〔 特集: いま、なぜ、『君たちはどう生きるか』(吉野源三郎)か 〕

いま、なぜ、『 君たちはどう生きるか 』 (吉野源三郎) か  
◇第65回文教研全国集会の記録◇ 2016・8・6 ゼミナール
『 君たちはどう生きるか 』 (吉野源三郎)   
記録・文責 椎名伸子


司会の前口上     司会 椎名伸子
 資料を説明しながら、司会が少しお話したいと思います。

  『君たちはどう生きるか』をなぜゼミで取り上げたか

  昨年から今年にかけて戦争法(安保法制)に反対する国民の運動の大きなうねりがありました。その運動の中心で若い世代を結集していたシールズという団体がありました。 「SEALDs(シールズ:Students Emergency Action for Liberal Democracy-s )は、自由で民主的な日本を守るための、学生による緊急アクションです。担い手は10代から20代前半の若い世代です。私たちは思考し、そして行動します。私たちは、戦後70年でつくりあげられてきた、この国の自由と民主主義の伝統を尊重します。そして、その基 盤である日本国憲法のもつ価値を守りたいと考えています。 ―中略―私たち一人ひとりの行動こそが、日本の自由と民主主義を守る盾となるはずです。」(シールズの自己紹介の文章より)
 このシールズが自分たちに影響を与えた十六冊の本を 「ブックセレクション」として出しています。そして、そ の七番目に吉野源三郎著『君たちはどう生きるか』をあげています。私たちは、去年の夏以来、シールズのメン バーが路上で発する言葉や、それをまとめた本に接して、彼らの思考をかたちづくった先人の著作の一つに『君たち は……』があったことを知りました。私たちもとりあげて検討してみよう、そして、できれば、中学生ぐらいを対象に教材として扱えないか、扱える現場があったらいいなと思ったのです。

 吉野源三郎 よむ年表
 資料に入っている「吉野源三郎よむ年表」を出して下さい。これは、高澤健三さんがこの集会のために作って下さったものです。初めて吉野源三郎の年譜が纏められたと いっていいと思います。また、その名にたがわず、吉野の著作から彼の思想形成をたどるのに欠かせない文章が載っています。吉野は一九三一年三二歳、「非合法政治活動に シンパサイダーとして関わり、治安維持法違反で逮捕される。同時に失職。」「一年半にわたり代々木の陸軍刑務所に収監される。」とあります。そして、「心身疲労のため、不覚に同志を裏切るようなことを漏らすのを恐れて、自殺を 計った。」治安維持法下の困難な時代です。職を失った吉野に救いの手を伸べたのが山本有三です。山本は、当時、 『日本少国民文庫』の刊行を計画していました。日本がどんどん雪崩をうって軍国主義、侵略戦争にむかっている時代に、未来を託すのは少年少女だ、少年少女に必要なよい読み物をと計画したのです。一九三五年一一月『日本少国民文庫』が刊行されます。『日本少国民文庫』全16巻の締め括りとなるのが、この作品です。
 テキストとして、ご用意いただいている岩波文庫をご覧下さい。巻末に吉野本人の「作品について」、丸山眞男の 長い弔辞「『君たちはどう生きるか』をめぐる回想」が収められています。これは、ほんとうに適切な解説書です。
 吉野の『君たちは…』は何回も書きなおされ、話題もよび、評判も良かったのかポプラ社、新潮社からも出版されました。その経緯は、丸山の「回想」追記に細かく書かれています。このそれぞれの作品の異同を綿密に調べて小出陽子さんが対照表を作って下さいました。資料の中に入っています。全部を網羅するのはたいへんなので、一九三七 年八月の『日本少国民文庫』第五巻を初出として左に、そして『新編日本少国民文庫』(一九五六年)を右に載せ、対 照表となっています。丸山眞男もこの作品のちがいについて非常に詳しく検討しています。丸山は吉野の十五歳年少です。大学を出て研究者として一歩ふみだした頃『君たち は…』を読み、本当に感銘を受けたといっています。作品の変更について、丸山は、初出の方がいいと思う、と強調しています。私もそう思います。「六、雪の日の出来事」の中で、上級生がいう言葉に「愛国心のない学生は、社会に出ては、愛国心のない国民になるにちがいない。愛国心のな い人間は非国民である。だから、愛校心のない学生は、いわば非国民の卵である。われわれは、こういう非国民の卵に制裁を加えなければならぬ。」とあります。この「非国民」が戦後版では削除されているのです。このことに関して、丸山は次のようにいっています。「『非国民』という用語をあえて用いて、時代思潮に抗しようとした著者の勇気と、著者の論理は、まさにそのコトバが感覚的に通用しにくくなった現代にこそ正しく伝承さるべきではないのか。」
 私たちが教材化するときには、女中とか、級長とか、省線電車とかという言葉とともに、非国民についても適切なコメントを添えて、初出をテキストにしたいと思います。
 たいへん長い前口上になりました。さっそく、ゼミナールを始めたいと思います。作品を4つのパートに分け、話題提供をしていただいた後、討論という方法で進めます。

