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 2011年8月6日の記
 井上ひさしの芝居と俳優丸山定夫にふれて      流木
                             

    ◆ 今年の祈りは・・・
 8月6日午前8時15分、66回目の原爆忌は平和式典を映し出すテレビを前にして、自宅のリビングで迎えた。今年は東日本大震災で苦しむ人々を思い、さらにヒロシマの悲惨につながるフクシマの惨状(つまりそれは日本の惨状だが・・・)に思いを馳せながらの黙祷であった。
 去年は野猿峠の大学セミナーハウスに建つ〈真理の鐘〉の下で祈った。しかしその時は核の廃絶を願いながら原発については何も考えていなかった。

 今から25年も前に井伏鱒二はチェルノブイリ原発事故に驚き、友人の息子さんの〈原発死〉に思いを寄せ「原発事故のこと」というエッセイを書いた。
 そして「恐るべき原発はこの地上からなくすべきだ」と警告していた。
 読み返してみれば、そこには傍線まで引いてある。・・・なのに、そんなことはその後すっかり忘れ、どこか原子の火を手に入れた人間を、神から火を盗 んだプロメテウスの偉業ように思い描いていたきらいがあって、私は安全神話 の中を過ごしてきていたのだ。

 3・11以降、これを悔やみ、恥じた。
 こんなにも無残に国土が放射線物質に汚染され、被曝の恐怖にさらされてみれば、原発もまた原爆の一形態だ、と認識しないわけにはいかなかった。
 つまり核廃絶と脱原発は一体のもので、従って「過ちは繰り返しません」というヒロシマの言葉は、そう認識してこそ、現在に生きるのだと思った。
 しかし今もなお、この無残な現実を認めず、原発推進の旗を振る巨大な勢力のあることも、日々の報道の中で知る。
 だから今年の祈りには、自他の責任を曖昧にしない決意を込めた。

 テレビでは広島市長が「〈核と人類は共存できない〉とする人々もいる」と言い、日本のエネルギー政策の見直しを求めていた。

    ◆ ある俳優の碑に・・・
 この日は鎌倉に所用があり、妻と家を出た。
 私たちは「用事が済んだら丸山定夫の墓が近いので、原爆忌のこの機会に寄ろうよ」と話し合って、事前に線香を用意したのだった。
 丸山は広島で被爆して亡くなった俳優で、個人的にはなんの縁もない。

 井上ひさしの芝居『紙屋町さくらホテル』を観るまでは、この役者についてほとんど何も知らなかった。どこかで『どん底』のルカ役や『桜の園』のロパーヒン役などで有名な新劇俳優だったと聞いたことはあったが、見たこともない人物に興味のむくはずもなく、関心がなかったのだ。
 それが1997年の秋、新国立劇場のこけらおとしの舞台で、彼を登場人物の一人として描いた井上芝居を観て心にかかるようになった。
 鎌倉の墓碑のことも、その折、劇場で偶然に会ったHさん夫妻から聞いたのかもしれなかった。

 芝居は昭和20年初冬の巣鴨プリズンの場面から始まる。
 「自分はA級戦犯だ」と初老の男が、ここに自首してきたのだ。戦前は海軍大将で天皇の密使を務めた長谷川清(大滝秀治)である。応対したのが元陸軍中佐で現在はGHQで働いている針生武夫(小野武彦)だった。
 二人は敗戦間際の広島で、ある経験を共有していた。
 ある経験? ・・・それは昭和20年5月、広島<紙屋町さくらホテル>で「大日本帝国の存亡の危機に、白粉塗って役者をやった」という経験である。
 あの日のホテルが、ふたりの回想の中から現出してくる。

 そこでは、明後日に迫った公演のため丸山定夫(辻萬長)と宝塚出身のスター園井恵子(三田和代)が俄か仕立ての劇団員を相手に特訓中だった。
 紙屋町ホテルは工場や病院を慰問する移動演劇隊の宿として丸山の「さくら隊」を受け入れたのだ。しかし役者が足りない。そこで宿のオーナーの神宮淳子(森光子)や共同経営者の正子(梅沢昌代)、団員募集で採用した玲子(深沢舞)、宿泊客の言語学者(井川比佐志)を舞台にのせようというのだった。
 演じる芝居は『無法松の一生』・・・誰でも知っている。

 そこへ長谷川と針生が来合わせたのだ。
 ふたりは淳子の誘いで団員に加えられてしまう。さらにこの米国生まれの淳子をつけ狙う特高刑事(松本きょうじ)までもが参加せざるを得なくなるという、抱腹絶倒の空間が生まれる。
 軍国思想に縛られている人間が「芝居の毒に当てられ」て、つい自然な人間的心情を露呈させてしまったりする。そういう所が実によかった。
 また国家の無慈悲な現実や天皇の戦争責任といった重いテーマをも笑いの中に織り込んで追跡しているのもすごかった。
 この舞台は、人間らしく生きる力としての演劇へのオマージュであり賛歌であったといえよう。
 丸山が生涯に演じた役は100近かったそうだが、その中でもモリエールの『守銭奴』のアルパゴン役が最も好評だったという
 妙隆寺の碑には、その役の丸山定夫が肖像として刻まれている。

 墓前の花立てには、すでに花が活けられてあった。
 以前、寺の人から「昔8月6日には偲ぶ集いがあったのですが、今はなにもしていません。ただお一人、毎年広島からお見えになる方がおります」と聞いていたので、これはその広島の人が供えたのだろうと勝手に推測した。
 私たちは墓碑に水を注ぎ、線香を手向けた。

 帰りは、寺の裏から抜けて小路にでた。
 そこは風が吹きぬけ、油蝉が喧しく鳴いていた。

 今年の8月6日、原爆忌の一日だった。

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     〔ざぶらん通信〕
  作 者:流木(RyuBqu)
   編集者:風間加勢
   発行日:毎月15日発行
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