「父と暮せば」第4回
文教研のNです。
前回例会は、井上ひさし「父と暮せば」(新潮文庫)を最後まで読み合いました。
全体として、大きく絞り込まれてきた問題意識は、自己を問い直し続ける「記憶」(「未来に生きる過去」乾孝)とは何か、さらに文学でなければ出来ないその問い直す対話のあり方はどういうものなのか、という点であるかと思います。
この作品は、竹蔵と美津江の対話劇です。
竹蔵は原爆投下直後に亡くなった人間ですが、その父と娘がどういう対話をしているか。
そこを丁寧に読んでいく中で、美津江がどう変化し、また、その美津江によって生み出されてきた竹蔵もどう変化していくかが見えてきました。
第四場は、竹蔵との実際の別れの場面、忘れられないと同時に隠蔽してきた記憶を問いなおす場面です。
例会では、そこでの石の地蔵の首がどういう役割を果たしているのかが話題になりました。
この首が父の最後の場面を思いださせるわけですが、その記憶のたどり方は、原爆資料と対話し続ける木下との出会いの中で培われたものだろう、という指摘がありました。
地蔵の首という「原爆資料」が語りかけてくる父の最後の場面、その記憶は「うちはおとったんを地獄よりひどい火の海に置き去りにして逃げた娘じゃ。そよな人間にしあわせになる資格はない……」というものだったわけです。
父との別れを、目の前の父と語り合いながら記憶を確かめていく。
その中で、死に直面した場面では語れなかった竹蔵の言葉が語られていきます。
「広島中、どこでもおんなじことが起こっとったんじゃけえのう。」
「ほんまによう頑張ってくれたよのう。」
「……ありがとありました。」
……
「あのよなむごい別れがまこと何万もあったちゅうことを覚えてもろうために生かされとるんじゃ。おまいの勤めとる図書館もそよなことを伝えるところじゃないんか。」「人間のかなしいかったこと、たのしいかったこと、それを伝えるんがおまいの仕事じゃろうが。そいがおまいに分からんようなら、もうおまいのようなあほたれのばかたれにはたよらん。ほかのだれかを代わりに出してくれいや。」「わしの孫じゃが、ひ孫じゃが。」
そして、その場面を振り返ることで美津江の中に、今、わきあがってくる思いはこうです。
「小さいころからいつもこうじゃ。」
「この手でうちを勝たせてくれんさった。」
「やさしかったおとったん……」
……
「生かされとる?」
「え……?」
「ほかのだれかを?」
「やさしかったおとったん」に対し、自分が何をしたか、できたか、を問い直せばこそ、父は死後も人間として生き続け、今、自分は何をすべきなのかということについて、同じ時代を生きる人間として彼でなければ語れないことを語りかけてきてくれる。
自己の主体を問い直す「記憶」とはどういう動的構造を持つものか。
「死者」が「生き残った人間」の中で、人間として生き続け、成長し続ける構造はどういうものか。
この作品は、真正面からそのことに向き合った文学者の仕事だ、と実感し始めました。
全国集会でさらに深めていきたい課題です。
【〈文教研メール〉2011.6.23より】
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