「父と暮せば」第2回
文教研のNです。
先日の例会では、前半、全国集会の統一テーマを含め、その方向性について話し合いました。
後半は、井上ひさし「父と暮せば」(新潮文庫)第1場で残った課題について検討し時間となりました。
最初に企画部会での話し合いが紹介されました。
私が4点に絞って紹介しましたが、振り返るともう一点重要な点を落としていましたのであらためて5点紹介し、例会での話し合いや企画部会での話し合いを含めてコメントしたいと思います。
(何時にもましてメモのような書き方になっています。読みづらくてすみません。考えるきっかけにしていただければと思います。)
@ この作品は“象徴劇”ではないか。「美津江」は普遍につながる特殊として描かれている。
A 「木下」の、大衆とつながるインテリのあり方。“教養的下層階級者の視点”との関係。
B 人生には「思い残し」(「イーハトーボの劇列車」)があるということ。それを掘り起こし、受け継いでいくということ。
C 太宰の「トカトントン」の音を井上ひさしも聞いていただろう。
D 井上文学は残るか、“レーゼドラマ”として腹を決めてやろう。
まず、@の点について、質疑がありました。
その中ではっきりしてきたことは、この作品は美津江の内面世界が描かれている、ということでした。
木下にしても、具体的には登場しない。竹蔵にしても生前の竹蔵がありのままに出てくるのではない。演劇空間として、美津江の内面の変革過程を描いていく、つまり美津江の“私の中の私たち”“meとI”のあり方が描かれていく。その意味で写実的な表現ではなく“象徴劇”ではないのか。
A美津江の木下への思いの中から竹蔵は生まれる。それは美津江が“I”としての自分(主体的に生き方を選び取る自分)を掴んでいく過程だともいえる。その支えとなるインテリ、木下の存在。“死者の言葉”を拾っていく木下には、大岡昇平や大江健三郎「ヒロシマ・ノート」とのつながりも考えていく必要がある。またそこには、大衆とつながっていく、大衆をつないでいくインテリ、“教養的下層階級者の視点”の今日的あり方を探っていく我々の課題もあるだろう。
B井上ひさしが描く、いわゆる幽霊ではない“死者”のあり方。
C太宰治から井上ひさしへの戦後文学の課題、“倦怠の文学”の受け継ぎ。「眉山」との関係で見えてくるもの、例えばそこにある“罪障感”のあり方の問題。
Dについては、「父と暮らせば」の印象の追跡の中で。
「父と暮せば」第1場、「じゃけんど、こげえド拍子もない話があってええんじゃろうか。こげえ思いも染めん話が……、」(11頁)という美津江の台詞について、この「話」とは父があらわれたことを指すのか、それとも雷を恐れる自分のことを指すのか、ということが議論になりました。
結論的にいうと、私たちはこの作品を“レーゼドラマ”として、舞台で見る一回性とは違う形で読んでいこう、ということが確認されたと思います。
例えば、竹蔵が普通の存在ではないと感じ始めるのはどこか、ということを考えてみても、舞台を見ている場合はどんどん芝居が進み色々な疑問や刺激が重なっていくだろうし、見る人によって気づく場面も違うでしょう。しかし、テキストを目で追いながら読むときは立ち止まることも出来る。
冒頭のト書きでこの場面が原爆から3年近くがたっていること、「(ギクリが半分、うれしさも半分)」という記述を見ながら読み進むこともあります。
また、前から後ろへ読んでいくのは当然としても、第1場を読み進む中で父親が出現するようになってまだ5日目であることなどがわかってくる中で、では、それまでの3年間、彼女はどのように孤独に苦しんできたかにも思い至るようになる。そして、「じゃけんど」以下の言葉も、その印象が深まっていくのではないでしょうか。
前回例会は、Dにメモしたように、“レーゼドラマとしての井上文学”を文学史の中に位置づけていくこと、を確認した例会になったと思います。
I さんは、井上文学は「平家物語」のように様々なジャンルで成り立つ側面があるのではないか、とも話されました。
次回例会は、第2場の印象の追跡です。
【〈文教研メール〉2011.5.21より】
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