明治図書出版刊「教育科学・国語教育」141 1970年7月号 掲載

  ■理論講座/文体づくりの国語教育・第1回
  
文体喪失時代の国語教育



    はじめに

 “文学づくりの国語教育”という言葉に託して、数年来、私たちがアピールし続けているものが何なのか、というようなことから話を始めるとしよう。私たちが、なぜ、そういうことを提唱するに至ったのか、ということを焦点にして、私たちの考える教材論や指導過程論の根底にある考えかたを、ここである程度明らかにしておこう。ある程度?……ごくおおまかに、おおづかみに、という意味である。連載第一回のこの稿では意図して意識して、話題をその点に限定することにする。そのことが、第二回・第三回に予定している教材化論や指導過程論に関する叙述のはこびを能率のいいものにする、と考えてである。
 ところで、あらかじめお断りしておかねばならぬことがある。実は、この講座の題名と同題の小著『文体づくりの国語教育――創造と変革への道――』(三省堂刊)が五月中旬に刊行される予定であった。それが、出版・印刷労組の春闘とかち合い、どうやら発行は六月下旬ないし七月初旬に延びそうである。そこで最初は、この本の既刊を予定し、この本の記載をある程度前提として第一回のこの稿を書き進めていたのであったが、〆切間際に至って、急きょ、全面書き換えの必要に迫られた。省略できるはずの前提が省略できなくなって、部分的に小著の記載に食い込む必要が生じた、ということである。さし当たって、最初の項の「マス・コミ的文体の氾濫」が、それである。もっとも、この項といえども小著の記載通りではないが、重なり合う部分が少なくない。読者各位のご諒承を、あらかじめお願いしておく。


    マス・コミ的文体の氾濫

 いわれているように、現代は文体喪失の時代である。画一化されステレオタイプ化されたマス・コミ的文体の氾濫である。それは、書名を見て初めてだれそれの書いた文章だということがわかる、という没個性的な文章である。似たりよったり、思考の発想そのものがマス・コミに飼いならされているのである。そのことと結びついて、文体的発想がマス・コミばりに画一的なのである。それは、いつか、どこかで見かけた文体である。いや、いつも、どこでもお目にかかる、そういう文体なのである。少数の例外を除けば、今日ではもはや文章にその人 を感じることができない。
 そのはずである。原稿用紙のマス目を埋めているとき、あるいは、だれかを前にして一席何かをぶっているとき、その人 はすでにその場にはいないのだから。借り物の発想でしかものを考えることをせず、ものを書くことをしないようなところに文体があるはずはないのだ。文体と言えるような個性的な文体は、である。「あなたの個性にぴったりな、ニュー・モードの製品を各種取り揃えました。品数に限りがございます。どうぞ、お早めに××コーナーへお出かけくださいませ。××デパート」(ある日の新聞広告から)
 文体もまた、その限り、各種取り揃えて販売されている、という感じなのである。


 小島信夫も言っている。一言にいって、「私は文章というものを非常に簡単に考えている。つまり、言いたいことが、十分にいえているかどうかということだ。というより、いいたいことがあるかどうか、ということだ」云々(一つのセンテンスと次のセンテンス」)。
 「言いたいことが、十分にいえている」文章を書く(書ける)ということは、これは大へんなことだが、しかしそのことより何より、ほんとうに言いたいことがあるのかどうか、ということである。私のいう“文体づくりの国語教育”というのも実は、小島が言う意味での「いいたいことがある」人間に、子どもや若者たちの人間を“人間づくり”することをめざしている。むしろ、そのためにこそ、逆に、「言いたいことが、十分にいえ」そして書けるようになってくれるような子どもたちの明日に期待をかけ、指導を組もう、ということにほかならない。
 が、この問題は、しばらく横にこう置いておこう。今、ここでの直接の話題は、現代における文体の画一化が、マス・コミに飼いならされることで各人の発想――現実把握の発想・発想法――が画一化されていることに根源をもつ、という点に関してである。言い換えれば、自分がほんとうに「言いたい」はずのことが自分自身につかめていない、ということ。飼いならされた“いい方”に規制されて逆に“いうこと”がマス・コミばりに平均化・画一化されてしまっている、ということ。また、そのことの結果、自分の言いたいことが自分につかめず、さらには言いたいことが十分には言えない、書けない、という自体を(ひ)き起こしているのである。いわば原因が結果となり、結果がまた原因になる、という悪循環なのである。

