明治図書出版刊「教育科学・国語教育」142 1970年8月号 掲載

  ■理論講座/文体づくりの国語教育・第2回
  
文学にとって主題とは何か



    時評的かつ恒久的な問題として

 “文学にとって主題とは何か”という問題は、今年の上半期における国語教育界のトピックであった。今年冒頭の日教組第19次全国教研(国語教育分科会/文学教育・文学作品のよみ方指導小分科会)で、そのことが論議の焦点となって以来のことである。そして、それは、普通にいう意味の“時の話題”という格好の単なる一時的なトピックとしてではなしに、(いわば“継続審議”のかたちで)たえざる論議の対象として、長く問題を今後に持ち越すことだろう。
 というのは、@“よみ方指導”の問題を含めて国語の授業のありかたを、つねに原理的な面に返して考えることで、自己の実践の方向とありようを絶えず反省し続けようとする人々によっては、それは、まさに、関心の焦点にならざるを得ない問題だからである。ところで、また、A全国教研の場におけるこの問題の討議が、実は、どうも、あまり生産的とは言えないような方向に流れてしまったばかりか、Bありていに言って、日教組中央講師諸氏によるその後の意見発表などにも首をかしげさせられるようなフシが少なくない。そこで、C問題をアンチョクに片づけたり、ウヤムヤに終わらせないためには、振り出しに戻って――というのは、全国教研における問題提起者の所説に立ちかえって――、この問題に対する各人の印象を追跡しなおす必要がある。“主題”の問題をただのトピックに終わらしめないで、問題の検討を今後に継続して行なわなければならない積極的な理由がその辺にあるわけなのだ。
 連載2回目のこの稿も、そこで、いわば“文体づくりと主題把握”というような面に話題をしぼり、(日教組教研のわく 組みにいうところの)“文学作品のよみ方指導”の実際に即したかたちで上記の問題について考えてみることにした。つまり、この項の小見出しに標記したように、「時評的かつ恒久的な問題」として課題をその点に求めよう、というのである。そこで、まず前提になるのが、第19次全国教研におけるこの問題をめぐってのディスカッションの内容である。


    主題論争をめぐって (一)

 “文学にとって主題とは何か”という、“文学作品のよみ方指導”にとって最も基本的な問題提起を行なったのは、大阪代表の新開惟展氏であった。「教研速報・3」(1970.2.9/日教組情宣局発行)によると、「大阪から、主題の客観性が否定されるような発言があったため、それをめぐる討論が活発におこなわれた」云々とあって、この新開発言は、教研の場に大きな波紋を投げかけたわけである。ただし、その討論の活発さは、ナイーヴな機械論的な理解――つまり誤解――に基づくところの活発さであったようだ。
 新開氏の主張は、「主題というのは、読者と作品とのかかわりの中にある」(前掲「教研速報・3」)というところにあったわけで、言葉の正しい意味における主題の客観性の否定を言い表わすものではなかった。「講師に言われるまでもなく、作品は読み手の外に客観的に存在している。しかし、作品の世界は読み手とのかかわりの過程ではじめて姿を現わすのである。コマは回っているうちがコマである。そして、作品の主題といわれるものも、読み手が筋をどうたどり、文体 (作品の文体)とどう切り結んだかによって決まってくるのだ。(新開惟展「第19次日教組全国教研参加報告/ことば・文学を見なおすことから」〜文学教育研究者集団編集「文学と教育」62)というのが新開氏の考えかたである。新開氏のこうした考えかたの一体どこから、作品の客観性なり作品主題の客観性を否定するような考えかたが発見されるのか、私には全然わからない。
 新開氏はまた、同じ報告の中でこうも言っている。
 ――主題について討論することが、文学教育の中でどれほど生産的であるのか、正直言って私にはよくわからない。しかし、ここ四、五年全国教研に参加していて、これでよいのかという疑問がわいてくるのをどう仕様もなかった。それで、ある正会員の言によれば「ごく常識的なこと」を、昨年に続けて今年もくり返し述べることにしたのである。
 ――私が疑問に思った状況というのは、たとえば次のようなことだ。@主題は客観的に作品の中に一つ存在している。それは「おのれを虚しうして」読めば、誰にでもはっきりとらえられる(という考えかた)。A「文体は作品の具有する一側面にすぎない」として、「文体(発想・表現)」を読むことを重視する主張をしりぞける(考えかた)。なぜ、このような状況(思考の状況)が現われるのだろうか、云々。
 もう一度いうが、新開氏のこうした考え方の一体どこから、作品や作品の主題の客観性を否定するような考えかたが発見されるのだろうか? したがって、新開発言をめぐるこの小分科会の論議が、なぜ、「文学作品の主題は客観的に存在するかしないか」という、あまり「生産的でない方向へ流れて行ってしまった」(前掲、新開報告)のか、私にはその理由が全然つかめないのである。
 上記「教研速報・3」によると、各県代表の新開発言に対する反論は、おおむね次のようなものである。(1)「子どもに作品の主題をとらえさせると、ほとんどの子どもが一致した理解を提出する」が、こうした理解の一致という事実が、作品の中に主題が「客観的」に存在していることを「証明」するものだ、云々。(2)「コトバの中に形象が客体化されているのであるから、当然、主題はその形象の中に客観的に存在する」云々。
 これは反論にも何にもなっていない。それが反論になっていないというのは、たとえば次のようなことだ。