討論

 仲間との約束を裏切る卑怯なことをした自分を許せなくて悩み続けるコペル君に対してお母さんや叔父さんのとった態度や、言葉に感動したという意見があいついだ。
 そして、「世代という切り口でこの作品を考えてみたい。」 と井筒さんが次のように語った。「ここに登場する叔父さんというのは、太宰治、そしてそれに繋がる熊谷孝の世代だ。転向の問題で身を裂くような苦悩を経た世代である。その苦悩を経て、抽象的なものへの情熱を貫いた世代だった。その太宰が自分より若い世代に向けて『心の王者』とか『走れメロス』を書いた。そこでは、日中戦争が深みにはまり、もっと厳しくなる悪現実にぶつかっていくことになる若い世代に自分たちが直面した問題を伝え、粘り強く考え続けるために何が必要か、必死の思いでつくられた表現があった。この場面の叔父さんとコペル君の設定もそれに繋がっている。」「コペル君は『あの時、僕は人間だったのか』という問いを自分に突き付けて悩む。人間であり続けるためには、自分にも相手にもその問いを持続しなければならない。苦しいことだが、その問いを自分の中で持ち続けてくれ。文学は賭けだ、というが、この作品で吉野は若い世代に賭けているのだ。そういう場面規定で読むと一つ一つの表現の意味が響いてくると思う。」
  「コペル君は叔父さんから「手紙を書いて、北見君にあやまるんだ」と言われ、『そうすれば北見君たちは機嫌を直してくれるかしら――」その時、叔父さんは『潤一君!』と急にキッとなった顔で厳しい事を言う。いま、ここを逃したらいけないという決定的瞬間をつかんでコペル君によびかける。すごい構成になっている。」(荒川) 「信頼しているからこそ厳しいことを言う。その信頼に応えてコペル君も大きく成長できたんじゃないか。」(塚本) 
 吉野の表現にケストナーを感じるという発言に続き、「本当の意味での文学史、洋の東西をとらえたホントの文学系譜論を再創造していきたい。」(井筒) 「ケストナーの『飛ぶ教室』と『君たちは……』を続けて読みあうゼミを教室に戻ってやりたいと切に思います。」(橋本) 

 まさに今、現代の若い魂と『君たちはどう生きるか』を読み合いたい。『君たちはどう生きるか』を媒介して対話したい。橋本さんの発言が参加者の気持ちを代弁していたそんなゼミだった。

第1パート  まえがき/一、変な経験/二、勇ましき友/三、ニュートンの林檎と粉ミルク      話題提供 夏目武子

 コペル君の世代形成過程
 本田潤一・あだ名はコペル君。中学(旧制)二年生で十五歳(数え年)。この作品は、その中学一年生の秋から春休みにかけての、子どもから大人へ成長していくいわば世代形成過程、子どもっぽさを多分に残しながらも抽象的に思索し始める時期をどのように迎えたか、周りの人々との関わりの中で、「コペル君の頭の中に起こった出来事を報告する」という形で描かれる。

  「まえがき」はコペル君とその一番身近な人物の紹介
 コペル君はクラスの中で、背の低いほうで、いつもビリから二位、三位。運動神経は抜群、野球ではクラスの選手。点取り虫の勉強家というわけではないが、成績はたいてい一番か二番。遊ぶことは人一倍好きな方。修身の時間に先生に隠れて、糸でつないだ二匹の甲虫に綱引きをさせて喜んでいる。いたずら(ただ人を笑わせて喜ぶ、いたって無邪気なもの)が過ぎて、級長になったことがない。
 父親(大きな銀行の重役だった)が二年前に亡くなってから、郊外のこじんまりした家に引っ越す。母親はコペル君が快活さを失うことが心配で、あまり厳しく叱らない。 近所に母親の弟で、大学を出て問もない、法学士の叔父さんがいる。コペル君と大の仲良し。コペル君というあだ名はこの叔父さんが「製造」したもの。コペル君を見守り、その思索を促す。家に遊びに来る友人は水谷君。

 冷たい湿気の底に沈む東京を見て――人間は分子だ
  去年の十月×日、午後。コペル君は叔父さんと二人で銀座のあるデパートの屋上に立っていた。「霧雨の中に茫々とひろがっている東京の街を見つめているうちに、眼の下が海で、そこに何十万という人間が生きている」と思い、「まるで見とおしもつかない、混沌とした世界」に初めて出合う。叔父さんに質問し、叔父さんの言葉に刺激され、「人間て、まあ、水の分子みたいなものだねえ」と、気づく。今までに見られなかった真剣な顔をしたコペル君に対し、叔父さんはそれを見守り、黙って待っていてくれる。いい環境に恵まれているといえよう。
  帰りの車の中で、あんなに長い時間、何を考え込んでいたのか尋ねられる。「人間は分子である」ことに気づいたと答えるコペル君の成長に感動し、叔父さんは、コペル君ときちんと対話しようと、ノートを書くことにした。コペル君はこのノートをすぐ読むことはできないが、私たち読者は同時進行として読むことができ、コペル君の行動の意味をつかむ上で大きな示唆を受ける。
 その日の叔父さんのノート「一人一人の人間は、広い世の中の一分子みたい」だと気づいたことは、天動説から地動説に変わったようなものだ。大人に成長すると自分中心ではなく、地動説的に考えるようになるはずだが、大人になっても自分中心の天動説的な考え方を抜けきっていない人が多い。そういう人の眼には、大きな真理はうつらないのだ。地動説は唱え始められた当時、危険思想として弾圧を受けたと、潤一君の成長を記念したあだ名の由来 (コペルニクス君→コペル君)が語られる。言論の自由が保障されていない当時の世相も重ねてとらえられている。

  「油揚事件」から――何に感動したのか?
  コペル君たちの同級の生徒はたいてい、有名な実業家や役人、大学教授、医者、弁護士などの子どもたちだった。その中で、学業があまりできず、身なりや持物、口の利き方まで、貧乏臭く田舎染みている、豆腐屋の息子浦川君。弁当のおかずはいつも油揚げであることから、本人の知らないところで「アブラゲ」というあだ名をつけられ、仲間外れにされていた。浦川君はあんまりひどい目に会うと、「涙が出てきそうな眼でじっと相手を見て、それから諦めたような様子で立ち去ってゆく」。が、「その眼は少しも憎しみを著さず、「…後生だから僕を一人でほっといておくれよ」と語っていた。クラスの中の善良な連中はいたずらをやめたが、山口とその仲間は悪意のあるいたずらを続ける。
 十一月のクラス会の出し物を決める会のとき、担任は級長に人選を任せ、一時席を外す。山口たちは「アブラゲ」に演説をさせて恥をかかせようと画策する。それを確認したブルドッグのような体のガッチン(北見君)が「山口! 卑怯だぞ」「弱いものいじめはよせ!」と山口の胸にとびかかる。コペル君も人だかりを押し分けて二人に近づいたとき、目にしたのは――山口は仰向きに組み敷かれて、北見君が上から押さえつけていた。が、北見君の背中に浦川君が抱き着いて「もう許してやっておくれよ」と泣き出さんばかり。担任が戻り、級長の話を聞いて、事情が分かり、もちろん北見君は強くは叱られなかった。
 コペル君は叔父さんにこのことを興奮して話した。叔父さんはその日のノートに「なぜ、北見君の抗議があんなに君を感動させたか、山口君をやっつけている北見君を、浦川君が一生懸命とめているのを見て、どうして君が、あんなに心を動かされたか、そのことは大事なことだ」と記した。「学校の修身で、たくさんのことを学んでいるが、教えられたとおりに行動し生きてゆこうとするならば、一人前の人間になれない。いつでも、君の胸から湧き出てくるいきいきとした感情に貫かれていなくてはならない」とも。