 たとえばの話が、だ。研究室へときおり姿を見せて、私のぬるさ をなじり、ハッパをかけていくセクトの学生諸君の言葉は、どうしてこうも画一的なのだろう。つい先ごろの例でいえば、私のところへ議論を吹っかけに来た学生の場合である。たまたま二、三日前に私の目にした某総合雑誌最近号掲載の某氏の論文の論調・スタイルと全然御何なのだ。彼の言うことが、である。(その熱っぽく美文調であることは戦前来“定評”のある評論家某氏の口まねだから、これはすぐに、ぴんときた。)
 「きみの言うことは、何か××氏の意見に大へん似てるようだ。だったらね、きみの引用してた限り(失敬!)僕の考えていることも大体同じようなことなんだよ。彼との意見の違いは、そのずっと先のところにあるのであって、今、ここでの話題の限り、僕も同意見なんだ。だけど、きみは、きみの考えと僕の考えかたとはまるで違うと言う。おかしいじゃないか。いったい、どこがどう違うのか、きみの言葉ではっきり説明してくれたまえ。きみ自身の言葉でね。」
 いやみ を言っているのではない。言ったのではない。いやみを口にするほどの気持のゆとりは私にはない。私としては真実、彼に“自分の言葉”でものを考え、ものを言ってもらいたかったのである。
 私は、この学生のもう一つの顔が好きだ。自分の言葉でものを考えて、ものを言っているときの彼だ。彼が自分の家で「おふくろ」と語り、「少し生意気だけれども可愛いところのある妹」と語り、あるいは「気のいい隣のふとっちょのオバサン」のところで、インスタント・コーヒーのお代わりをしながら駄弁を弄しているときの彼。また、そういう話を目を細めながら私に語っているときの彼。そういうときの言葉が、彼の“自分の言葉”なのである。
 また、卒業し就職先の決まりしだい結婚するつもりになっている、(「ね、先生、ちょっといかすでしょう」と彼がいう)T子君に「おふくろ」さんがほとんど好意を持っていないことの悩みを私に訴えて相談に来るときの言葉が、彼自身の言葉なのだ。その言葉は、なんと生気に溢(あふ)れていることだろう。そこでの思考の発想は、彼自身の本来の言葉操作の文脈にしたがって生産的で、いきいきとしている。実際的で実践的で、具体的なのである。むだがない。みずみずしい感情に満たされている。表情や身のこなしまでもがその言葉にマッチし、言葉のはたらきを助けている。
 ところが、だ。「学生タイシュウ」をいかに「ケイモウ」し「ソシキ」するか、というような運動論や組織論、情勢分析論になると、彼の口から飛び出す言葉は俄然“他人の言葉”に早変りする。彼本来のいきいきとした言葉操作は影をひそめて、他人の言葉がまことにたどたどしく、舌をかみかみ、しかしテンポは聞きとれないほどに早く、不慣れな発声法で語られることになる。それは、シャベルためにシャベッている、としか思えないような様相を呈する。語りかける相手がこの私であろうと、パンチ族の学生であろうと、また彼のあの「生意気な妹」が相手であろうと、それは全然同じ調子なのである。それは、「聞かせている」のであって、相手を説得するとか相手の納得をかちえよう、という態度ではない。自分の言葉(実は、他人の言葉)に自分が酔っているのである。言葉は、そこでは言葉系の中で空転している。
 こうして他人の言葉でしか話さない、というマスクになったときのこの学生を、私は、フマジメだと思う。というのは、こういうことだ。T子君のこと、それと絡んで「おふくろ」さんのこと、これは、あらゆる手を尽して相手を説得し、あるいは相手の納得をかちえて解決しなければならない問題である。彼自身にとって、である。そういう“切実”な問題について考えるとき、つまり本気になって考えるときには彼は、“自分の言葉”で思索しているのだ。ところが、どうだ。「運動」や「組織」や「闘争」の問題について考えるときには“他人の言葉”で間に合わせて いる。あるいは、他人の言葉でカッコよくふるまおうとしている。本気ではない証拠だ。が、自分が本気でないということに自分自身気づいていない。
 さらに言えば、彼――彼らのこの“間に合わせの言葉”は、たとえば、いまナカマ内(うち)で最高に人気のある評論家某氏、某々氏のような人の言葉なのだ。これだと某氏の意見なり見解が叩きのめされることのない限り、自分が叩かれる心配はない。自分のメンツに関して安心率、まずは一〇〇パーセント。この借り物の意見を口にしている限り、たれかれを相手に議論を吹っかけてみても、その相手のホコ先は自分に対して向けられているようであって、実はその某氏に向けられているわけだ。うつし身の自分は実は、高見の見物である。
 こんなことってあるか。バカバカしくて、マジメに相手にする気になれないのである。というのは、実は学生のことであるよりは、その辺にいるある種の評論家や、あるタイプの教師、知識人のことである。ともあれ、飼いならされた言葉、画一化された、文体とは言えないような文体の規格にしたがってものを考え、ものを言っているのはミーハー族だけではない。こういうおとな、半おとなに、そら、そこにいる私たちの目の前の子どもたちを育てたくないのである。
 そこで、私たちの携わる国語教育のいとなみを、意図し、意識して“文体づくり”の国語教育に、ということを訴えたいのである。


