文学と教育 ミニ事典
  
文体的発想
 人間は自分の文体――自分なりの文体といってもいいが――というものを持っていてこそ、主体的に、個性的にものごとを考えることもできるのである。クリエティヴな発想も、文体をを持った人間にしてはじめて可能である。ということは、(思考なり想像なり)人間の認識過程におけるその現実把握の発想が顕在的なものとなるためには、その発想は、その発想と見合うことば を見つけねばならない、ということに根源を持っている。ことば? ……その発想・発想法と見合うありかたのことば、という意味である。
 この切り口からすれば、そういう発想においてつかみとられた“ことば”――“ことば”のありかた――が文体 だ。また“ことば”において保障された発想(顕在化された発想)が、わたしのいう
文体的発想 ということなのである。発想が異なり、また発想法が変化すれば、当然、文体が異なり、また変化するわけだ。人間の発想法はなかなか変わりにくいものだという意味で、文体は変わりにくい。と同時に、発想のしかたは変化しうるものだという意味で、文体は可変的である。それが可変的なものであるからこそ、わたしは、“文体づくりの国語教育”という構想に立って、国語教育そのものを考えなおそうとするのである。それは、一口で言えば、“文体づくり”というより、子どもや若者たちの“文体的発想づくり”と言ったほうがいいのかもしれない。ともあれ、文体づくり ないし文体的発想づくり ということを措(お)いては母国語の教育は成り立たない。というのがわたしの考えかたである。〔1969年、熊谷孝著『文体づくりの国語教育』p.181〕
    
〔関連項目〕
文体
説明(文体)/描写(文体)


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