資料:鑑賞主義論争
「国文学 解釈と鑑賞」 昭和11(1936)年7月号掲載 


国文学の普及と「鑑賞」の問題    
近藤忠義
   


 ここ数年来、国文学がその「普及」という方面でも亦(また)、極めて大きな業績を果しつつあることは周知の事実である。そして、それには種々の動因が考えられるけれども、就中(なかんづく)、すぐれた少数の学者が、旧来「常識」となってそれに対する反省が怠(おこた)られていた所の、誤れる選良的・高踏的な、「学問の為の学問」の態度を棄てて、国文学の新しい発展への聡明な見透しのもとに、所謂(いわゆる)象牙の塔を出て一般に呼びかけて呉れ、また現にそうし続けていて呉れる功績を決して見逃してはならぬ。
(中略) 

 我々の学界は既に、所謂専門的な精密な基礎的研究の一つの 段階を通過して来たが、それらをただ徒
(いたず)らに煩瑣(はんさ)な、無目的な、無政府状態に陥らせることから救い、国文学の健康な円満な発展の線に添うて、更に第二段の専門的研究の段階に導くための、信頼すべき無言の指示を与えるものも亦(また)、他(ほか)ならぬ叙上(じょじょう)の「普及」の仕事であったし、今後もやはりそうである、という点を我々は明確に理解して置くべきである。
 さて卑見によれば、この国文学普及の仕事は、今やその任務に、おのづから重大な新しい領域
(りょういき)を拓(ひら)いて来て居る。従来の「普及」は、一般大衆をして国文学への親しみ・関心を増させることによって、その上に国文学を発展せしめるべき地盤を拡大することに主力が注がるべきであり、また一応その仕事が成し遂げられた。そうしてその仕事は、通俗的な意味での 「鑑賞」を通じて行われた。しかし乍(ながら)、そのような「鑑賞」――言い換えれば、国文学の主観的・現代的「享受」――を以てする大衆の動員は、結局「学」としての国文学研究とは実質上無縁(むえん)の、どこまで行っても合致点を持たぬ平行線(へいこうせん)的な、彼等自身もはやそれ以上の発展を許さぬ単なる国文学ファンを、量的に増加せしめるだけに過ぎない。今日以後の国文学にとって、そのような外郭団体(がいかくだんたい)は、国文学発展の為の役割を果たし得ぬものであるのみならず、研究発表機関の営利化の実状と結びつくことによって、更に又、現下の特殊な社会情勢と繋(つなが)り合うことによって、多かれ少なかれ、却(かえ)って学問としての正しい仕事を歪(ゆが)めることに役立つに至るだろう。
 今日、国文学の普及・大衆化の仕事が到達した第二の段階は、このようにして、先ずその実践に移る前に、「鑑賞」の問題の再吟味という理論的反省の必要に直面したのである。(我々は、このような時期に際して、本誌が「解釈と鑑賞」の名によって世に出たことを返す返すも意義深く思うものである。)更にそれと同時に、大衆そのものの実体についての再認識が、これ亦
(また)刻下の急務として課せられて来て居る。おもうに我々の学界の少くとも一部には、その反省無き専門家的矜持(きょうじ)・選良意識から、もしくは上述の、時代の趨向(すうこう)に対する不感症から、大衆の実体への誤認・過小評価が見出されはしないか。事実、専門家と大衆とは一応異なった存在である。しかしそれらは平行線的に遂に合致せぬ・孤立した・二つのものであってはならぬ。  今日(こんにち)の近代文化は、一定の過去の時代に、そのあらゆる部門に渉(わた)って専門化し、正にそのことによって、高い今日の水準に到達したのだが、過去の条件に惰性的に引ずられたその極度の鎖国的な専門化は、一面に於て、今や文化発展の為の桎梏(しっこく)とさえ変じて来て居る。古風な専門家意識は速(すみや)かに自己批判せらるべきである。今日の専門家はもちろん「深く」なければならぬと共に又「広く」なければならぬことが、新たに要求せられて来て居る。これは今日のような時代に学徒として立つものの、当然背負わねばならぬ義務である。「広く」とは、言い換えれば、八百屋的間口(まぐち)の拡大ではなしに、「学」と社会的生活との結点(けってん)を正確に捉えることであり、そのために当然必要な社会的視野の正確さと広さとでなければならぬ。