 ニュートンの林檎と粉ミルクから――人間網目の法則
 コペル君の家での日曜日の午後、仲良しになった北見君が加わることで、室内競技をしていても、三人でおなかが痛くなるほど笑う。その後、コペルアナウンサー(ラジオの箱に風呂敷をかぶせた)による早慶戦実況放送。水谷君は慶応、北見君は早稲田の応援団。二人は試合の進行に一喜一憂し、アナウンサーも混乱を制するのに苦心惨憺。最後は慶応の勝ち。北見君は風呂敷ごと、コペル君を抑える。 「暴漢は……放送を……邪魔してます」。北見君が吹き出し…… 。三人はしばらく、黙って寝ころんでいた。そうしていることがどんなに楽しかったか。遊びの世界に浸りきつた後の心地よい疲れ。
 夕飯には叔父さんも加わり、話が弾む。七時過ぎ、叔父さんとコペル君は二人を送って外に出る。三人は、叔父さんが夕食のとき、持ち出したニュートンの林檎の話が、途中で終わっていることを思い出し、説明を求める。「ニュートンが偉かったことは、重力と引力が同じ性質のものではないかと考えつき、その思い付きから始まって、非常な苦心と努力によって、実際にそれを確かめたというところにある」云々。コペル君は、叔父さんがいくつのときその話が分かったのか、と知りたがり、「大学生になってから」と聞いて目を丸くした。
  叔父さんの話はコペル君を刺激し、思索を促す。五日後、コペル君から長い手紙が叔父さんに届いた。「寝床の中で、今も記念に残っている僕が赤ん坊の時に飲んだラクトーゲンのミルクの缶から、オーストラリアの牛から、僕の口にミルクが入るまでのことを順々に思ってみた。数え切れないほど大勢の人が僕につながっている。人間分子は、大勢の人と、知らないうちに網の目のようにつながっているのだと思った。これを『人間分子の関係網目の法則』ということにした。」この日の叔父さんのノートは、「『人間分子の関係』というのは、学者たちが『生産関係』とよんでいるもので、学問の上では出発点になっており、とっくにわかっていることだ。が、君が誰にも教わらないで、あれだけのことを発見したことは立派だ。敬服する。僕たちは人類が今日まで進歩してきて、まだ解くことができないでいる問題のために骨を折らなくてはうそだ。もりもり勉強して、今日の学問の頂上に上りきってしまう必要がある。そのためにも、夜中に目を覚まし自分の疑問を追っかけた精神を忘れてしまってはいけないよ。」と、コペル君への敬服と信頼に立って、次の世代へのメッセージが記されている。

討論

 コペル君たちの出身階層・旧制中学について
 「昨日の井筒さんの基調報告で進学率の変遷がありましたよね。現在、高校の進学率は98%とありますが、これは、戦前の旧制中学のはなしですから、中学に進学するのは、ほんの僅かですよね。ある意味選ばれた人たちで。」(芝崎) 「エリートの子息が行くような学校になぜ、豆腐屋の息子の浦川君が通学しているのか。その浦川君に漢文の素養がある。浦川君の両親には息子に学問をというなみなみならない思いがあるのでは。」(松浦) 「コペル君は、人間 関係という点でもお母さん、叔父さんと親しい大人たちから暖かく見守られている、信頼できる人間関係に恵まれている。」(成川) 「コペル君の家庭についてですが、お父さんが2年前に亡くなって、お母さんは不安でいっぱいだと思うんですよね。でも、お母さんの一番の心配はコペル君が快活でなくなること、そして、これは亡くなったお父さんの思いでもあること。そういうものがコペル君を支えている。これはとても大事なことだと思います。それと、印象的なのはコペル君の家庭では丁寧な敬語が使われている。教養をかんじますよね。注目したいのは、叔父さんは『コペル君』といい、お母さんは『コペルさん』と言いますね。 また、語り手も、作中のコペル君たちも『山口』と呼び捨てですが、叔父さんのノートの中では『山口君』なんですよね。今風な課題につなげていえば、いじめる側の問題についても目をむけていこうという叔父さんの姿勢を感じて、いいなと。」(樋口)

 現代にもつながるいじめ
  「現在の子どもたちは、いじめそのものよりも周りで何もしないで見られていることの屈辱、口惜しさをいうんですね。現在の学校に『北見君』はいない。なぜか、時代とかたづけないで考えていきたい。」(伊藤) 「浦川君の描き方、表情、『あんまりひどい目にあうと、……今にも涙が出てきそうな眼で、じっと相手を見て、それから諦めたような様子で、その場をたち去ってゆくのでした。』というところなど、誰でも感じると思うけど、芥川の『芋粥』の侍『五位』に通じる表現ですよね。こんなところに文学の受け継ぎ、文学史を考えさせられた。」(井筒)

