関口安義 『芥川龍之介とその時代』 (1999.3 筑摩書房)より     【研究会資料】
 芥川龍之介らが第一高等学校に入学して五か月後の一九一一(明治四四)年二月一日、水曜日、第一大教場(講堂)で一つのイベントが行われた。河上丈太郎・河合栄治郎らが所属していた弁論部が主催した特別講演会である。弁士は『不如帰』や『思出の記』で知られた作家の徳冨蘆花である。内容は「謀叛論」と題して、幸徳秋水らの大逆事件の処理に関しての政府弾劾の演説であった。(p.60)

 わたしはこの蘆花の演説が当時の一高生に与えた影響について、「
謀叛論の波紋」(『日本文学』一九八三・九)にはじまる一連の論文を書き続けてきた。論文ばかりではない。『評伝 松岡譲』(小沢書店、一九九一・一・二〇)や『評伝 成瀬正一』(日本エディタースクール出版部、一九九四・八・一八)などの著書でも、それぞれかなりのスペースをとって論じてきた。基調は同じとはいえ、毎回新資料の発見があって、内容は少しずつ深まっている。研究の日進月歩を端なくも示すものだ。わたしには「謀叛論」と同時代青年、さらには「謀叛論と芥川龍之介」というテーマは、常に新しい問題として映る。新資料の出現のたびに、改めてこの課題をとりあげてきたのは、その意味からなのである。(p.60-61)

 そもそもわたしが蘆花の「謀叛論」演説に注目したのは、大学院に学んでいたころ芥川龍之介の一高時代の同級生、松岡譲の「蘆花の演説」
(『政界往来』一九五四・一)という文章に出会い、「松岡譲著作目録草稿」(私家版、一九六八・八)に書き留めた時にはじまる。わたしはその文章に、当時の一校生が「謀叛論」演説から受けた衝撃の一典型を見たのである。その時から何と三十年が過ぎようとしている。その間わたしは中野好夫が『蘆花徳冨健次郎 第三部(筑摩書房、一九七四・九・一八)で否定し去った、後年の『新思潮』グループと「謀叛論」演説とのかかわりに、こだわり続けてきたのである。(p.61)

 わたしはこの演説会に、若き芥川龍之介も出席していたのではないか、また、たとえいなくとも、井川や石田幹之助らからの情報、『萬朝報』紙の報道、全学集会などから蘆花の問題提起を知り、何らかの影響を受け、それが以後の生活や初期作品群まで影響を与えたのではないかとの考えを、早くから抱いていた。そこで蘆花の「謀叛論」演説が作家出発時の芥川龍之介の創作にも影響を及ぼしているとの仮説をたてて、その実証のために周辺の人々を研究し、文献調査に時間を用いた。その一端は『芥川龍之介 実像と虚像』
(洋々社、一九八八・一一)や『評伝 松岡譲』、それに『評伝 成瀬正一』に反映しているはずである。(p.71)

 若き芥川龍之介が井川恭
[恒藤恭]や松岡善譲[松岡譲]や成瀬正一同様、蘆花の演説を聴き、その思想形成に何らかの影響を受けたのではないかとの想定は、なにもわたし一人ではなく、何人かの研究者によってなされてきた。特に文学教育研究者集団(略称、文教研)に集う熊谷孝・荒川有史・佐藤嗣男らの一連の発言が目立つ。中でも旗幟鮮明なのは熊谷孝である。熊谷は芥川龍之介の作家的出発を「謀叛論」とのかかわりで考えることは、通説としての芥川論の反措定となり、芥川研究史の書き換えにもつながるとまで言う(11)。佐藤嗣男によると、熊谷孝が蘆花の「謀叛論」を芥川文学を触発したものとして最初に持ち出したのは、一九七八(昭和五三)年十一月五日の国立音楽大学での講演(「日本近代文学における異端の系譜―鷗外・芥川・井伏・太宰―」)であったという(12)
 佐藤は熊谷の発言を受け、この問題を誠実に受け止め、以後〈文学事象としての大逆事件〉を自己のテーマとするようになる。それは「
大導寺信輔の半生の場面既定」(『文学と教育』第一一三号、一九八〇・八)や「芥川文学と謀叛論(『文学と教育』第一二七号、一九八四・二)に結実する。後者では大逆事件への芥川の関心の深さを指摘、芥川全集収録の「手帳2」(現物は山梨県立文学館蔵、走り書きのメモの判読は、一九二七~二九年発行の元版全集編集の際、葛巻義敏が行った)の一節、「○明科。(松本の先。)明科製材所ノ職工新村忠雄。(兄善兵衛―村長。)巡査。勲八等白色桐葉章。桂首相。(停車場)。爆弾七、装填三個。」(新全集とは若干の異同がある)に注目し、芥川は大逆事件そのものをも作品化しようとしたのではないかと推論するに至るのである。なお、佐藤嗣男の「謀叛論」関連論文は、最近の「蘆花講演謀叛論考」(『明治大学人文科学研究所紀要』第四二冊、一九九七・一二・二五)に豊かな結実を示す。そこでは蘆花の講演は、「単に大逆事件をめぐる明治政府への批判の終わるものではなかった。自己の生きる現実の解明。そのために現実把握の自己の発想を検証し組み替える――そうした自己変革のプロセスを反映した、人間の行為のありようと意味を問うた文学的営為だった」とまとめられている。(p.71-72)

  【注】
  (11)熊谷孝「なぜ、いま、芥川文学か」(『赤旗』一九八三年一一月二六日)
  (12)佐藤嗣男「芥川文学と
謀叛論」(『文学と教育』第一二七号、一九八四年二月二〇日)、
       のち『日本文学研究資料新集19 芥川龍之介』(有精堂、一九九三年六月)収録。七一~七二ページ。

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