    主題論争をめぐって (二)

 上記(1)の所論だが、たとえば芥川の『くもの糸』という作品――あれは「利己心のいましめ」ということがテーマとなっている作品だという、はなはだけったい な主題理解のもとに、今日、多くの教育現場で授業が進められている。(利己心を抑制してお互いに助け合う気持をはぐくむための教材としてこの作品を扱うように、という「道徳実施要綱」の指示が、現場のこうした傾向に拍車をかけている。)
 で、そういうふうな指導の行なわれている教室では、ほとんどの子どもが、このとてつもない間違った主題把握を肯定した「一致した見解」を示しているわけだけれども、そういう「一致」が、どうして主題の客観的存在を「証明」する根拠になるのか、ということだ。くどく言えば、こうした間違った主題の理解も、やはり、「読者と作品とのかかわりの中」から生まれたものだ、ということである。(何が正しい理解であるかは別として*)正しい理解も、間違った理解も、そういう間違った理解の是正も、だから、すべて「読者と作品とのかかわりの中」から生まれるということを、実はこの発言は逆に「証明」しているようなものではないだろうか。
 * この作品の主題に関して、私は以前、だいたい次のような意味のことを語ったことがある。(拙著『言語観・文学観と国語教育』、拙稿「文学教育の現状と問題点」〜雑誌「文学」一九六三年十月号他)
 ――『くもの糸』という作品は、思うに、生きることが同時にエゴイズムに結びつかざるを得ないような、疎外状況における人間の苦悩とか、そこでのどうにも片づかない気持とか、何かそういった方向のことがテーマといえばテーマの作品なんじゃないのか。もっとも、そのテーマはひどく揺れている。作品としてみて弱いところのある作品だと思う。だが、それが“教訓ばなし”でないことだけは確かである。
 「この糸はオレのものだ。おりろ」などと言わなければ糸は切れなかったろう、という設定になっている。が、この場合、「おりろ」と叫ぶほうが人間の自然だ。むしろ、人間だからそういう声をあげるし、声をあげることで救いのない人生、地獄の生活を続けることになるのである、云々。
 続いて上記(2)の、「コトバの中に形象が客体化されている」から、「主題はその形象の中に客観的に存在する」云々ということだけれど、問題は(1)の場合同様、「客観的に存在する」というこのことばの意味する実際の中身だ。言い換えれば、どういうことをさして客観的に存在していると考えているのか、ということなのである。順を追って言おう。
 “形象” (Bild) というのは、造型されたイメージのことだ。造型されることで、そのイメージは顕在化された意味形象 (Sinnbild)  となるのである。文学作品の場合、それは、文体において そのイメージを保障するというかたちで、言葉による造型が行なわれるわけなのである。文学の創造と再創造、その表現と理解を成り立たせるものは、文体 である。文体刺激と文体反応である。
 文体概念(その概念内包)については本誌前号の拙稿についてご承知いただくとして、ここに言う、文体においてイメージを保障する、云々――そのイメジァリな発想と見合うありかたの文章(=言葉)をささえとして、イメージの顕在化(造型)を保障する、という意味である。また、ここに言う“発想”――それは、イメージぐるみの観念、行動の系に直結するところの、そのような生き生きとした観念のことである。「最初にイメージがあって、言葉はあとからやってくる。」と江藤淳(「作家は行動する」)は言ったが、その イメージ――イメジァリな発想――が、それと見合う言葉(=文章)を探り求めて現実と言葉との間を、自己の印象の追跡というかたちで往復・循環している過程がいわゆる意味の創造過程ということだろう。
 つまり、作家の行動する過程、創造過程は、たえざる現実へのイメージ・チェンジによる、自己の発想と見合う言葉のありかた――文体を求めての作品形象造型のプロセスである、ということだ。そのことは、また、作品形象の再創造(表現理解・鑑賞)の過程についても、原則的には言われてよいことだ。で、これらの点に関して、私は、先ごろ、次のように書いた。
 ――現実がもし一義的にだれの眼にも明らかなように、そのように固定し定着したもの としてあるのなら、小説は、ただ、そのもの を“ことば”で写しとればいい。「個々のもの にはりついている」と信じられている、そのそれぞれの“ことば”によって写しとればいい。だが、現実は本来動的なものであり多義的なものである。それは、個々人にとってあくまでサブジェクティヴなものである。そして、サブジェクティヴなのであればこそ、それは“現実”なのである。