   “人間づくり”と“文体づくり”と

 “文体づくり”――それをひと口にいって、これが自分の文体だと言えるようなものを持てる人間の素地を、段階を追って発達を促すかたちでつちかう、という意味である。単に、気のきいた話しかたができるようになるとか、達者な文章が書けるようになる、書けるようにする、というようなこととは全然別のことである。つまりは、自分というものを持てるようにするために、個性的な文体を、その素地を、ということなのである。
 先刻、留保しておいた話題につなげて言えば、それは、(1)自分が実は何をどう考え、どう感じていたのか、ということをその考えかた(思考の発想・発想法)ぐるみに自覚し、(2)自分の発想のまともな面については自信を持ち、(3)そのズレた面、ふやけた面については反省して現実へのイメージと観念を新たにする、ということがそこに求められる当のものなのである。つまり、私たちは、国語教育というものはそういう意味での“文体づくり”の国語教育でなければならない、と考えるのである。
 そう考えるわけは、(国語反復になるかもしれないが、あえて言えば)人間、およそ、自分の文体――自分なりの文体と言ってもいいが――というものを持っていてこそ、主体的に、個性的に、ものごとを考えることもできるからである。*クリエーティヴ(創造的)でプロダクティヴ(生産的)な発想も、文体をもった人間にしてはじめて可能である、ということがあるからだ。
* ここに個性 というのは、単なる特殊性のことではなくて、自他の固い連帯性のことである。つまり、その意味で、個性的 というのは、その主体がすぐれて生活的であり歴史社会的な性格を持っている、ということをさし示す以外のものではない。
 そのことが文体をもった人間にしてはじめて可能だということは、思考なり想像なり、人間の認識過程におけるその現実把握の発想が顕在的なものとなるためには、その発想自体がそれと見合う言葉(文章)を見つけねばならない、ということに根源を持っている。(もっとも、ここに言う“文章”というのは、必ずしも書き言葉としての文章に限定されない。)こうした切り口からすれば、この、発想においてつかみとられた言葉のありかた、文章のありかたが文体だということになろう。文体の根本的契機は、現実把握の発想・発想法という切り口においてつかまれた言葉(文章)のありかた、ということ以外ではない。ことのついでに言えば、そのようにして言葉(文章)において保障され、顕在化された発想が、いうところの“文体的発想”ということにほかならない。
 発想が異なり、あるいは発想法が変化すれば、当然、文体が異なり、また変化するわけだ。人間の発想の仕方というものは、なかなか変りにくいものだという意味で、文体は変わりにくい。と同時に、発想の仕方は変化しうるものだとい意味において、文体は可変的である。特に、アタマの固くならない少年期・青年期において、それは十分可変的である。で、それが可変的なものであるからこそ、私たちは、“文体づくりの国語教育”という構想に立って、国語教育そのものを考えようとするのである。
 それは、あるいは、“文体づくり”というより、子どもや若者たちの“文体的発想づくり”を志向するものだ、と言ったほうがいいかもしれない。それは、まず、言葉(文章)に顕在化して自己の発想のありようを自分自身に明確にする――気づかせる――作業を手はじめとするところの教育活動にほかならないからである。また、究極の目的がその点にあるからである。ともあれ、この“文体づくり”ないし“文体的発想づくり”ということを措(お)いて母国語の教育は成り立たない、というのが私の考えかたである。

