N さんの例会・集会リポート   2010.6.26例会  
   
  安部公房「赤い繭」の検討

文教研のNです。
先日の例会では、全国集会へ向け安部公房「赤い繭」の印象の追跡を行ないました。

最初に I さんから、「赤い繭」発表前後の時代状況についての資料による説明がありました。
私自身は個人的な事情で遅れてしまったので話しが聞けず残念でしたが、資料を読むと以下のような時期の確認であったかと思います。

戦後改革から占領政策の転換の時期であること。
冷戦への移行の中、アメリカは「東側陣営との対決のため、政策の重点を日本の民主化から経済復興に置きなお」し、新たな財政金融引き締め政策であるドッジ・ラインを実施に移した吉田内閣は「大量の人員削減が労働者側の激しい抵抗を呼び起こすと」労働運動の規制に乗り出し、いわゆる「逆コース」が始まる。
そして、朝鮮戦争の勃発により、アメリカは日本の再軍備を決意、吉田内閣はレッド・パージ政策を本格化、朝鮮特需により日本は急速な経済復興を遂げていく。(宮地正人監修『日本近現代史を読む』新日本出版社/2010年刊)

こうした場面規定を押さえてもう一度冒頭から読み直してみると、「おれには帰る家がない」という状況は、実際に住む場所を奪われている「おれ」たちの存在があったということと同時に、いるべき居場所がなくなってしまった、本来あるべきものを失ってしまった多く「おれ」たちの姿として映ってきます。
冒頭の一段落、「日が暮れかかる。(中略)街中こんなに沢山の家が並んでいるのに、おれの家が一軒もないのは何故だろう?……と、何万遍かの疑問を、また繰り返しながら」。この一日はある特定の一日だけではない、象徴的な時間として描かれている、という指摘もありました。同じ問いが一人の人の中で何度も繰り返され、また、何人もの人の中で繰り返される、その意味でもまた、象徴的な時間だという意見が続きました。

誰かのものであるということが、どうして自分のものでないという証拠になるのか。
みんなのものは、どうして誰のものでもなくまして自分のものではないのか。なぜ、所有することが排除につながり、共有することが排除につながるのか。
この問題意識は“マイホーム主義”の問題へつながっていく、そうしたレッド・パージの中で舌を縛られた作者の問いかけになっているのではないか、という指摘もありました。

最後の部分の印象についても、様々な印象が語られながら終わっています。
消滅した「おれ」を「おれ」はどう感じているのか。
何故自分の家がないのか、という問いについて、今の「おれ」はどう感じているか。
……
繭になった「おれ」は、歩き続けようとしたが限界に達した自己疎外の姿だ、しかし、そこに“怒り”を感じる、という意見もありました。
また、「息子の玩具箱に移された。」という最後もどう印象なのか。……

まだ、まだ、印象を追跡する必要がありそうです。


〈文教研メール〉2010.7.10 より

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