第2パート  四、貧しき友      話題提供 朱通節子

  十二月のはじめ、十日を過ぎると急に寒く底冷えがし、雪を見るのも遠いことではない。二学期の終わりの学期試近に迫ってきている時のある日のこと。浦川君は二、三日欠席し、四、五日たっても姿が見えない。コペル君は浦川君のことが妙に気になり、北見君のフットボールの猛烈な誘いを断って最初の考えどおり思い切って一人で小石川の浦川君の家を訪ねることにした。コペル君が浦川君に対して、初めて行動を開始した日である。
  第一パートの「勇しき友」の「油揚事件」での北見君の勇気ある行動と浦川君の泣き出さんばかりに止める姿をコペル君から聞いた叔父さんは、「浦川君のような人には、周りが寛大な眼でみてあげなくてはいけない」と話す。叔父さんのこの言葉の重みと深さをずっと考え続けたコペル君ゆえの行動選択に、読者である私は人間的な魅力を感じる 。
 浦川君の家に着き、エプロンをかけて一生懸命に働いている浦川君の姿を目のあたりにしたコペル君。油がたぎっている大きな鉄鍋。長い箸を手際よく使い、商売人のように落ち着いて豆腐を揚げていく浦川君におもわず感嘆の声をあげる。コペル君にとって「油揚」というものがどうやって出来るか初めて知った日でもあった。浦川君は、家業を手伝いながら学業もやり、いざという時には、家族に頼られる存在感のある少年。今、お父さんは留守、店の若い人は風邪をひき寝込んでいる。だから、その分までも浦川君はしもやけいっぱいの手で「やりそこなうと三銭損しちゃう」と、夕方売りに行く油揚の分まで懸命に用意している。
 そんな状況の中で、学期試験の範囲を心配して「英語は何ページ進んだの?数学は?」と次々とコペル君に尋ねる浦川君。学期試験は近づくし、心配でたまらない浦川君にコペル君は丁寧に教えた。おかげで浦川君はホッとした。 浦川君は妹思いのお兄さんでもある。妹の良い面をコペル君に話す。また、風邪の吉どんに氷を砕いて氷嚢を作ったり、吉どんを励ます浦川君を見ることができたコペル君。
 浦川君にとって一番の心配事が起きている。それは、お父さんがお金の工面で故郷の山形に行っていること。そのことをコペル君に打ち明ける浦川君。一方お金の心配をしたことがないコペル君にとっては、なんといって慰めたらいいか、言葉が見つからない。「重ッくるしい気持でした。 生まれてから今までに、こんなに胸を押しつけられるようなものは感じたことがありません。」浦川君がおかれている現状を強く感じたコペル君。
 その時、お父さんからお金の工面ができた旨の電報が届く。浦川君の表情が明るくなった。お金の工面のことは誰にも話さないとの「約束」の指切りのあと、二人は思わず顔を見合わせて笑う。コペル君と浦川君の二人の信頼関係を思わせる場面だ。
 水曜日、コペル君は浦川君に英語や数学を教える。浦川君はお礼に本物のモーターを運転させてあげた。二人がそれぞれお互いに考えた素敵なアイディア。コペル君は夢中になってモーターを動かし、目を輝かせて楽しんでいる。満足感と安心感でいっぱいの二人。二人の間がより一層深 まっているようにみえてくる。コペル君にとっては、浦川君の家に行ったことで、いままで知らなかった世界を知り、貴重な体験をとおして多くのことを学んだ一日。
 浦川君のお母さん像についても触れておきたい。「ね、坊ちゃん、そうしてやって下さいまし。この子が学校のことをたいへん心配してますんで……。ほんとにむさくるしいとこですけど、まあ、たまには、こんなうちも見ておおきなさいまし。さあ、留や、ご案内おしな。なあに、坊ちゃんなんか、きれいなおうちなら、さんざん見あきてらっしゃらあね。」「……これに懲りずに、また来てやって下さいましね。……これで今日は大喜びなんですよ。」大らかで思っていることをはっきりと言える、あったかで安心できるお母さん。子どもたちに対する愛情をおろそかにすることなく、よい親子関係を築いているお母さんだ。風邪で寝込んでいる吉どんを親身になって世話をする浦川君の行為からもこの家の一人ひとりが人間として大切にされていることが見えてくる。庶民がまっとうに働き、生活の糧を稼ぎ、自立して生きている人間の自信と誇りがそのエプロン姿から溢れでている。

  おじさんのノート「人間であるからには――貧乏ということにつ いて――」
 一、二、三に分けて、かなりのスペースにわたって「貧しさとは何か」に焦点をあてて、話を展開している。叔父さんは、コペル君の経験をしっかりと受け止めた上で、事柄を例にとり、コペル君へ問いかけ、思索を促し深めていこうと語りかけている。コペル君への問いではあるが、私たち読者への問いであり、読者は、自分の問題として思索、模索し続け、行動の契機となっていくように描かれている。一、では、叔父さんは、コペル君が浦川君に対して一段高いところに居たり、思いあがったところが少しもないと。コペル君の浦川君への好意に共感し、二人とも素直なよい性質を持った少年だと。さらに次のように語っていく。 「貧しいながらちゃんと自分の誇りをもって生きている立派な人もいるけれど……たとえ自尊心をもっている人でも、貧乏な暮しをしていれば、何かにつけて引け目を感じるというのは人情なんだ。だから、お互いに、そういう人々に余計なはずかしい思いをさせないように、平生、その慎みを忘れてはいけないのだ。人間として……傷つきやすい自尊心を心なく傷つけるようなことは、決してしてはいけない。」「浦川君の中に、どうして馬鹿に出来るどころか、尊敬せずにいられない美しい心根や、やさしい気持のあることを知ったのは、君に、本当によい経験だった。」「貧しい人々をさげすむ心持なんか、今の君にさらさらないということは、僕も知っている。その心持を、大人になっても変わらず持ちつづけることが、どんなに大切であるか…」と語る。
 叔父さんは、さらに続けて「大多数の人々が人間らしい暮しが出来ないでいるということが、僕たちの時代で、何よりも大きな問題となっているからだ」と。まさに、二〇一六年を生きている私たちが日々かかえている課題に直結する。貧困、格差、自己責任、人間らしい暮しができない現代だ。ちっとも解決していない。
  二、では、浦川君のうちと、君たちのうちの相違。浦川君の家と、そこで働いている若い衆。夏の熱風や埃まみれで働いている工場労働者、田んぼで腰までつかって働くお百姓さんへの視点がみごとに描かれている。労力一つで働く人たちは、大病や大ケガで働けなくなったら衣食住を失い餓死につながる。だから、すべての人が人間らしく生きていけなくては嘘だ。君のように恵まれた立場にいる人がどんなことをしなければならないか。どんな心掛けで生きていくのが本当か。世の中のために役に立つ人になってくれることをコペル君に望む叔父さん。「網目の法則」は、人間同士のむすびつき。切っても切れない網目でお互いにつながりあって生きている。コペル君自身で見つけていってほしい。現実を見据えながら、考え続けてほしい。叔父さんのこの言葉は、コペル君に向けられているだけでなく、今まさに二〇一六年を生きている読者への問題提起である。吉野さんのとらえた貧困は社会構造や、社会の仕組みを広い視野で深めていて、多くの読者に思索を促すメッセージとして響いている。

