< 熊谷孝 講演記録 >
1979年6月30日
広島市民間教育サークル会議主催 第2回教育基礎講座

 
   文学教育の理論と方法       国立音楽大学名誉教授 熊谷 孝  
……広島・文学と教育の会作成の 《講義要録》を基とし、それに小見出しの設定・行アケその他、若干の変更を加えた……
……標題に「井伏鱒二・太宰治やドーデ『最後の授業』などにふれて」のサブ・タイトルがあったが、ここでは省略した……
  
  当日の課題について(プリント)……熊谷孝氏によってあらかじめ用意されたた資料
  早いもので、もう1年になります。去年の第一回基礎講座の際の、お互いに心を通わせ合って取り組んだ、熱気あふれるあの共同学習のフンイキが忘れられず、今年もう一回手伝いに来ないかというお誘いのあったとき、二つ返事で参加させていただくことにしました。皆さん今年もどうかよろしく――。

  ところで、<文学教育の理論と方法>という課題は、これは、ずっとあとになってからの、長距離電話での一方的な通告です。あわてました。何とも私には荷のかち過ぎる課題だからです。開催の当日まで、ずっと悩みが続きそうです。

 さて、<文学教育の理論と方法>というこの課題のタイトルは、多分、世間に通りがいいので選んだタイトルなんだろうと思います。が、私はそれを、<文学教育の対象と方法>あるいは<文学教育は何をいかに>という課題に置きかえて当日話させていただこう、と思っております。(対象と方法――の対象、これは一応のところは目的と置きかえて考えてくださっても結構です。オプジェクトとメソド、という意味なのですから。)

 課題のタイトルを右のように変更する理由ですが、これは私の持論なのですけれども、<理論>の外側に<方法>というものが在るのではなくて、<方法><方法論>を内側に含み込んでこそ、それは<理論>の名に値するものにもなり得るわけのものだろう、と私は考えるわけなのです。
  この方法論的側面と向かい合うかたちになっている、<理論>の内側のもう一つの側面が<対象論><対象認識>だ、ということになります。理論というのは、この対象論ないし目的論と、方法論との統一されたものであります。私はそう考えます。
 ある一定の対象(目的)のつかみ方(A)が、そこでのそのつかみ方と見合うかたちの方法(A’)を要求します。いいかえれば、一定の仕方における、いろいろさまざまな手段の組織を要求するわけです。(方法とはその意味では、手段の体系です。)

 ところで、言うまでもなく、教育のいとなみにとって一番大事なのは、実践です。すべては実践のために在るわけです。ですから、A’という方法の組み方では不十分だとか、実践的にマイナスだという場合には、(このように実践を仲立ちにして)方法の側から対象のつかみ直しが要求されることになります。つまり、理論というのはそれ自体動的なもの(運動するもの)です。少なくともホンモノの理論(理論の名に値する理論)は、「この理論を信奉すれば、万事解決」といった固定したものではありません。理論に停滞は許されません。

 そこで、つまりまた、<文学教育の理論と方法>ということではなくて、<理論と実践>というふうに、その相互の関係がつかみ直されなくてはなりません。生きた理論は、<対象>
<方法>という、内側のそのニ側面の相互規定の関係において、たえず深化・発展を遂げてゆくわけです。

 その辺のことをカチッとつかんでおかないと、かくかくの理論を信奉して、かくかくの方法を行使すれば授業は必ずうまく、このわたしがそのお手本じゃ、みたいな、オタスケじいさん的方法主義のリロンに、いっときいかれるようなことが無いとは言えません。
 国語教育の世界には、どうもこの手のオタスケじいさん的教祖や、その取り巻き連が多すぎます。
 あの人たちには悩みがない。そこで聞かされるのは、授業がうまくいった、という話ばかりです。ズタズタに切り刻まれて、安寿・厨子王のただの姉弟愛の物語にすり替えられた『山椒大夫』や、その文学精神を切って捨てた、『皇帝の新しい着物』や『最後の授業』の駄文・悪文の翻案物を教材にして授業させられていることの悩み・苦しみは、この人たちには皆無のようです。どんな教材でも、それなりにこなして、うまい授業をやる、という、そういうことなんでしょうね。

 文学作品の読み方指とか読解指導という発想にとらわれている限り、文学教育は不発に終わるほかありません。文学教育は、教師自身、深く子供の心に文学愛を培おうとする、そういうものが根底になくては成り立たない教育活動なのです。当日はその辺の問題を、本格的な日本近代文学作品に即して、具体的にしたいと考えております。
 

 夢はもう一度ってんですか、去年の何かうれしさが忘れられませんで、お誘いいただいてもう一度おうかがいいたしました。
 去年はたしか四百人くらい、二葉中学校の体育館という、きょうとちがって猛烈な暑さでして、汗っかきの私なんかもう部屋へ帰りましたら……ってな調子でして、今年はめぐまれまして、今いったことはとりけしたいくらいですけれど、ともあれ去年のことが忘れられないってのは参加してくださった方々は共通な実感ををおもちだと思うんです。で、ぶしつけなことさせてください。お許しください。去年ご参加の方、二葉中学校の体育館で国語をやりました。おそれいります。ちょっとこう(挙手)お教えいただけますでしょうか。恐縮でございます。あ、どうも、またお会いできて本当にうれしゅうございます。今日もよろしくお願いいたします。それから、今年お会いする方々、仲間の輪がふえる、これが本当の意味のサークルだと思うんですけど、今年また単なる顔見知りじゃなくて心を通わせあう方々と勉強できますこと、去年の方々とお会いしたうれしさとあわせてみなさんに期待いたします。
(中略)
 さて、ただいま、一番前にいらっしゃる男の先生におうかがいしたんですが、この袋の中のこれ
[資料――上掲プリント、あるいは他に用意されたレジュメを指すと思われる] は、この会場に入る時に皆さんがお受け取りになられたんだそうでして、お読みでない方が大多数だということになりますので、ちょっと、この中に私すべてをつくしておりますので、これを読んでいただいてそしてこっちはもう、出たとこ勝負の話をさせていただきます。基本はこれだということをちょっと、ご了承いただきたいのであります。

 それで、長いといいながら短い時間の中で、もったいないみたいですけど、筋はこれなんだ、作品にストーリーってのがございますが、そのストーリーはこれなんだってことをご了承いただいて、そしてこれはかっこつけみたいなものですけど、気持ちとしてはこういう五つのことについてお話しさせていただきたい。こう存じております。で、夏目
[武子]先生、何か人使いがあらくて、これも夏目先生、書いてくだすったわけですが、こちらのレジュメをすみませんお読みいただけませんでしょうか。じゃ、よろしくお願いいたします。
[資料を読む]
 

  理論と実践の発展的統一を
 ありがとうございました。今日、夏目先生ごいっしょされた理由は、夏目さんご自身には別途あるんですけど、確かこちらの組織と同じように神奈川県の民教連がありまして、八月に県の民教連の国語部会を夏目先生を中心にして文学教育研究者集団の諸君でやることになっております。その折によりよく会をすすめるために広島のみなさんに学びたい。どんなふうに進めていらっしゃるのかしら。この目でこの心で受けとめたい。そんな気持ちでご参加されたわけであります。ところで、それを悪利用した、悪利用じゃない、利用したのが私でありまして、お願いいたしました。

 僕のわかること、僕自身が何かこうだといいきれることしか口にしない、そうなりますと、それは一時、戦前旧制中学校の教師を、つまり大学の助手をしてたころ、兼務したことがございます。それから戦時中、疎開教師でございまして、東北へ流れまして、爆弾のがれで参りまして、そしてそこで新制高校スタートの時にやはり教師したことがございます。そういう多少の経験はありますけど、小学校はゼロですし、それから新しいシステムの中学校の経験もゼロです。せいぜい自分の子どもが中学生であったとか、娘が高校生であったとか、あるいはさかもどって小学生であった、そういう時のことを介して知っている面はありますし、研究授業を見せていただいたりして、その角度では知っていますが、根本的には何も知りません。知らないものはいいようがありません。で、知ったかぶりして小学校の先生方へ「こうやんなさい。」なんて、厚かましくていえたもんじゃありません。私が学ばなくてはなりません。教えていただかなければなりません。

 で、私は今、もっぱら理論と実践のことを申しましたが、理論面についてかくかくのことだけは僕が責任をもっていえること、そしてそれは、あらゆる面とは決して申しません。ほんのちっぽけな面ですけど、これは、僕からきいてくだすった方が、お互いに話し合うことに加えて私からきいてくだすった方が多少お役に立つ面があるんではないか。それは責任もってしゃべりますけれど、残念ながら、理論と実践といいながら、実践の面から理論をふりかえるってことは、経験的に私にはいえません。それを夏目さんにやってもらおうと思うんです。うそのない基礎講座にしたいから、そこで、「前に出るのいやだ。」とおっしゃったけど、夕べからけさにかけて電話でもって説得に説得をして、そして説得されちゃって、彼女、ここに鎮座しますと、こういうふうな関係なんです。
 そんなことで、ややかけあいまんざい的な面が出ると思いますけど、趣旨は理論と実践、それを双方の面からぶっつけ合っていこうと、こういうふうな考え方でおります。よろしくお願い申しあげます。

 で、僕が脱線居士でございますんで、去年の方、よくご存じでいらっしゃる通りで、自分にこれだけのことはふれなきゃいけないよってことを五項目書き出したわけです。で、あとからいらした方もずい分おいでです。その先生方に申し上げます。これは夏目さんが書いてくれたんです。僕、こんな字、書けないんです。で、これからこの五つの点にわたってしゃべらせていただく、まずしょっぱなの第一パートといった方がよろしいですね。理論と実践の間、いいかえれば理論と実践の関係です。それは今夏目さんが読んでくだすったレジュメでご了解いただけたと思いますが、芭蕉のことばそえながら理論と実践の間、このことでまずしゃべらせていただきます。これはなにか大変形式的ないい方をして恐縮ですが、(中略)三つの項目をたどりながらお話ししていきたい。その項目を先に並べちゃいます。これは講演でもなければ何でもない。基礎講座でして、私がただしゃべり役を務めるだけですから、大学の講義式なところ、出てくると思いますけど、そこで中味はあとでご承知ください、というべらぼうなことを申しまして、三項目並べます。

 まず、第一点、第一部の第一は、「実践とは」ということです。(中略)
 第二点は「理論とは」です。
 第三点は「生きた理論」そしてその「生きた理論」にサブタイトル……どっちがサブタイトルか知りませんが、サブをつけてありまして、「理論と実践との発展的統一」……こんなふうなことを私のメモには書いてございます。なるべくこの順序をはずさずに……終了したいと思っております。


  実践<子どもとヤケド>―― 未来の先取りにおける意識的計画的な、変革のための行為
 で、まず、「実践とは?」ってのが第一項目でございますね。
 実践ということの概念規定、「そんなことをおまえに聞きに来たんじゃない。」とおっしゃるかもしれませんが、まあ、がまんを多少してくださいませんか。

 (中略)
 人間、生きているってことは、切り口にもよりますけど、行動してるってことです。で、私も司会者の方に冗談を申しあげたんですけど、
 「マイクはずしてしゃべっていいですか。」
って。なにしろクマなもんですから、クマガイのクマなもんですから、先祖の血が流れておりまして、ウロウロするくせがあって、固定してると話がしにくくてしょうがない。黒板へ向かう時はどうすんだなんて冗談を久しぶりに申しましたんですが。人間が生きているってことは、こういうふうに行動しているってことでございます。で、私は今、意識的に行動してる。つい、やらざるを得なくなってますが、実は意識しないで教室でしゃべる時もウロウロ歩いております。そういうふうに、ともかく生きてるってことは行動することです。

