太宰治「燈籠」を読む
文教研のNです。
すっかり報告が遅れました。
先日の例会では太宰治の「燈籠」を読み合いました。
冒頭はこんな具合です。
言えばいうほど、人は私を信じて呉れません。逢うひと、逢うひと、みんな私を警戒いたします。
……
盗みをいたしました。それにちがいはございませぬ。いいことをしたとは思いませぬ。けれども、――いいえ、はじめから申し上げます。私は、神様にむかって申し上げるのだ、私は、人を頼らない、私の話を信じられる人は、信じるがいい。
(新潮文庫『きりぎりす』より)
太宰のお得意と言われる“女性の一人称告白体”の作品。
新潮文庫の解説で奥野健男さんは「心に沁みいるような印象的な作品である」と書かれています。本当にそう思います。
しかし、なぜそうなのだろうか、どう沁みてくるのだろうか、と考えると、実はそれを説明するのは難しい。
今回の例会は、そんな思いにある方向性を与えてくれたものになりました。
告白体と呼ばれるけれど、では、誰に向かって語っているのか。
確かに冒頭では「神にむかって」とありますが、どうなのだろうか。
例会でのSさんと I さんのやり取りは、その点について非常に明快な方向を与えてくれました。
まずSさんの発言は、私の理解した範囲では次のようなものだったと思います。
この文章は書き手「太宰」、作家の先生へ向けてさき子が訴えかけている構造だ。
今までの作品とは違う、新しい小説のスタイルを求める太宰がいる。
「私」という書き方では入り込みすぎる。
書き手としての作家をそこに構造的に位置づけることで、必要な距離を取る書き方、それを太宰は彼なりに実験している。
“女性の語り”という方法も、中川論文に学んだ「三者関係」を組み込んでいくともっと見えてくる。
それに続けて I さんは次のように話されました。
熊谷氏の時期区分によれば、この時期は「希望を持とうとする人の文学の時期」だ。
あるゆとりと視野の広がりを持つ時期。
この作品は『若草』という女学生の雑誌に掲載されたわけだが、そういう読者層へ向け、媒介者となっていこうという姿勢があるだろう。
親の代から疎外されている人間が、しかし、この人なら、この作家なら心が開けるかもしれない、という、
そういう対話の場を用意している。
大切なことを引き出していく誰か、というスタンスを設定している。
こうしたやり取りの中から、この作品の構造が、語っている現在の時間から、自分自身が回想され、そして、その“見る自己”と“見られる自己”との関係の中で、そこに変化が起きていく(meとIの関係)、というダイナミックな構造であることも見えてきました。
作品の最後の部分です。
……私たちのしあわせは、所詮こんな、お部屋の電球を変えることくらいのものなのだ、とこっそり自分に言い聞かせてみましたが、そんなにわびしい気も起こらず、かえってこのつつましい電燈をともした私たちの一家が、ずいぶん綺麗な走馬燈のような気がして来て、ああ、覗くなら覗け、私たち親子は、美しいのだ、と庭に鳴く虫にまでも知らせてあげたい静かなよろこびが、胸にこみあげて来たのでございます。
自分とは何なのか。
私にとって本当に必要な仲間、「私の中の私たち」、「内面のフォーラム」とは何か。
そして、そこに発見されるのは、ファシズムの土台となる「家」ではない。
血のつながりもあるかないか分からない家族が、しかし、例え世間から疎外されても肩寄せ合っていたわりながら生きている。
そうした本当の仲間としての「家族」の存在に気づいていくプロセスが、鮮やかに描かれているからこそ胸に「沁みて」くるのだ、ということがだんだんと見えてきました。
今日は、芥川の「葱」を読み合います。
みんなで読み合うことで何が見えてくるか、楽しみです。
【〈文教研メール〉2009.5.23 より】
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