討論

 浦川君のお母さん像、コペル君のお母さん像
 「浦川君のお母さんが素晴らしい。卑屈になってないし、自分の仕事に誇りをもっている。お父さんが留守だからかもしれないけどきびきび働いてますよね。そして、帰りしなに『うちの留と来たら、根っからハキハキしないで歯がゆうござんすけど、これで今日は大喜びなんですよ』と言うところも、浦川君の欠点をズバッと言いながら、こういう友達がいて喜んでいる、とっても人間的で肝っ玉母さんで、私、このお母さんのファンです。」(中島) この中島さ んの発言が参加者の共通なお母さん像になったところで、 成川さんから、「二度目のコペル君の浦川家訪問で、コペル君は勉強の遅れを取り戻す手助けをして、お礼にモーターを動かすことができた。その場面で、浦川君のお母さんは『うちの子と、この坊ちゃんとでは、まあ、なんて違いだろう』と思う。この『感に堪えない』ってどういう思いなんだろう。同じモーターを回すのでも浦川君の方が上手く出来る。うちの子は仕事で毎日やっているから、それは当たり前、しかし、来てくれた坊ちゃんは、こんなに喜んでやっている、でも、それは、仕事でなく遊び、なんて違いだろうと思ったのではないか。」と。そこで、最初の浦川君が油揚を揚げている場面に注目した発言があった。 「『うまいねえ、君!』『どのくらい練習したの?』とコペル君がいうと、浦川君は『練習?』って聞き返すんですよね。浦川君の家に行ってコペル君はいろいろ新しいことを発見したけれど、この練習しなくても上手くなる、というのも大きな発見だったのじゃないかしら。」(湊川) 「労働 の現場にいる者と、そういう世界を初めて知った者との違い。油揚を揚げているところでも、遣り損なうと三銭損しちゃうとか、生活に直結している問題として無駄にしたり、落としたり出来ない。コペル君は労働というものを初めて知ったんじゃないかな、でも、まだ『練習』と聞いちゃう。 後で、叔父さんのノートの中に浦川君とコペル君の違いを説明するのに『消費専門家』という言葉がでてきますよね。叔父さんのコペル君の体験に即し、思索を促す大事な指摘だと思います。」(椎名) 「この当時と現在をどうしても比べてしまう。職住近接というか、この作品の時代は生活の中で労働に触れることができた。ひるがえって現代は、働くことの意味を心底子どもたちが実感していく場面がきわめて少ないんじゃないか。」(橋本)

 浦川君と現代の子どもの貧困
 「浦川君がお父さんからの電報が来た時にほんとに喜んだのは、自分の学問が出来る、続けられるという喜びだったんじゃないか。生活を成り立たせるために削るとしたら学費となるし。浦川君にとって、自分の世界とは違う世界に繋がれるのは唯一中学校だった。学校を続けられるかどうかの危機的な状況だった。お父さんの電報でお金の工面がついたとわかった。浦川君の足取りに弾みがついたのもわかる。ある高校で『定期券を買えないので定期試験に行けません。』と学校に電話してきた生徒の話を聞いた。その電話をうけた教員たちがどれだけその生徒のおかれている状況を思いやれるか、という現代の問題に直結していると思う。」(増田) 貧困の問題、経済の問題、格差の問題に生身の形でコペル君が触れた最初の体験だったのではないか。だからこそ叔父さんも力を込めてノートを書いている。生産する人と消費する人の区別と関係を考えていかなければならない、三章でコペル君が発見した「人間分子の関係 網目の法則」がより厚みをもった「自分ごと」の問題となった。その契機となった大きな出来事だった。

第3パート  五、ナポレオンと四人の少年       話題提供 西平 薫

  正月の五日、コペル君たちは水谷君から遊びに招待された。初めて招かれる北見君と浦川君も含めて仲の良い四人が集まることは、コペル君には特別に楽しいことだった。

 水谷君の家と家族
 「品川の海を見晴らす高輪の、冬ながらこんもりと茂った高台に水谷君の家の大きな洋館」が立っている。明治の名 残を感じさせる古風な洋館で、太い門柱をくぐって登っていくと、ポーチがある立派な玄関があり、正面には「名刺受」が置いてある。上流上層階級の家庭を想像する。水谷君の部屋は新館と呼ばれている別棟にあり、父親が子どもたちを幸福にしてやりたいと建て増しした建物である。父親は実業界で一方の勢力をもっている。子どもの幸福と成長を願う父親だが、会議などで夜も出かけるほどの忙しい生活。母親はよく出かけていて、我が子には有名な政治家や貴族院議員の子どもや孫と遊んでほしいと願っている。 「僕、あんなやつ嫌だ」、「お母さんは少し変だ」と、水谷君は思っている。姉(かつ子)は母親のいうことなどきかず自分の好きなところに遊びにいってのびのびしている。 女学校の上級クラス、スポーツ万能。黄色いセーターに紺のズボン姿で闊達そう。ナポレオンの「英雄的精神」に憧れている。兄は大学生で哲学を学んでいる。つんとしていて少年たちには一言も口を利かない。
 そういう家族の中で、水谷君はレコードを聴いたり絵を描いたりしていて闊達そうな姉とは対照的。コペル君はこんないい家に住んで、なんでも好きなものを買ってもらえるのに寂しく暮らしているのが不思議でならない。経済的な豊かさの中の家族の人間関係の隙間がみえてくるようだ。 貧しくても支えあい従業員に対しても人間として大事にしている浦川君の家族の温かい人間関係とは対照的。

