「益田勝実氏の仕事」を読む 2
文教研のNです。
前回、本当に久しぶりに文教研メールを配信しましたら、励ましのメールをもらいました。
自分も益田氏の本を少しづつ読んでみようと思う、というものでした。
私も元気が出ました。
さて、益田勝実氏の『国語教育論集成』(ちくま学芸文庫)を読み進めています。
一月第二例会から、第三部「現代国語」論・国語教育原論に入りました。
これは益田氏の1960〜70年代の仕事です。
一月第一例会は「国語教師・わが主体」、二月第一例会「西尾実における鑑賞理論の自己克服」でした。
一月例会で印象に残った一つは、益田氏の文章の冒頭にある村の路上でのエピソードについてです。
そこにはリヤカーを引いているタッちゃんから「薄日になりましたなあ」と声をかけられ、答える言葉を失っている自分に対する厳しい自己批判の言葉が書き綴られています。
正直言って、私自身、最初読んだときは益田氏が何について頭を抱えているのか分かりませんでした。
要はタッちゃんと同じ農民ではない自分、そして、日々国語教師として言葉を扱っている自分が、生きた生活の言葉を喪失していることに気づいた、ということのようなのですが。
話題提供者のHさんは、益田氏の誠実さということをポイントに話されましたが、それと同時にセンチメンタルなもの、感傷的・自虐的なものを感じる、という感想も述べておられました。
この感想を聞いて、これまた私は正直に言えば、ほっとしました。
どうしても益田氏という巨人の言葉にはひれ伏してしまう自分がいて、率直な自分自身の反応を押し殺してしまおうとするからです。
こういう言葉で一言距離感を示してもらうことで、益田氏の言葉のもつ意味、そして、自分にとっての意味、そうしたことが見つめられる真っ当な位置にたって読みはじめることができたような気がします。
話題提供者の「主体」に反映されることで、問題は整理されていきました。
益田氏の仕事は50年代から60年代へとある転換を示しているようです。
なぜ、柳田国男なのか、なぜ、“民俗”という問題にキイワードを探していくようになるのか、というような問題も出されました。
また、一方で、50年代には批判的な意見も述べていた、西尾実氏の論理が持つ“生”の哲学的性格、それを肯定する理論へと変貌していく問題。
このことについては、二月例会で I さんが徹底した分析をされました。
これまた正直な話、西尾氏の理論について理解すること、また、それについて述べられている益田氏の意見を理解することは私にとっては非常に難しい作業です。ただ、
I さんの整理された話題提供を聞いて、あらためて熊谷理論、乾理論、戸坂理論に照らすことで、その位置づけがはっきりしてくることを再確認しました。場面規定しながら読み進めていけば、文学以外の文章も読んでいける。そのことをこれまたあらためて実感しています。
今日は例会の日です。東京は少々風がありますが、雲ひとつない良いお天気です。これから渋谷の会場へ向かいます。
取り上げるのは「『清光館哀史』--鑑賞の要点・教材の問題点」です。この柳田国男の作品に対し、井伏鱒二『へんろう宿』を対比して考えてみたらどうだろう、という提案もされています。今日もまた楽しみです。
【〈文教研メール〉2007.2.24 より】
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