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  春になるのは嬉しいけれど        流木
              

    ◆ 辰巳さんの家のツバキが 
 あれから3年・・・
 この季節がめぐってくるとつい数えてしまう。
 これからも毎年、2011年3月11日からの年月を「あれから何年」と数えるにちがいない。祖母が1945年3月10日の東京大空襲を数えたように。

 買い物がてら近所の小道を行けば、いま梅や桃の花がきれいだ。
 香りはないが赤いヤブ椿もいい。

 先日、鎌倉に住む辰巳芳子という料理研究家が、花をたくさんつけた庭のツバキの木を前に「春になるのは嬉しいけれど、今年は何か物悲しさがついてまわる春ですねえ」と云っているテレビをたまたま見た。
 震災直後に撮影された映像らしく、そのことにふれていた。
 「人間は色々な自然災害をのりこえてきたけど、人因による災害、あの核の災害は未来を奪ったね・・・この椿も、こちらのヤブ椿もみごとに花をつけているけど、この木がこんなに花をつけたことは今までないの。<狂い咲き>なのよ。これはきっと人間の分をわきまえない結果なんじゃないかしら」

 世の異変を感じて植物が反応しているという。日々暮らしの中で草木の相貌を見つめてきている人らしい観察だと思った。

    ◆ カキツバタの狂い咲き
 この辰巳さんの庭の狂い咲きした椿をTV画面に見ながら、わたしは『かきつばた』という井伏鱒二の短編小説を思い出していた。
 こちらは、終戦の直前、直後の広島県東端にある福山が舞台である。

 「私」の友人の木内君の家の窓下にある池に季節はずれのカキツバタが咲いた日、若い女の水死体があがる。1、2週間前に水死したらしい。
 この娘は広島の工場に動員され、工場内の苛酷さや空襲の恐怖にさらされたものか、心を病みはじめていた。そこへ原爆が落ち、被爆した。彼女は福山へ逃げ帰ったが、そこでもまた空襲を受けた。
 「娘は、空襲であわてて家をとび出し、どこかを目あてに一目散に走ってこの池のほとりまで逃げて来たのだろう。何かの感慨で衝動的に水に飛び込んだかと思われる」という巡査の言葉が若い命を翻弄した戦争のむごさを照らしだいていた。
 「年は二十歳前後、手拭地の寝間着に赤い伊達巻をしめていたそうだ」
 「踏んだり蹴ったりだね」
 <・・・狂い咲きでいじけた花弁をつけた「あのカキツバタの花、何ごとかに脅かされて咲いたかね」と私が云うと、「そうか、この季節に、あんな花が咲いていたのか。ばかにしている」と木内君が答えた・・・>

 この短編を読んだおり、わたしは、人間がつくりだした戦争という狂気、狂気の果ての核爆弾へむけての作者の震えるような憤りを感じたものだった。

    ◆ 陽ざしは春だが、まだ寒い
 辰巳さんも井伏さんも、その語り口は穏やかである。しかし、ふたりのこの素朴で静かな憤りは、私たちを現在の問題へむかわせる。
 広島と長崎の、またビキニ環礁の、そして福島の、放射線被害に今も苦しむ現実を忘れたように原発再稼動に動き出している現状、何なのかと思う。

 宮崎慶次という大阪大学名誉教授が、専門家の立場から「原発を推進するのは国家百年の計にかなう」という論を新聞に載せていたのを読んだ。
 「事故の教訓を生かせば、さらに高い安全性向上を図ることはできる。自動車が進化を遂げてきたように、一般に新型炉は安全性と経済性にすぐれている。
今後は、旧式原発を最新設計の原発に建て替える経営判断が大切だし、また、それを促進するうえで立地地域の住民の方々の理解が重要となる」
 「ウラン資源に限りがある。将来的に高速増殖炉と再処理で核燃料を増やしながら使用するのが国家百年の計にかなう。それこそが百年千年とエネルギー文明の持続を期して原発を推進する正当性だ」
 「高レベル放射性廃棄物の地層処分技術はすでにめどがついている。
・・・・地下では地震の影響は小さく、仮に倒壊しても隔離に問題はないはずだ。地震と火砕流で埋まったポンペイ遺跡では2千年もの間、人の形まで保存された」                       (2014・1・18「朝日新聞」)

 ここには、やはり「技術は確立しているから安全だ」という今までと変わらない専門家の技術論しかないように思った。
 わたしは素朴に思う。
 事故の被害規模が原発事故と自動車事故がどれほど違うか、なぜ考えないのだろうか? 自動車が「進化を遂げて」生産され続けているのは、その事故が人類生存の許容範囲だからではないのか?  
 3年たってもまだ避難生活を強いられているこの事故の規模を思い巡らさないまま、「最新設計の原発なら安全だ」と、なぜ言えるのだろうか?
 地下に2千年も廃棄物が保存されても、地上に人間がいなくなっていたら意味がないと、なぜこの専門家は考えないのだろうか?

 一般に、研究を積んだ専門家の意見は大切だと思う。
 しかし同時に、暮らしの中で積んだ経験をもとにした意見も大事だと思う。
 フクシマの事故後、ドイツをはじめスイス、ベルギー、イタリアは脱原発を
表明した。そんな時、放射線被害に苦しんできた日本が、なぜ素朴に<核>は
もういらないと表明できないのかと、実に悔しく思うのだ。
 そして、再生できる自然エネルギーで暮らしていける仕組みが、政治の力で
つくれないものかと、実に素朴に思うのだ。

 春になるのは嬉しいけれど、世の進み行きが心配な、陽ざしは春だが、まだ寒い、
 3月の通信です。

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     〔ざぶらん通信〕
  作 者:流木
   編集者:風間加勢
   発行日:毎月15日発行
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