大衆は生々(なまなま)しい社会的現実を呼吸しつつ社会と共に成長して居る。古風な専門家が、その研究の「深さ」に恃(たの)み「狭さ」を顧みず、その双方の実体に関して反省する事なく、書庫の塵埃(じんあい)と共に乾枯(ひから)びて行く間に、大衆は時代と共に遙かな前方を歩んで居るだろう。物を見る目を固定させることほど危険なものは無いのである。過去の特定の時代に専門家は斯(かく)のごときであったから今も亦そうでなければならぬ、というような考え方からは、何物も生れて来ないのみならず、それはマイナスのはたらきさえする。因襲的に眠らされた偏見を以て、大衆を誤算し、過小評価することは、このようにして、古風な「専門家」が当然に落ち込む陥穽(わな)の一つであり、かかる専門家からは、今後我々の学界への寄与を期待することが次第に不可能となるだろう。
 かくして、国文学普及の第二段階に於ては、謂
(い)わば国文学の旗のもとに動員せらるべき大衆は、も早第一次普及時代にその目標となったような大衆ではない。彼等はすでに、従来の古い「鑑賞」主義によって組織されはしないし、又そうしてはならぬ。大衆の一部に、今なおそれを以て組織し得る可能性があるとしても――そして現実には、今日の情勢は一面その可能性を増して来てさえも居るのだが――そのような仕事は、上に述べたように、今後は国文学の学としての発展に些(いささか)も資するところの無いばかりでなく、むしろその障害物となるだろうことは既に自明である。
 以上の如くして、今日の国文学の、少くともその普及の問題に際しては、我々学徒の側面からしても、その対象となるべき大衆に即して考えて見ても、共に鑑賞の問題が、我々の実践を導く方向舵として、即刻、理論的に正しく整理せられなければならなぬ、ということが明らかになったのである。
 私見によれば、国文学が、学の為の学でもなく、また「趣味」の為に捧げられるのでもなく、正
(ただ)しく認識された「学」としての研鑽(けんさん)である以上、そうしてその仕事の、「余技」ならぬ重大な一部として、新たなる普及大衆化が行われる以上、通俗的な意味での「鑑賞」は、国文学のどの片隅からも閉め出さるべきものである。そうして若(も)し鑑賞という言葉が入用(いりよう)ならば、従来の混乱した曖昧な用語――それが我々の思考を無意識のうちに混乱させる――を精密に整理し、新しい内容を約束する「鑑賞」なる言葉を規定しなければならぬ。「鑑賞」という言葉を、文学研究の世界から抹殺することに、一抹の不満と不安とを感じるのは、筆者の体験によれば、文学研究に際して(古い型の鑑賞 は此処ではも早問題外である)、我々の「感受性」に与えられる分け前に関する問題と結びつくからである。研究者の感受性は、畢竟(ひっきょう)一つの自然的条件であるに過ぎず、それ自体切り離しては、意味を持たぬ価値以前のものであって、問題は、それが学的研究(ことわる迄もなく古い鑑賞ではない)の諸操作と結びつくことによって、自然の領域を脱して学に参与するのであり、従ってその時には、この感受性は、古風な感傷主義者や、或は選良意識に満(み)てる「研究」者が――両者は実は本質上同じものである――固く信じて居るように、主観的な作用を発生するのではなくして、全く客観的な、学としての手続きを援助する役目を果すのである。感受性の有無・多寡・強弱は、従って、この段階に於てこそ一つの条件として問題とし得るのであり、それ自身独立しては何らの意味なきものであることを知らねばならぬ。研究者の感受性は、一応先天的な自然的条件であるから、これを過大に問題視することはまことに愚かである。感受性の甚だしく乏しい者が研究者には不適であるのは分り切ったことであるが、之に反して感受性の極めて大きい者が、それに適して居るか否かは、直ぐには断定出来ぬことである。この自然的条件を学的研究に於ける条件に組み変えるものは、他ならぬ彼自身の「方法」だからである。本稿と併せて「国文学と鑑賞主義」(法政大学「国文学誌要」・昭和十一年七月号)をも一読下さらば幸甚。――六月十三日朝・稿――

 

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