 意識的な行動も無意識的な行動もひっくるめて、つまり
[板書の]この円は行動をシンボライズしたものとご承知いただきとうございます。で、その行動の中に今いったように無くて七くせウロチョロするくせというふうに行動している無意識の面がございます。ところが今、私、同じ行動をとってるけど、先祖があって子孫があるんで、私はその子孫だってことを証明しようという意図的、意識的にウロウロしております。そうしますと、行動の中に意識的な面てのがこうあるわけでございますね。この意識的な行動のことを、申すまでもないことで、行為と呼ぶわけでございますね。その意識的な行動すなわち行為の中に、ある特別な行為があるわけです。中味はあとで申しますが、これが実践でございます。最も人間的な行動のしかたを意味するわけでございますね。

 実践でございます。で、これ、こむずかしく聞こえたらお許しください。すぐにコメントさせていただきます。これはまあ、しいて基礎講座ですから、やや学校調となりますけど、(中略)未来の先取りにおける意識的計画的な、変革のための行為ですね。こんなふうに定義して、たぶんまちがいないだろうと思うのであります。ですから私たちはふだん、実はほとんどあらゆる場面で実践しているわけです。実践とは、こむずかしいことではなくて、人間である以上やってることであります。もし、こむずかしく聞えた人のために、これは実は私、自分の書いたものの中にふれたことなんですけど(例に引っぱったことなんですけど)、こんなのがすばらしい実践ですね。たとえば夏場の例としてはふさわしくないが、その本では<子どもとやけど>というふうなしぼり方で書いてあります。今だったら、水におぼれそうな子どもって例が、このシーズンにはふさわしいでしょうが、やけどでまいります。

 あなたの目の前を、そら、文字どおりやっとハイハイできるようになった赤ちゃんが、バタバタと走ってるとするのです。走ってるというのか、四つんばいになって走ってるんです。で、その先には何があるかってと、昔風のストーブを考えてくだすったらいい。ダルマストーブのご経験はありやなしや。ガスストーブだってかまいませんよ。とにかくストーブが赤々と燃えているんであります。子どもは明るい方向へ進みます。また、赤いものを好みます。そしてバタバタと行ったとします。そうすると、それをあなたはどうなさるか。ああ、あのがきゃあ今はってやがら。もうじきやけどするべえ……といって見すごしてる人があったら、これは人でなし。非人間的、疎外された人間であります。だれしもが……といいきっていいと思います。「ああ、あぶない。」といって、その子どもを、泣こうがわめこうがおさえつけて、その火に近づけない。つまり、三秒先、五秒先にその子どもは必ずやヤケドするわけであります。それにストップをかける。そのストップのかけ方はその人の気持ちのふだんの訓練にもよるし、その場の状況にもよるんです。こんちきしょうヤケドしちゃこまるってんでエリ首つかんでぶらさげるか。これでもふせげるんです。そうじゃなくて、子どもの興味を別の方へさそったりですね、「ほうらおいしいものあげようよ。」とかなんとかいって、だますってか、そういう場合だますことは非常に大事なことですね。

 そういうふうに、さっきから「方法」「手段」と申しておりますが、方法・手段は人によってちがうでありましょうが、いやいいかえます、手段は人によってちがうでありましょうが、ストップさせるというその方法は一つであります。その方法は手段の体系でございまして、さっきから話題にしているようにAという手段――泣こうがわめこうがネコみたいにぶらさげて……。泣かせないでうまく誘導するBの手段。手段はいろいろですが、根本の方法原理は一つでございますね。ストップかけることです。ストップかけることによってどうなるのか。子どもはヤケドしないですむのであります。ヤケドする必然性をもってる、その場かぎりの必至の状況を、ヤケドしない状況に切りかえて見せるわけです。変革するわけです、場面を。これが実践であります。むずかしいことでも何でもありません。実践とはそのようなことです。

 この例でもおわかりのように、いろんな実践があるといわれりゃあそれっきりですが、すぐれた意味の実践てのは、人間的なあたたかいものです。心づくしの気持ちに裏うちされた行為であります。しかもその行為によって何が生まれるや。ヤケドする状況にストップかけることであります。ケガをしないですむように、死なずにすむようにすることであります。これが実践にほかなりません。実践てのは、こんなふうなことです。

 で、未来の先取りにおけるっての、ここでご了解いただけたと思います。三秒先の未来、五秒先の未来においては、彼あるいは彼女は英語では it てんですね。赤ちゃんは he でも she でもないそうでありますが、その it は必ずやケガするわけです。ケガをした it の状況を先取りしてです、三秒先の未来を先取りして、それをいい状態に変革していくわけでございます。これが実践でございます。

 教育実践の根本を、これをはなれて何かあらんであります。概念規定なんてえとこむずかしいし、さっき申したのをなぞります。未来の先取りにおける(舌をかみそうです)意識的計画的な変革のための行為。わかったようでわかんないいい方ですが、何のことない、具体的に子どものヤケドの話をたえず念頭におくことだと思います。

 我々の教え子たち、どうなっちゃうんでしょうね。彼らにヤケドをさせないことであります。場合によっちゃ僕は暴力はきらいだしいけないと思いますが、ひっぱたいたってしょうがない時がある。死ぬよりましだってこともあるんです。人によってです。あるいは、もっとうまくやっていくのが教師らしい教師なんでしょうがね。まあ、そうなんでしょうが。ともかく、実践とはそのようなものです。

 教育実践は、さまざまの次元の高い、より次元の高い別の秩序ですね。つまり次元上のことにするわけですが、このことにするのを、形式的に申しますれば、持続的な実践、この部類に入ってくると思うんです。今の赤ちゃんの例は、もう短絡的な例です。しかし根本はこの短絡的な例をはなれて何もありません。ただ、教育の営みは持続的でなければできません。だから、お天気な教師ってのは本当に困っちゃうんです。持続性がある、それからあきないで持続的にやる。あきっぽい教師は困ります。持続的継続的な実践、その部類に入ってくるんだろうと思います。

 で、そのような、僕自身舌をかみそうですが、持続的継続的な実践、その最も典型的で、またおそらく最も美しい実践の一つである教育実践ともなれば、理論が先行いたします。理論あっての実践って形になります。何だお前、さっき夏目先生に読んでいただいたものとちがうじゃないか、すべては実践のためにあるっていったじゃないか……そのとおりです。それ、何も変わりません。全ては実践のためにあるのです。だが、その実践は、理論に先導された実践でなければならぬ。しかもはっきりいいます。さっきのレジュメでご承知のようなオタスケじいさん的理論では困るのであります。もっと何か精神の自由をもったのびのびした、それからもっとたくましい、そのような理論でなければならぬと思います。

  そんなこというと困っちゃうよクマ……とお呼びかけの方があるかもしれません。オレは理論らしい理論もってないよ――あたしゃねえ理論なんてのは頭かいちゃうよ――という方もいらっしゃるかと思うし、その面でいきゃ私は理論の実践のって舌かみそうだってさっきからいってますが、いえたぎりじゃございません。ただいえることはですね、理論が無いって人は一人もいません。無理論と称するのは実はうすっぺらの安っぽい理論もってるってことです。

 人間を人間たらしめるものを「理性」とか呼んできております。あいつは理性がないよなあ……理性が無いのは人間でありません。どんなくずな人間でも理性があります。ただそれは、あまりにも非理性的反理性的であって、理性と呼べないような安っぽい理性をもっているということです。したがって、何か理論なんかいらねえよう、要は実践じゃあ――とこういうふうな竹ヤリ主義がありますと、これはなんでしょう。安っぽい理論に甘えてるという、自らの教師としての資質・資格を奪う発言なのです。実践のために理論がいるってことは、理論がいらないってことでは断じてないのです。すぐれた理論に導かれなければ、すぐれた実践は不可能です。あえて申します。


  理論の二つの側面――対象認識論(目的論)と方法認識論(方法論)と 
 そこで、理論への模索というふうなことになってまいるんではないかと思います。そのような理論に導かれた実践と申しますのは、そしてその理論とは、ある意味ですぐれたといいますか、まっとうなということ。そして何がまっとうなのかということは、夏目さんにさっき読んでいただいたとおりでございます。ダイナミックな、動的な、運動する理論であります。しょっちゅうおめえ考え変ってるなあ……なんていわれるぐらい変化している。で、ただの変化じゃない。自己変革を行ないつつある理論、それがまっとうな理論であります。そのような理論に導かれた実践は、どのような形を必然的にとるでありましょうか。

 自己の実践に対して実験的な意味を付与する、与えるのであります。自分の実践を、たえず実験の眼でみつめなおしていく。甘ったれんな、であります。今日は生徒がみんなのってきた。今日の実践は成功した――ヤメロ……であります。そうじゃないのであります。何か成功したつもりの実践――たいがい実は本来の目的からはずれて子どもにこびたり、子どもを妙におだてたりおもしろがらせたり、そして何か今日はうまくいった、しっくりいったとか、手がたくさんあがった、みんなギャアギャアいったと喜んでおりますが、私、中学時代、(小学校ではありませんが)中学だったころの自分をふりかえってみて、いやらしい自分をかえりみますけど、クラスメートのほとんどがそうでした。……あの先生はね、こういうふうににっこり笑ってみせるとね、もうご満足なの。で、我々はうれしくもないのにおかしくもないのにアハハとかやってた。と、その先生、なるほどごきげんなんですね。今日は五分早く終わってやるなんてって帰ってって、ザマみやがれ……なんですね。ちゃんと生徒の方が知ってんですよ。教師のくせや何かを。それで本人は大変この時間は成功したなんてトクトクと帰って行く。ただ甘ったれちゃいけないんで、それをたえず理論にふりかえって反省していく必要がある、自己の実践を。そのことの手段なしに目的は達成できない。

 私、こちらにうかがうために新幹線に乗っかった駅から、恐縮でした、新江さんがお車に乗せてくださいました。それからそのエレベーターに乗っかりました。これ、みんな手段です。何も新江さんの車になんか乗っかることが目的じゃない。新江さんおこんないでくださいね。感謝してるんです。だけどその手段なしにここに現われることはできない。ここへ来ることがまずさしあたっての目的です。手段というと、軽べつしたようにとる人がいるがとんでもない。手段の重視ってこと、教育の場合とくに考えていい。そういう意味で「実験」というのは「手段」であります。欠くことのできない手段であります。

 こうして、ともあれ自己の実践のプラス・マイナス、正・負、自己の理論への絶えざる反省、これがどうしても必要になってくるのであろうかと思われます。

 第二点に目を移します。さっき申しあげたとおりです。第一部の第二点です。「理論とは」ということなんでありますが、これは実はレジュメの中にほとんどつくしたつもりなんですが、こぼれてる点をカバーさせていただこうと思います。

 さっき申しましたように、私、広島の主催サークルに失礼な、礼儀に反することをレジュメに書いたみたいなんですけど、私、主催サークルの多くのメンバーを存じあげてるものだから、本音はこれだなってのを代弁したつもりなんです。ただ、世間にオタスケじいさんなんかに接している人達にもアピールするようなテーマを選ぼうという、そういういかがわしい根性であろうかと思うのでありますが、文学教育の理論と方法――と、こういうメイをうたれましたが、レジュメに書いたとおりであります。理論ってのは、方法ぬきの理論てのがどこにあるかよう、であります。

 理論に二つの側面あり。さっき読んでいただいたとおりです。つまり文学教育なら文学教育の、物理学なら物理学の対象認識論が必要になってくるわけであります。それを目的認識論といいかえてもいいと、先ほどレジュメに書いたとおりであります。オブジェクトです。結論から申しあげてまいります。対象、対象っていいましたけど、「対象とする現象」を略したものであります。現象ってのは、非常に大事なものです。現象によって性質がちがってくるわけであります。人間を対象にした場合でも、たとえば、こいつは胃袋がどんなぐあいだなとか、心臓が弱い方か強い方かとか、いろいろ医学とか生理学というのは同じ客体をそういう面から切り取るわけです。教育の場合はまた別の面から人間を扱う。体育をひっくるめてです。精神、いわゆるふつうのいい方ですれば精神を重要視するわけです。