 世界(客観的世界・事物)は一つだが現実は多である。多様でありそれ自体揺れ動くところの現実を、それをあくまで現実として移調・虚構においてつかみなおそうとする文学の“ことば”――ことば操作――は、それぞれの創造主体、それぞれの再創造・鑑賞の主体にとっては個別的、個性的なものであらざるを得ない。そうした“ことば”(文章)が、個々のもの にはりついている“ことば”でなどあろうはずはないのである。小説の対象となるどろどろの現実が「できあがりの世界」でなどあろうはずはないのである。(拙著『文体づくりの国語教育』三省堂刊)
 右の引用に示したように、作品形象にまでイメージを造型するその言葉は、しかしもの にはりついた呪物的なものではないのである。コトダマ的な実体 (Substanz) などではない、ということなのである。文学作品の言葉は、(少なくとも、ある一定のレヴェルに達している作品の場合は)読者のあるイメージを触発するような、加工された媒体 としてそこにあるわけだ。(それは、実体 ではなくて媒体 である。)
 したがって、ここで間違ってもらいたくないことは、作品形象としてイメージが造型されていうるということが、その イメージが作品の文章(言葉)に「内在」しているということではない、ということなのである。もう一度くり返していうが、言葉は呪物的にもの にはりついて存在しているのではない。そうではなくて、言葉は、そこでは、受け手のイメージを触発する媒体 として操作されているわけなのだ。
 つまり、作者は、自分のイメージ(イメジァリな発想)を文章に託して いるのである。自分のその イメージを託すに足るように言葉を加工 するわけだ。「飼いならされた言葉」を拒否して、「野性のままの言葉」を回復することの必要を詩文学についてサルトルが言うのも、それを即物的に言えば、自己のイメージを託すことができるように言葉を加工する、ということだろう。(サルトルは言っている。「詩人は、実用的な言葉(飼いならされた言葉)のまん中に放り出されているので、その実用性から言葉をひき放すためには、奇妙な組み合わせをつくらなければならない。たとえば『馬』と『バター』を、『バターの馬』と並べることによって言葉を実用的でないものにするのである」云々。)
 文学作品の文章とはそのように作者のイメージが託された文章のことである。作者その人の願いとしては、自分のいだいたイメージ(発想)と同質のイメジァリな発想を読者の胸にかき立てることである。そこで、作者は文章の彫琢に骨身を削るわけだ。しかし、読者その人が『くもの糸』を「利己心のいましめ」を語る作品だというふうにしか読みとれないような、ミゼラブルなイマジネーション(想像的意識体験)の持ち主でしかないような場合は、作者の願いも、ついに、虚(むな)しい願いに終わらざるを得ない。その意味では、文学のことばも、所詮言葉以外ではないからである。(このようにして、「所詮は言葉だ。」という『古典風』の美濃十郎=太宰治の呟きは、作家の深い悲しみを言い表している。)
 つまり、その 言葉にどんな刺激が託されていても、それに反応するだけの、みずみずしい感情にささえられたイメージ体験を読者が欠いていては、主題 のまっとうな理解など、そこに成り立つはずはないのである。「主題というのは、読者と作品とのかかわりの中にある」と新開氏が言うのも、そのこと以外ではないだろう。また、氏が、「作品の主題といわれるものも、読み手が筋をどうたどり、文体とどう切り結んだかによって決まってくる」と指摘しているのも、そのことだろう。文学作品は、まさに、そのようなものとして「読み手の外に客観的に存在している」(前掲・新開氏の発言)のである。言い換えれば、『くもの糸』の主題は「利己心のいましめ」だ、という主観 の実在とは別個に、それは、また別個のある主観 (文体反応)によってまっとうな主題理解に到達しうるような作品形象として客観的に――まさに客観的に存在しているのである。
 かさねて言うが、文学作品が客観的に存在し、作品の主題が客観的に存在するということは、一定の内容なり主題がその作品の文章(=言葉)の中に呪縛されているということではない。その言葉に託された、イメジァリな現実把握の発想が、まさのその加工された言葉を通して文体として 受け手のイメージ(発想)をかき立て、感情に揺さぶりをかけて来るようになったとき、主題がそこに息づくのである。


