N さんの例会・集会リポート   2011.1.8例会  
   
   「きらめく星座―昭和オデオン堂物語」2
文教研のNです。
前回例会は冬合宿に引き続き、井上ひさし「きらめく星座――昭和オデオン堂物語」(1985)の印象の追跡でした。
前半(第一幕)と後半(第二幕)に分け、話題になったことの何点かを振り返ってみたいと思います。

前半(第一幕)
時代は昭和15年から16年です。しかし、戦争体験を持つ会員からは、食べ物の不足状況、空襲警報、防毒面の使用など、太平洋戦争末期の状況を重ね合わせながらの描写になっているのではないか、という指摘が相次ぎました。

また、冒頭、テキストには「舞台のあちこちに人間の髑髏とよく似た防毒面が六つ浮かびあがる」というト書きがあるのですが、NHK収録のDVDではそれがカットされていました。このDVDにはそうした重要でありながらカットされた部分が沢山あること、また、舞台の上で同時進行している登場人物の行動が見えないことなど、残念な点が指摘されました。しかし、音楽や役者の肉声など、活字からでは味わえないものを体験できる点は貴重でした。

さて、これらを前提として、オデオン堂の人々へと話は進みました。
印象に残ったのは、ふじがオデオン堂を「美談の家」にしようと思いつく場面での話し合いでした。
なぜ、ふじは「めがすわ」るほどこの話にとりつかれ、また我に返ったのか。
そうした問いかけを含め、ひどいことのように見えるが当時において“結婚”はここでの賭けと変わらない、“家”のために親が決めるのが普通だったこと、などが見えてきました。
しかし、その“結婚”という“賭け”の中に、少しでも可能性を見つけていくやり方。
DVDでみると高杉源次郎軍曹の手紙は束になってあった、だから彼の確率は上がる、という指摘もありました。
ふじの世代の思い付きを、みさを世代がどう受け取ったか、そういう問題としても考えられるように思います。
課題を残しつつ、冬合宿の話し合いは終り、一月第一例会へ引き継ぎました。

後半(第二幕)
後半も「幻肢痛」のことなど様々な話題が出ましたが、長くなって来たので作品の終
わり方についてだけ紹介します。

久しぶりの例会出席だったSさんは、この作品の終わり方について“井上ひさしの劇作術の変化”として話されました。
対立していたものが最後に一緒にコーラスして終わるようなボードビル・フィナーレの形ではなく、不安・絶望を盛り込んで終りにするチェーホフ的な作劇になっているということでした。
このあたりは、更に教えてもらいたいところです。
I  さんは、竹田の「人間は奇跡」という話との関連で最後を話されました。
12月8日の前の日に終わることで、観客にはその後の焼け野原の現実がオーバーラップする。
それでも「人間は奇跡」と肯定できるのか、という問いかけが残るはずだ。
“にもかかわらず”どうなのか? 「奇跡」の内実が更に観客の中で深められるのでは、という指摘でした。
井上流ブレヒトの異化効果、井上流“知性の悲観主義、意志の楽観主義”とはこういうことでは、という問題提起もされました。

昭和庶民伝三部作を読み継ぎながら、更に深めたい課題です。
ということで、明日は「闇に咲く花――愛敬稲荷神社物語」(1987)の印象の追跡です。


〈文教研メール〉2011.1.21より


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