「文教研ニュース」記事抜粋   
 2003        *例会ごとに発行されるニュースから、部分を適宜、摘記したものです。
   

2003/1/11  842 [担当:H]

冬合宿(12/26〜27)第一部で
  ・井筒 満「日本型現代市民社会と文学」
(「文学と教育」193)
  ・井筒 満「戦後の近代主義との対決」
(「文学と教育」196)
  ・佐藤嗣男「菊池 寛――大衆とは何か」
(「國文学」2001年9月/學燈社)
を検討

A.井筒論文について
 日本型現代市民社会(日本型大衆社会)という枠組みで日本の社会を考えるきっかけを与えてくれたのは、歴史科学協議会編の『日本現代史』であった。そこでは、戦前・戦中の日本社会との対比で、戦後の現代市民社会の成立が跡づけられている。1930年代に講座派が、戦前の日本の社会の枠組みを天皇制絶対主義として解明した。戦後は、資本主義が本格的に展開していく中で、それを、名望家社会から大衆社会へ、あるいは、近代市民社会から現代市民社会への変化として捉えるに到っている。しかし、かつて講座派が成し得たような明快な把握はいまだ実現していない。私たちの課題と言えよう。  名望家社会においては、名望家層(一定の財産と教養を持つ、地域の担い手)は制限選挙によって議会に出、小商品生産者たちが市場を舞台にして自由な競争を展開する近代市民社会の実現を目指した。そこにおける「自立」「自己選択」のモラルはその限りにおいて民主主義的な性格を持っていたが、それはあくまでも有産者階級にとって適応的なモラルであり、資産・生産手段を持たない労働者・勤労市民にいつまでもそれを押しつけておくわけにはいかなかった。そして、一部の名望家が主権者であった近代市民社会はやがて、労働者・勤労市民も主権者となる現代市民社会へと転換していく.これが近代から現代への世界史的展開であるが、日本の場合はそうなっていない。名望家層(地主層)が天皇制絶対主義に組み込まれてしまっていたからである。
  日本では1920年代に〈大衆〉というべきものが成立し、20年代から30年代にかけて〈大衆社会〉が出現する。しかし、その後戦争への道をたどり、敗戦。戦後になってようやく大衆社会の成立を見る。日本型現代市民社会の〈日本型〉を規定したものは、1920〜30年代に生まれたと考えられる。前回の例会で神野直彦著『人間回復の経済学』を検討した際、ケインズ型の福祉国家とスウェーデン型の福祉国家の違いが話題になった。では、社会主義はこの問題にどう関わってくるのか.大谷禎之介氏(「文教研ニュース」前号参照)によれば、マルクスは「アソシエーション」という語で未来社会を描いていた。「アソシェートした諸個人」(「自由な、社会化された諸個人」「自由で平等な生産者たち」)によって形成される社会こそが、資本主義社会の次の社会としてマルクスの思い描いた新社会であった。現在、スウェーデンの資本主義はこのアソシエーションを許容しているが、日本の資本主義はこれを否定している、と言えるのではないか。