 つまり対象とする現象ですね。一切のものは現象です。自然現象・歴史社会的現象、そして今日の課題はだいたい歴史社会的現象としての文学現象・文学教育現象を扱うわけですけど、その対象とする現象の性質をとらえる、把握する、つかむ……これが対象認識論ですね。何のためにそういうことをするのか……これが目的論ですね。しいて同じオブジェクトであっても、、対象認識論と目的認識論に分けて考えれば、対象認識論は対象とする現象の特性をつかむ、認識する、これが仕事ですね。それから、これはいったい何のためにそういう把握を、つかむことをするのか、これが目的論でございますね。

 教育とはいかなるものか……これは対象認識論です。教育に関する対象認識論です。なぜ教育ってことをそんなに考えなくちゃならないのか。……これ目的認識論でございます。それが、つまりひっくるめて、うんとことばを略していうと、対象認識論ということになる。あるいは目的論てことになる。

 理論に二つの側面あり、というふうに私は考えますが、A・Bの側面を考えれば、これがAの側面でございます。それに対するBの側面が方法認識論ですが、ふつうこのことばはこなれないんで使わなくて、方法理論といって見たり、方法論といってみたりしているだけでございますね。この方法認識論というのは、実践へむけての対象認識論の具体化でございますね。実践ということに直結するわけです。

 いかなる実践を行なうべきか、その時に対象認識論だけではどうにもなりません。方法認識論、方法論が必要になってくるわけです。方法認識論というのを別のことばでいえば方法原理論でございます。方法原理でございます。そして原理面における技術論がこれに随伴して姿を現すことになっていくわけでございます。ともあれこれは対象論の実践へむけての具体化の理論なんでございますね。

 で、これが文芸学とかいろんなことになりますと、それぞれの特性がございまして、これにプラスアルファみたいなものを考えなきゃならん。たとえば文学の研究の学問を申すまでもなく文芸認識論と呼んでおりますが、文芸認識論に加えて文学史論というのがもう一方にあるというふうな特殊性をもっているわけです。


  対象とする現象をどうつかむか――芸術現象・教育現象の特性 
 それからちょっと(僕はたいがい話がとんで悪いくせがあるんで)あらかじめこのへんで、こぼれのないようにいっときますが、現象ってことなんですが、レジュメには「現象」をこぼしましたと申しました。対象とする現象の性質であります。その「現象」なんですけれど、これは去年の基礎講座のレジュメをごらんくださればご了解いただけますとおりなんであります。現象と一口にいうけれどさまざまな性質の、異なるさまざまな特性の現象がございますね。たとえば物理現象、それから社会現象、その中に政治現象あり経済現象ありっていうふうに出てくる現象ですけれど、これらはわかろうとしなくても、(こっちがわかろうとしなくても)わからされちゃう現象でしたっけね。去年の方々にもう一ぺん呼びかけます。たとえば今、何を一番心配しているか、人によって違うでしょうが、自然現象に例をとれば、地震ってやつはおっかないですよね。地震の何たるかをわかろうとしなくたって地震現象は我々をぶっつぶすんでありますよね。他動的にやってくる現象、これがあらかたの現象でございますね。経済現象、ちゃんとひびいてきますね。石油ショックだ何だかんだ。オレそんなのに興味ねえよ、なんていってたって、(額面だけ同じだけど)物価高なんてあがって、こっちは四苦八苦したり……ということを我々は日常経験しております。そういうふつうに経験させられちゃうのが経済現象とか、こういうほとんどの現象です。これを去年のレジュメでフェノメノンてことばで説明しました。

 フェノメノンて概念でわりきれない、整理のつかない現象が芸術現象だっていいました。音楽音痴にとっては音楽は現象しないのでございます。うるせえ音だねえってやつなんです。ベーさんの音(ベーさんてのはベートーベンです)、それからルノアールの絵だって、ちっともきれいでも何でもないんです。私、岸田劉生の中期の作品が好きなんですけども、僕わかるからじゃなくてほれぼれするんですけど、ああ絵があるね、なんて人もあります。絵だってことはわかるんですけど、絵だけなんです。絵が絵として、絵画芸術が絵画芸術として現象しないんであります。すべて我々受け手の側に問題があるんであります。

 まあ、そういうわけなんですが、そこでやはりレジュメにあったことをなぞりますけれど、対象と方法、あるいは目的と方法、こういうことも申しました。ものには第一次性・第二次性ってものがございます。一回目・二回目って意味では断じてございませんから。それが絶えずくり返されていくわけですが、第一次的にはいうまでもなく対象が方法を規定するわけであります。方法だけでものを考えていこうってのを方法主義といいます。手段主義。そしてオレはこの方法でうまくいったつもりだからこの方法が全てだ――経験主義。そういうようなわけですが、これは根本的なあやまりで、対象がまた方法を決めていきます。

 教育現象もそうですよね。文学と同じですよ。教師がその現象を、教育現象というその対象をどうつかむかによって、これでオレの実践はいいと思ってみたり、あゝだめだだめだと思ってみたり、逆に、ある押しつけ、権力の名においてのおしつけに対して非常な憤りを感じてみたりするわけですね。あるいはそれにオタスケじいさんを先頭にして何かそこでおじぎしてると将来いいことがあるらしくて、ベタベタしたりするのもありますが、つまり教育ということ、いいかえると教育現象という現象をどうつかむかによってその人の教育方法論は決まってくるんですね。そのことがあやまれるマイナスの実践に、自分をそういうどろぬまへたたきこむか、それともそれを阻止して子どもをヤケドさせないさっきの話、決して子どもを見はなさない。だれになんといわれようと眼は常に子どもの方をむいているという教師、それは、まっとうな対象把握なしには生まれてきませんですね。オレそんなに整理してない、考えていないよとおっしゃる方でも、実はそれをちゃんと整理すれば、りぱなまっとうな理論ですね。

 実践を通して、どうもこの方法ではうまくいかない、(簡単にいってね)マイナスじゃないかしらってな思いが、(その時は自分の対象認識論がまちがってんじゃないかしらと)そこへ、こういくわけですね。これが第二次性です。だから、すぐれた理論に導かれてのみすぐれた実践があるってのは、その理論自体がダイナミックなものでなきゃなりません。あやまりを是正していくようなものでなければなりません。この理論でやりさえすれば授業はうまくいく? 文学教育は他人にまでうそをつけるし、文学のわからねえヤツに文学教育できますか? 僕に物理教育をやれ……冗談じゃない。できません。物理がわかんなくて物理教育ができますか? まっとうなことを教えてるつもりで誤ったことを教えてる。これ、とりかえしがつきません。「責任をもて」です、教師にですね。

 責任をもつとは、子どもにケガをさせない。ヤケドをさせない。あの素朴な原点にかえることであります。そして今度は次元を高めて理論に導かれなければならない。その理論とはダイナミックな、オタスケじいさんくたばれ理論でなければならない。こういうふうに考えるわけでございます。

 話、半端ですけど、この調子でいくと大変。この第三部の第一項目
[ママ]で終わりそうでございますんで、むしろここでちょっと息を入れさせていただいて第一部の第三項目から入らせていただきます。最初はケチな休みでよろしいでしょうか。司会者の方、六分半ではいかがですか。冗談です。十分。
 

  説明文の文章はやさしい―― むずかしいのは文学作品の文章 
 再開させていただきます。
 今、第一部の第二項目で終わったなんていいましたが、実は第三項目終えておりました。第一・第二の項目をしゃべりながら、第三項目もしゃべったわけですね。「生きた理論って何だ」ていうことです。オレの理論に従えばりっぱな授業ができる。この理論はもうおれが死んでも変らない。みたいなのがありますが、そういう理論こそくたばれ。と、こう申しました。理論に停滞は許されない。理論の固定化は許されない。現代は、余りに固定化した理論がオタスケじいさんによって(を先頭にして)そのとりまき連によってさらに宣伝、輪をひろげて、我々を毒しております。その辺のことをどうぞお考えいただければありがたいことで。

 続いて第二部に入りますが、第二部は要しますに、以上申しましたことが根本でして、それを文学教育の面におろすというか、上げるというか、(ほんとうは上げるんでしょうね)上げていえばどうなるかということをお考えいただきたいのです。このパートはごく短い時間で終わりまして、最後に夏目先生にお助けいただいて、第三部に入りたい。このように考えます。

 私もその一人ですが、みなさんもそういう方々であろうと思います。自分が教室で文学教育をやっているつもりでおります。しかし、自分のやってるのは(実践がですね)はたして文学教育の実践といえるであろうか。そのことを、第一部で申しあげたことをおりこんでお考えくだされば、解明の足がかりを得るんじゃないかってことを私はいいたいだけなんでございます。

 ここでまた、にくまれ口をききますけど、私がその一人で、はきかけた唾は、天にはいた唾は自分に返ってくるんで、自分のことをいってるとご承知いただきたいんですが、教育の世界ぐらい「実践」っていうことばが安っぽく使われている世界は他に絶対ないと思います。そのくせ、一番根本の、さっきの子どものヤケドの防止ですね、あれを忘れがちだ。困った状況が教育の世界にあると思います。それをつくり出しているのは、オタスケじいさんです。オタスケじいさんとは即ち権力機構の手先であります。文学教育は、教師の主体において行なうものです。命令されて行なうものでは断じてありません。また、命令されてその通りに動いてできるのは文学教育ではありません。教師自身が(レジュメに書きました)ほんとに子どもを愛し、子どもを愛するが故にですね、子どもに文学の目を(目っていうのは顔についてる目です)文学の目を養っていこうと。

 文学現象というのは、さっきから申しておりますように、受け手の、読者の、(作者も含めてなんです。作者もまた読者であります)受け手の主体のあり方によって、文学が文学として作用してこないのです。働いてこないのです。だから教師自身が(何がわかるかっていうことは別問題として)文学をわかろうとしないかぎり、文学教育は絶対に成り立ちません。だれにでもできる文学教育――なんて、こう、人気を呼んだような、だまって座ればピタリとなおる――これがオタスケじいさんがいっていることですが、そんなもんじゃありません。体ごとぶつけなければ生まれてこないのが文学教育であります。そこで私達にどうしても必要なのは、自分のやってるのが文学教育になってるのか、はたしてどうなのか、その点を絶えず第一部で申しあげたことを含みこみながらお考えいただきたい。

 たとえば、こんな誤解がある。――文学作品を教材にしてやっているから文学教育をやってるんだ――そんなべらぼうな話、どこにあるかってんです。いかがでしょうか。教材とは、教える材料ってことですね。簡単にいって、教える材料っていうのは何かっていうと、(材料なんですから)何を教えるための材料なのかということですね。だから、極端な例は、文学作品を文法教育の教材に充分できるわけです。いいえ、文法教育教材として最も適切なものの一つに文学作品がある。あれほど熱をこめて、情熱をこめて書いたものね、すぐれた文学作品は、日本の子どもに日本の文法を、日本語の文法を、母国語としての日本語の文法を教えるのに最も適切な教材の一つだと思います。
 いえ、私は、説明文と普通いわれている説明文体の文章を否定するものではありません。僕はもの書きをやりますけど、本を書いたり、論文の類いを書いたりしますけど、それはだいたい説明文体で書いています。決して、説明文、否定するんじゃありません。

 ちょっと余談ですけど、去年も申しあげたことだけど、今年初めてお目にかかる方も多いものですから、聞いてください。そして、批判するところを、どうぞ批判してください。ただ、こんな意見もあるということを聞いてください。よく、文学作品の文章ばかり扱ってると片輪になる、説明文を与えなきゃいかんといういい方ありますね。私もそう思います。それはそれでいいです。ただ、説明文の方がむずかしいんだよね、文学っていうのはだれでもわかるんだ――てな感覚が、もしや我々教師の中にあったらこわいなと思います。むずかしいのは、文学作品の文章です。説明文の文章はやさしいです。とってもやさしいです。むずかしいのは何か。それぞれの語彙です。ボキャブラリーです。それに託された意味です。これがむずかしいのであって、文章は簡単です、説明文体の文章っていうのは。何とかは何とかである。何とかは何とかでない。何とかなのだが何とかとも考えられる。どこがむずかしいのです。むずかしいのは、その間にはさまることばがむずかしい。