    主題をどうつかむか

 実は私は、作品の主題のまっとうな理解は、作品本来の読者の鑑賞体験において成り立つイメージをくぐり抜けつつ、自己のイメージの印象追跡を行なうことの中に実現される、というふうに考えている。しかし、そのことを言うためには、本来の読者の鑑賞体験における“重なり合うイメージ”ということを話題にしなければならない。『羅生門』(芥川竜之介)の場合に例を求めよう。
 “文学作品のよみ方教材”という視点で言えば高校教材ということになるだろうが、それはともかく、あなたは、この作品の主題をどのようなものとして生徒につかませようとするか? という前に、あなたご自身、この作品のテーマをどうつかんでおられるか? どういう手続きを経て、どのようにつかんでおられるのか、という意味である。が、その点については自問自答していただくとして、自問自答しながら、(おそらくは今日の『羅生門』研究の水準を示していると思われる)対立する二つの見解(主題理解)に耳を傾けてみていただきたい。その一つは、故岩上順一氏の見解である。いま一つは、吉田精一氏の見解である。まず、岩上氏の主題理解とその理解への筋道から――。
 芥川がこの作品で語りかけているのは次のようなことだ、と岩上氏はいう。人は幸福をもとめて、異常なまでに変革に情熱を傾ける。人間の幸福の保障を変革に期待する。虚しいことだ。なぜなら、「それは足ることを知らぬ人間の欲望の作用」にほかならないから。人間の欲望には限りはない。「一つの条件を満足せば(ママ)さらに次の欲望が苦しめる。」事態を「変革することだけで、けっして人間の幸福は与えられるものではない。」反対に、変革がもたらすものは「より大きな不幸」でしかない。たとえば、『鼻』の禅智内供や、『芋粥』の五位の姿がそれだ。「人間の真の幸福なるものは、所与の条件に満足することを知る精神それ自身にかかっている。」このことが、当時の「芥川が人間性について物語ろうとした思想の正体」であった、云々。
 「芥川はかかるテーマの設定において何を企てたか。彼は、その当時の良心ある知識人にとって、もっとも注目すべき思想、すなわち、当時のアナアキスチックな発展段階にあった唯物論思想に対して衝突し、それを批判しようと企てたのだ。(中略)『羅生門』がその第一歩であった。『鼻』はその唯物論批判を一層発展させた。論理は一層明白となった。『芋粥』はその極限を示した」云々。
 このようにして、岩上氏にしたがえば、『羅生門』は唯物論批判を課題とした芥川文学の出発点だ、というのである。そういう始発点に立つ『羅生門』において、「芥川は、下人の姿の中に、当時のアナアキストの思想と行動とを表現」している、というのだ。「かかるアナルヒスムは、それ自身によって、それみずからを否定せざるを得ないではないか、と芥川は考えた」云々、というのである。
 このようにして、また、この作品の「テーマは明白である。飢(うえ)の前にはいかなる悪行も許される、という老婆の論理は、下人の行為によって逆用され復讐された。この下人の行為の中には一つの意味が含まれている。すなわち、あらゆる人間は、飢の前には暴力的な行為にかり立てられるものであるということである。芥川は、当時の労働運動の根拠をこの下人の行為において設定したのである。それと同時に、老婆の形象の中には、このような暴力行為の理論に対する否定が含められている」云々。

