機関誌による文教研史 D     2004年8月発行「文学と教育」第200号巻頭に掲載
「文学と教育」200号に寄せて          委員長 夏目 武子


 
   四十六年前の十月、「文学と教育」創刊。ガリ版刷りB5判十五ページの「サークル・文学と教育の会」の機関誌として。わら半紙は黄色く変色しているが、印字は鮮明である。創刊号をそっと開き、座談会記録「改訂・学習指導要領(国語科)の問題点――熊谷孝氏をかこんで――」を読む。〔注、一九五八(昭和三三)年版指導要領〕
 30号から入会した私(私的なことで恐縮)にとって、すでにこの時点で、こうした切り口で問題点が追及されていることに感動を覚えた。要点を拾ってみる。

 現行指導要領には学習素材の選択の基準として十四項目挙げられている。が、そこから「自由・平等・博愛・正義・寛容の思想の理解と発達を助けるもの」という項目が削除され、新しく「道徳性を高め、教養を身につけるのに役立つもの」「国土や文化などについて理解と愛情を育て、国民的自覚をやしなうのに役立つもの」という二項目が加えられた。一方で〈君が代〉を必修歌唱にしておいて、「国民的自覚」を云々するということは、戦前の国粋主義とイコールではないけれど、ファシズムのニュー・ルック政策ではないか。特設「道徳」との関連で言えば、「修身」という家を建てるための地所が「道徳」という名の空き地だ。それをカバーするために各教科の内容の改訂なのだ。音楽科では〈君が代〉を必修にするというように。国語教育、文学教育も「道徳性を高め、教養を身につける」という方向でテコ入れがなされている。また、「読み物は、文学作品に偏らないで」とあり、また、「古典に対する関心を持たせるように留意」せよとある。文学性を疎外して考えられる古典、例の国民的自覚と結び付けられて考えられる古典とは、未来形における戦犯候補みたいなコテンである。建てさせまいとする運動の展開にもかかわらず、半世紀以上の準備を経て、現在、空き地に、さらにその隣接地に〈大きな家〉が建てられようとしている。

 本号の荒巻りか氏のインタビュー(四ページ参照)に登場する福田隆義氏・荒川有史氏は、初期から提案、司会、他誌への寄稿、さらに運営面などに、大活躍。そのことを含め、創刊号の問題提起の、その後の展開を追跡したい思いに駆られる。が、それは、担当の高澤健三氏が用意してくれた文教研ウェブサイト(二〇〇一年一一月三日開設)の「論文再掲」をご参照願うことにして、今回は「文学と教育」の大きな流れをたどることにした。

 14号にサークルの改名、15号に「集団の自己紹介」(鈴木勝氏執筆)が掲載されている。「文学研究の水準が文学教育の実践を豊かにもし、ひからびたものにもする」。「この姿勢を一貫するために新しいサークル活動に踏み切った」。「文学教育研究者集団 これが私たちの新しい出発に対して、みずから与えた名前である」。「文学を愛し、文学教育を大切にしていこうとしておられる方々に、一人でも多く参加していただきたい」という呼びかけも添えられている(文学教育研究者集団の誕生は一九六〇年二月二六日)。15号からタイプ印刷、二十八ページに。65号から活字印刷に。一年間、会員が毎月積み立て、活字資金を作った。活字化に少々関わったいきさつ上、私が編集長を短期間つとめ、すぐ、鈴木益弘氏にバトンタッチしてもらう。現在の佐藤嗣男編集長は94号から。

 123号から長年の念願かなって、出版社(みずち書房、159号から現こうち書房に)から発売。表紙(デザインは斉藤茂男氏)がカラー印刷になった冊子を小脇に抱えて部屋の中を歩き回ったのは昨日のような気がするのだが、今回で200号を迎える。

 一つのサークルの機関誌ではある。が、喜劇精神でそれぞれの時代の厳しさに向き合い、問題提起し続けてきたことに、文教研ウェブサイト、電子図書館はじめ他のサイトを通して新しい共感が寄せられている。「文学と教育」バックナンバーや会員の著作の注文をしてくださる方々。文学と文学教育に情熱を傾ける人々との新しい形での連帯が始まっていることを実感する。そうした方々を含め、会員、誌友、「文学と教育」を愛読してくださっている方々、第53回全国集会で直接お目にかかれる方々とともに、200号刊行に乾杯!

[都合により、本文中の号数の表記を漢数字から算用数字に変更しました。]

文教研の歴史機関誌「文学と教育」