B.佐藤論文について
 市民社会の形成と文学との関わりを考えようとする時、市民社会の起点である1920年代が重要な意味を持つ。芥川文学の性格を熊谷先生が反近代主義の文学として位置づけたことを想起したい。また、マイホーム主義について、それを全否定するのでなく、自分たちの生活をつぶそうとするものとの闘いが起こる可能性をそこに見ていたことも――。
 菊池寛も芥川も、歴史と関わりながら、マンネリズムからの脱却を目指した点では共通している。違いはそれぞれの読者認識にある。
 1919年には工業生産高が農業生産高を上回り、日本は急速に工業国家に転換していく。それとともに、中下級官吏・教員・弁護士・中小企業主・サラリーマン層などの新中間層が急激に増加し、それを核とした大衆による大量消費の社会が形成されるようになる。大量生産と大量消費の資本主義が商業ジャーナリズムの隆盛をもたらし、大阪毎日新聞と東京日日新聞はともに100万部を越す。また、教育の役割、とりわけ女子教育の果たした役割は大きく、教養を持った新中間層の増大が見られた。1926年7月には『中央公論』が「大衆文芸研究」を特集している。
  こうした状況の中で、菊池消費者たる読者大衆(あらゆる階級)を対象にしてそれを啓蒙しようとする姿勢をとったのに対し、芥川は、教養を持った新中間層を敏感に掴み、自分の属する階級(中流下層階級)に目を向けて創作活動を展開した。
 芥川は明確な〈市民〉概念を持っていたわけではないが、〈市民〉というものを形象的に把握している。例えば『秋』(1920年4月 「中央公論」)の信子は、ファッションとして文学を身に付けたような感傷的な女子大生で、従兄の俊吉がスケプティシズムで信子をからかっても、それに気づかない。当時、女子大生の理想は、月給100円以上のサラリーマンと結婚することだったが、信子も商事会社に勤める高商出身の青年と結婚する。また『玄鶴山房』(1927年1月 「中央公論」)では、玄鶴が跡取り娘(お鈴)に銀行員の婿(重吉)を選んでいる。「(繕ったりするよりも)買う方が反って安くつく」という信子の夫の言葉は、大量生産・大量消費の時代のエッセンスを掴んだ表現と言えよう。
  ここで、『玄鶴山房』の世界に目を向けてみたい。玄鶴は名望家、妻のお鳥は昔ながらの封建的な人間。婿の重吉は銀行員でマイホーム主義者、言わば近代市民型の人間である。三種類の人間が、バラバラでありながら廊下一本でつながっている。ここに当時の日本社会の姿を見ることが出来る。そして、甲野さん、お芳、職人などが、周縁的存在として登場している。
  重吉が、舅のいる「離れ」に顔を出しながらも、肺結核に感染するのを恐れて部屋に入ろうとしないところには、意識せざるエゴイズムがある。また、火葬場から玄鶴の遺骨を載せた馬車が出る時、お芳が一人拝んで目礼する場面が描かれている。自分をかわいがってくれた人へのお礼の気持ちを控え目に表す妾のお芳と、その姿をちらっと見るだけで通り過ぎる重言たち――。そして芥川は、リープクネヒトを読む大学生の姿をもって作品世界を閉じる。こういう若者の姿を通して、芥川は明日のアソシエーションのありようを思索したのではないか。
 福沢諭吉の言った〈公と私〉の〈公〉が後に国家主義的に歪められた、と大江健三郎が指摘している。芥川も〈公〉を〈パブリック〉の方向で考えようとしたが、菊池寛はそれを国家の方向で考え、戦争が始まると慰問団を送ったりした。大逆事件に際して「愚者の死」を書いた佐藤春夫が、戦争時には芸術美を追い求め、戦場にこそ美があると言ったように、多くの作家たちが大政翼賛会へなだれ込んでいく中で、井伏・太宰など異端の系譜にたつ文学者の仕事があらためて注目される。そして、それを受け継いだ大江の文学活動も。
  自立した市民になるためにはどうすればいいか。信子の課題を探り未来を模索した芥川から学ぶべきことは多い。


2003/1/11  843 [担当:S]

冬合宿(12/26〜27)第二部で芥川龍之介『侏儒の言葉』の検討
[原形はより構成的で視覚に訴えるものになっているが、都合によりここでは各項目列挙の形に変えた。そのために意味が通りにくくなったところもある。乞容赦。]