 以上のようなものが、岩上氏の『羅生門』論の骨子であり、その主題論である。ところで、おそらく、氏の場合、論文叙述の順序と実際の思考・思索の順序は逆なのではないかと思う。思考の進行の順序からすれば、まず『鼻』『芋粥』の中にあるテーマを感じ取り、これらの作品の先行作品である『羅生門』の中にも当然、それと共通のテーマが内在していたはずだ、と考えるに至ったのではないのか。つまり、『鼻』や『芋粥』の“反唯物論的思想”は当然『羅生門』のそれでもあったはずだ、という問題の追求のしかたなんだと思う。
 ともあれ、岩上氏にあっては『羅生門』は、いわば寓意小説である。しかも、はなはだ底の浅い寓意小説なのである。下人はそこでは下人である必要はなく、むしろ下人でない者でなければならない。きっぱりしたいい方をすれば、それを下人として読み取ることは皮相的であり間違いなのである。
 この作品の主人公は、今、かりに、「洗いざらした紺の襖(あお)」を着用し、「聖柄(ひじりつか)の太刀」を腰に帯び、「わら草履をはい」ているにすぎない。というのは、彼の思想と行動は、実は「当時のアナアキスト」のそれを寓したものにほかならないのだから。――だが、こうした読み取りかたで果たしていいのか。


    重なり合うイメージ

 写生画を絵の基本として教え込まれて自分の絵ごころを養ってきたような旧世代にとっては、アブストラクトが絵であるためには、そこにある絵解きを必要とするかもしれない。けれども、それがただの絵解きの対象となったとき、その絵はすでに絵であることをやめてしまうのである。少なくとも、絵解きのしかたいかんによっては、それを絵でないものにしてしまう、ということだけは言っていいだろう。
 私は、絵解きのしかたにも似た岩上氏のそういう問題の解きかた、主題の探りかたが気になってしょうがない。下人イコール大正期のアナアキスト、老婆イコール何々という調子の問題の解きかたが気になるのである。これでは文学作品を読むということが、クイズを解くのと同じことになってしまうではないか。(クイズの答えが内容 で、それを要約したものがその作品の主題 だ、というのは、いただけないのである。)

 私は思うのだが、下人はけっして下人以外のものではない。しかも、その下人は、後にも先にもこの世にひとりしかいない(いなかった)、まさに芥川の創造した下人である、ということなのだ。それは、虚構においてはじめて可能とされたような一個の新しい個性である。普遍に通じ、しかもそれとしてはきわめて特殊な、そのような人間のイメージでありビルト(形象)である。
 読者はそこに、羅生門の楼門の下の「七段ある石段の一番上の段に、洗いざらした紺の襖の尻をすえて、右の頬にできた、大きなにきびを気にしながら、ぼんやり、雨のふるのを眺めて」いる下人のビルトをイメージするのである。また、「黒洞々たる夜」の闇の中に姿を消し去ったところの、その「ゆくえ」については、ついにだれも知るところない下人をイメージするのである。
 しかも、読者は当然、この下人の中に自分自身を感ぜざるを得ない。ある感情異化において、またある感情同化において自分自身をそこに感ぜざるをえないのである。それと同時に、同じ脈絡において自己の周囲・周辺のだれかれを、別の光において、この下人、この老婆の中に見つけざるを得ないだろう。下人や老婆のそのイメージと重なり合うイメージにおいて、読者はそのことをイマジネイトするだろう、という意味である。
 大正期の、この作品本来の読者にとっては、そこに重なり合うイメージが自己内心のアナルヒスムや、反アナルヒスムにつながる何かであったかもしれない。自己周辺のアナアキストの思想や行動のことであったかもしれない。あるいは、それとは、当時の失業問題や労働運動の問題につながる何かであったかもしれない。つまり、こういうことだ。読者の受け内容 における重なり合うイメージというかたちで、岩上氏の指摘しているようなアナルヒスムの問題にもこの作品の表現はつながりを持ってくる、ということなのである。だが、氏の語るような「寓意」というような脈絡において、言い換えれば作品の送り意図における主題 としてアナルヒスム批判が行なわれている、ということではないだろう。この作品のテーマは、その意味では岩上氏の言うようには必ずしも「明白」ではないのである。