 浦川君の人間信頼に根差した人間的な成長・変化
 浦川君は、温かい家族の人間関係の中で、家計を助け、しっかりと生活している。基本的信頼感が、家庭で培われていると思われる。学校では、いじめられ、疎外され自信を失って萎縮している。しかし、コペル君の応援もあって英語の成績が良くなったこと、水谷君からお正月の招待を受けたことなど、体験を通して仲間との信頼関係を実感しつつあるのではないか。水谷君の家の庭での三段跳び。「この日ばかりは、へたくそなことを少しも恥ずかしがらない」で、何遍も何遍も挑戦する。やっと、本式に出来るようになると、少年たちは「まるでオリンピックの新記録が出たように喝采」する。出身階級・家庭環境が違っていても、対等に遊び、学び、努力を喜び合う少年たちの見事な連帯の姿。「恥ずかしさに真っ赤になりながらも、うれしさが包み切れない」浦川君。仲間への安心感・信頼感が、何遍も挑戦するエネルギーを生み出したに違いない。
  「柔道部の上級生が僕と山口とをいつか殴る」と、北見君から意外な話を聞かされ、みんなは驚く。「愛校の精神が乏しい。下級生が一般に生意気になって上級生を尊敬する風がない」などと、校風を引き締めるために、背く者に対してすすんで制裁を加えようというのである。ガッチンの北見君は上級生だろうがなんだろうが、自分の思っていることをかまわず言うので目をつけられていた。上級生の主張はそれだけなら決して間違ってはいないが、「もっと大きな誤りは、この人々が他人の過ちを責めたり、それを制裁する資格が自分たちにある、と思いあがっていること」だと、この精神が鋭く批判されている。
  一九三〇年代、上から下へと思想統制がだんだん厳しさを増し、制裁という名の弾圧を加えつつあった日本の政治社会状況下。学校という小さな社会の制裁事件を通して、厳しい社会の現実に眼が向く。そして、「北見君を危険からまもるには、いったいどうしたらいいでしょう」と、読者にも問いかけてくる。不安や心配で戸惑いつつ北見君を守ろうと相談しあう少年たち。「そんな圧政ってない」と憤慨するかつ子さん。先生に相談して処置してもらうことには、「誰がなんてったって」と北見君がどうしても賛成しない。その時、今まで黙っていた浦川君が少しはにかみながら、「北見君がもし呼ばれたらさ、僕たちもいっしょについて行くんだ」と初めて口を切る。どうしても殴ると言ったら、「そうしたら-そうしたら僕たち北見君といっしょ殴られるの。仕方がないもの」と。浦川君はそうすることによって生まれるマイナス面もすべて背負う覚悟で行動選択をしている。浦川君の考えにみんなは賛成し、指切りをして連帯を誓う。学校では孤立し萎縮していた浦川君。仲間との信頼関係を実感できたからこそ発言できた。仲間の中で主体的な行動選択ができた。浦川君の人間的な成長・変化に感動する。少年たちの連帯する姿も魅力的である。ケストナーの『飛ぶ教室』の世界が重層的に見えてくる。

 かつ子像
  「十七、八の髪を断髪にしたキリッとした顔立ちのお嬢さん」。「ナポレオンは偉いのねえ。英雄的精神のかたまりみたいなもんだわ。ほんとうに男らしい」とナポレオンの英雄的精神を賛美する。そして「一生に一度でもいいわ。身を切られるような思いをしてこの精神をあじわってみたい!」と、すっかり心酔しきっているようで、軍国主義に利用される危険すら感じさせられる。最後の戦いのナポレオンの沈痛な思いに満ちた絵を見ては「なんだか胸がいっぱいになってくるのよ」と、センチメンタルになっている。
 制裁事件で、「お父さんを学校に行かせて談判させてやる」という判断にはもう少し冷静さをと思う。が、少年たちに加勢したり、妹さんにと浦川君のポケットにキャンデーを詰め込んだりするやさしさもある。三段跳びで幾度も自分でやって見せて根気よくコーチする一面もある。かつ子像はトータルに描かれている。

 叔父さんのノート 偉大な人間とはどんな人間か-ナポレオン の一生について
 コペル君が急にナポレオン崇拝者になったので叔父さんは驚く。少年たちの気持ちを受け止めつつ、「なぜ、ナポレオンの一生が僕たちを感動させるのか」いっしょに考えてみようと体験に即して思索することを促す。叔父さんの語るナポレオンの生涯は読んでいて楽しい。歴史的視点をふまえナポレオンのプラス面もマイナス面も丸ごと捉えて、その意味を問題にする。わずか十年で貧乏将校から皇帝につき、たちまち十年間で皇帝の身から捕虜の身に転落したナポレオン。学芸の奨励、「ナポレオン法典」を作るなど人類の進歩に役に立ったこともあったが、全盛時代には自らの権力を際限なく強めた。六十万以上の大軍を率いてロシアに遠征したが、「酷寒と食料の欠乏」に勝てず退却。何十万という兵士たちは空しく凍え死に、国境を越え帰還した者が一万にも満たないという悲惨きわまるロシア大遠征失敗の話は劇的だ。叔父さんはかつ子さんと違って、ナポレオンの野心の犠牲になって生命を空しく落とした兵士たち、その友人、その家族にも眼が向く。叔父さんの階級的視点が見えてくる。たった二十年の野心に溺れる生涯であったが、〈奮闘的な生涯、勇気、決断力、意志の強さ〉などナポレオンから学び得るものにも、しっかりと眼を向けさせている。
 尊敬できるのは、人類の進歩に役立った人だけだと、「偉大な人間とはどういう人か」を考える視点を示す。「非凡な能力で、非凡な悪事をとげることもあり得ないことはない」と、押し付けることなく思索を促す叔父さん。「人類の進歩と結びつかない英雄的精神も空しいが、英雄的な気概を欠いた善良さも、同じように空しいことが多い」と指摘。「君も、いまに、きっと思いあたることがあるだろう」と、コペル君の人間的な成長を待つ姿勢が伝わってくる。そこには作者、吉野さんの少年たちの人間形成にかける厳しくも温かい眼差しがある。