 以下の記録は“まとめ”といったものではなくて、いわば、それを手がかりにして考えてみてください、というようなものです。悪しからず……。
「侏儒の言葉」の序
・これは、いわば作品の眼というか。
・この後すぐに発表した『河童』の中に「この近頃マックの書いた『阿呆の言葉』と云う本を……」なんていう言い方をしている所がある。“侏儒”“阿呆”これは反語でしょうね。
・思想ではなくて思想の変化を窺わせるもの。別に体系的なものではない。
《1923年(T.12)1月 「文芸春秋」創刊号》
・星のイメージ、どうとらえるか。生と死が繰返し循環している。だからそれはロマンの対象としての星ではない。いわばその中に自分の姿をみている。自分をみつめる鏡として星をみつめている。
・「兎に角退屈でないことはあるまい。」だけど「蔓を伸ばして……」(序)。反語的表現なのか。
・「真砂なす数なき星の……」この子規のコトバに、芥川は「しかし」と感じる。子規と芥川の間に世代の違いがあるのだろうか。星は人間と無関係のものとは思えない。流転ということから考えてみると、星も自分も同じではないか。
《1923年(T.12)2月》
・それじゃ、歴史を左右するもの、いったいそれは何なんだ。「自己欺瞞」「愚昧」そういうものと、歴史を動かすものとがどうかかわっているのか。「哂う」(あざけりのわらい)、しかし世の中は「荘厳」。
・「星」 ……これは運命というか、「鼻」……いわばそれを見ている主観というか、それが歴史を作ってきたのだ――ということ。
・そう続けてみてくると、芥川の「主観」というか、情熱というか、そういう問題を感じる。
・星−子規、そして鼻−パスカル、これをダシにしながら、自説を述べる、という形をとっている。歴史を動かすのは、クレオパトラではない。我々なんだ。
*熊谷先生はかつて国立市民大学ゼミで述べられている。――「星」と「鼻」はひとつながりのものである。退屈、これが一貫したテーマである。主体こそが問題である。
修身《1923年(T.12)3月》
・ここで言っている「道徳」は、あの「心のノート」のように、外側からおしつける都合のいい道徳。つまり、支配者の都合のよいもの、という意味だ。
・マルクスだったか、“ぬすむな!”これ富める者の論理。つまり、ことばを変えれば「勝ち続ける」側からの論理ということになるか。『羅生門』の下人のぬすみ……これどう?
・『羅生門』の二年後、『秋』で「信子」が登場してくる。――ここではまず生活の安定を考えてしまう。資本主義に毒された封建時代の道徳というか。
・「道徳」と「良心」……対立関係としてつかむ。「道徳」、ここで言っているのは、今日の道徳。明日の、ではない。ここでは与えられるもの。「良心」――趣味。病的な愛好者か、貴族か・富豪か。白樺派批判か。なんかメンタリティーみたいなものとして把えられはしまいか。倫理という面からみれば、本来、対立するものではない。
好悪《1923年(T.12)4月》
・好悪、快不快……これは本来プシコイデオロギーが元になっている。行為を決定するとき、これは教養の在り方とかかわってくる。
・ぎらぎらしたすっぽん汁のあと、うなぎ……はないだろう。
・主体……実感で受けとめるしかない。その場合、第一と第二の信号系、これを抜きにしてはならない。
侏儒の祈り《1923年(T.12)4月》
・全くその通り。こういう形で連帯ができればいいのだが。で芥川は!? 夢とたたかう(5〜6段落)、苦しみながらそれでもやらざるを得ない、そういう生き方。太宰に通じる世界かな(『葉』)。
・この時代の人たちへの一つの皮肉ではないのか。人間としての調和を望んでいる。
・自分が人間らしくあることの、その対象をみきわめる条件とは――。
自由意志と宿命と《1923年(T.12)5月》
・半ばは自由意志、半ばは宿命――芥川の言う意味。階級的宿命、そこまで言っているかしら。
・結婚の形態……当時の読者と今は相当ズレがあるんではないか。
小児《1923年(T.12)6月》
・全くそのとおり。この章は印象的である。逆に、こりかたまった人はどう読んだだろうか。ケストナーの「大砲の花咲く岡」につながっている。
・発表当時は伏せ字はなかった。昭和になってから伏せ字、昭和15年になって“削除”。
・昭和初期の中学生、暗い谷間のあと、ひと息ついた時、ここをどう読んだのだろうか。
武器《1923年(T.12)6月》
・“正義”……今もやってるじゃない。
・デマゴギー……これが一番危険!
尊皇《1923年(T.12)6月》
・三百年前のフランス。もちろん唯それだけの話ではないだろう。「一生の冒険」あの頃の話なの!?
・大正天皇のこと? 知っている人は知っていたでしょうね。