 去年も次の例をあげたかと思います。多分あげなかったろうと思うけど(会場 笑い)それはどういうのかというと、私に、とってもとっても親しい友人がおります。しかも研究者として第一人者です。今、和光大学にいる人です。東京都立の西高の先生をしてました。順番でもって、当番制でもって、その年はメーデーへ出る番でした。行きました。そしたら例のメーデー騒擾事件です。アレへひっかかちゃったんです。逃げようと思ったらむこうから、警官がピストルをつきつけるから、逃げようと思ったら、こっち側にも警官がまたいた。とにかくふんづかまっちゃって、裁判にかけられたんです。ご承知の通りにみな勝訴、勝ちましたけどね。それに、何十年かかったでしょう。ひどい被害を受けております。某国立大学(それも一流国立大学)の教授への道にあった研究者、すぐれた研究者なんですけど。その方、僕、拝んで来てもらって、そして十年くらいいっしょにくらしたんですけど、その裁判の模様は日本文学協会の機関誌「日本文学」に掲載されておりましたが、本人からも聞きました。それはほんとにばかげている。検事さんはA君に向かっていった。
 「君は警察隊と、皇居前広場において対峙しましたか。」
 彼はごく簡単に考えていた。対峙て、日常語として向かい合ったかってんです。
 「はい、対峙しました。」
 これで有罪になったんです。法律用語なんですね。対峙――敵意をもって、反抗の意志をもって向かい合うことが対峙なんだそうでございます。法律用語です。

 説明文のむずかしさってのは、こういうことなんです。単語がむずかしいんです。これがわかりゃ、あとは簡単です。お前はばかでないんじゃないんでない。簡単でしょ。ちょっと複雑ですけど、時間をおきゃ、わかりますね。これが説明文の文章です。説明文をどう教えるか。どう読むか。あんなに(これはおこられると思いますよ。あとでおこってください。)僕は、あんなに時間かける必要あるかしら。むずかしいのは単語なんですよ。法律的なものに関しているとか、それら何か物理学的なものに関していえば、湯川さんの書かれた古典的なものも含めて、教科書にのってるような、ああいう結局わからない、物理学の素養がある高さまでなきゃわからない文章です。しかし、文の構造はいたってやさしい。何とかなんとかである。と、これだけです。だから僕は、何だかばかげてるみたいな気がしてしょうがないんです。国語科の教育の教材としてね。ああいうさまざまな文章をやる必要があるんだろうか。基本をやればいい。あとはもう、物理とかバケ学とか生物とか法律とか、社会科学ですとか、そういうところで読んだ方が、先生も専門家ですしね。そういうことに関してへなちょこな知識しかもたない国語科の教師に教わるより、よっぽど生徒は幸せだと思うんです。
 

  文章の中に「文学」を見つける――歴史書「吾妻鏡」と太宰治「右大臣実朝」 
 根本を教えることなんだと思うんです。その根本を教えるうえでむずかしいのは、文学作品の文章だと思うんです。これから、やや具体的な話、私がするんじゃなくて、夏目先生にお願いしたいと思いますが。そこで、教材ってことばの使い方で、一番、文学教育にとって敵だと思うことがあります。――文学教材、ということです。「伊豆の踊子」を扱えば文学教育だなんて思っている。極端な例だって、先に申しましたでしょ、「伊豆の踊子」の文章を文法教育の教材としている。充分通用するところは、一流ですね。「国境をこえると雪国であった。」川端康成、「恍惚と不安と二つわれにあり」ヴェルレエヌ・堀口大学訳、これ文法教材としてすてきじゃありませんか。「アカルサハホロビノ姿デアロウカ」太宰治「右大臣実朝」……つまり、文学教育意識において、その教材が、失礼しました、その作品の文章が使われなければ文学教育にはならないんであります。

 私は、文学教材っていうことは、、否定します。「文学教育教材」ということです。だから「伊豆の踊子」の文章も、教材化のしかたによっては文法教育教材として、すぐれた教材だといえます。だから、教材化という概念を明解にして、同じものがいろんな側面をもつ(さっきも理論に二つの側面がある、こんなふうに申しあげた通りでございまして)文学教育の側面から考えられる文章として、その文学作品が用いられなきゃならない。こういう意味でございます。(中略)なるほど文学作品を扱っているという、何かデレーとしたいい方をすれば、自分で自分をごまかすことになるのですが、「私ははたして文学教育をやってるであろうか。」ここから出なおす必要が、と、今の日本の国語教育の状況においてはいわなくてはならない。こういうことであります。

 今、太宰治が……とこう申しました。「右大臣実朝」という作品が……とこう申しました。太宰治が「右大臣実朝」(これは私の評価のしかたですけど)太宰作品中、最高峰に立つ作品だと考えます。私は、ですよ。賛否はあとでお考えください。その「右大臣実朝」を書く場合に彼は、材料(さっきから言ってる材料)として「吾妻鏡」を読みました。それから実朝が自ら選んだ藤原定家所伝本「金槐和歌集」(略称で普通使いますね。「金槐集」)この二つを用いました。どういう材料として。まさか文学教育教材という名前は与えませんけど、いいかたはございませんけど。いわばそれに準ずる形で、「吾妻鏡」の中に文学を見つけたわけです。それを、「いただき。」ってかっこうで書きました。

 「吾妻鏡」のなかに文学を見つけたのです。つまり歴史書・歴史の文献として見たのではありません。と申しますのは、「吾妻鏡」といういわゆる史料ですね。史実の記録書ですね。ちょうど実朝のことを中心として書いてあるのは、巻の十九ですが、その辺の執筆者っていうのはとってもすてきな男達で、おそらくは、という半ば推定でございますが、京都から文化人である中下層貴族が鎌倉へ流れてまいりまして、今、「草燃える」でもって大江広元だの、それから三善康信とかいう文化人が活躍しておりますが、彼等をはしりとしてその後次々と……あれほどの地位をついに獲得できなかった人達が来て史料編纂の仕事をしたわけですね。

 その人達が書いたんでしょう、おもしろいんです。偏見が無いんです。党派性が無いんです。そしてあの太宰は「右大臣実朝」の中で実朝にいわせます。「京都は明るくてよい。」鎌倉は暗くていやだ、ということの裏返しなんですけど。陰湿な鎌倉に対して、どこか文化性をもった京都ってことを彼はつぶやくわけですけど。その明るい京都から来た、明るい文化人達がいました。おもしろみのわかる人間です。人間のおもしろみが。よき意味での遊びの精神をもった人達です。別のいい方をすれば、喜劇精神に満ち満ちた批判精神の持ち主であります。

 で、彼等は和田義盛なんどという武将ですね。武将中の武将が死に際しても自分の愛する子どもが先に討ち死にしたって話聞くと、「もうおれは生きてるのがいやになっちゃった。」なんてこと「吾妻鏡」の義盛はいうんですね。これは反北条側だからいやになったんかっていうとそうじゃなくて、北条義時の(鎌倉執権の北条義時の)あとをついで執権になる北条泰時ですね。その泰時のこともおもしろおかしく書いてあるんですね。どこまでがいわゆる事実かわからないのですが、ただ北条泰時の人間性をみごとに描きあげているわけです。

 彼は、かなり飲んだくれなんです。悪い趣味じゃないけど、のんべえなんです。そしてまたある日、ある時のこと、夜っぴて友達とこう、飲んでるわけです。そしてとうとう明け方に及んで、まだ寝ていないんです。さしつさされつやってんです。だれかみたいに。っていうのは僕のことですけど。それはうそだとお思いかほんとうだとお思いか、ご自由でございますが。やってるわけです。そこへ和田一族の反乱がおこったっていうんです。さあ大変だっていうんで、鎧着るし、兜かぶるんですが、横っちょにかぶってみたり、もう二日酔いという代物ですね。それで、やっとこそっとこ馬にのっかって出かけるんです。その時彼は心から思うんです。もう酒はやめた。と、「吾妻鏡」に書いてあるんです。幕府の公的な記録に書いてあるんです。「おれはもう酒はやめた。」もちろん私のは翻訳ですけど。現代語の。「ああ、申しわけないことをした。」ってんです。結局は酔っぱらいながら戦場をかけずりまわって、第一の武功をたてるわけです。最も秀れた武功をたてるわけです。将軍実朝を守りぬくわけです。そして、戦勝祝賀会が北条泰時の邸宅で催されるんです。すると、「おれは酒やめた。」をまたくり返すんです。「そうか。」って、お客達はさしつさされつ飲んでるんです。だんだんうらやましくなってくるんです。「何も酒をやめなくたっていいのに。深酒はいかんですけどねえ。」なんていいながらこんどは、「おれにつげよ。」なんて始めるんです。どうしょうもないんです。

 けど、なんか、たいへん誠実な男なんです。で、お酒がすきなんですね。どうも、百パーセントほめることのできる彼ではなさそうです。だけど、どこかおもしろみ、ありますね。石部金吉金兜みたいな男じゃないんですね。なんか「吾妻鏡」のそれ読んでいますと、僕みたいなのんべえは、一度あの世へ行ったら彼を探しあてて、一献酌み交わそうなんて思うような相手なんですね。おもしろみのある人間、つまり「吾妻鏡」の巻十九の叙述は文学なんです。完全に。その人間性を統一的、全円的に把握しているわけなんです。

 こういう目で読んだもんですから、「吾妻鏡」と読み比べてみますと、「右大臣実朝」のかなりの部分が「吾妻鏡」の叙述と一致するわけです。その通り現代語に翻訳すれば現代小説になるというキャラクターを「吾妻鏡」はもってるわけです。いいえ、太宰だからそう読めたのです。つまり文学を文学として読んだ。それは本来文学といえないものかもしれないが、そこに文学を見つけて読んだ。こういうふうなことなんでございます。「金槐集」のことはあとで触れる機会が多分ありますのでここではカットいたします。

 それと同じ調子で、我々は説明文や文学作品を、文学教育教材として生徒に与えるであろうか。どういう目的意識で与えるであろうか。それを考えてみる必要があると思うのです。で、さっきの第一部で申しあげたことであります。たえず理論へふり返って反省しなければなるまいと。

 その文学教育理論ていうのは結局は文学理論が根底であり、量的にいっても九九パーセントだろうと思います。つまり文芸認識論と、さきほど申しました文学史論ですね。これにふり返って私たちは文学教育の何であるか、さらには自分がやってることがはたして文学教育なのかどうかが、出てくるんであります。どうしても私達、今いったような文学理論の学習を自分自身の課題とせざるを得まいと思うんです。決して私はこむずかしい何とか学説かんとか学説をマスターしろなんてべらぼうなことを申しているんではございません。そこで申します。子どものヤケドの話を思い出してください。あの根本さえ失なわなきゃいいのであります。何が文学か。つまり何が実践かをさっき問題にしましたが、あの程度で十二分だと思うんです。

 そのい・ろ・はとは何か。これも今日、あと具体的に申上げることの中味になるんでありますが、その文学理論のい・ろ・はがはっきりしていないためにおこった実践という、その実例に話は入りたいと思います。
 それは、どなたもお読みの黒島伝治の「電報」であります。それがたとえば夏目先生を中心として、箱根のどこかの旅館を借り切ってやったんでありますが、その時出て、私は唖然としたのであります。これが文学教師か。文学のい・ろ・はがわかってない。文学理論のい・ろ・はがわかってないための、とてつもない話でございます。夏目さんにその辺お話しいただいた方が(当事者だから)大事なお話いただけると思います。時間はどうぞたっぷりお使いください。どうぞ。(
[発言場所は]こちらがよろしければこちらで。)
 

