安部公房「赤い繭」、石川淳「アルプスの少女」
文教研のNです。
先日の例会は、会場の関係で一時間半ほどでした。
短い時間でしたので、冬合宿に扱う安部公房「赤い繭」、石川淳「アルプスの少女」をみんなで音読し、感想を出し合いました。
ここでは資料提供など作品紹介をしてくれた I さんの話を中心に、私のメモにある何点かを紹介したいと思います。
安部公房「赤い繭」は1950年、石川淳「アルプスの少女」は1952年に発表されています。
朝鮮戦争下、遠山茂樹氏はこの1948年から50年ぐらいの時期を「戦後でも最も暗い時期」といっているそうです。
そうした状況下で書かれた50年代の文学の今日的魅力は何処にあるか。
それは60年代以後曖昧になっていく対立軸が鮮明であった点にあるのではないか。
そしてそれは、今日、また、対立軸が鮮明になってきていることと重なり合うからではないか。
「日が暮れかかる。人はねぐらに急ぐときだが、おれには帰る家がない。おれは家と家との間の狭い割れ目をゆっくり歩きつづける。街じゅうこんなにたくさんの家が並んでいるのに、おれの家が一軒もないのはなぜだろう?……と、何万遍かの疑問を、また繰り返しながら。」(「赤い繭」冒頭)
「みんなのものであり、誰のものでもない」ベンチ。
湯浅誠『反貧困』(岩波新書)で指摘されている「すべり台社会」の中での今日的課題と重なり合う問題がそこにあるのではないか。
「ああ、これでやっと休めるのだ。」「おれ」が最後にたどり着く“安心”とはどのようなものか。
踏み切りとレールの間の“安心”とは。
「赤い繭」と「アルプスの少女」に共通する“足”の問題。
問い続けながら歩き続けていく「おれ」。クララの足。
加藤周一の指摘「戦争とは民衆が追い立てられ、歩き続けさせられること。」
……
などなど、冬合宿の討論を期待して、本当にメモだけですがお伝えします。
【〈文教研メール〉2009.12.25 より】
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