機関誌による文教研史 @ 1968年3月発行「文学と教育」第50号巻頭に掲載
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文教研の今日的課題――「文学と教育」bT0に寄せて 委員長 福田 隆義 |
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機関誌「文学と教育」の49は、飛躍的に読者を拡大した。この事実は、反動化する教育政策のなかで、文教研の理論、ないし、研究姿勢が多くの仲間から、高く評価されたことを意味するだろう。しかし、文教研が、今日の時点に達するまでには、実に十年の歳月が流れた。その間、着実な研究と、地道な運動があった。
一九五八年一〇月、「サークル・文学と教育の会」を創立。機関誌「文学と教育」の創刊号は、「改訂学習指導要領(国語科)の問題点」(昭和三三年版)を特集。改訂の方向を、「ファシズムのニュー・ルック政策」と規定した。そして、改定案は、世上一般の批判とはちがって、たんに、語句の入れかえや、部分修正ではまにあわない、その根底にある、言語観・文学観から考えなおす必要 のあることを強調した。 それから十年、われわれは、われわれの言語観・文学観を確立するために、研究活動を精力的に続けてきた。そして、その成果を、機関誌「文学と教育」のなかで、あるいは、日教組教研集会の場で、近くは、文教研の著書『文学の教授過程』や、『中学校の文学教材研究と授業過程』として世に問うた。 そして、今、再び、学習指導要領の改悪が、軍国主義の復活を明確にうちだす方向でおこなわれつつある。われわれが、十年前に予想したことが、現実の問題となった。まさに、教育のみならず、日本の進路にとって、重大な危機に直面したといえる。「文学と教育」49が、飛躍的に読者を拡大したことは、こうした社会の動きと、無関係ではない。 われわれは、ここで、文教研十年の歴史を、49号におよぶ機関誌をとおしてふり返ってみた。そして、われわれの見とおしと、理論の確かさに、自信をいっそうふかめた。 文教研は、すでに、研究団体であると同時に、運動団体として、他の民間団体に先がけて、政治的実践もおこなってきた。が、今、新たな決意で、さらに、積極的にとりくまなければならない責任を痛感する。 機関誌「文学と教育」も、そうした活動にみあう機能を備えたものにしたいと考える。(一九六八・三・二〇) |
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