  書かれていなくても、描かれている――黒島伝治「電報」をめぐって
【夏目武子氏の発言】

 神奈川でも民間サークル研究協議会という、こういう会があるんです。ただ不幸にも、組合が何も応援してくれないんです。だから、チラシも組合を通して分けられないで、私達民間教育でやろうという人間が、人から人へとチラシを分けて、みんなで考えましょう。そういう会をもってるわけなんですけれども。だから国語教育分科会も約五~六十名なんですね。で、旅館の畳の間で車座になってやったんですけど、これ、今、持って来ましたのは、私、大綱中学校(横浜市の中学校)にいるんですけど、教室に持ち込む時、こんな海賊版を作っては持込んでいるわけなんです。で、これを神奈川県の先生達と話し合いましょ……ということで、熊谷先生が今いわれたんですけど、提案サークルである私達文学教育研究者集団の神奈川グループのメンバーが、ほんとに理論として整理されていなかったんではないか。

 自分は大変いい作品だと(自分ばっかし)感動してた。自分に整理がないから話してる時に、いっしょに参加した先生達にほんとの意味でわかってもらえるように話ができなかった。で、熊谷先生に応援してもらったんですけど、先生が、もうヤキモキしてるわけですね。終わってから、文教研へ帰りまして例会の時に、大変先生にしごかれました。「自分の文学理論の整理が弱いんじゃないか。今まで何を勉強していた。」なんて大変しごかれたんですけど。そのしごかれたきびしさを思いおこしながら、ちょっとお話ししていきたいと思うんですけど。

 あの黒島伝治の「電報」は四国が(四国の農村が)舞台になっておりますから、この近くだと思うんですけれども、主人公の源作、もう五十歳になっております。十六歳で父親に死に別れてから一本立ちで働いて、とにかく食べるものも食べずに働きこんで、四反歩ばかりの畑と二千円ほどの貯金ができただけだ。最初は二~三万円貯金するつもりだったんですけど。舞台は大正期ということだったと思います。もう五十歳になるんですけど、身体は曲がり、頭もごま塩がまじっていて、この主人公源作のメンタリティーをくぐって、村の矛盾っていうのが描かれているわけなんですね。お金があるために、学校を出たばっかりに、みんな村長になったり、学校の校長になったり、村会議員になったりして、村ではいばっている。

 この源作はお金が無いために学校を出ることができなかった。そのためほんとに五十歳になっても貯金を二万円ためようと思ったのが、まだ二千円しかたまらない。で、税金・等級割、一戸まえを払えないような自作農。息子が一人おるんですね。この息子にだけはどうにかして学校を出してやりたい。そして、月給百二十円とるぐらいの技師になってほしい。そういう願いを源作はもつわけですね。で、広島市ですか、県立中学の試験を受けにやるんですけど、それが村中のうわさになる。どん百姓が息子を中学校へやらせる、と。「あのうちは金があるわいな。」なんていう形でささやかれる。そして、村中のできごとを知ってる源作ですから、妻のおきのと語り合って、学校へ試験を受けにやったとはいわずに、奉公へやったと、そういうことを自分の口ではいっているわけです。ところが、そのうわさがいつのまにか、村のおえら方の耳にも入る。で、源作が税金を払いに村役場へ行った時に村会議員のだれかが、「お前は息子を学校へやるのはいいけれど、税金をちゃんと一戸前払ってからにしろ。学校を出すと理屈ばかりいって何も働かなくなる。」そういうことをいわれる。源作はいろいろとうわさされていて、妻のおきのはうわさの前にたじたじするわけですけど、源作は「おれの金でおれの息子を学校へやるのに他人に容喙されることはない。」そういう考えをもっていたんです。

 だけど、村会議員に呼ばれていろいろいわれるわけですね。だんだん体が小さくなっていく。前々から自分が考えていた「おれの金でおれの息子を……」こういうことは何も根拠がないように思われてくる。しょぼしょぼと役場から帰ってくると、その悪い顔色を見て妻のおきのが聞きだすわけですね。これ以上がんばって息子を学校へやる必要はない。県立中学だけではあぶないから私立も受けようとして、まだそちらに止まっていおるわけですけど、「我々みたいな人間にそんなことをする必要はない。はよ呼び戻したらえいわ。」そういうことで息子を呼び戻すことに、夫婦の間ですぐ話が決まってしまう。「チチビ ョウキスグ カエレ」電報が届くわけですね。

 息子はすぐ帰って来た。帰って来てから県立中学合格の通知が来る。その最終場面で、一行あいて最後のセンテンス、「息子は今、しょう油屋の小僧にやられている。」このセンテンスで終わっています。源作も四反歩ばかりの畑では生活できませんから、畑仕事のあい間をぬってしょう油屋に手間賃かせぎに、賃金を得るために働きに行ってた。四国ですから、しょう油屋がたくさんある。そういうしょう油屋の小僧にやられて行く。

 かなり、国語部会でも話し合ったんですが、私達は、しょうゆ油屋にやられたこと、大変怒りをかんじるし、また悲しみを感じる。このセンテンスは、これだけで独立しているんではなくて、それ以前で読んできた印象の積み重ねの上にこのセンテンスがあるのではないか。ほんとに五十歳になるまで働きこんで貯金はわずかしかたまらない。そういう源作の想いとか、村の論理に負けていった源作へのはがゆさとか。その源作ががんばってた時(これはおれの信念だってがんばってるけど)、私達も校長なんかと話してると、何だか自分のいおうと思ってたものに自信がなくて、へなへなとひっこめちゃうことあるんじゃなかろうか。いや、源作の姿って自分じゃないか。なんていうんでしょう。くずおれるということは相手側からいじめられた時ではない。自分が今までそうだと思っていたことが内側からくずれた時、やはり私達は、挫折していくんじゃないか。源作の視点というのは私達自身のものじゃないのか。

 こういうふうに読んできた上で、「息子は今しょう油屋の小僧にやられている。」そこを読んだ時にこの息子の未来像とか、ずっとしょう油屋の小僧としてやはり源作のように、またくずおれていくんだろうか。いや、そうじゃないんだ。自分の父親のあの苦しみをくみながら、もっとたくましくしょう油屋の労働者――労働者と書いてはたらきどん(・・・・・・)と、私達、読むんですけど――労働者としてたくましく育っていくんじゃないか。何か、こんな息子の未来像について語り合っていたんですね。

 その時ある先生が、いきなり「いや、ここには、息子はしょう油屋の小僧にやられると書いてあるだけなんだ。息子の未来像のことなんか書いてないんじゃないか。息子の未来像を話すなんていうことはふくらまし読みだ。それはすべきではない。」こういう意見が出たわけなんですね。で、先ほどもいわれたように、私達提案サークルのメンバーに、「文学とは何か。」ほんとに自分に整理されていなかったから、その先生に対して私達自身では本当の意味で説得できなかった。熊谷先生がたまりかね、「いや。」なんていう形でこう、マイクを持って立たれた。大変私自身はずかしい思い出があるわけなんですけどね。

 その後しごかれたことを頭にうかべていいますと、書かれているって、いったいどういうことなのか。これ、文字としてはたしかに息子の未来像は書かれていない。文字としては。だけど、書かれていないけれど描かれている、その描かれていることを、読み手がつかんでこそ文学ではないのか。たしかにここでは息子の未来像は書かれていないんだけれども、ことばとしては、文字としては書かれていないないけれども、それ以前の印象を追跡した時に、あるいは源作の姿が他人ごととしてとらえられなくなった読者に、そうした自分達を超えて行く若者達のたくましさ。そんなことが描かれているのではないか。

 それからこれは大正期、一九二三年の発表ですね。そのころ労働運動・農民運動が非常に盛んだった。マルキシズムに影響された形の意識的な運動がされてきていた。そうした読者がこれを読んだ時に、このしょう油屋の小僧(小僧ということばで書かれているけれども)、小僧の意識を超えた若者に成長していく姿が、読者の中には(大正期の読者には)ピーンとくるのではないか。

 よく私達は、いろんな現場で話し合う時に、時代背景ということばが使われる。時代背景では文学はつかまれないんだ、つかむことができないんだ、なんていうわけなんですね。自分でも充分整理されてないんですけども。外側ではない、黒島伝治自身も、だれにむかって書いたか、やっぱり対象とする読者、その秀れた部分を自分の仲間みたいに内側にかかえて、その内側の読者と絶えず対話をしながら書いている。だれに向けて書くのか。その作者の内なる
[読者との対話。そうした結果として、こういう文学形象として実現しているのではないか。時代背景として、芝居の書割みたいに外側にあるのではないのだ。ほんとにこのセンテンスがおかれている表現の場面規定、そこをおさえて読まないと、文学が文学にならないんじゃないか。こんなことを、その後の例会でしごかれながら学んだわけなんですね。

 やはり、これを授業でやっていく時にも、読解でやった時には源作の息子の未来像というものはつかめない。あるいはくやしさとか、悲しさとか、あるいは未来に対する可能性への期待とか、そうしたものはことばに表わさなくても、読者にどっかジンジンときた時、ほんとに「電報」という作品を読んだのではないか。

 民間サークル協議会で私達自身ほんとに苦しかった。その苦しかった研究を通して、それを整理することで、(まだ今も不充分で、この後また「君はまだ整理しきっていないじゃないか。」なんて熊谷先生にいじめられるわけですけど)多少とも理論的な整理ができた時に、こんどは教室へ行ったら……。中学生というのはもっといろんなことをいいますよね。小学生というものはもっといろんなことを。ほんとに悪意が無くて、思ったことをパッという。何も悪意が無くて、思ったことをいわれるからタジタジとするわけなんですよね。そんな時に、自分の文学理論が弱いんじゃないのか……と。よく、生徒からいろんな活発な意見が出て楽しく授業が進んでると、先ほどの熊谷先生の話じゃないんですけど、……ああ、今日の授業は楽しく全員参加して目が輝いていて、これはいい……なんて思ってるんですね。そうすると一人の男の子が立ちまして「先生、これはどうせお話の世界でしょ。お話の世界なんかつまんないじゃない。」そんな生徒がいたわけなんですよね。そしたら、(生徒のことばを使うと)急に教室中しらけて「なんだ、そうか、お話の世界じゃな。」なんて、こういうわけなんですね。せっかく盛り上がってたのがぺっしゃんこになっちゃったんですね。あの子があんな発言さえしなかったら、ここはもっといい授業で終わったのになんて、くやしい思いがするんですけど。その子がそういってもしようがないんですよね。それはもう数年前なんです。私がまだまだ未熟(今も未熟なんですけどね)……
(中略)
 提案サークルは勉強する場だと思ってるんですね。理論的整理が大変弱いと、いろいろ出された意見に対して対応できないですよね。おたおたしちゃう。おたおたするところからまた勉強が始まるんじゃないかなあ。そんな意味で私にとってはサークルというのは、どうしても欠かせない場なんだ。なんか、うまく……できませんでしたけど。(会場 拍手)


【以上、夏目武子氏の発言】


  太宰治「右大臣実朝」の虚構―― 事実と真実
 こんな優秀な助っ人がいてくれて非常に助かります。同時に、どっちが助っ人かわからなくなります。楽しく今の話、私、うかがいました。みなさんはいかがだったでしょうか。
(中略)
 私が後の方、これから入っていくわけなんですけれども、今出た話へつなげて後で話す予定のことの中で、一つの例文をあげさせていただこうかと思ってるんです。それは、さっきから僕は、実朝、実朝といってるそのことなんですが、実際と虚構っていうことは、今おっしゃったわけです。実話とフィクション、事実と虚構。事実ってほんとのことってのは、夏目さんが教えていらっしゃる生徒のはなれ得ぬ考え方ですね。虚構っていうのは、実はお話の世界。お話だからつまんない……
 これで皆様どうご判断されますでしょう。私、実朝を中心として、太宰に四年間とりくんでおりまして、やっとこすっとこ、ちっぽけな本、書いた[「太宰治 『右大臣実朝』試論」1979.6 鳩の森書房刊]わけですけれど、(そしてその調べの中でぶっつかったことなんですが)さっきは「吾妻鏡」の話をしました。こんどは「金槐和歌集」から例をとって夏目さんの助っ人をいたします。

