文学と教育 ミニ事典
  
〈待つ〉/〈必要な回り道〉
       〈待つ〉というのは多分、必要な回り道を選ぶ〉という行動選択のしかた、対現実的な態度にかかわる姿勢なのだろう、と思います。手を拱(こまぬ)いて待つという傍観者的、現実回避的な待機主義の姿勢ではなくて、反対に、最も行為的・実践的な態度・姿勢なのでしょうね、この〈待つ〉というのは……。
 太宰のこの
〈待つ〉という姿勢についてはずいぶん誤解も多いので、くどいかもしれないけれど言葉を添えますが、それは、棚ぼた式にぼた餅が棚から落ちて来るのを期して待つ、という意味の待つ というのじゃ、むろんありません。むろんのこと、だからといって、背も届かないのに飛びあがって棚の上の餅を取ろうとするのじゃない。餅がどうしても必要だというのなら、決してあきらめずに、手が届くのに必要な高さの踏み台になるものを探すし、そういう足場を組むこともやる……つまりそういう〈必要な回り道〉をすることを厭がらないでやる、という、そういう意味の〈待つ〉ということなんです。
 
〈待つ〉という言葉自体は実は、一九三九年末に書かれた太宰作品『鴎』に見えている言葉です。〔1969年、熊谷孝著『文体づくりの国語教育』p.281-282〕
    

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