機関誌による文教研史 A     1969年10月発行「文学と教育」第60号掲載
 
機関誌による文教研史 ――『文学と教育』60によせて――      福田 隆義


         
  国民教育研究所(民研)から「貴会発行の『文学と教育』48が欠本になっています。資料として欠かかせないので、是非ご送付ください。」と切手同封の依頼がきた。東工大図書館からは、毎回「大事に保存し活用させていただきます。」云々と礼状が届く。とっても嬉しい。機関誌『文学と教育』が、日本の歴史・教育史のなかに位置づけられている証拠だからである。

 創刊号は、一九五八・一〇・一六日刊である。すでに茶褐色に変色している。ガリ刷り、一五頁。今からみると、義理にも立派な体裁だとはいえない。が、当時は立派だと思った。手にした時の感激はわすれられない。満足感があった。しかし、その感激や満足感は、体裁だけの問題ではなかったことを、今にして思い知る。
 主な内容は「改訂学習指導要領(国語科編)の問題点」である。いうまでもなく、三三年版指導要領である。その理論水準の高さは、2に掲載された「サークルへの反響」が語ってくれる。「どの頁も充実していて、本当に感激しました。」云々という、鴻巣良雄氏をはじめ、来栖良夫氏や永積安明氏などから寄せられた、サークルへの期待がそれである。
 ガリ刷り『文学と教育』は、14までつづく。その中に、36に再録した「国語教育としての文学教育」(5 熊谷孝)がある。国語教育・文学教育に対する文教研の考え方の出発点が、この論文にあったことは、すでにご承知だと思う。また「仲間の体験をくぐるということ――科学と文学との二つの軸から――」(同号 荒川有史)も一読をすすめたい論稿である。が、すでに秘蔵の資料となっている。文教研内部では、組織部・荒川事務局長、それと私の手もとに保存してあるだけではなかろうか。
 
14までは「文教研」が、まだ「サークル・文学と教育の会」であった頃で、これまでを、さしあたり『文学と教育』第一期としておこう。

 一九六〇・二・二六日、「サークル・文学と教育の会」を「文学教育研究者集団」と改称。(後に文教研版、ニイニイロク事件などといわれている。)同年四月、第一回公開研究集会(都下、小金井市)を開催した。その集会特集号、
15から48までが、第二期といえよう。タイプ印刷。特集号を除いては、二〇頁が基準。
 この間の主要論文・報告の目次を書き出してみたが、それだけで二頁になった。それで、ここでは文教研の指針となったいくつかの論文紹介にとどめざるを得ない。
 第二信号系理論が『文学と教育』に初めて掲載されたのは「国語科教育の基本路線」(17 熊谷孝)である。この論文をきっかけに、第二信号系理論の学習が始まった。機関誌にも「コトバと認識」(18、20、23 荒川有史)の問題がとりあげられた。そして、その視点から、国語教育界の時流に対する批評も始めた。「読解ブームに寄せて」(19)、「言語過程説とその国語教育観についての若干の疑問」(26 熊谷孝)、「言語主義との対決」(28 同)などがそれである。また、実験的意味をもたせた実践報告が、初めて掲載されたのは『空気がなくなる日』(17 篠田由喜子、福田隆義)であったことをつけ加えておこう。

 右が、第二期前半といえる。会員もごく少数であり、財政的には苦しい、苦しい時期であった。臨時会費・ボーナスカンパの連続でどうにか切りぬけた。商業出版の原稿料の何割かを天引でとりあげた。文教研の金策のヘタなのは、というより潔癖さは今にはじまったことではない。当時、出版社から、雑誌出版の話をもちかけられたこともあるのに……。
 したがって、この期に精力的にとりくんだ、戸坂潤ゼミや西鶴ゼミ、あるいは、『経験としての芸術』(デュウィー)の学習は、『文学と教育』には充分に反映させられなかった。残念である。が、『芸術とことば』(熊谷孝著)が、そうした学習の中核になっていたことをつけ加えておく。

 第二期後半は「集団主義文学教育の理論による学習指導体系の構想」(31 熊谷孝)から始まる。館山集会(一九六三・八月)参加者の強い要望で『文学の教授過程』と『中学校の文学教材研究と授業過程』の出版に踏み切った時から、『言語観・文学観の変革と国語教育』(熊谷孝著)をテコに、前二著の総括をした時期である。
 「文学教育の方法原理」(34 熊谷孝)、「文学の授業構造」(39 同)、「第二信号系理論と国語教育」(40 同)などは、前二著を見なおす視点を提起した論文である。また『マーシャとくま』『りょうしと金のさかな』『屋根の上のサワン』『山椒大夫』『女生徒』などを典型例に点検がおこなわれている。執筆者も、熊谷孝・荒川有史をはじめ、福田隆義・佐伯昭定・川越怜子・高沢健三・山下明、それに、全国教研と文教研の媒介役として活躍した夏目武子と、厚みを増した。

 内容からは「文体喪失時代の文学教育」(46 熊谷孝)が転機と思うが、『文学と教育』では、
49からを第三期としたい。というのは、@夏目編集長を中心にした編集部の設置、A灘尾文相の「国防発言」への抗議声明と署名運動など、文教研の運動スタイルの転機、B読者の飛躍的拡大などがその理由である。
 49以降は、会員の手もとにあると思うし、バックナンバーもある。まだの方には是非、一読をお願いしたい。

 なお、
『文学と教育』の第四期、活字化(後注:65以降)への準備が、夏目武子・黒川実を中心に着々と進行していることをつけ加えておく。  

文教研の歴史機関誌「文学と教育」