 そういうふうに考えるということは、私たちが国語教育というものを、人間教育――人間づくりの教育――として考えている、ということにほかならない。「およそ教育のいとなみは、人間として面白味のある人間に子どもたちを育てるものでありたい。国の権力者は、その権力を保持するのに都合のいい人間をつくろうとするが、教師がそういう要求や圧力に屈して、画一的で平和的な人間の量産にうき身をやつすようになったら、日本の教育はおしまいだ。いや、日本がおしまいだ。」という意味のことを、もう先、石川達三が語っていたが(朝日新聞、一九六八年四月三十日朝刊「権力と教師の宿命的抗争」)、つまり、“人間として面白味のある人間”に子どもたちを育てるという意味での、人間づくりの教育の一環として国語教育活動を考えたいのである。
 教師論が顔をのぞかせたついでに引用しておきたい文章がある。現在、毎週火曜日に朝日新聞に連載されている「ほんとうの教育者はと問われて」の欄に先日(四月二十八日)掲載されていた、木下順二のエッセイからである。
 ――ほんとうの教育者というものがもしあるとしたら、それは円満具足、完璧(かんぺき)な、“理想像”的な存在ではなく、どちらかといえば圭角(けいかく)のある、つまりデコボコな、どこやらに不可解なところを持った、だから教育される側からすれば抵抗を感じ、したがって抵抗しているうちにいつの間にかこちらの自発性が引き出されて来ているという、そういう存在であるだろうと私には考えられる。
 ――そのことを言い換えれば、一人の完全無欠な先生のイメージは私の記憶の中に浮んでこない代わりに、(中略)奇妙に怒りっぽい先生、こちらが何をいっても春風のごとく柔和である先生、あるいは怒りも笑いもしない代わりに、そして当てられて答えたこちらの答えに何の批評も加えないまま、黙ってエンマ帳に歴然と零点を書きこむ先生。だからそれら、いまだに強烈な記憶が私の中に残っている先生がたに共通していたものは、手取り足取りして教えるということを絶対にしてくれない、ということであった。こちらがこちらの考えで、たとえ見当違いではあっても、しかしチャランポランではない答えを出すまで忍耐強く待ってくれるか、待たないで零点をつけてしまうかは別として、とにかくこちらが自分で考えねばならぬということを、はっきりとこちらに自覚させてくれる先生がたであったということだ。そしてそこにあるもう一つの共通項は、決して人格円満とは申しがたいということ、つまりなにやらデコボコな先生がたであったということだ、云々。
 木下の文章をここに長々と引用した理由は説明を要しないだろう。それが単に風変わりな先生がたの思い出を語った文章というようなものではなくて、究極において教育のどういうものでなければならないかがそこに示されている、ということが一つ。言い換えれば、教師の“人間”を通さないような教育は教育ではない、ということ。「教育される側」の「自発性」が引き出されるかどうかは教師の“人間”のありようにかかっている、ということ。私たちとしてそのことを深く考えさせられるからである。第二に、それは、そこに例示された事例の限界を越えて、むしろ全般的に、今日必要とされる「人間として面白味のある教師」像のどういうものかを具体的に示している、ということがあるからである。そして、第三に、国語教育の場においてこそ、この、人間として面白味のある教師――デコボコ先生の姿勢が例外なく要求される、ということがそこにあるからである。
 そのわけは、国語教育のいとなみこそ、まさに、人間の内面への直接の通路である言葉(母国語)をサブジェクトして、自他の心を通わせ合いつつ人間の内面について考え、また人間の内面について考えることで、そこに至る通行手段――言葉操作――について考え合う教育活動だからである。言葉は、いわば、人間の心と心との通路である。その通路が通路としての役割を果たさなければ、言葉は言葉の役割を果たさないのである。心――人間の内面について考えることを教えないで、言葉操作のしかたを教えるというようなことは出来ない相談である。
 だから、国語教育は読解や文法などの指導手段の型を覚えさえすれば、だれにでもできる作業だ、というのはウソだ。そこでは、教師の“人間”が問題なのである。国語教育の仕事は、サラリーマン教師や、ただの教育職人には不可能である。それは、デコボコ先生でなくてはほんとうには実現できない作業ではないのか、と私はカケネなしにそう考えている。


