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┏━━━ Za-an,Zabran,se-er,……Zabr'n,za-an,se-er━━━┓ ┃ ┃ ┃ ざぶらん通信 2007年1月15日(月) NO.040 ┃ ┃ ┃ ┃ 発 信 流 木 RyuBqu ┃ ┃ ┃ ┃ 光┃や┃風┃に┃触┃れ┃な┃が┃ら┃ ┃ ┗━━━ ━┛━┛━┛━┛━┛━┛━┛━┛━┛ ━━━━━┛ ◆くげぬま断章(1)◆ RyuBqu 1月8日(木)晴 ・・・仕事中玄関に万歳(まんざい)来りうたう。麗子あわてて 二階より走り下り喜んで見る。こわいものだとたわむれても、面 白さに見るを止めず。鵠沼に住みてかかるもの子供にとりて珍し きは当たりまえならんと思う。あとにて麗子万歳が鼻の穴を大き くしたり少(ちい)さくしたりしたといいて皆を笑わす。 (岸田劉生『鵠沼日記』) ◆ 大正9(1920)年、〈麗子微笑〉や〈麗子立像〉などの油彩画によって よく知られている大正期の画家、岸田劉生(りゅうせい)は30歳。この年 のはじめから日記を書き出している。元日には麗子坐像の素描をしている。 ここに抜書きしたのはその1月8日の記。 ずいぶん昔の鵠沼の新年風景である。 昭和のはじめごろには、もうすでにこうした万歳の門付けは見かけなくなっ ていたそうである。それでも新年を寿(ことほ)ぐ門付け芸は、まだ獅子舞な んかに残っていて、幼年期、正月を鵠沼の祖父母の家で過ごした私は、獅子に 頭を噛まれて、大騒ぎしたものだった。 しかし、これも昭和30年代を境に見なくなった。 ◆ 新年になって、はじめての海岸歩きをした。 日射しはまぶしかったが、さすがに風は冷たい。それでも相変わらず多くの サーファーが出ている。いつもの通りだ。 しかし、きょうは凧がいくつも揚がっている。やはりこの季節らしい光景が 見られるのはうれしい。そして、連凧やカイトの糸を引く子どもいじょうに、 父親が熱中しているのが好ましくみえた。 中学生ぐらいの少年たちが、ボール遊びに興じていた。 男の子たちが砂浜へ連れ立って出れば、季節を問わずたいてい相撲をとって 遊んだ時代があった。が、それも、もうずいぶん昔にすたれた。 劉生は相撲が好きだった。庭に土俵までつくっている。 日記には小さなスケッチが添えられているが、それをみると力士のようにマ ワシをつけて裸で組み合っている。なかなか本格的なのだ。 来客があるとたいていその客を相手に相撲をとった。作家の志賀直哉や長与 善郎も土俵にあがっている。イギリスへ帰国するまえに訪ねてきた陶芸家のバ ーナード・リーチまで土俵にあげている。 「鵠沼停留所までリーチを迎えに行ったら、丁度来合わせた電車に乗ってき た。いろいろ話が尽きず。夕方(椿貞雄も加わり)三人で角力(すもう)をと る。リーチはなかなか強かった」という具合である。 「昭和10年ぐらいまでは、どこでも素人相撲が盛んで、町内や町村で競い あったりしたもんだ」と祖父から聞いたことがある。 文士仲間や画家仲間でも相撲を楽しんだ時代なのかもしれない。 ◆ 平成19年1月13日(土)晴 大相撲初場所が七日目を迎えた。きょうの国技館は満員だとテレビは伝えて いる。ここまで全勝は平幕の玉春日一人。これを一敗の朝青龍も追う展開にな っているが、やはり今場所もこの横綱の強さが光っている。 インバネスを羽織り、頭に中折れ帽、手にはステッキ・・・そんな姿の劉生 が、この平成の相撲を見ようと、勇んで両国へ出かけていく姿を想像した。 リーチなどとも胸を合わせた劉生のことだから、モンゴル勢の活躍や琴欧州 のようなヨーロッパ出身の関取が生まれている今の大相撲を大いに面白がって いるように思えたのだ。 初場所TV観戦中の、ちょっとした空想であった。 初場所や がぶり寄ったる 勝ち相撲 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 〔ざぶらん通信〕 作 者:流木(RyuBqu) 編集者:風間加勢 発行日:毎月15日発行 ご意見、ご感想は掲示板「浜辺の語らい」よりお寄せ下さい。 http://www.geocities.jp/ryubqu88/ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ |
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