芥川龍之介「葱」を読む
文教研のNです。
報告が遅くなりました。
前回の例会は芥川龍之介「葱」でした。
前半中心に、語り手の小説家について、また、場面規定を含めてお君さんの社会的位置などについて話されました。
作品の冒頭です。
「おれは締切日を明日に控えた今夜、一気呵成にこの小説を書かうと思ふ。」
こうして一晩で書きあげていく作家の内的過程とともに、この作品は進んでいきます。
語り手は登場人物である「お君さん」の生活を観察し、その内面を察しつつ書き進んでいくわけです。
そうした語り手のあり方について、書きながら考えるタイプの作家だということや、例えばケストナーのように小説として書きながらもその登場人物と昔ながらの知り合いであるがごとくの位置関係を持った書き方、ということが指摘されました。
この点は、前回の太宰治「燈籠」との対比の中で、更に深めていきたい課題です。
さて、この「お君さん」がどういう女性であろうかという点で、以下のようなことが話題になりました。
@ 尋常小学校出の「お松さん」への眼からしても、高等小学校を出たくらいであろう。かぞえで十五、六。
A カフェの女給。大衆社会の到来の中で、新しく出来てきた職業。しばしば学生たちを相手にするわけで、彼らに好まれる一定の教養も必要。
B あくまで推測ではあるが、女髪結いの二階に間借りしていることから、この髪結いが彼女を預かって面倒を見ている関係ではないか。
C 徳富蘆花「不如帰」の最大の読者が女工さんたちであったこと。その「不如帰」の熱烈な読者としての「お君さん」。
近代文学の中で蘆花が発見したものと芥川が発見したもののつながり。
その他、生活の中でのセンチメンタリスムの問題として、芥川文学の流れの中で「南京のキリスト」や「秋」との関連について。
また、大正期の倦怠の問題として歌曲との関連。
太宰との関連の中で、自分と生活圏が同じ場合と違う場合の書き方の問題、などが出されています。
次回例会は、私が家庭の事情で出席できません。
申し訳ありませんが、内容報告はお休みです。
【〈文教研メール〉2009.6.20 より】
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