文学と教育 ミニ事典
  
〈人間として面白みのある人間〉
 ○戦後の井伏文学の再出発は、少なくとも昭和四年、五年、六、七年段階の井伏作品に郷愁を感じるような読者にとっては、まずまず好調な滑り出しだった、という評価になるかと思います。『侘助』『追剥の話』、あるいは『橋本屋』『山峡風物誌』『復員者の噂』、あるいはまた『遙拝隊長』『かきつばた』などの作品が、そこに位置づくことになります。出、こうした作品系列の延長線上に、現代が見失ってしまっているところの〈人間として面白みのある人間〉の典型像を、自己の人間回復の課題の中に探り求めている長編がこの『かるさん屋敷』や『安土セミナリオ』[『かるさん屋敷』シリーズ]だ、ということになるのではないかと思ってみているわけです。(…)

 戦後独占資本による
(…)人間疎外は、人間を人間でないものに、人間を面白みのない人間にしてしまっているわけです。小粒で、スケールの狭い、ちまちまとした、ヘンに気が利いて要領のいい、人間としての暖か味のない人間をつくり出しているわけです。今ここに並べ立てた人間の性格は、戦後独占資本とそれに奉仕する政治体制が十年がかり、二十年がかりで飼い馴らし飼い馴らしして作りあげたところの、まさに現体制が必要とする平均的人間の性格の諸条件なのであります。
 そのような〈人間として面白みを欠いた人間〉づくりに積極的に協力したのが、まず、テスト体制の教育です。また、公教育の究極の目的が人間教育であることを忘れた、サラリーマン型教師や技術主義的教育職人型の教師たちが、そういうマイナスの人間づくりの直接の調教師の役割を果たしております。
 文学者の場合も例外ではありません。文学的必然性は今そこにはないのに、読者に迎合し読者の人気をかちえようとしてポルノグラフィーを毎回、毎編書きつづけているような(それこそポルノグラフィーという言葉の原義である、娼婦的な)作家。また、そういう作品を、それが高邁な文学のエスプリの満ち溢れた秀作であるという風に、文壇徒党的な仲間誉めをする評論家。また、教育課程の改悪の片棒をかついでいるみたいな、これら文壇人の、国語教育や文学教育に対する思い上った発言(「国語の授業では文字の読み・書きを教えていればいいのだ。教師なんかには所詮文学はわからんのだから、文学を教室で教えるなどということは考えるな」云々)。
 ともあれ、そういう中にあって、昭和二十年代末のあの段階で、いちはやく、
〈人間として面白みのある人間〉の典型を求めて、『かるさん屋敷』シリーズをこの作家[井伏鱒二]が書いたことの意味と意義は、普通にそう考えられている以上に大きいと僕は思います。それは、日本の戦後文学史にとって大きな意味を持つと同時に、小説ジャンルに焦点をしぼっての話になりますけれども、戦前・戦後を通じての井伏文学の到達点がこの長編に求められるように思われます。
 その後、間もなく『漂民宇三郎』という長編の傑作が書かれます。また、世評の高い『黒い雨』がずっと後になってから書かれます。『かるさん屋敷』シリーズに井伏さんの最高の文学的達成を見つける、という僕の発言は、そういう先ざきに発表されることになった長編との対比をも含めての発言なのです。
 この作品
[『かるさん屋敷』シリーズ]を僕が高く評価するのは、それが透徹した文学的イデオロギーによって、つらぬかれているからです。その文学的イデオロギーが要求する長編小説的必然性において作品が構成され、その各部分、各人物が必然的な相互関連・関係においてとらえられていて、(自分の感動の自己分析というかたちで)作品のいろんな個所を突ついてみても、ダイナミックな構成になっておりまして、スタティックな要素は皆無に近い、という印象なのです。〈人間として面白みのある人間〉というのは、いわゆる意味での完全な人間ということじゃない。むしろ、不完全なところをいっぱい持った人間なのですね。ですから、〈人間として面白みのない人間〉の目には、〈人間として面白みのある人間〉の持つ不完全な面だけがクローズ・アップされて来るのですね。作中人物としての明智光秀の目に映った信長が、それだったわけなのでしょう。
 〈人間として面白みのある人間〉が心なごむのは、他に〈人間として面白みのある人間〉を見つけた時なのでしょう。信長にとって、治郎作はそのような人間であったのでしょう。治郎作の側からすれば、それは、「わしは上様より厚く御恩顧を賜った。……士は己を識る人のために死す。」なのであります。治郎作の意識のどこかに、「己を識る」唯一の人、信長の死が同時に自分の人生の終わりだ、というものがあるような気がします。
 なんとも面白い作品だと思うのです。長編の面白みというか醍醐味をこれほど深く味あわせてくれる作品は、他にあまり例がないように思います。
 〔1978年、熊谷孝著『井伏鱒二――〈講演と対談〉』 p.290-292〕