    文体ぬきでは文意はつかめない

 まさかと思うが、しかし誤解のないように言いそえておく。私のデコボコ先生礼讃――授業の上の“名人芸”などを持ち上げているのではない。私のいうのは、どちらかと言えばその反対である。名人はともかく、教育職人的な達者な授業といったものに対しては、私は、ほとんどまったく敬意を払っていない。
 もう一つ、言いそえておく。国語教育は人間教育――人間づくりの教育――だと私がいうのは、今日それこそがブームであるところの、<言語技能のスキル学習>プラス<道徳教育>イコール<国語教育>というような考えかた――国語教育に対するそういう考えかた――への接近を意味するものではない。反対に、言語技術の習得ということ自体が、この“人間づくり”という視点を欠いては、母国語の――また母国語としての――言語技術の学習指導にはなり得ない、というのが私の考えかたである。
 端的にいって、私の考えかたは次のようなものである。
 (1)言葉は、それを操作する――使用する――人間から切りはなれて“ひとり歩き”するものではない。あるいは、“ひとり歩き”できないものが言葉というものだ、というつかみ方である。今、そのことを、ある文章を書く、また書かれたその文章を読む、という場合に例をとれば次のようなことになるだろう。
 先刻、「マス・コミ的文体の氾濫」の項で引用した小島信夫の文章――あれは、「私の文章作法」というようなことで書いた――というより、書かされた――ものなのだが、この小島の文章について安岡章太郎は次のように語っている。
 ――(「一言にいって、私は文章というものを非常に簡単に考えている。」という)この書き出しの第一行目には、怒ったような小島の頬をふくらませた顔が目に浮ぶ。これは無論、私がふだんから小島を知っているせいだが、この何となくムッとしたような口振りは、おそらく小島を知らない人にだってかんじられることだろう。古ぼけた裏町でマンジュウをふかしている菓子屋の頑固おやじが、女子大の家政科の生徒か何かにマンジュウつくりのヒケツをきかれて、「マンジュウというものは非常に簡単だ。つまり皮でアンコを、うまく包んで十分に蒸してあるかどうかだ」と、セイロの湯気の向こうでわざと忙しそうに長い箸などをうごかしながら、俯向いてブツブツいっている感じだ。この迷惑げな、不機嫌そうな顔つきなり口振りなりは、おそらく作家に限らず、永年一つのことをやって暮らしてきた人が、おまえのやっていることは何か、ときかれたときにだれでもが示す職業的な反応であり、本当はとまどっているのである。
 言葉は結局、概念や感情、観念やイメージを託してある意味を訴えるものなわけだが、「この何となくムッとしたような口振り」としてそこに託されている感情を具象的にイメージできなくては、この文章は文章(言葉)としてつかめたことにはならない、ということを安岡は言っていることになるだろう。「私は文章というものを非常に簡単に考えている。」というセンテンスのいわゆる意味の文意は、小学校三、四年生にだってつかめる。つかませることができる。だが、かんじんのその言葉に託したもの――あるいは、流露そして託されているもの――をつかませることは不可能だ。いや、ほとんど不可能に近い。たとえ、うわすべりに「うん、わかったよ。」と言わせることはできるとしても、である。
 そこに託されたものがわかるためには、まず、おそらく、「永年一つのことをやって暮らした人」の人生体験が必要だろう。あるいは、それを準体験できるだけの年輪が必要だろう。それも、おそらく一般人の場合――私自身は、むろん、その一人である――、安岡のこうしたすてき な解説があって初めて、微苦笑とともに小島の文章を読み返すのである。
 つまり、そういうことなのであって、言葉記号 としてそこにあるものは、「一言でいって、私は文章というものを非常に簡単に考えている。」という構文規則・形態法則にかなった、語彙(い)・語句の配列である。いわゆる意味の文意は、これは読んで字のごときものである。だが、この文・文章がそれの発想の仕方においてつかまれなくては(言い換えれば文体 としてつかまれなければ)、そこに託されたもの、託されたことはついに理解できないのである。つまり、言葉が言葉信号 にならないのである。
 言葉(文章)に文体刺激を感じるということは、その言葉、その文章に“人間”を感じるということである。肯定するしない、共感するしないは別として、その人がわかり、その発想がわかり、その言葉に託されたものがわかる、ということである。ああ、これは太宰治の文章だな、大江の文章だな、と作者のサインを見なくともわかるわかり方なども、それにつながる。言葉は“ひとり歩き”しない、いやできないというのは、実は文体の問題なのである。
 そこで、次のようなことになるだろう。
 (2)言葉は実際に言葉メディア(言葉信号)として操作されてこそ、“言葉”でありうるわけなのだが、言葉を操作するということが本来、人間の行為の部分である、ということ。しかも、重要な部分である、ということ。多少具体的にいえば、(3)その 人間の、その 言葉操作のありかたは、その 人間の内面のありようや動きと深く密接に関係している、ということ。
 そこで、(4)子どもたちの言葉操作のしかたについて指導するということは、まさに必然的・必至的に子どもたちの“人間”について、子どもたちが内側に持っているものを引き出してはぐくむ、ということにならざるを得ない、ということ。言い換えれば、<言語技術の学習>プラス<人間教育>が<国語教育>なのではなくて、国語教育そのものが、上記のような意味において“人間づくり”の教育としてあるほかない、ということである。
 然り而して、その“人間づくり”のイデー・発想が、「期待される人間像」方式の、だれかにとって都合のいい、画一的で平均的な人間づくり――それこそ、まさに、イデオロギッシュな人間づくりである――の想念とは根源的にあいいれない性質のものであることは、上記、石川達三・木下順二両氏の所説が示す通りである。その意味では“文体づくりの国語教育”は、民衆相互の連帯の回復、連帯づくりという民族的課題に奉仕しようとする教育活動にほかならない。

