“人間合格”の文学―井上ひさし/異端の系譜に立って
文教研のNです
9月に入ってもまだまだ暑さが続いています。皆様いかがお過ごしでしょうか。
今夏全国集会は、「“人間合格”の文学――井上ひさし/異端の文学系譜に立って」というテーマで、
井上ひさし「人間合格」、太宰治「惜別」を取り上げました。
次回例会には全国集会総括も行なわれますので、その前に私にとっての全国集会をお知らせしておこうと思います。
3・11以後、“絆”という言葉がよく使われるようになりました。
人は一人では生きていけないし、人生の幸福は日常の中にあることを実感させられた出来事でした。
そしてさらに、どのようなつながりこそが私たちの人生を豊かにしてくれるものなのか、その中身が今、問われています。
そうした中で今次集会は、“社会化された個とは?”という問いかけのもと、異端の系譜に立つ近現代文学史の視点から考えあいました。
「人間合格」の津島修二、佐藤浩蔵、山田定一、「惜別」の周樹人、「私」、藤野先生。
この人間関係を軸に、問題は深められました。
私は「惜別」最終のパートの話題提供者だったので、そこで話題にしたことについて今一度考えてみます。
東京で過ごした夏休みを過ぎ、周さんは「何だか、前の周さんと違って」いた。
「僕はこのごろ、同胞の留学生たちの革命運動にさえ、あの不吉な大袈裟な身振りの匂いを、ふっと感じるようになったのです。」
「僕には、党員の増減や、幹部の顔ぶれよりも、ひとりの人間の心の間隙のほうが気になるのです。」
文藝に志すことを「私」に初めて語った周さん。
しかし、同時に彼は「支那に於ける最初の文明の患者(クランケ)」として「奴隷の微笑」さえ頬に浮かべる青年になっていた。
「……(馬鹿馬鹿しい長話を聞かされて退屈だっただろう。下宿の人も不審に思っているに違いない。)
僕は変わったでしょう? あなただけは、わかってくれると思うのですが、どうだかな? 僕はこのごろ、誰をも信じないことにしたのです。じゃあ、さようなら。」
「お願いがあります。玄関の外で、一分間だけ立っていて下さい。」
周さんは、へんな顔をしたが、幽かに首肯いて外へ出た。
私は下宿の家族の者たちの居間に向かって大声で、
「小母さん、周さんは帰ったよ。」
「あら、傘をお持ちになればよかったのに。」それだけである。あっさりしたものだ。わが意を得たりである。
私は玄関の外に立ってこの私たちの会話を聞いている筈の周さんに逢いに行ったら、周さんはいなくて、暗闇にただ雪がしきりに降っていた。
(新潮文庫「惜別」356頁9行目〜7頁3行目)
ゼミの総括で、Sチューターが「宝石のような場面だ」ということを言っておられましたが、本当にそう思いました。「私」と周さんの関係は、片方が一方的に相手を崇拝する、あるいはお互い馴れ合う、そうしたセンチメンタルな関係ではありません。
青年らしい高い理想を求める周さんを尊敬し、その苦しみを最も身近に感じる「私」であればこそ、「私は黙っていた。こんなにいやらしく遠慮するお客ならば、或いは下宿の人たちも嫌悪するかもしれないと思った。」そして、周さんもそんな「私」を「怒ったようですね」と感じる。そして、「私」の下宿の人たちへ向けての大声です。
「私」の行為は”信じているからできる”のだし、周さんは“信じられている、見守られている自分”を感じたはずです。
「人間合格」では、こんな場面がありました。
修治 いいなあ、君の楽天主義って。
佐藤 おばさんたちがインターの練習をしてるんだぜ。楽天的にならざるを得んじゃないか。いつの日か、この向島の貧民長屋からインターの歌声が高らかに……やはり楽天的すきるか。よし、おれの楽天主義の思想的欠陥もびしびし批判してくれ。さあ!
修治 うらやましいだけだよ。
佐藤 思想を鍛え合うんだ。遠慮は禁物。
修治 いいやつさ。
佐藤 甘いッ。
修治 行動力は抜群だし……。
佐藤 馴れ合いは思想的堕落だぜ。
修治 よし。……君はタワシに偏向しすぎる。
佐藤 うッ、痛ッ。では、おれの番だぞ。
修治 うむ。
(集英社「人間合格」92頁)
こんな場面も。
修治 ぼくを信じていい。
佐藤 信じるとも。信じないわけがないじゃないか。
修治 信じられてるっていい気分のものだな。
(同上115頁)
「惜別」の場面は1905年、語られているのは1945年初め、刊行は1945年9月。
「人間合格」の場面は1932年と36年、初演は1989年。
人間疎外の極致ともいえる戦争の現実の中での青春、そこで探られた人間信頼の問題。
相手のどこと向き合い、どこにつながっていくのか。
自分のどこと向き合い、どこを信じていくのか。
倦怠に耐える文学系譜とはどういうものなのか、思索は深まっていきました。
さらに集会では、津田氏や矢島くんから中北さんへ、など、「人間合格」へ引き継がれる文学的課題が指摘されました。
私としては、この視野の広がりが、現代文学史の課題のひとつなのだろうという思いも強くしています。
続きは、例会で。
【〈文教研メール〉2012.9.7 より】
(8月6日朝、例年通り大学セミナー・ハウス教師館屋上で、広島からの参加者によって“真理の鐘”の点鐘が行われました。) |
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