< 熊谷孝 講演記録 >
1981年11月--日
広島市民間教育サークル会議主催 第7回教育基礎講座

 
  歴史小説の発見―― 『羅生門』を中心に       国立音楽大学名誉教授 熊谷 孝  
文責・中野斉子/文教研広島グループ作成の 「〈第7回教育基礎講座 講義録〉」を基とし、
それに小見出し・改行の設定その他、若干の変更を加えた。
また、原文に欠けている部分、及び文意の捉えにくい部分の数ヶ所については、省略の形で処理した。


  
 [前略?]ちなみに古在由秀さんは、有名な古在由重さんの甥なんだそうです。古在由秀さん、ご承知の方が多いと思いますが、東大の天文台の台長をしている、天文学の第一級の、第一線の研究者です。その方が今の[この]雑誌(注・「世界」五月号)に書いておられるわけです。その題名は「教育目標はもっと遠くに」です。この号にはみなさんよくご存知の教育学者の方たちが、現在の教育問題、教育臨調だ何だってやつですね、あの問題を取り上げてせっせと書いていらっしゃいます。これも、それぞれりっぱな論文ですけれども、ちょっとまあ“耳だこ”って申しますか、別に僕はそんなに敬意をはらって読まなかったのでありますが、意外とこの雑誌の表看板になっておりませんところの古在さんの「教育目標は――」ってのは、すぐれて教科教育の、その中に国語教育も入る、従って文学教育にも関連する、関連して考えざるを得ないことを書いていらっしゃる。非常にショックを受けましてね。さっそく僕は読んで文教研の例会へ持ち込みまして、(中略)みんな[雑誌を]買ってこない、安いんだよ五八〇円だよ、厚さからいったって安いよね、なんて冗談言いながらとりあげたのが、この古在論文でございます。これは教育一般論であると同時に教科教育論なんであります。で、こんなふうなこと、そのうち二、三の点だけひろって申し上げますが、こんなふうなことをおっしゃってるんです。


 「教育目標はもっと遠くに」――天文学者・古在由秀氏の提言
 大げさにかまえた教育論ではありませんで、普通の我々がですね、平凡な教師が、ただ誠実さを失わない平凡な教師がですね、教室に臨むについて考えなきゃならん問題がじっくり書かれているんでございます。それが文学教育の問題にかかわってくるわけなんですけど、こういうことをおっしゃってます。天文学の専門という、その側面からです。私は次の制度に反対だと。共通一次ってやつ、あれは無論反対なんだと。だけど、ある側面、あるサイドから見る限り、すばらしいことがある、とこうおっしゃるんです。そして結論は、共通一次反対論なんですよ。誤解ありませんように。その前提に立ちつつ、天文学の立場からみると、非常にいいことがでてきたんだ。というのは、天文学という学問は、およそ、各大学を見渡してみても、ことに教養部をみた場合に、天文学の専門家ってのはほとんどどこの大学にもいやしないってんです。従って、天文学の講義を教養課程の講義として、学生は受けとめる機会を失していると。そして天文学のテの字も知らない学生が、やがて専門の学部へ進む。やがて卒業する。その何パーセントかは、学校教師として、中学の先生として、あるいは高校の先生として、また小学校の先生として勤務なさる。で、天文学に関心を持たない人間が天文学を教える、教育する……。

 教科書には、なるほど小学校以来、天文学に対する項目がある。けれども、そのへんはもう、やったかやらないかわからないみたいに、自分がやらないもんだからぶっとばしてしまうと。まあ、それは、どこにでもあることだけど、ここに一つの、私は、親として非常にショックを受けたことがあると。私の子どもは、かつて小学校へ行ってた。小学生であった。で、先生が宿題をお出しになった。「今晩のね、月の出る時間を書きとめてらっしゃい。自分の目で見て。それから、明日の月の出の時間を自分でこの目で見て、月の出の時間を書いてらっしゃい。と、そういう問題を、宿題としてお出しなった。私の子は、私なりの教育方針があって、躾はそういう面では行き届き過ぎるぐらい行き届いている。で、わが子はですね、宿題がすまないうちは寝ないと言いはってる。天文学者である、この父親はですね。冗談じゃない、わが子よ早く寝ろ。月の出るのは真夜中だよ、ってんです。子どもは小学校の中学年ですが、だいたい九時には寝るようにさせてる。何か事情があっても、十時には寝させるようにしてる。しかし月の出たるや、今日を過ぎて、十二時を過ぎてそのあとにしか出ないってことが歴然であるというのです。小学校の先生は一体、十二時過ぎまで生徒を起こしとくつもりかよ、二晩も、ってんですよ。これは、先生が天文学に無知だってことに関連することである、思えばその先生も、学生のなれの果てである。学生の時に天文学のテの字も知らないで、それから、教育の本質を知らないで。教えるとは何かも、学ぶとは何かも