討論

 水谷君の家庭について

 水谷君の家は部屋数も多く、調度品も立派、そのうえ子どものための新館とよばれる別棟まである。お父さんは「実業界の一方の勢力を代表するほどの人」というのだから、財閥のトップと言っていいかもしれない。この水谷家の全体の雰囲気について「お母さんは、息子に有名な政治家や、貴族院議員の孫と付き合ってほしいとおもっているし、お兄さんは大学で哲学を学びながら、中学生とは口もきかないといった風だが、お父さんはちょっとちがうよね。お父さんは非常に自由主義的、リベラルだよね。」(井筒) かつ子さんの育て方にもそれは表れている。コペル君は、水谷君はほしいおもちゃはなんでもかってもらえる暮しをしていても寂しさを感じていることをのがさず見ていることも指摘された。

 浦川君の変化
 お母さんのいいつけとは違って、水谷君は自らの意志でお正月に北見君と浦川君を招いた。もちろんコペル君も。浦川君は、みんなで三段跳びをやる場面で、かつ子さんの粘り強い指導もあり、うまく飛ぶことができた。「仲間との活動の中で子どもたちはかわっていく。安心できる信頼 関係があれば。」(伊藤) 「浦川君は人間を信頼する素地があるから仲間と出会って変わることができたんじゃないか。前段で話し合った浦川君の家庭、家族関係がその素地をつくった。」(成川) 「北見君が殴られそうになったら、僕たちもいっしょに殴られてやる、これ、人間に対する信頼がなければ言えない言葉だと思う。見ている人間も許しはしないだろうという。」(成川) 「やっぱり、浦川君がこういうのは、まさに、彼の生活の中で知らずしらずのうちに培われた、庶民の中での仲間の守り方というものがでてきていると思う。ほんとうの英雄、英雄的精神とは何かにもつながっていくよね。」(井筒)

  英雄的精神と何か
 吉野は、「作品について」(岩波文庫に所収)の中で、一九三五年〜三七年の『日本少国民文庫』の刊行された時代について次のように語っている。「当時、少年少女の読みものでも、ムッソリー二やヒットラーが英雄として賛美され、軍国主義がときを得顔に大手をふっていた」と。ここで、なぜ、ムッソリー二やヒットラーでなく、ナポレオンなのか、吉野の時代への批判精神があるのだが、ここでも討論は白熱した。「人類の歴史の進歩のプロセスのなかで位置づけないで、ただ、英雄的精神が素晴らしいと取り上げていくと、それは、ムッソリー二やヒットラーにもつながりかねない。そういうところをいろいろ考えさせる状況を設定してあるんじゃないか。かつ子さんのナポレオン崇拝にしても、正義感からくるナポレオンへの共感があるし、その土台にあるリベラルな考え方もある。しかし、一歩間違うと、英雄礼賛みたいになる危険もある。この年代の若い子どもたちのもっているいろいろな面や揺れをふまえながら、正義感や英雄への共感をほんとうに生かし、自分の生き方のなかに摂取していくにはどうしたらいいか、ということを叔父さんはノートで語っている。」(井筒) 偉人を並べて、それに見合う「美徳」を考えさせる道徳の教科書にも話は及んだ。

第4パート  六、雪の日の出来事/七、石段の思い出/八、凱旋/九、水仙の芽とガンダーラの仏像/十、春の朝  
         話題提供 橋本伸弥


 雪の日の出来事  場面既定の関連で
 吉野源三郎がこの作品を書き上げたのは一九三七年八月である。その前年、一九三六年の二月二六日。雪の降り積もった日、世の中を震憾させる事件が起きた。陸軍将校の反乱、いわゆる2・26事件である。「当時、軍国主義の勃興とともに、すでに言論や出版の自由はいちじるしく制限され、労働運動や社会主義の運動は、凶暴といっていい ほどの激しい弾圧を受けていました。」「偏狭な国粋主義や反動的な思想を超えた、自由で豊かな文化があることを、なんとかして(子どもたちに)伝えておかねばならない。」「当時、ムッソリー二やヒットラーが英雄として賛美され、軍国主義がときを得顔に大手を振っていた。」と吉野は「作品について」の中で語っています。
 六章冒頭に「コペル君が耳にした噂は、たちまち、下級生の間に広まりました。何か恐ろしいことが起こりそうだという不安な思いが小さな人々の心につきまといました。」 と。このようなことが直接2・26事件にかかわることはないわけだが、しかし、当時の若い読者は時代の不穏な空気を肌で感じながら作品と対時したように思う。
 さて事件は雪合戦を夢中でやっていたときに起きた。北見君が誤って柔道部の黒川たちが作った雪だるまを壊してしまったのである。黒川たちは北見君の小さなミスにつけ込んで言いがかりをつけ、彼らの狙い通りの制裁に発展することになる。

 コペル君のつまずきとその苦悩
 かつて水谷君の家に遊びに行ったときに、柔道部の連中から北見君を守るためにみんなで約束したことを、彼が殴られるのを目の前にしながらそれを破ってしまったコペル君。浦川君や水谷君はちゃんと約束を守って北見君と運命を共にしたのに、コペル君は黒川たちになに一つ抗議せず、北見君をなに一つ助けようとせず、おめおめと見過ごしてしまったのである。
 ちょっとしたタイミングを失って黒川たちの前に出て行けず、その後に出ていくなら今だ!とそのチャンスが何度もありながら、そう思うと全身がふるえて飛び出すことが出来なかったコペル君。そしてまた黒川が「北見の仲間はみんな出てこい」と鋭く詰問した時に、思わず雪の玉を持った手を背中に回した。コペル君のこの行為は誰にも気づかれることはなかったかもしれない。しかし、コペル君は自分の内面において、その事実から逃れることの出来ない自分がいるということを鋭く自覚することになった。
 旧制中学校で上級生と下級生の間の年齢差ということもあるが、黒川たちの下級生に対する不敵な態度、それに加えて柔道部として威圧的で我が物顔にのさばっている姿勢が、下級生のコペル君たちに、ある不気味さや恐怖を感じさせていたかもしれない。その点では同情できるが、しかし友情を裏切った行為は、自ら招いた結果であってその責任から逃れることは出来なかった

