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     ┃  ざぶらん通信   2010年12月15日(水) NO.087    ┃
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     ┃  発 信   流 木 RyuBqu               ┃
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   東慶寺・松ヶ岡文庫にて ・・・英文学と俳句、そして禅
                             流 木


 先日、友人のKさんに誘われて、北鎌倉の東慶寺・松ヶ岡文庫に出かけた。
 英文学の荒井良雄さんという先生が続けられている講座で、この日は<ブラ
イスの「禅と英文学」の世界>というテーマで話された。
 禅にも英文学にも疎い私なのだが、Kさんが芭蕉の『奥の細道』の一場面を
朗読するというので、そういうところへつながる話ならば、少しはわかるかも
しれないと思って参加したのだった。

 東慶寺の佇まいが好きで、その山門はこれまで何度もくぐっている。しかし
文庫のあるこの寺域に入るのは初めてだった。
 以前、墓苑に向かう途中、イワタバコが群生する崖の手前で<松ヶ岡文庫>
と彫られた小さな石柱と木戸に気づき、それについて寺の人に聞いたら、それ
は禅の文化を海外に広めた鈴木大拙先生が創設した文庫だと教えられた。
 その後、そこを通るたびに何となく木戸へ目が向き、木戸の向うに仄かな興
味を抱いたが、いつもそこは俗塵を払うようにひっそりと閉じられていた。
 
 この日、木戸は開かれ、案内に立つご婦人に迎えられた。木戸の奥、文庫へ
の石段をのぼりながら、この思いがけない機会をよろこんだ。

    ◆ ブライスの禅
 「<禅は詩、詩は禅>だと、レジナルド・ブライスは言っています。芭蕉も
シェイクスピアも、その詩精神は<禅>だ、と言うのです・・・」
 ブライスが思索した禅と詩について、先生は東西の古典ばかりでなく、現在
の演劇や映画にまで目まぐるしく触れながら熱く語った。こちらの知識不足、
分からないことが多かったものの、初めて聞く話に引き込まれた。
 禅といっても、ブライスの禅は臨済宗や曹洞宗の仏教禅とは異なり、ブライ
ス独特の禅(ブライス禅)、文化芸術としての禅(文化禅)なのだそうだ。

 このとき頂いた資料をもとに、ブライスについてちょっとふれておこう。
 1898年、英国で生まれた彼は、第一次世界大戦では良心的兵役拒否者と
して刑務所に入れられている。戦後、ロンドン大学を卒業し京城帝国大学など
で英語を教えた。そのとき大拙の『禅仏教論』に出会い、心をゆさぶられた。
 禅と俳句とにみられる自在さが、精神の自由を求める彼の生き方にぴたりと
合致したのだろう。その道の研究者になり、欧米に俳句という日本の文芸、精
神文化をひろめた。
 1937年来日し、日本女性と結婚。旧制四高(現金沢大学)で教鞭をとる
が、太平洋戦争勃発と同時に敵性外国人として収容された。
 終戦後、求められて、天皇の神格化を否定する「(昭和天皇の)人間宣言」
の起草に加わり、また現天皇の皇太子時代、家庭教師をつとめた。
 勤務する大学へはノーネクタイ自転車通勤だったという。当時では珍しい。
慣習や儀礼などにとらわれない人だったのだろう。
 1964年10月、日本で亡くなり、ここ東慶寺に葬られた。

 ブライスの辞世の句、それがこの日の講演の座敷に掛けられていた。
      山茶花に心残して旅立ちぬ

 この句を眼にしたとき、私はすぐ、芭蕉の冬の旅をイメージさせる山茶花を
思った。『冬の日』の「狂句木枯らしの身は竹齋に似たるかな」という芭蕉の
発句に「誰そやとばしる笠の山茶花」と脇を付けた野水の句、あるいは「旅人
と我名よばれん初しぐれ」(『笈の小文』)と詠んだ芭蕉に「また山茶花を宿々
にして」と唱和した由之の句が、この辞世に重なったのである。
 あたかも芭蕉の<座>に、ブライスが連衆の一人として加わっているように
思えたのだ。

