き手・吉川啓一郎)
 
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