資料:鑑賞主義論争
「国文学 解釈と鑑賞」 昭和11(1936)年8月号掲載 


国文学界の二つの傾向
――国文学時評――  吉田精一
      

 現在の国文学界の傾向を大まかにわけて、対象を処理する態度の上から、事象的と体系的という二つに分類することが出来るであろう。事象的とは具体的な事象そのものに即して、調査し、記述し、判断する態度をいい、体系的とは個々の事象の根本的把握を、一定の方則、乃至(ないし)体系に帰せしめようとする態度をいうのである。(中略)

 (一) 事象的研究。 まず七月号の雑誌に載った事象的研究というものをしらべて見よう。(中略)
 ここで一般にこういう事象的研究の特色を体系的研究との対称に於て瞥
べつして置こう。(一)これらの事象的研究が要求するものは、当の対象に対する確実な認識と、明澄な判断である。いわば、対象の内的構造の闡明である。そういう場合、これを現実的存在として、行為として見るよりも、いわば静的な存在としてながめている。これらの対象には、たとえばこれを創造した人間の社会的、階級的位置が、何等かの仕方で反映しているであろう。しかしそれは内在的な意味としては、静的な存在たる対象の中に含まれていない。研究者はそこでそれをとり出すことをしないのである。(二)事象的研究は、対象そのものに即して、その理解を求めるのである。ところで、他の体系的方法(ことに社会的方法)は、この内的構造を理解する根拠を、この対象とは別なものの構造(たとえば、社会、階級)にもとめるのである。いわば文藝を文藝として、その領域で理解しようとせず、他の次元に説明の基礎を借りるのである。この次元と対象との関係をどう処理するかが、その合理的な説明の仕方が、体系主義者に於ける関心のまとのように見える。そういう考え方は、事象的研究からいえば、全面的理解というよりも巧妙な説明をめがけているものとして、不満足に思うに違いない。

 (二) 体系的研究。 
久松潜一先生の批評史の研究に就いて(「国語と国文学」)では先生は御自身の批評史について語り、「まこと」「もののあはれ」「有心」「幽玄」などを日本文芸学の基礎理念とした岡崎氏に賛意を表し、ただ岡崎氏の「様式論」に対して精神史的な行き方をとる所に差を見出していられる。先生独自の批評史の体系や、岡崎義恵氏の「日本文芸学」の体系の中には、新カント学派的な思想がひそんでいるのではないかと思う。先生や岡崎氏の文芸性に対する認識論的基礎づけは、意識されるにせよ、されないにせよ、新カント学派、ことにリッケルトあたりの哲学にあり、美学的にはリップスの心理主義的美学がそれに当るのではないかと思う。
 先生はこの論文の中で、様々な外国の学者の批評史的研究の例を挙げていられる。しかし私達の今日以後の文学の研究には、文芸学方法論としての既成のものはもはや多くの寄与をなし得なくはないか、とそんな事を空想する。私達はその青年期の教養として弁証法的な思想に生きた。それから
ジムメルディルタイ等の生の哲学の方法をすこしばかり知り、これらをとり入れずして真に根柢ある文芸の研究のなし得ないことを思った。今日は更に現象学の理論や方法をいくらか学び、こうしてほとんど自分自身の立場を得るにも苦しんでいる。之は文学の研究を真に学として確立せしめたいという内的要求から、どの方法にも満足出来ない為の、やむを得ない方法論的彷徨であった。今日私達を満足させる文学の方法論はなくなってしまった。そうしてそれは私達自身で過去の偉大な実践の中に発見し、また私達自身の実践によって、きずいて行かなければなるまいかと思う。
 理論的に困難な問題は無数にある。
近藤忠義氏の別の体系的立場に立って鑑賞の問題をとりあげていられる。国文学の普及と鑑賞の問題(「解釈と鑑賞」)で氏は、一先ず鑑賞を「主観的・現代的享受」と規定し、このような「通俗の意味での鑑賞が、今日迄の国文学の普及に役立って来た。今日以後に於ては、それは真の研究とは無縁な、単なるファンの量的増加を伴うに過ぎない。」といわれる。「……通俗的な意味での『鑑賞』は国文学界のどの片隅からも閉め出されるべきものである。そうして若し鑑賞という言葉が入用ならば、従来の混乱した曖昧な用語を精密に整理し、新しい内容を約束する『鑑賞』なる言葉を規定せねばならぬ」。(同)
 従来如何にも多くの曖昧なる用語が国文学者の間に通用していたことは事実である。それは一面理論的関心の薄さを立証するものであったに相違ない。一体厳密な学的用語としての鑑賞とは何であろう。私の考えでは次のように規定し得るのではないかと思う。解釈学では了解解釈 とをそれぞれ違った意味で使っている。了解とは一般に生の表現(客観化)たる諸文化財、あらゆる歴史的社会的実在を対象とするものであるが、(その意味で自然科学的な認識 と区別する)特に芸術的対象の了解を鑑賞とよぶと考えてよろしかろう。鑑賞(観照)とは、それならば研究対象に対する非理論 的経験をいうのであて、これは学的研究の予備段階としての位置をもつ。文藝作品のような非理論的対象を、理論的対象を理論的態度を以てしては、根源的に獲得出来ない。しかもこのような非理論的な経験の中に契機 として含まれているものをとり出し、理論的反省をなすとき、研究素材としての問題定立が出来る。たとえば、「いきの構造」(九鬼周造氏)は、いきの体験(具体的直観)によって、「媚態」「諦め」「意気地」の三契機をとり出すのである。定立された問題は、更にそのはらむ矛盾の解決を要求し、この解決によって科学的方法が完成する、という風に考えられる。しかしこの場合方法の進行中も常に(たとえば実証的な調査や、論理的な思考のうちにも)、観照とは、かくして常に対立的統一として、弁証法的な発展をなし、解釈の層次を形成する。このように考えると、鑑賞(観照)というものの重要さと、研究の中に於ける位置措定の困難さが、おのずから理解されるであろう。
 ところで、近藤氏は更に、国文学と鑑賞主義(「国文学誌要」)に於て、従来の「鑑賞主義」を排斥し、今日の多くの研究方法は、その究局に於て鑑賞主義と野合して居り、「鑑賞そのものが、既に文学とは不可離の血縁関係にあるものだと無反省に信じられている結果、これと野合以前の研究手続きが、夫々の研究法の立看板となって」独自の方法であるかのような印象をあたえる。究局のところ、これらの研究法は、鑑賞主義とは全く無縁な「歴史的方法」と鋭く対立することであろう、と述べていられる。
 これは要するに鑑賞を通俗な意味のそれと解された批難である。作品解釈の方法論という見地から、鑑賞を今述べたように規定すれば、氏等の歴史的方法もこの鑑賞の上に定立された問題を解決する、一つの方法たるに過ぎないであろう。
 猶この論文のあとに資料主義・鑑賞主義・その他熊谷孝氏)という大へんいせいのよい論文がのっている。岡崎義恵氏の文章をひいて、同じ立場から、「日本文芸学」を鑑賞主義だときめつけたものである。しかし文芸の価値についてにせよ、「鑑賞」の意味にせよ、十二分に考えぬかれたのちの「日本文芸学」の主張であり、従来の岡崎氏の実践であったのだ。そのことをよく考えることが、あなた自身の主張を批判することになりはしまいか。
(以下略)

 

資料:鑑賞主義論争熊谷孝 人と学問次頁