 石段の思い出を語るお母さん
 コペル君にとって「雪の日の出来事」は死んでしまいたいほどの辛く悲しい体験であった。二度とこのような苦しい経験はしたくないと思っただろうが人間である限りいかなる場合であっても正しく完壁な行動選択が出来るとは限らない。「ほんとうに、あのときの自分を思い出すと、コペル君は自分ながら自分が嫌になってくる。いざとなると自分があんなに臆病な、あんなに卑屈な人間になろうとは、今度のことがあるまで夢にも思わなかったことであった。」
 以前、かつ子さんが話題にしたナポレオンの英雄的精神に感動し、自分も勇気ある行動力を発揮すべく努力したいと思っていた矢先に、それとは真逆の自分の心の弱さを痛いほど実感させられたコペル君。そのコペル君を静かに見守っていたお母さんが、まだ女学校に通っていた頃の話として語ってくれたエピソードはどんなにコペル君を励ましたであろうか。「湯島の天神様でお婆さんが重そうに荷物を持って石段を登ろうとしているところに出会ったことがあった。でもその時、お婆さんの代わりに荷物を持ってあげられなかったことを後悔している。後になって、何と思ってみたところで、もう追っつかない。追っつかないということでは、こんな些細な事だって、大きな取り返しのつかない出来事と、ちっとも変わりはないんですもの。大人になっても、ああ、なぜあのとき、心に思ったとおりにしてしまわなかったんだろうと、残念な気持ちで思い返すことはよくあるものなのよ。お母さんは、あの石段のことでは損をしていないと思うの。後悔はしたけれど生きていく上で肝心なことを一つおぼえたんですもの。ひとの親切というものが、しみじみと感じられるようになったのも、やっぱり、それからでした。」
  叔父さんの言葉として「自分の過ちを認めることは辛いものだ。しかし過ちを辛く感じることの中に人間の立派さもあるんだ。コペル君、お互いの苦しい思いの中から、いつも新たな自信を汲み出して行こうではないか。」

 コペル君の思索におけるコペルニクス的転回
  「コペル君は、たとえ一人で思い悩んだのであったにしろ、そのおかげで自分のすることや自分の考え、自分の生活というものを、じっくりと見つめることを知り始めました。」そして、「言葉だけの意味を知ることと、その言葉によって表されている真理をつかむこととは、別なことでした。コペル君はやっと最近になって、自分を振り返って見ることがどんなことかそれを少しずつ知り始めたのです」。
  コペル君が叔父さんと一緒に銀座のデパートの屋上に立って感じたあの不思議な心の変化をより一層深く豊かに感じ取っている場面ではなかろうか。そのような理性と感性の深まりの中で、庭の日陰で芽を出している黄水仙の茎と根が深い土の中を伸びていこうとする命への共感。その生きることへのささやかだが、たゆみない努力にしみじみと感動していること。またギリシャ彫刻が遠い遠い距離と長い長い時間を隔ててガンダーラから東洋の東の果ての日本の仏像にまで影響を及ぼしている歴史的な事実に「コペル君は自分の胸がふくらんできて、何か大きく揺すられているような気持でした。」
  さて最後の場面になりますが、コペル君は今は消費専門家で何も生産はしていないが「人間分子の関係網目の法 則」の一人として自分がその輪の中にいることを自覚し、人類の進歩に向かって自分が役立つ人間になりたいと思う。コペル君は自分のノートにこう書きつける。 「僕は、すべての人がおたがいによい友だちであるような、そういう世の中が来なければいけないと思います。人類は今まで進歩して来たのですから、きっと今にそういう世の中に行きつくだろうと思います。そして僕は、それに役立つような人間になりたいと思います。」

討論

 仲間との約束を裏切る卑怯なことをした自分を許せなくて悩み続けるコペル君に対してお母さんや叔父さんのとった態度や、言葉に感動したという意見があいついだ。
 そして、「世代という切り口でこの作品を考えてみたい。」 と井筒さんが次のように語った。「ここに登場する叔父さんというのは、太宰治、そしてそれに繋がる熊谷孝の世代だ。転向の問題で身を裂くような苦悩を経た世代である。その苦悩を経て、抽象的なものへの情熱を貫いた世代だった。その太宰が自分より若い世代に向けて『心の王者』とか『走れメロス』を書いた。そこでは、日中戦争が深みにはまり、もっと厳しくなる悪現実にぶつかっていくことになる若い世代に自分たちが直面した問題を伝え、粘り強く考え続けるために何が必要か、必死の思いでつくられた表現があった。この場面の叔父さんとコペル君の設定もそれに繋がっている。」「コペル君は『あの時、僕は人間だったのか』という問いを自分に突き付けて悩む。人間であり続けるためには、自分にも相手にもその問いを持続しなければならない。苦しいことだが、その問いを自分の中で持ち続けてくれ。文学は賭けだ、というが、この作品で吉野は若い世代に賭けているのだ。そういう場面規定で読むと一つ一つの表現の意味が響いてくると思う。」
  「コペル君は叔父さんから「手紙を書いて、北見君にあやまるんだ」と言われ、『そうすれば北見君たちは機嫌を直してくれるかしら――」その時、叔父さんは『潤一君!』と急にキッとなった顔で厳しい事を言う。いま、ここを逃したらいけないという決定的瞬間をつかんでコペル君によびかける。すごい構成になっている。」(荒川) 「信頼しているからこそ厳しいことを言う。その信頼に応えてコペル君も大きく成長できたんじゃないか。」(塚本) 
 吉野の表現にケストナーを感じるという発言に続き、「本当の意味での文学史、洋の東西をとらえたホントの文学系譜論を再創造していきたい。」(井筒) 「ケストナーの『飛ぶ教室』と『君たちは……』を続けて読みあうゼミを教室に戻ってやりたいと切に思います。」(橋本) 

 まさに今、現代の若い魂と『君たちはどう生きるか』を読み合いたい。『君たちはどう生きるか』を媒介して対話したい。橋本さんの発言が参加者の気持ちを代弁していたそんなゼミだった。



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