 「金槐和歌集」に次のような歌があります。(数百首集めた彼の自選の「金槐集」の中に、ですね)
   ものいわぬよものけだもの すらだにも 哀れなるかな 親の子をおもう
くりかえします。ものいわぬ、ことばをもたない。ものいわぬ よものけだものすらだにも、あちらこちらで生きているけだもの達さえも。ものいわぬ よものけだものすらだにも哀れなるかな、しみじみと心にしみてくるではないですか。親の子を思う、親の子を思う姿に涙してる実朝の気持ちの出ている歌です。

 それから、同じく実朝の「金槐集」の中の歌ですが、いとおしや、かわいそうになあ、というんです。いとおしや 見るに涙の止まらず、その姿を見ていると、涙が止めようがないんでありますね。
   いとおしや 見るに涙の止まらず 親のなき子の 母をたずぬる
親のなき子の母をたずぬる……鎌倉を中心にして、あの地方に疫病が(当時のえやみ・流行病・はやり病が)まん延してまして、人々は死んでいく。かわいそうに、二親とも失なった、一人のまだ幼い子どもが「ママ、パパ」ってさがし求めている。そういう姿ですね。鎌倉将軍は、徳川将軍とは異って気楽な将軍で、お馬にのっかって、家来を二~三人ひきつれて、ぶらぶらと出かけて行くわけですが、その鎌倉街道の街道筋で見かけた風景なのでございましょうね。

 「右大臣実朝」っていう作品は、ご存知のように実朝の歌が十八首もとられております。十八ですね。にかかわらず、この二つの、彼の最高傑作の一つと考えていいだろうこれらの歌はカットされています。事実に反するからです。それから「草燃える」でもって(永井路子さんの原作による)あの作品で作ったイメージとは合いません。全然ちがった政子が出てきます。もちろん尼将軍政子が。
 ところでこれ、実をいうと最初の歌、ものいわぬの歌は、母親政子への恨み、母は、そして(後の歌も含めてください)父は、すでにみまかりて、です。頼朝です。今は直系の兄頼家は伊豆で殺されてですね。しかも、直接手をくだしたわけではないが、それを黙認したっていうか、北条執権のために黙認したのは北条政子ですね。して、ほんとに孤独感を味わってるのは、(孤独な状態の中で孤独感を味わってるのは)実朝ですね。倦怠の思いが、アニュイな思いが、心をいっぱいに占めているわけですね。そしてこの歌が生まれるわけなんです。あのけだものでさえ親は子を慈しんでいるではないか。しかるに我が母は……という叫びのようですね。それから、父よ母よと求めて、両親を失なった子どもが、泣いてわめいて、その辺をうろうろしている姿、そこに自分の姿の投影を見るわけですね。父はみまかり、もう父の無い私である。母はあれども、ない以上のものですね。冷たい母なんですね。神経の無い、愛情を欠いた母なんですね。肉体の母ではあるが、精神は他人も他人、敵といっていい他人なわけですね。その苦悩を訴えた歌ですね。その歌が取材されていない。実話に反するんです。

 ところで、彼はそのように虚構するわけです。これはまず基盤になりますのは当時(「吾妻鏡」の中に明確に記載されていますが、十七歳の若い将軍)源実朝は、ほうそうを患うわけですね。これはもう絶対ぐらいあの時代にあっては痘瘡面になるわけですね。なおっても、命が助かりゃめっけものみたいな病気だったわけですね。そこで彼は十七にして痘瘡面になる。で、御台所をはじめ、その他、その他彼を愛する、(主人だから愛するんではない。人間的に愛情を交わし合っている)多くの側近の侍とか、侍女とかが、その顔に目を向けられないわけですね。そして、まだ実朝さまは気づいてないだろう。その病床を囲んで、涙をこらえて実朝をなぐさめているんですね。
 
 そこへずかずかと母、北条政子が訪問して来る。そしてじいっと、わが子実朝の顔を見てから「おお、そなたは、自分の顔がどう変わったか、面変わりしたか、わかっているのかのう。」というわけですね。「ほんとうにわかっているのかのう。」とのぞきこむわけです。この無神経。無神経だけど愛情があるっていうのも私は否定しませんけど、人間であって無神経で愛情があるってのは、これは矛盾だと思うんです。「よもの けだもの すらだにも」なんです。人間であるってことは、神経が大事なんです。メンタリティーが大事だということです。そのメンタリティーのないセンスレスな政子の姿を描くわけです。まわりの人々、つまり愛し愛されている夫婦仲、その御台所(京都の公家の娘です)それから側近の人達、こらえにこらえたものが怒りといっしょになってワーッと泣きだすんです。政子はそれを感じることができない。何を泣きやるってな調子なんです。また実朝に問いかける。

 実朝は痘瘡面で、にっこり笑います。「スグ慣レルモノデス」。なんとでもとれることばです。「みんなもこの顔、今は疎ましいというか、痛ましいというが、思ってるんだろうが、そのうちになんか慣れて来て痘瘡なんか気づかなくなるよ。私も内心、実はやっぱり痘瘡面をいやだ。でも自分自身きっとすぐ慣れるよ。」そんな想いが一方であると同時に、政子に対する痛烈な反撃でしょ。こんな無神経な陰湿ないい方されること、耐えられぬが、スグ慣レルモノデス。きっと慣れてみせるよ。そして私は北条政権ぶったおすんだ、という決意が裏に見られるわけです。そういう描写で話は進んでいく。……メンタリティーと神経……そういう文学が「右大臣実朝」っていう作品なんです。これは実話ではございません。虚構でございます。むしろ虚構の方が真実を伝えているとお感じになるむきは、ありませんか。この歌一首を引用するより、、この歌二首引用するより、いかがなんでしょうか。

 母への怒り、がまんにも限度がある。でもがまんしぬいて見せる。明日の日のためにですね。戦いの日のためにですね。そして、若い将軍実朝の戦いの日々がこれから続くわけですけれども。そして今までは常に何か相手の意見を、即ち、政子の弟北条義時とか、大江広元とかに屈服したような顔をしてた彼が、時期を待ってついに相手が何をいおうと、いうことを聞かなくなって、そして顔を民衆の方へ向けます。北条政権は搾取のことしか考えません。彼の目は、民衆の方へ向いていきます。そこでつくられた歌、
    時により 過ぐれば 民のなげきなり 八大竜王 雨やめたまえ
時により過ぐれば民のなげきなり……やや広島のきのう今日の状況に近いわけですね。雨は、東京では、今ほしがっています。恵みの雨がほしいんです。渇水で、水道制限が行なわれている状況です。ところがこちらでは、その同じ雨が過ぐれば、ですね、度を過ぎれば、民のなげきなり。八大竜王よどうぞ雨をやめてくれと。私の責任をもつ鎌倉の民衆を守ってくれ。そういう叫びの歌を詠むわけですね。で、そのことは、事実以上の真実ではないでしょうか。

 虚構とは真実を描くものであります。事実を描くものではありません。真実を描くものです。その真実は事実にそむいてるでしょうか。事実にそむいたら真実ではございません。事実の真の意味ですね。これを真実と申しますね。(私は何か前に書いたことなんですけど、はずかしいんだけど、)例えば私が、たばこをくわえるのは遠慮しますが、こう話している時に、なぜか知らぬが事実として、こうやってライターをあけてカチンとやる。これ事実であります。しかしこの事実は何を意味するや? てのは、この現象自体を書いたところで、描けやしません。さっき、書いてはないけれど描かれているということが話題になりましたが、この、いわゆる事実を書いたって何の意味があるでしょうか。そこに真実を書けやしない。なぜ熊がこうやってライターを……これ、うそなんですよ。また虚構なんですよ。それこそ皆さんの無神経さにいやになってイライラしてきたんです。うそですよ。(会場 笑い)断じてうそですよ。そういう意味がこもってるかもしれない。あるいは自分の考えがまとまらなくてイライラして、こうやっているのかもしれない。この事実の意味です。行為的な、この行動的事実の行為的な、(さっき行為実践てこといいましたが)行為的な意味、それを書くのではなくて描くのが、虚構っていうことで、文学の世界とは虚構の世界です。意味を考え合う世界ですね。

 したがって夏目さんの教え子達が「要するにお話の世界でしょ」ってやつ、ほんとにナンセンスだと、教師が、私達教師が一人一人実感する時に、その「お話の世界でしょ」そうしか感じない生徒が、感じるようになる()地を、足がかりというんでしょうかね、教師の間で、先生と生徒の間でできないはずはありませんね。ただ、教師がわかってなかったら、わからせることできませんね。僕が物理学の教師になれないのと同じ理由でございます。
 ちょうど今、電話が鳴って、ということは、八大竜王のお告げと信じまして、ケチらしてください、時計の針を見ています、五分間の休憩でお許しください。どうぞ。


  文学的イデオロギー――<で書く/を読む>
  実は、事実と虚構、歴史小説で言えば史実と虚構ですね。その問題をどう考えて行ったらいいかです。
 たとえば現実に、中学校の現場から一つの声として、夏目さんのお話にあった「要するにお話の世界でしょ。」っていうやつ。これが存外多い。そういう考えのままおとなになっちゃった。そういう考えのまま教師になっちゃった。そういうことがお互いさまでございまして、それは私のことを申しているのでして、中学生とはちがいます。そこで、文学理論の学習を自己の課題とする必要はないのか。たとえば現場で出会う「お話の世界でしょ。」それに対応していくことを、こちらは積極的に教えていく。生徒と指導的立場に立ちながら考え合っていく。そういうために文学理論の学習が必要だ。文学理論というのは、具体的には、文芸認識論と文学史である。その視点から、たとえば、こういう点を理論的に把握しようというので、事実と虚構の問題、すでにとりあげたわけです。

 ここで少し、破れかぶれになりまして、あっち行ったり、こっち行ったりしながらおしゃべりさせていただいて、与えられた時間の範囲で必要なことをふれさせていただきます。「三つ子の魂に文学のエスプリを」と申しましたが、もし、夏目さんの教え子が、そこで、文学のエスプリを与えられないなら、それはもう高校生になろうと、大学生になろうと、たいがいだめなのでして。教師になろうとだめなのでして。
[そのような]教師というのはだいたい学生時代・生徒時代・児童時代をふりかえってみると、申し分けない話だけど、小学生は小学校の先生に、中学生は中学校の先生の読まれる指導によって疎外された人間なのであります。スポイルされた人間です。その、スポイルされるというのはまだかっこいいので、「あいつのせいだ」ってことですむんですけれど、そのあいつとして、わかち合うようになるんですね。自分の教え子に対して。で、また二重に作っていって(自分のような人間を)ついに、かくて日本はほろぶということになるわけです。そこで、ほろぼさないために、やけどをさせないために、文学理論学習こそ、自分の課題としようではないかということを提案し、具体例を、事実と虚構ということで申しあげたというふうないきさつでございます。

 それから、文学ということを、中味にわたって説明する時間を失なってしまいましたが、……文学的イデオロギーで書くものである。文学的イデオロギーを読むものなのだ。……結論的にいうと、そういうことなのでして、けっしてイデオロギー、いわゆるイデオロギーで書いたり、イデオロギーで読んだりするものは、文学ではないのであります。この点の説明の時間が無いために残念なのですけれど、なんとはなしに解っていただきたいという思いがあります。というのは、……メンタリティーということを申しました。……神経とメンタリティー……をさっきからいっています。人間めいめいにメンタリティーを持っています。が、それはメンタリティーというに値しない困ったメンタリティーがあったり、困った無神経さがあったり。それを含めて、みんなメンタリティーを持っているのですが、そのメンタリティーは場面によって変化する側面と不変の側面とがあるわけです。貫いている側面があるわけです。その貫いている側面を、学術語では、申すまでもない、プシコイデオロギーといっておりますね。