 さし当たって、わたしの言いたいことは上記に尽きるが、後々のために念押ししておきたいことがもう一つある。明確な母国語意識に立って母国語の言語操作のしかたについて指導するということ、そのことが国語教育の究極・固有の目的になる、という点の確認である。(しかし、それは目的なのであって、必ずしも作業内容のすべてではない。誤解のないよう念のため。)
 そのことを念押しするわけは、「国語教育は国語という言語の教育なのだから、言語自体の教育すなわち言語要素の指導領域が国語教育の固有領域なのであって、文学教育その他の領域は国語教育そのものにとっては、いわば別冊付録的な意味をもつにすぎない」というに近い考えかたが広汎に行なわれているからである。たとえ、その「付録」を「必要な付録」「たいせつな付録」だと考えるにしても、国語教育の本命はあくまで語彙・文法・文型などの記号化操作の指導にある、とそこでは考えられている。
 その点“文体づくりの国語教育”は、まったく反対のつかみ方をしている。具体的にはある文体の文章としてそこにあるところの、第二信号系としての言葉(国語)の、まさに信号・メディアとしての実践的な操作の仕方の指導を、国語教育プロパアな任務として考えるのである。そういう押えに立って、国語教育のそうした固有の任務を遂行していく上に欠くことのできない重要な指導領域として、上記、記号化操作――ことば信号の記号化操作――の作業領域を位置づけて考えるのである。
 こうした考えかたの違いは、究極において何が事物の――この場合、言葉という事物に関して――本質なのか、という考えかた・つかみかたの違いをいい表わしている。(1)それこそ言葉によって概念化され記号化されたものを、スタティック(静止的・固定的)にその事物の本質だと考える考えかたと、(2)それ自体、たえず運動を続けている事物と事物との動的な関係・関連の中にこそ、そのものの本質が求められる、という二つの考えかた・つかみかたの違いである。“文体づくりの国語教育”は、後者の立場に立って言葉の本質(国語自体)を考え、国語教育を構想するするのである。
  <国立音楽大学教授>

熊谷孝 人と学問昭和10年代(1935-1944)著作より昭和20年代(1945-1954)著作より1955〜1964(昭和30年代)著作より1965〜1974(昭和40年代)著作より理論講座/第2回理論講座/第3回