N さんの例会・集会リポート   2011.4.30例会  
   
   「父と暮せば」第1回
文教研のNです。
前回例会は、井上ひさし「父と暮せば」(新潮文庫/2001.2)の印象の追跡、第1回でした。
「前口上」について討論、新潮CD「父と暮せば」(出演 すまけい・斉藤とも子/2002.11)第1場を聞き、討論、CD第2場を聞いて終わりました。

最初の論点は、“I さんからの問いかけの意味”を理解していくことでした。
以下、「前口上」全文を引用し、私が理解した内容を記します。

 ヒロシマ、ナガサキの話をすると、「いつまでも被害者意識にとらわれていてはいけない。あのころの日本人はアジアにたいしては加害者でもあったのだから」と云う人たちがふえてきた。たしかに後半の意見は当たっている。アジア全域で日本人は加害者だった。
 しかし、前半の意見にたいしては、あくまで「否!」と言いつづける。
 あの二個の原子爆弾は、日本人の上に落とされたばかりではなく、人間の存在全体に落とされたものだと考えるからである。あのときの被爆者たちは、核の存在から逃れることのできない二十世紀後半の世界中の人間を代表して、地獄の火で焼かれたのだ。だから被害者意識からではなく、世界五十四億の人間の一人として、あの地獄を知っていながら、「知らないふり」することは、なににもまして罪深いことだと考えるから書くのである。おそらく私の一生は、ヒロシマとナガサキとを書きおえたときに終わるだろう。この作品はそのシリーズの第一作である。どうかご覧になってください。

「いつまでも被害者意識にとらわれていてはいけない」ということを「否」という立場と、「だから被害者意識からではなく」以下の「被害者意識」をめぐる態度には矛盾がないか、という問いかけでした。
初め何を問いかけられているのか解りませんでした。私としては解っている気でいたので。

そこで提起されたのは、井上ひさしの歴史意識の問題でした。
60年代以後、原爆の被害者としての側面からだけでなく、戦争加害者であったことを抜きには、世界(特にアジア)から共感を得られない、という問題意識から、80年代の歴史学は南京大虐殺、従軍慰安婦問題を掘り起こしていったこと。そのことに対し“自虐史観”として「新しい歴史教科書」を作る会などの歴史観が台頭してきたこと。結果、加害責任を語ることで原爆を語ることが後退しているのでは……その中で文学はどう関わるか、という問題意識、歴史意識がそこにはある、という問題提起でした。

加害責任を問題にしながら「招爆責任」などというような“自業自得”論に足をすくわれないためにも、ヒロシマ、ナガサキを全人類的な問題につなげていく責任が日本人にはある、という井上ひさしの姿勢への確認でもありました。(“普遍につながる特殊”としての被爆者の存在)それは今、フクシマについて考えるときの重要な視点でもあることを、あらためて自覚させられました。

「前口上」が大分長くなったので、第1場は一点だけ。

「竹蔵」について、井上ひさしは「劇場の機知――あとがきに代えて」にこう書いています。

 ……じつによく知られた「一人二役」という手法に助けてもらうことにしました。美津江は「いましめる娘」と「願う娘」にまず分ける。そして対立させてドラマをつくる。……「娘のしあわせを願う父」は、美津江のこころの中の幻なのです。ついでに云えば、「見えない自分が他人の形となって見える」という幻術も、劇場の機知の代表的なものの一つです。……

しかし I さんは、これだけで「竹蔵」の存在を説明できるか、という問題提起をされました。
この作品に登場する主たる三人、「竹蔵」は直接の被爆者であり、「美津江」は生き残った被爆者、そして、「木下」は直接には原爆を知らない。
「美津江」と「木下」はそのままではつながっていかないが、「竹蔵」が二人をつなぐ役をする。
そこには“狂言回し”の役割があるが、では、それはどのような存在か。
また、美津江の内面といっても、その“私の中の私たち” “meとI ”の相互関係はどうなっているか。

……
この点は、さらに読みすすめながら解明していくべき課題です。

次回例会は、第2場の討論からです。


〈文教研メール〉2011.5.12より

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