 プシコイデオロギー・心理的イデオロギーです。これは、つまり、メンタリティーの一種です。が、持続的なメンタリティーです。「あの人好きだ。」というその、あの人のメンタリティーというのは、あの人のプシコイデオロギーなのです。持続したメンタリティーなのです。「時々カッカしてたりしてさ。そういうところはきらわれるけどさ。そういう面あるけどさ。おおむねおだやかで、熊みたいでなくて、とってもいい人なのさ。」っていうのがありますでしょ。「時々カッカするけどさ。でもさ。」ってのがあるでしょ。その持続的継続的なメンタリティーをプシコイデオロギーと、こういうわけですね。文学を読む時、人は、自己のプシコイデオロギーで読むわけです。そこで出会うのも、実は、一種のプシコイデオロギーと出会うわけです。作品の世界で。つまり、メンタリティーと出会うわけです。これは、つまり形象・文学形象って意味の形象。形象的に深められた、定着せしめられたプシコイデオロギーです。これを文学的イデオロギーというわけです。

 ただメンタリティーといったら、つかみどころが無いんですけれど、そのメンタリティーの持続的なもの。そしてかつメンタリティーを左右しているもの。制約しているもの。これをプシコイデオロギーというのです。それをさらに、言語形象によって客観化したもの、つまり、さっき「電報」という作品に定着したプシコイデオロギー。それが、黒島伝治の「電報」という作品のうえでの文学的イデオロギーですね。源実朝が
    ものいはぬ よもの けだもの すらだにも
一つの形象として客観化されますでしょう。定着をみているでしょう。実朝のプシコイデオロギーが、形象において、(作品形象として)、言語形象として定着せしめられている。つまり文学的イデオロギー、これと、読者であるこの私とぶつかり合うわけです。このわたしのプシコイデオロギーとです。

 そんなしちめんどうくさいことはどうでもいいというならば、メンタリティーということばで一貫してもいいのです。とにかく、文学はメンタリティーにおいて成り立つ。素材において成り立つのではありません。だから、たとえば、ある考え方の方にとっては、農民一揆が肯定的に描かれているからすてきだ……とこうくるわけです。農民、一揆という素材が肯定的に扱われているからすてきだというわけです。これは何のことはない、素材と主題とを、テーマとを混同した考え方ですね。素材はテーマではありません。ですから、今、実朝と作品に返っていえば、実朝は必死に生きるんです。このあとですね。お読みの方ご存知のように。せいいっぱい生きるんです。しかし、圧力がすごいんですね。抑圧がすごいんですね。ついに、鎌倉の中から圧力があったんじゃなくて、京都から、後鳥羽の院から心中を、家来として忠誠を誓えと迫られるわけですね。

 これは、彼にとって最も残酷なことで、京都と鎌倉は、敵味方ですね。彼は鎌倉の将軍ですね。関東武士団の総領です。その総領に背中を向けないかぎり、後鳥羽院に誠実であると、忠誠を誓うことになりません。非常に苦しむわけですね。そのあげくに次の
    山はさけ 海は浅せなむ 世なりとも 君にふたごころ 我があらめやも
あの、セレモニーの歌を作りますね。ことわっておきますが、あの歌は、実朝の心からの気持ちを詠んだものではありません。彼は、だんだん変になってきたわけです。自分で自分の人間性を疎外し始めるんです。スポイルし始めるんです。そして、だんだん十七、十八、二十、二十一歳、二十二と、そのころの実朝を考えると、絶対予想もつかない変な人間になりはてるんですね。さっき、「八大竜王 雨やめたまへ」の歌を紹介しました。あれほど民衆の方を向いていた彼ですね。そのへんの段階になると、すっかり疎外された化け物になるんですね。民衆がとまどおうが、何だろうが、衣裳を華美にし、はでな物見遊山を始め、そして京都に向かってはもっと位を上げろ。そしてついに右大臣の位までもらっちゃうんですね。どうしようもない奴になりはてるわけです。

 それは人間としての敗北の姿です。とすれば、敗北の人生を描いているから、「右大臣実朝」という作品は敗北の文学だ。(これはだれやらが芥川のことを呼んだことばですが)敗北の文学といえるでしょうか。ちがうんです。これは訴えたいことの一つです。これをリアリズムというのです。人間は人間以外でないと同時に人間以上でもないということです。限度があるんです。あるところまで痛めつければ、人間でないものになります。早い話が、ナチのやった拷問はどうですか。大変身をとげたでしょう。あれだけ痛めつけられると、別の人間、化け物になってしまうわけです。人間には限界があるのです。そう痛めつけられてだらしなくデレーッとしてしまった実朝を最後には書いています。これがリアリズムです。なぜ? こういう状況を自己や自分たちに作り出さないために何をすべきか。ばかな読者でなかったら考えますね。実朝のような偉大な人間ですらこうなのだから、オレみたいな、私みたいなヘナチョコは、あの半分も痛めつけられたら化け物にならあね。

 化け物条件は次々と出てきていますね。有事立法がどうとやら。大きいところでいえば、元号の問題では、先ごろ国会をパスしました。次々次々と。大平総理大臣はクリスチャンだそうですけど、靖国神社に個人の資格で(個人ということは、クリスチャンということですね)靖国神社に行ってきました。もう、そういうことが許される世の中に、すでになっているのですね。

 思うとおりの教育をやっていらっしゃいますか。できますか。指導要領に……というようにいろいろのことがございます。そうしないためにどうするかを考え合う文学が「右大臣実朝」なんですね。敗北の姿、人間の敗北の姿を描いているから敗北の文学……なんたることでしょう。「文学のブの字も分かっちゃいねえ。」といいたくなります。その文学のブの字を学ぼうよ……というのが、私の文学理論学習への立証であります。

 いろんなことがあります。ちょっと時間が気になるものですから、提言を二~三いたして、それからお配りした物へちょっと時間を、と思ったりしています。


  リアリズムの文学――「人はばけもの 世にない物はなし」(西鶴)
 例えばですね、私はある小学校に助言者でよばれて行った。その時(去年話したでしょうか)「月の輪ぐま」(何か私に近いなと思って喜んでいるんですが)。ただ、先生は、たいへんな授業だったらしくて、一生懸命で、すてきでした。根本がずれているんで、すっかりずれちゃいまして。私はって人物が出てきて、月の輪ぐまも出てくるでしょう。そういたしますと、この「わたし」というのを作者ととるのですね。作者はこの時どう感じたでしょう……。すると、先生の気に入るような答が、中には出てくるんです。生徒が、「そうです。」なんて、にんまり目を細めます。困っちゃいますね。作中人物イコール作者ととらえたら、作中人物、これは、モデルはだれ、なんて、のぞき見趣味ですね。これが、一番だめなんですね。一番で、三番目ぐらいじゃないんです。(会場 笑い)これは、私小説的読書法でございますね。太宰治なんかを、私小説的方法で読んだら、えらいことになります。

 それから、太宰自身いっておりますね。私小説、即ちフィクションなんだけど、自分は、私として登場させるんだけど、自分をいい子にして書いているんだよ。どんな伝記小説だか知らんけど、主人公だか相手だか、とにかく私は、みんなどっかいい子になっている。私が自分をいい子にしてしまっている。私自身の中にある問題を訴える場合にも、私は私自身をくだらぬ人間として書いた、だめな人間として書いた、そうすると、ほんとうに私自身がだめな人間に思うから困るんですが……なんてことを書いています。

 我々が、文学教師が、たもとを分かつべきは、私小説的、その意味での悪しき日本的読書法・文学鑑賞法ですね。作中人物は作中人物であって、作者とは別の存在ですね。こうして読んでいかないと、どうにもなりませんね。それから作中人物のいろんな台詞や行動が、作者の訴えだとすぐとりたがるんですね。ちょっと、どれが中心なのかわからないみたいに四~五人の人物がありますと、この中のだれが、ほんとうの作者かしらんなんて、(会場 笑い)冗談ではなくて、あるんですね。たとえば、そういう問題があります。

 リアリズムとは何か……これは、根本問題ですね。夏目さんの扱われた「電報」の作者は、やがて、「豚群」という小説を書きますね。やがて「渦巻ける烏の群」、それぞれに優れた性質をもっていますけれど、メンタリティーの文学でなくなっていくんですね。「電報」はみごとに源作のメンタリティーを描いています。その苦悩を描き、その喜びをを描いておりますけれど、「豚群」あたりになりますと、さっき素材と主題のはき違いということを申しましたが、素材主義ですね。それは転じて、テーマ主義になり、転じてイデオロギー主義にですね。「豚群」を書いた段階の彼は、完全にプロレタリア作家で、そのプロレタリア作家達のイデオロギー、その持ち主になりますね。そのことは、別に否定すべきことではありませんけれど、文学そのものが、文学でなくなっちゃった傾向をもっているわけです。

 例えば「豚群」では、農民闘争を描いています。そして、農民の反撃の前に地主たちは、くたくたになっています。そして、ついに農民達は「ついにやったぞ。」てんで、みんな歓声を上げる。そこで終わっています。おわかりのように、大正から昭和の初期にかけて、農民闘争、成功した例がどれだけありますか。つまり、結果は、残念ながら、敗北していったわけです。それに触れるのがこわいんですね。プロレタリアや農民は、勝たなくてはならない。ただ、勝つ……とは、どうしても書けない。そこで、日本勝つ……とは、どうしても書けない。日本帝国陸軍海軍が、たしか、シンガポールにおいては、勝ちましたよね。不意うちをくらわして。あの勝ったところで終わらせて、「太平洋戦争史」という本を書いたらどうですか。それは事実であると同時に事実ではない。つまり真実ではないんですね。

 一時的な、局部的な勝利のところで筆を止めざるを得なかったところに、黒島伝治の良心を感じる。文学者としての良心を感じると同時に、うそは書けなかったんですね。と同時に、勝利のところで筆を止めなければ士気を鼓舞することができない。農民・工場労働者の士気を鼓舞するのでなければ、即ちプロレタリア文学の使命は果たせない。そういう意識ですね。そこで、勝った場面でやめちゃうんです。まるで勝ったみたいに。局部的に勝ったんです。それはつまり、ボクシングに例えていえば、相手に一発くらわして、相手がよろよろとしたところで筆を止めちゃうんです。これを勝ったというようなものです。この次の瞬間はヨロヨロしたのが、たちなおって、ドカーンとやるわけです。そのあと、ノックアウトされるわけです。こっちが。ノックアウトされた農民・労働者を書きたくなかったことはよくわかます。わかりますけど、事実・真実はそうなんです。だからこそ、勝つためにはどうするかということを考え合う文学を書いてこそ、真実の(そういう作品が少なかったけれど真の)プロ文学になり得たのでしょうね。つまり、リアリズムの文学になり得たのでしょうね。「豚群」は断じて、リアリズムの文学ではありません。単なる素材主義に終わってしまっています。

 文学をいかに読むか。リアリズムとはどういうことなのか。この点をつかんでいったらすてきですね。いえ、すてきですねではなくて、そうしていただかなければ、子どもがやけどをしますね。最初申しましたように。子どもは、文学のわかるメンタリティー、プシコイデオロギーの持ち主に育んでいく。その足場を、まず小学校で与えたい。そう、去年は、「皇帝の新しい着物」アンデルセンのことをチラと述べましたね。私、まちがったことをいったとは今でも思っていませんが、不十分なことしかいわなかったことを反省いたします。その不十分さはどこにあるのか。メンタリティーの文学としての位置づけを怠ったことです。つまり、あの作品が書かれて十二年後に、デンマークでは革命が起こりました。その革命の担い手は、アンデルセン文学の読者達でした。かつて、少年であり少女であった。その少年少女達が、今や若者となって、当時十歳の者は、今は二十二歳です。そして、先頭に立ち、縁の下の力持ちとなって、支え合って、デンマークの革命に成功しました。アンデルセン文学の読者、アンデルセン文学の果たした文学的意味、ここで、私はみごとな失敗をしました。今、訂正いたします。革命へのメンタリティーを子どもの心につちかった。だから文学ですね。メンタリティー、プシコイデオロギー、転じては文学的イデオロギー抜きの文学t論は非文学論であります。そのことを申しあげたいと思います。