-------(以後、話し合いのスピードを少し早める。)-------
創作《1923年(T.12)7月》
・創作に苦しんでいる人の書いた文。それは概念だけでは書けない。苦しんでいる人、創作とは格闘。
鑑賞《1923年(T.12)7月》
・鑑賞の多面性。ただ何でもいいのではない。方向性が問題。
・典型ということばは使っていないけど、つまりそういうこと。
古典、又《1923年(T.12)7月》
・創作する側と鑑賞する側――死んでいるとお互いに好き勝手に言えるもんね。作者も鑑賞者!
幻滅した芸術家《1923年(T.12)7月》
・芸術家一般ではなく、ある対象にむけて、芥川自身の立場を示している。
・きびしい砂漠だからこそ、蜃気楼を――太宰と通じるものがある。
・愛……ヒューマニズムとリアリズム。
・「或一群の芸術家」(神秘主義)……芸術至上主義者のことか。
告白《1923年(T.12)8月》
・私小説批判……白樺派を頭の中に入れているのか。――虚構論が求められている。
・そこには自己凝視があってはじめて、表現になりうるのであって――。
人生−石黒定一君に−、又、又《1923年(T.12)8月》
  *石黒氏――東京高商卒、商社マン(上海勤務)
・「人生は狂人の主催に成ったオリンピック大会」……なるほど。
・マッチ、落丁……芥川独特のユーモア。ことば遊びの中に批判!
・それで人生というのは?……別にしかめっ面をして論じているわけではない。
《9月、10月休刊(関東大震災のため)》
《11月、「或自警団員の言葉」……単行本の時カット》
《12月 休刊》
地上楽園《1924年(T.13)1月》
・レムブラントの肖像画と十円の小遣いの話おもしろい。
・なんか『河童』につながるものがあるみたい。
暴力《1924年(T.13)1月》
・なんか現代の問題としても考えられる。――必要なのか必要でないのか……一人ひとりの人間に問いかけられる。
・(今の話)子どもを力でおさえる学校――良い学校
「人間らしさ」《1924年(T.13)1月》
  *これだけ「」が付いている。いわゆる世間で言われている……という意味か。
・(単行本の編集の仕方では)暴力−「人間らしさ」と続いている。
・「人間らしさ」――自分自身が、今、どう把らえているか!
・スウィフト「頭から先に参るのだ」……つまり神経からやられる。
椎の葉《1924年(T.13)2月》
  *「家にあれば笥にもる――」万葉集 挽歌
段落その一つひとつはわかるのだが、そのつながりが?
・「椎の葉」……新自由主義とつながりはしないか。
・こうありたい……それがなかったら、椎の葉じゃないのか。――あとでいくら飾り付けたって、やはり椎の葉……。
・大震災で生き地獄をみて――そして、大量消費かファシズムか。――だから文学的イメージで把えた新自由主義……。
  妥協に自己満足 ★偉大なる厭世主義者 センチメンタリズム かっこ付きの教養
仏陀、又、又《1924年(T.13)2月》
・極めて唯物論的/人間仏陀/物質の精神支配。なるほど。
・牧牛の少女との対話……いかにも芥川らしい。
政治的天才、又《1924年(T.13)3月》
・芥川は予見の天才……ここの所で芥川の二律背反なんて言っている人(評者)がいるが、そんなもんじゃない。
恋は死よりも強し《1924年(T.13)3月》
・ボヴァリイ夫人――自分で描いたものを勝手に恋をしている。これ感傷主義。
・『秋』にも投影されている。
・「愛国心」……「犯罪的本能」――みんなボヴァリズム。
地獄《1924年(T.13)3月》
・ほしい物がとれない――これ地獄。馴れればなんちゅうことはないじゃないか。
・人生は地獄よりも 地獄的である。
  *熊谷先生からよく聴いていた。――だから生きることに渋面をことさら示すことはない。
・無法則という法則……資本主義的現実。
・人生――芥川は別に一般化して言っているのではない。
醜聞、又《1924年(T.13)4月》
・楽しく読んだ。
・「公衆」……これに眼がいった。
輿論、又《1924年(T.13)4月》
・これリンチ! ――相手を死に至らしめる。これがまた娯楽。
敵意《1924年(T.13)4月》
・ひっくり返した言い方……輿論、醜聞につながっている。
ユウトピア《1924年(T.13)4月》
・固定的にものをとらえないのがすばらしい。
・人間一般ではない。
危険思想《1924年(T.13)4月》
・これ「謀叛論」……『侏儒の言葉』全体がそう。
・芥川が求めたもの――常識……中庸、Good sence、調和。
《1924年(T.13)4月》
  *初出を書き変えている。
・善悪一如……柔軟な考え方。人間そのものをダイナミックに把えている。
・常識と危険思想――これを対立的にとらえるものではない。
・人間探究を追う青年――悪だと切りすてる前に、その事について考える。
  ――すぐに解決を出すのではなく、その動き、プロセスをみる。
・観念にとどまっている限り、これを放っといたっていい。
  ――何かあればテレビに出てくる連中、これ観念。
《5月は休刊》
二宮尊徳《1924年(T.13)6月》
・尊徳をホメたたえる! ――親のことを考える発想、これを忘れている。
・もっと太い鎖を!
  ――これ支配者の論理。 前の「仏陀」とは違う。「修身」ともくらべてみる。
・何としても“自助自立”! 
  ――一方親の方には責任はこない。
  ――立身出世、そして孝行……資本主義。知らず知らずまるめ込まれてしまう。
・貧困の矛盾……〈肯定してしまう〉まずしければ、まずしいほどいいのだ。
  ――アメリカン・ドリーム、日本も又→新自由主義
奴隷、又《1924年(T.13)6月》
・奴隷根性
・精神の奴隷
悲劇《1924年(T.13)6月》
・万人に共通するのは――排泄作用
  ――個々にはいろいろあるだろう。……むしろこちらの方にアクセント。これも芥川のユーモア
強弱《1924年(T.13)6月》
・弱者の方に反省するものがある。
・「友人」を恐れる――ということ、それは――仲間を大切にするという神経。
  ――弱者はその事に鈍感。
  ――連帯、アソシエーション……そのために大切なもの。
S・Mの智慧《1924年(T.13)6月》
・少女、追憶……きれいだ。
・未知の世界……私なんか、少しなんてもんじゃない。
・納得づくでうそぶいている――これこそアイロニー。
  ――全部そうなっている……わかりあえるからこそ。
・少女――清冽な浅瀬!
  ――ほんとにそうなの?
  ――だから、それ自体がアイロニー。
  ……そう思っているのがS・Mということ?
・喜劇精神……これをある切り口からみてみる。
  ――S・Mの智慧であると同時に芥川に通じるものがありはしないか。
 
-------(冬合宿では ここまで)-------

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