井上ひさし/哲学者・嶋田豊対談
文教研のNです。
ここのところ例会報告が滞ってすみません。
明後日の秋季集会へ向け、作品そのものの印象の追跡以外のところで、話題になった視点を振り返っておこうかと思います。
十月第一例会は、 I さん紹介による井上ひさしと哲学者・嶋田豊の対談を検討しました。
『嶋田豊著作集』(萌文社)から「笑いの戦略」(1986・2)「『男はつらいよ・寅次郎サラダ記念日』を語る」(1989・2)の二つです。
そこで課題としてあがったことの二点を、すでにニュースで紹介されてはいますが、確認しておこうと思います。
まず「引き継ぐべき伝統」の問題です。前者から一部を引用します。
「(『きらめく星座』をめぐる話題の中での井上氏の発言)ここには二つほど大事なことが表されていると思います。一つは、人間の生き方であり、もう一つは、伝統の問題です。伝統と言っても中曽根や西部邁の『伝統』とは区別して考えて欲しいのです。つまり、あらゆる局面で必死に努力して生きていくことが大切なんだ、というのがまずあります。その上で、あの暗い時代の中で必死に助けあって生きている人間がいたという事実を見る。それを継承し、絶望的な時代であっても精一杯生きていくと、それが次の世代に伝わっていかない訳はない、それが未来を担うということである、という意味で人間を信じる。こういったことと関わってくる伝統が言いたいんです。最近年のせいですか(笑い)前は伝統なんかなんだと思っていたんですが……。」
80年代中曽根政権下“戦後政治の総決算”といわれるなかで、引き継ぐべき伝統はもっと身近な中に、民衆の伝統としてあるという指摘です。
この時期、文教研では“中流意識の幻想性”“不沈空母意識”ということが熊谷氏によって問題提起されました。
そうした課題意識とどうつながってくるのか、会員としてはさらに考えたい課題です。
もう一つは井上氏が寅さん映画を語る中で出している課題意識、「知性の悲観主義、意思の客観主義」という発想です。
この言葉については嶋田氏が次のような説明をしています。
「『知性の悲観主義、意志の楽観主義』というのは、見事な発見だったと思います。ロマン・ロランにしても、グラムシにしても、戦争とファシズムの中で現実を見つめる時に知的にはあくまでもリアルで、景気づけで楽観論を語ったりしてもしかたがないということをまず認めます。すごいところは、二人が『意志の』と言ったことです。つまり、現実は絶望的だけれど、なんとかしたいと思うことの裏に希望を見ていることです。悲観と楽観の両方をあわせ持った緊張をつうじて、そこから現状からの活路が探求されつづけるんだと思います。」
熊谷氏が提起した“リアリズム志向のロマンティシズム”という発想との関連はどうか。
井上作品に照らして検討していく必要があります。
他にも色々ありましたが、取りあえずこの二点の課題意識を踏まえながら、井上作品へのアプローチを始めたいと思います。
【〈文教研メール〉2010.11.12 より】
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