吉野源三郎「君たちはどう生きるか」 4
文教研のNです。
(…)
春合宿の総括へ向け、「叔父さんのノート」に関して今まで話題なったことを整理しておきたいと思います。
そのことを考える前提として、コぺル君、叔父さんの年代を確認しておきます。
「君たちは」が刊行された1937年にコぺル君が数えで15歳とすると、1921年生まれ。
「叔父さん」は大学を出て間もない法学士ですから、20代前半。1916、7年生まれ。
ちなみに吉野源三郎は1899年東京生まれ。
同年生まれにエーリヒ・ケストナー、1900年に戸坂潤。
例会では、次のような人たちと年代的には重なるイメージだろうという確認がされました。
コぺル君は石田雄(1923生/丸山真男の弟子。「ふたたびの<戦前>」2015)や正木信一(1921生/熊谷孝は高校時代の恩師。「『平家物語』の内から外から」1996)。
「叔父さん」は熊谷孝・乾孝(1911生)、及び、丸山真男(1914生)。年代は吉野たちと一緒になりますが、関係としては石田雄にとっての三木清(1897生)がその位置にあたるのではないかという指摘も出ています。
さて、「叔父さんのノート」の文体について、ここでは三点、例会で話題になったことを確認しておこうと思います。
一つ目は、叔父さんはコぺル君の成長に触発されてこのノートを書いている、という点です。
潤一君。
今日、君が自動車の中で「人間て、ほんとに分子みたいなものだね。」と言ったとき、君は、自分では気づかなかったが、ずいぶん本気だった。君の顔は、僕にはほんとうに美しく見えた。しかし、僕が感動したのは、そればかりではない。ああいう事柄について、君が本気になって考えるようになったのか、と思ったら、僕はたいへん心を動かされたのだ。(22~23頁)
叔父さんの感動は、甥っ子が人間という存在について本気で考えるようになった、そういう成長への感動です。そこには、人間について考え続けている、叔父さん自身の姿勢が感じられます。
その“精神の後輩”へ向け、その成長を支え促そうとする文体である点は抜かせません。
二つ目は、その成長を促すやり方です。
カツ子さんが語るナポレオンの「英雄精神」に、四人の少年は魅了されます。
しかし、そこには悲壮感に陶酔するような危険もある。
そのときの「叔父さんのノート」について、I さんが次のような指摘をされました。
少年たちが英雄に心酔する気持ちを軍国主義は利用するわけだけれど、しかし、その気持ちを全面否定するのでなく、そこに歯止めをかけて思索を促していく。子どもたちに対し、「偉大な人間とはどんな人か」という問いかけを通して“印象の追跡”を行わせている。……
印象を否定するのではなく、追跡していく。
あくまでその主体の内側から能動的に変革されていく道を探る。
戸坂潤との課題意識の連続性を感じさせます。
三つ目は、「叔父さんのノート」は“弁証法的発想”に貫かれている、という多くの方の指摘です。
特にI さんは、「人間の悩みと、過ちと、偉大さについて」を井上ひさし「父と暮せば」の“生きるうしろめたさ”の課題とつなげて問題提起しました。
この「悩みの中にこそ偉大さがある」「困難の中に可能性を発見する」という姿勢は、まさに弁証法的発想で、だからこそ実践的な励ましとして響いてくる。
また、その弁証法的構造が喜劇精神の問題とも通じてくるのではないか。……
この課題には、前回の例会報告でも私なりに考えてみました。
私としては、以上のような点が現在、共通確認できる点かと思います。
春合宿での討論が楽しみです。
今回は、例会での面白いやり取り(!) が紹介できず残念でした。
前回、名前をお借りした方はご不満もあろうかと思います。
若干のデフォルメがあります。申し訳ありません。
が、案外、好評です。
【〈文教研メール〉2016.03.25 より】
|