 荒井先生が語るブライス禅に話を戻そう。
 <そこにそのような現実がある>という認識が禅であり詩なのだ。同時に、
<あるがままの現実を受け入れる>、その姿勢が禅であり詩なのだ。
 また、この現実を構成する<すべての存在はやがて無に帰す>という真理を
凝視し認識するのが禅と詩の精神なのだ。
 だから今を生き、<今という時をつかめ>という生き方につながる・・・。
 誤解があるかもしれないが、ブライス禅の真髄、私はそのように聞いた。

 芭蕉については「夏草や兵どもが夢の跡」の句を思い浮かべたり、荘子との
関連を考えたりしながら、<禅は詩、詩は禅>の内容をなんとなく実感した。
 しかし、シェイクスピアと禅がどう結びつくのか、興味を持った。

 先生はその身にブライスが宿ったようにシェイクスピア劇の台詞をつぎつぎ
引用して禅の普遍性を語ったが、ここでは『マクベス』冒頭で魔女たちが唱え
る言葉にあらわれている禅思想についてのみ記そう。
 <Fair is foul、and foul is fair>(きれいは汚い、汚いはきれい)
 言葉において相反するこの二つは、現実においては別々のものではなく、無
差別の一理に帰着する。善と悪、美と醜、光と闇・・・これらはすべて一体の
ものだという認識であり、道徳的に見ないのである。
 「シェイクスピアは、現実を<一即多、多即一>としてつかんでいるのです。
この現実認識、まさに禅の思想でしょう!」という指摘だった。

 <禅は詩、詩は禅>と考えるブライスは、その禅をあらゆる宗教や文化、人
々の日常生活における良きもののエッセンスだと述べたそうだ。
 その感性が生んだ詩といえようか、ブライスの句が最後に紹介された。
      葉の裏に青い夢みるかたつむり

    ◆ Kさんの朗読・市振
 <禅は詩、詩は禅>のひとつの結晶として選ばれたのだろう。『おくのほそ
道』がKさんによって朗読された。市振の章である。

 ・・・予は親不知(おやしらず)の難所を越え市振に宿をとる。隣には新潟
から供の男に付き添われてこの関まで来た遊女二人が泊まり合わせた。
 翌朝、男はここで引き返し、遊女たちは伊勢へ向かうという。女たちは道中
の不安に予との同行を懇願する。が、予はそれを辛く断る。そこでの句。
      一家(ひとつや)に遊女もねたり萩と月

 英語劇の舞台に立つこともあるというKさん、さすがに声に艶があった。
 私も、この市振の場面が好きで、昔そちらを旅したことがある。荒涼とした
風景の中に、ある雅さを感じさせる表現がいいのだ。
 ところで、芭蕉に同行した曽良の『旅日記』によって、この章が虚構である
ことは通説になっている。Kさんもそれにふれた。
 文学は記録ではない。体験的事実では語りえない真実を、現実の再構成(虚
構)において模索する営みである。
 この元禄期の詩人は、遊女や僧形の者が差別なく同宿する場面造形を通して、
幕藩体制下の今をどう生きたのか、その人間模様を典型的に示したのだろう。

 Kさんの朗読のあと「この句は、ブライス好みの句ですね」と荒井先生がひ
とことつけ加えた。

    ◆ 山茶花に心残して
 終了後、ブライスの娘さんと一緒に墓参する人たちに加えてもらった。
 ついていってみれば、そこは谷川徹三さんの墓の左隣だったので驚いた。こ
こへは何度も足を運んでいたからだ。今年の4月にも谷川先生と縁があった職
場の古い仲間たちと鎌倉を歩いた折に寄って焼香もしている。

 知らないということは、そこにあるものが見えないということだ。少々恥ず
かしい思いを胸にブライスの墓石に手をあわせた。
 墓地を後にしながら、ブライスは白い山茶花、赤い山茶花どちらが好きだっ
たのだろうかと、ふと思った。
      さざんかに小春日和のとどまれる


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    〔ざぶらん通信〕
   作 者:流木(RyuBqu)
   編集者:風間加勢
    発行日:毎月15日発行
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