N さんの例会・集会リポート   2010.2.27例会  
   
  安部公房『壁』(第四回)「第二部 バベルの塔の狸」

文教研のNです。
明日から春合宿ということで、ずいぶん遅くなってしまいましたが、ともあれ二月第2例会の内容をご報告します。
前回例会は春合宿の予定が企画部から示された後、安倍公房『壁』(新潮文庫)の「第二部 バベルの塔の狸」の一から五までを、Mさんの話題提供で読み合いました。春合宿の予定は前回のメールで連絡してありますので、ここでは作品を読みあう中で話題になったことを簡単にご紹介します。

話し合いの中心は、「ぼく」の人物像であったかと思います。
彼は「貧しい詩人」です。彼の詩人としての資質の特徴は「あらゆるものに敏感で、しかもあらゆるものに動じない、本当に冷たい心の持ち主こそ、詩人といいうる資格をもった人間」だと考えるところにあるようです。彼にとっては数学の問題を解くことと詩をかくことは同じように楽しい作業です。
そうした論理性を持って、例えば「メズサの頭」にしても醜さからではなく、その美の側面から見ていく。そして、その美に対する感動におぼれてしまうのでなく、「冷たい心」でしっかり見据えていくペルセウスという人間の力を発見する。あるいは女たちの脚に「戦慄の方程式」を発見する、日常的なものの見方を固定化せず、新しい発想で見詰めていく、そういう意味で彼は確かに詩人です。

この「ぼく」をカルマ氏と比較してみると、カルマ氏は日常の中でいつの間にか「名前」を奪われているけれど、「ぼく」は自分の目の前で奇妙な動物によって「影」を奪われていきます。設定は似通いながらも、二人の間には違いがある。カルマ氏は追い込まれる一方だけれども、「ぼく」は影と肉体の相互関係について論理的に考え、「希望どおりの新しい肉体を獲得できる」技術を考えたりします。そして、所有権が消滅し「平等な社会の天使のような人間」という社会主義的ユートピアのイメージを持つ人間でもあります。

第二部を読み始めたばかりですが、『壁』という作品の部分として、例えば原因と結果が逆立ちした世界であることなど、第一部との比較も含め、まだまだ課題が出てきそうです。

〈文教研メール〉2010.03.26 より


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