 ○鴎外文学のどこに、あるいは何に惹かれたのかと申しますと、その時はさして自覚的なものではなかったのですが、やはり、人間のメンタリティーの面白さに目を向けている鴎外の創作姿勢に惹かれるものがあったように思います。(…)
 『阿部一族』の細川忠利なり『護持院原の敵討』の山本九郎右衛門なりのメンタリティーの面白さ・面白味に大きな関心を寄せるこの鴎外の創作姿勢との関連・対比の中で、芥川・太宰・井伏など、人間のメンタリティーの面白味を、したがってまた
〈人間として面白味のある人間〉をそこに堀り起こし描き続けている作家たちの場合に自然と目が向いて行ったわけなんです。
 切り口をかえて言いますと、忠利がそうであるように、どう仕様もない自分の倦怠感にじっと堪えている人間の姿ですね、あるいは、倦怠感からの脱出口を見つけ得ないで気も狂わんばかりに苦悩している人間の姿を一貫して描き続けた作家が芥川であり、太宰であり、井伏であった、ということなのです。つまり、そういう作家たちの場合に私たちの目が向いて行った、ということなんです。といいますのは、人間として面白味のあるメンタリティーというのは、自己のそういう倦怠との対決の中からだけ生まれてくるというか、培われて来る、そのような性質のものだからです。芥川流にいえば、それは、「孤独に耐える性情」(『大導寺信輔の半生』)と結びついたメンタリティーのほかならないからです。太宰治の場合について言えば、たとえば『右大臣実朝』の実朝像ですね。若い実朝が、宿命というほかないような抑圧と疎外の中で、自己の根深い倦怠感との闘いの中で身につけて行った、人間としてまことに面白味のあるメンタリティーは、彼自身にとってはまさに孤独に堪える性情と結びついたそれであったわけです。
 
メンタリティーの文学というのは、このようにして自己に倦怠を感じ、倦怠ということを知るものの文学です。また、どういう意味にもしろ、倦怠の問題を階級的人間疎外にかかわる、民衆サイドの人間にとっての必然的・必至的なメンタリティーの問題だ、と実感しているような人びとの文学なのであります。
 今、ふと思い浮かべたのでありますが、いつか私たちが例会で扱った黒島伝治の『電報』(一九二三年)ですけれども、熟していないところはあっても、伝治のあの処女作は
メンタリティーの文学です。それが『豚群』(一九二六年)になりますと、イデオロギー先行ということになるものだからして、闘う農民たちが敗北の現実の中で否応なし倦怠感につかまれざるを得なくなる、その一歩手前のところでペンをとめてしまうことになっている。敗北が必至であるあの場合の農民たちの闘争の、局部的、一時的な勝利の場面の描写でもって作品の幕を閉じているわけです。“村の論理”に打ちひしがれて、進学への希望を絶たれた源作の息子が、今は「醤油屋の小僧にやられている。」という、『電報』の場合の決着の付けかたとはまるで違ったものになってしまっているわけです。
 一時的な勝利と、一時的な敗北と。一時的な勝利でも勝利は勝利、その勝利の悦びにしがみつこうとする姿勢と、敗北を一時的なものと考えて……むしろ、それを一時的なものたらしめるべく、倦怠に堪えて明日
(あす)を待つ、という姿勢。イデオロギー主義ないし素材主義の文学と、メンタリティーの文学との基本的な姿勢の違いであります。ともあれ、、私たちの場合、メンタリティーの文学へ目が向いて行った……。それも、徹底して人間のメンタリティーの面白味をそこに探り、そこに、
〈人間として面白味のある人間〉の典型を造型し続けた一連の作家群――鴎外・芥川・太宰・井伏の文学へ私たちの関心の目が向けられて行った、ということなのです。。〔1987年、熊谷孝著『増補版・太宰治――「右大臣実朝」試論』 p.94-96〕

    

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