 吉田精一氏もまた、岩上氏の所論を批判して次のように語っている。「テーマとかイデーとかが、自覚的な作者の意図をさすものとすれば、このような考えかたは『羅生門』のテーマとは言い得ない。竜之介を正確に理解しようとする我々は、このような見解をそのまま受け入れることはできない」云々。
 岩上の作品分析の論理の致命的欠陥は、読者の作品鑑賞において成りたつ重なり合うイメージ(受け内容)を、送り意図における主題や内容とまったく同一のものと考えている点にある。図式的に単純化し、かつ少しオーヴァーに言えば、<受け内容>イコール<送り内容>、<受け内容における主題>イコール<送り意図における主題>というふうなつかみ方のようだ。
 それは、読者の受け内容として結果したものを見れば作者の表現意図がわかる、という考えかたである。<結果>イコール<意図>という、論理構造そのものとしては行動主義の論理そのものである。岩上氏の場合、せっかく、本来の読者の生活場面・行動場面の歴史社会的状況の解明に科学的な綿密さを示しながら、根本的な上記のような点で、文学を文学でないものにして評価する、という欠陥を露呈しているわけだ。
 そこで、もし、表現意図のどういうものであったかということを言うならば、少なくともそのモティーフは次のようなものだろう。「当時書いた小説は『羅生門』と『鼻』との二つだった。自分は半年ばかり前から悪くこだわった恋愛問題の影響でひとりになると気が沈んだから、その反対になるべく現状とかけはなれた、なるべく愉快な小説が書きたかった」云々。(芥川/未定稿『あの頃の自分の事』)
 つまり、「なるべく現状とかけはなれた」また「なるべく愉快な」小説を書こうとしたわけである。結果はどうか。「ひとりになると気が沈む」状況の中で求めた愉快さとは、かなり異質の愉快な(?)作品に『羅生門』はなってしまった、と言っていいのではないのか。それは、岩上氏が言うような、アナルヒスム批判を目ざした作品とはどうしても考えられないのである。アナルヒスムの問題は、もしそれがテーマの側面として浮き出てくるとすれば、受け手における重なり合うイメージの中に――ということだろう。


  意図と結果

 その点に関しての吉田精一氏の見解は、妥当なものを示しているように思う。
 ――思うに、彼が自らの恋愛に当たって痛切に体験した、義父母や彼自身のエゴイズムの醜さと、醜いながらも、生きんがためにはそれがいかんともすることのできない事実であるという実感が、この作をなした動機の一部であったに相違ない。(中略)熱烈な正義感に駆られるかと思うと、やがて冷いエゴイズムにとらわれる、善にも悪にも徹底し得ない不安定な人間の姿を、そこに見た。正義感とエゴイズムとの葛藤のうちに、、そのような人間の生きかたがありとし、そこから下人のエゴイズムの合理性を自覚せしめている。ここにとらえられた下人の心の動きは、恐らく、芥川の眼に写った人間が人間である限り永遠なる本質であった、云々。
 作品の表現意図を可能な限り確実につかんで作品形象に迫り、その主題に迫ろうとしているのである。ただ、気になるのは、岩上氏の場合とはコースを逆にとった、<意図>イコール<表現結果>というに近い作品理解になっている点である。吉田氏の場合、『あの頃の自分の事』からそのモティーフを、また(引用の範囲外の記述だが)『澄江堂雑記』から歴史小説に対するこの作者の構え などを明らかにしているわけだが、そういうモティーフであり、またそういう構えを示しているこの作者の作品なのだから、この作品の解釈 はかくかくしかじかであらねばならぬ、というふうな絵解きの姿勢を、やはり感じるのである。

 私としては、文体におけるイメージの保障という上記の視点から、あくまで、読者の受け内容における“重なり合うイメージ”という線で文学作品(文学作品の主題)を考えたいのである。そのことを具体的に考えるために、「帝国文学」初出のこの作品から現行の定本『羅生門』に至る、作品のイメージと主題の転換に言及する予定であったが、紙幅が尽きた。拙著『文体づくりの国語教育』(三省堂刊)の第三部・W「文体づくりの方法」の記述にゆずる。なお、終わりの三つの項の記述は、半ば、この第三部・Wに拠ったことをお断りしておく。
  <国立音楽大学教授>

熊谷孝 人と学問昭和10年代(1935-1944)著作より昭和20年代(1945-1954)著作より1955〜1964(昭和30年代)著作より1965〜1974(昭和40年代)著作より理論講座/第1回理論講座/第3回