N さんの例会・集会リポート 2005.9.10 総会 |
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〈変身〉と〈喜劇精神〉 文教研のNです。
9月10日、九月総会が開かれました。 I 新委員長の下、新たな一年のスタートを切りました。 例年通り、研究企画案を中心に話は進んだわけですが、最初に I さんのほうから、先日、文教研メールでもお知らせした民教連・懇親会の様子が紹介されました。 「エーリッヒ・ケストナー『飛ぶ教室』を教材に青年期の自己形成を考える」というテーマで、戸倉信一さん(地理教育研究会)が、報告された倫理の授業風景です。 40名7クラスという困難な状況の中で、DVDを使うなどして試みられた授業は、やはりいい教材を生徒にぶつけることの意味を感じさせてくれるものだったそうです。I さんの「教科の壁を越えてケストナーを扱ってくれる土壌があることを実感した」という発言には、展望を感じさせられたと同時に、「国語科」という場所の持つ壁の質を考えさせられました。 また、このときのもう一人の報告者・石井進さんの話は、奇しくも、ナチス政権下での音楽家の抵抗運動についてだったそうです。こちらもまた音楽ではなく理科の先生。しかし、実に熱く語られたそうですよ。 さて、話は私たち文教研のほうです。 内容は研究企画案として各会員に郵送されたような内容が提案されました。 秋季集会まではケストナー『雪の中の三人男』を、そして、それ以後は太宰治の『新釈諸国噺』を取り上げ、西鶴作品と太宰がどのように対話してきたか、「日本の作家精神の伝統とは何か、ということを探っていく、という提案です。 このことをめぐっての質疑の中で、Sさんが次のようなことを話されたのが印象的でした。 ケストナーをやりながら、その〈遊びの精神〉につながる存在として日本には太宰がいる、ということを感じる。太宰はケストナーを知らなかったかもしれないが、ある時代状況、歴史状況の中での生き方の問題としてつながりあっている。「時代なんだな」と思う。 装うこと、「変身」することが必要な時代。第三帝国の中でのケストナーが問題にする「変身」と太平洋戦争下における太宰の「更衣の季節」という意識。さらにいえば、今日の日本におけるよい子を演じ続けなければならない子どもたちの問題。 しかし大切なことは、そのときに〈喜劇精神〉というものなしに「変装」「変身」したら、自分を失ってしまう、ということだ。…… 秋季集会のケストナー『雪の中の三人男』では、この「変身」というキィ・ワードが大きくその底流に流れていきそうです。 総会の翌日は総選挙でした。 小泉自民の圧勝。やりきれない思いで状況を見つめた人が、心ある人たちの中には多かったことでしょう。 しかし、ここでくじけないためには、やはり〈あそびの精神〉をじっくり身につけつことこそが大事。どんな状況の中でも自分自身を枯らさず豊かなものにしていく道、次世代にバトンを手渡すために、生きるに値する価値ある道だと感じました。 次回、ケストナー『雪の中の三人男』(創元推理文庫)を読んでいきます。 【〈文教研メール〉2009.9.23 より】 |
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