 実は、私は恩師のことを話したかったし、ともあれアンデルセンは、三つ子のメンタリティーに文学を与えたのです。そしてメンタリティーを組織して、持続的なメンタリティー、プシコイデオロギーを作ったんですね。革命する以外に道は無いということ。それを、すぐ目の前の小学生にわからせようというのではないんです。その下地をつくろうというわけです。そして大きくなって、十七になり、十八になって読み返した時に、何か新しく見えてくるものがあるわけですね。単に、こっけいな妙てけれんな裸の王様ではなくて、この裸の王様を、ほんとうに裸にしない限り我々の幸せはない。あいつは裸で十分だってわけですね。だんだん、だんだんメンタリティーがエスカレートしてきたわけですね。そして革命に結びつくのです。文学の仕事は、メンタリティーを優れたメンタリティーに組織すること。それが文学であります。従って、今いった黒島伝治の「豚群」は、まちがっています。それに対して、彼の処女作「電報」は、りっぱな文学です。そういう、文学評価の基本になるものを押さえていただきたい。

 そして、去年申しあげたことを別のことでいえばと思って、夏目先生に読んでもらってごいっしょに考えていただこうと思ったのですが、お配りしてあるプリント、これは夏目先生が刷って持って来てくださいました。約十分でございますので、これでできることをやりたいと思います。
 初めの申しあげます。これは他でもありません。井原西鶴、彼の「大下馬」(四十代で、今まで俳諧に親しんでいた彼が、いや、死ぬまで親しむのですが、メイデンスアルバイトとして始めた浮世草子、これが日本の小説の始まりであります。)その「大下馬」という短編集の序文でございます。自分の文学観・我が作品のめざすところ、そうしたものを書いたものですが、読んでいただいて、時間の許す範囲でふれさせていただきます。

【プリント朗読】
 世間の広き事 国々を見めぐりて はなしの種をもとめぬ 熊野の奥には 湯の中にひれふる魚[うを][あり] 筑前の国には ひとつをさし荷[にな]ひの大蕪[かぶら]有 豊後[ぶんご]の大竹は 手桶[てをけ]となり わかさの国に 弐百余歳のしろひくに[比丘尼]のすめり 近江の国堅田[かたた]に 七尺五寸大女房も有 丹波に 一丈弐尺のから鮭の宮あり 松前に 百間つゝきの荒和布[あらめ]有 阿波の鳴戸[なると]に 竜女[りうによ]のかけ硯もあり 加賀のしら山に ゑんまわうの巾着[きんちやく]もあり 信濃の寝覚の床[ねざめのとこ]に 浦嶋が火うち筥[ばこ]あり かまくらに 頼朝のこづかひ帳有 都の嵯峨に 四十一迄大振袖の女あり 是[これ]をおもふに 人はばけもの 世にない物はなし
(会場 笑い)

 どうもありがとうございました。西鶴の文学、これこそ、リアリズムの文学であり、さきほど申したように、日本の小説は西鶴に始まります。「源氏物語」はどうかということですが、「源氏」は断じて小説ではありませんね。(物語)従って、文学理論学習というのが必要なのですね。
 最後の部分で、みなさんがお笑いになったこと、私は大変うれしかったんです。「……是をおもふに人はばけもの……」そのへんで、エヘッヘ、ハッハッハッ……こうなってもらわないと困るんで。(会場 笑い)
 私が端的にいいたいことは、「人は化けものだ。疎外された人間だ。うぬぼれるな。だれもかれもが疎外されてるんだ。」ってことです。疎外した奴がだれかを考える。それを考え合うための私の小説なんだといっている作品なんです。

 化けもの・疎外された人間・スポイルされた人間。さっきの実朝を考えてみてください。あの実朝をあんなみじめな姿にしたのは、だれなんでしょう。なぜ、我々はあんなみじめな姿になっているのか。ちゃんと抵抗すべきところで抵抗を忘れているということはないのか。あるいは抵抗の手段を誤って、「豚群」のように一時的な勝利に酔うみたいな、そういうところはないのか。そういうことを考え合うのが、「私の文学」だってことです。これだけはまず申しあげたい。それから「四十一まで大振そでの女あり……」さがの、今の嵯峨野を考えてくださるとうそなんですが、まっ暗がりで、四十一歳というのは、当時、西鶴作品に出てくる「お夏清十郎」のお夏は、十六歳にもなってまだお嫁にいかない困った娘だというのがあります。世間のうわさで。つまり、結婚適齢期が十六歳。かぞえ年のね。そういう時期の四十一歳というのは、現代でいったら、六十歳から七十歳ということですね。六十・七十歳にもなって、大振そでというジュニアスタイルをしているってことです。(会場 笑い)これは化けものです。しかし、この化けものに、いったいだれがしたのか。彼女は、売春婦であります。

 これは、「一代男」の中に書いてあるのですが、与之助が放蕩の限りをつくしたあげく勘当されて諸国を流浪します。そうして初めて、今までいい気になって遊びほうけていた、その遊び相手である遊女たちのほんとうの姿を知るわけです。その地方のしがない街娼の姿に。子どもが三人いて、当時のことばでいえば労咳の御亭主(だからもう生活ができないから)彼女の唯一の収入の道といえば、もう四十一(歳)にもなって(六十五にもなって)ジュニアスタイルをして、手ぬぐいで顔をかくして、なるべく暗い所、つまり嵯峨野をえらんで、うろうろと客を求めたり、こうして、彼女は疎外されることで自己疎外に陥っている姿です。これを笑うことがだれにできましょうか。その疎外の根源を考え合おう。それがリアリズムです。

 すぐれて文学の課題は、ことに小説の課題は、まず自己の疎外を自覚すること。そして疎外からぬけ出ることへの努力。単に精神的にでなく、手段をつくして、手段を選んで、手段を発見してやっていこう。手段なしには目的はありえない。手段を誤らずにやろうよ。ここに手段を誤った男女の姿を積極的に描こうというのです。そこで、「好色一代女」の世界が出たりする。悩んだりするんです。何か、好色がつくから読むにたえない……これは文学の何たるかを理解しないのです。疎外された女性群像を描いています。そして、疎外の根源を探り、疎外する権力への怒りをかきたてているわけです。

 プリントの一行目を見てください。
  「世間の広き事は……」むろんそのとおりなので、何て世間は広いのだろうな。世間というのに注をつけます。自分にとっての未知の、未経験の世界のことなんです。これが世間です。だから、「世間知らず」「箱入り娘」「箱入り息子」そういったことばが出てくるんで、世間とは、我にとって今だ知らない世界、(知らない世界なんだけれど、その世界のことが私達の生活、私という人間に作用を及ぼしている)それが世間なのです。私にとっては未知だけれど、それが私に悪い作用(多くの場合悪しき作用)を及ぼしている。そのようなものを世間というのです。だから、「世間の広き事」は、ある意味では、なんと未知の世界の多いこと、我々人間の知っていることは、これっぽっち、つめのあかほどしかありません。知らないことがうんとあるんで何でも知ったつもり、もうすべてマスターしているつもり、そうなった時、化けものになるんです。我々教師もそう、同じことなんですね。何も人の話なんか聞かなくったって、本はもうたくさんだ。考えてみれば、六・三・三・四……考えてみればずい分ながく疎外されているわけですね。

 世間の広き事を自覚する、自覚し合うための我々の文学なのです。(中略)広い世間を知るために、私は旅に出て、そこから話題を集めてみた。こういうふうにつながっていきます。そうして世間に出てみると、こんなことがある。例えば熊野の奥に行ってみると、(私は大阪人で、というわけです。大阪の地をはなれて熊野の山奥行くと)温泉があってね。その中で草津よいとこ一度はおいで……と湯の中で手ぬぐいなんかを頭にのっけて、お魚がひれふって泳いでいる。目を細くしてね。(会場 笑い)

 ちょっと冗談をいわしてください。こんなことあるものかと思う方はお手を挙げてください。はい、ありがとうございます。あるよって方は。(会場 笑い)つまり、大多数の方は迷っていらっしゃるわけですね。あるよって方がおふたりで。ないというのが約十名。あとの方は判断中止。(会場 笑い)そういう方は、ないよって方に賛成なんじゃないかなんて勘ぐるんですけれど、実はあるんです。「世間知らず」だからこういうふうになっていくというわけなのです。だから、度胆をぬくんです。西鶴の文学は。おまえはまだ、リアリストでない。おまえは疎外されてるよってわけです。だから、どっちにも手を挙げなかった人は、疎外されいるんです。(会場 笑い)

 九州は熊本、熊本大学にちょっと招かれまして、おしゃべりに出かけました。慰労会というのを、僕のためにやってくださいまして、熊野山ろくに熊大の寮がありまして、そこへまいりましたら、池がありまして、湯気が上っていて、そこをまわって歩いていたら、コイがうれしそうにふやけた顔をして泳いでおりましてね。(会場 笑い)そのころ、女中さんといっていましたが、宿のというか、寮の女中さんが、僕にこっそり教えてくれました。「先生、この家で、決まりきった料理しか出ないけど、つい、コイこくを作れ、あらいを作れなんて、絶対に注文してはいけませんよ。このコイはくちたコイです。湯の中につけておいたら太る」っていうんですね。コイが。そうすると、四人前しかとれないのが六人前もとれちゃうって。(会場 笑い)それだけもうけるんだそうで、まずいのなんのってないです。つまり、湯の中にひれふる魚を目の前にして、私は、この西鶴の文章を思い出したんです。(会場 笑い)ああ、我は化けものなりと思ったんです。

 このようにして、一つ一つ当たっていくと、おもしろいんですけどね。なにしろ時間の使い方がうまくないものでして、結びにならない結びみたいなことになってしまいました。
 文学の根本、特に小説の場合、詩の場合、短歌の場合、俳句の場合、それは、単に喜びをうたいあげたというふうな面、短い詩型ですからありうるわけですね。小説に限定していえば、現代小説に値いする小説とは、疎外の問題と取り組んだものであります。疎外のメンタリティーと。だから、マイナスの人間が描かれているから、これはリアリズムでないなどと、ゆめ、おっしゃってくださるな。

 不十分な話ですみません。去年約束いたしました。僕は、僕なりにがんばって、またお会いできる日があるかもしれませんて。精いっぱいにがんばって仕事に打ち込みました。お互いにがんばって、また来年お会いしましょうねってことでお別れしたのですが。今年もまた同じことばですが。おそらく、こうやって顔を突き合わせるのは、初参加の方にとっては、これが最後だろうと思うし、お若い方もおいでのこと。僕は僕なり、必死にがんばります。どうぞがんばってください。
 そして、我々は教師です。どうか子供にやけどをさせないようにしてください。日本を滅ぼさないでください。そういう、必死な努力を、自分の出来る範囲で(狭いところですけれど、)お互いにやっていきたいと思います。ありがとうございました。(会場 大きな拍手)
 
  六月にご講義いただいた時のテープを、夏休暇中に、文教研広島グループが手わけして起こしました。聴きとり不足の部分が、気になっております。
 清書するつもりで、タイプライターをうちました。未熟な技術に活字不足で、こちらも、思うにまかせませんでした。
 あの日の、あの時の、あつい想いと感動だけでも伝えたいと、いきごんだ仕事でした。どうぞ、おくみとりくださいませ。
一九七九年 秋
広島・文学と教育の会