N さんの例会・集会リポート (広島編) 
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 第32回広島基礎教育講座
 「みんなで読もう――授業は楽しい“自分発見!” 『少年の日の思い出』(ヘルマン・ヘッセ)  
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文教研のNです。
6月13・14日、第32回広島基礎教育講座が開催され、教科別講座の国語Tに I さんが講師として参加しました。
タイトルは「みんなで読もう
――授業は楽しい“自分発見!” 『少年の日の思い出』(ヘルマン・ヘッセ)」
今年は私も参加させてもらいました。

この作品は光村の教科書中1に掲載されているものです。
「生徒と読む前に、まず、私たちで読んでみましょう!」ということで、ここ数年、読書会形式が定着しているようです。
今回Nnさんは講座全体の事務局も担当されていて、この教科別講座ではMdさんの司会で活発な討論が進みました。

最初の I さんの話は主に1890年代のドイツの教養的市民層のあり方についての説明でした。
(ヘッセは1877年生まれ。また、この作品の初出は1911年。回想形式になっているので少年時代はだいたい1890年代。)
ケストナー『飛ぶ教室』や『ファービアン』などをやる中で学んでいったことでしたが、
あらためてヘッセを理解していくうえで非常に重要な場面規定であることを再認識しました。

それは端的に行って第二帝政を支える「臣下の教育」をめざしていたこと。
そこではエリート、非エリートの差別的関係が作られ、生徒たちは「灰色の青春」ともいうべき孤独を強いられていたこと、などです。
ヘッセにとっては言わずもがなであったろうけれど、おそらくここに登場する少年たちはギムナジウムに通うエリート層であろうということが想像できます。

そうした場面規定の中においてみると、「僕」とエーミールの間にある悲劇がどういう性質のものであるのか、また、この作品の持つ対話構造のあり方がどういう性質のものであるのかがより深まって見えてきました。

最初、話し合いは「ここまで蝶に魅せられる少年たちの気持ちが分からん」といったところから始まりました。
ふと気づいてみたら、二十数名の参加者は全て女性、男性は「昆虫少年」の講師だけでした。
この点ではかなり I さんは孤軍奮闘でしたが、そこは東京などとは違い何人もの先生たちが自分の経験としてモンシロチョウの幼虫はどうだとか、「幼虫なら沢山いるが何が何の幼虫か分からない。そういう図鑑が欲しい!」など、子どもたちの反応も含め盛り上がりました。
少々話は横道にそれたとはいえ、私としてはこうしたやり取りの中で、やっぱり昆虫を好きなもの同士は本当だったらより深く友だちになり、うんと好きなことについて話し合いたいものなのだ、というごく当たり前なことがあらためて実感されてきました。

「僕」とエーミールの置かれた状況を考えてみれば、「僕」は「ほかのことはすっかりすっぽかしてしま」うほど昆虫採集にのめりこんでいたわけで、それはギムナジウムの生徒であるという状況の中ではたいへんなことだったはずです。
また、一方エーミールは「あらゆる点で模範少年」でいるために、「小さく貧弱」な収集にあまんじつつも「こぎれいなのと、手入れの正確な点で、一つの宝石のようなもの」を守っていたわけです。
のびのびとした子ども時代とは程遠い状況の中で精一杯昆虫を愛していた少年たちの姿だといえます。
しかし、その押し殺された情熱はお互いを「ねたみ」、「嘆賞」しつつも「憎」む、というゆがみの中で分断されていきます。

「僕」とエーミール。そのあり方に眼を向けたとき、エーミールについての幾つかの意見がたいへん印象に残りました。
まず、Kさんが準備の会で発言されたという「ヒットラー・ユーゲントにつながる発想を感じる」という意見が紹介されました。
そして、それについて I さんが次のような発言をされました。
エーミールはある意味で非常に自制の効いた少年だ。
しかしそれはどういう精神構造の上に成り立っているかと言えば、「僕」を徹底的に軽蔑することによって自分をコントロールする、というものだ。
相手の苦しみを持って、自分をコントロールする。
それが第二帝政のつくりだした教育のあり方なのだ。

このエーミールについて、更にその後、Muさんが発言されたことはこの作品の初出が『やままゆ蛾』という題名であることも含め、この作品の持つイメージを更に広げてくれました。
なぜ、エーミールはクジャクヤママユをさなぎから孵すのか。
それは損傷のない完璧なヤママユを手に入れるためだ。
ヤママユは繭からでるとすぐ殺される。
その悲しさに象徴されるものがあるのではないか。
エーミールが自分の小さな部屋の中で育てるヤママユ。
その存在の中に、自分たちの姿を強く自省する作者の視点がないか、云々。

 I さんは、こうしたエーミールに対してこの作品構造が持つ「僕」の位置について、次のようなことを話されました。
「僕」は大人になった今、子ども時代の屈折した自分自身と向き合い、自己回復の契機を持った。
それはともに語り合える「わたし」という存在を前にして初めて可能なことだった。
もし、それがなければずっとエーミールから抜け出すことは出来なかったろう。
そこから抜け出したい。
だから「わたし」との対話の機会を見逃さなかった。
しかし、エーミールの姿勢にそれはない。
人間性が疎外され、自分自身の人間性を疎外していく構造、第二帝政臣民への道がそこにある。
この作品の対話構造において、冒頭の「わたし」との関係は非常に重要である。

……

長く書いたわりには、大雑把ですが、自分の印象に残ったところをまとめてみました。
私自身、中学時代に読んだ『車輪の下』などを今回読み直し、ちょうどこの「わたし」と「僕」のように、「子供や幼い日の思い出について話し合った」という気持ちでした。

さて、今回の広島講座で強く印象付けられたことのもう一つは、久しぶりにお会いしたKdさんの健在振りでした。
常に討論を牽引し、あらためてその文学的センスに魅せられました。
いくつもの印象的な言葉がありますが、その中でも「『僕』のような少年時代がうらやましい」とおっしゃったのは記憶に鮮明に残りました。
「挫折のない人生はない。しかし、そこから力を付けていける人生はすばらしい。」
そこには戦争体験、広島の原爆体験に裏打ちされた、Kdさんの文学体験がありました。

(その後、Tmさんのお知り合いのお店に移動、アナゴやら牡蠣やらおいしいものをいただいているうち、Kdさんはシンデレラのごとく「門限がありますから」とたっていかれました。入れ替わりに、最後まで全体の事務局として仕事されていたNnさんが登場。 I さんは持参した甲虫図鑑*など出して更に宴は盛り上がりました。 *『日本産コガネムシ上科図説』第一巻)


〈文教研メール〉2009.6.19 より


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