 それは、実は、先に申しますが、移調できるってことですね。平たく言えば、応用できるってことですね。応用がきくってことですね。トランスファーポジションですね。場面を変えて、その思考方法で考える力が身についているってことですね。で、小学校の先生は、教科書にその月の出のことが書いてあった。そして、教科書にそれが出てるってことは、教科書の編纂者の目的は何かってえと、地動説の正しいことを観察で知らせる第一歩だったわけですね。つまり、古在さんはこうおっしゃってる。この宿題は、月の出を二、三日にわたって調べ、月は西から東に向かって公転していることを明らかにするのが目的であったということ。ここで、天動説から地動説に移るので、月の出は一日あたり平均五十分ずつ遅くなることを観察させたかったのである、と。で、そこまではいいんですけど、言うまでもなく先生は、月の出るのはせいぜい六時半か七時。遅くたって七時半だろうぐらいに思ってた。今日が七時半だったら、明日は八時だと。そのぐらいまで起こしといたっていいと、自分の目で観察させようと考えた。ところが、まさに地球は、であります。回転するんであります。ぐるぐる回るんでありまして、満月の日から数えて、ずうっとたった時はどうでしょう。月は夜中にしか出ないんですよ。

 そういう具体的な事を、抽象的認識においてとらえることが、先生はできなかったわけですな。だから、教育をあやまっちゃったんですね。無知な人間は教育者の資格なしです。無知と未知とは違う。自分の分らないこと、未知なことは、教師になったからといって勉強をやめる必要はないですね。学生を終えたからって、勉強しなくていいってことはありませんね。教育者こそ、教師こそ、勉強しなきゃならないわけですね。勉強しさえすれば、その先生は、天文学の深いところはわからなくても、この日は十二時過ぎにしか月は出ないっていうことがわかったはずですよ。そういう無茶苦茶なことを、先生はやっちゃったわけです。まさに非教育的なことをやっちゃったわけです。恐るべきですね。

 さて、こんどは高校にわが子が行った。少し話は違っちゃうかもしれない。そしたら高校の教科書に、これは天文学って名前は使いませんね。皆さん教えてらっしゃる方もあろうように、地学って名前で教えるわけですね。その地学の教科書に、要するに、さっきの小学生の場合と同じです。月の出は一日に五十分ずつ遅れていくということが書いてある。で、高校の先生が生徒にむかって宿題出した。月の出が一日にどれだけ遅れるかを調べてこいと、こういう宿題を出した。先生もわかっちゃいなかったわけですよ。出したわけです。教科書にちゃんと書いてあるんです。約五十分、差があるってこと。高校生ぐらいすれっからしになりますとですね。高校の先生も大分いらっしゃるでしょう、中学の先生は思ってみてください。我が教え子が来年、再来年、今中三の生徒、今でも相当なものなのに、さぞやっすれっからしだろうということは予測がつくわけですよ。いよいよすれっからしの高校生になったわけですよ。地学の時間にそういう宿題が出た。どれぐらい差があるか調べてこいってんですよ。と、高校生はすれっからしですから、まず自分の目で夜遅くまで起きてて見るより、その時間は遊びに出てですね、ディスコなんかに行ってですよ。夕方にちゃんと見ちゃうんです、教科書を。見ると、ちゃんと書いてある。約五十分違うってこと。答が出てるものを観察する必要あんめえ、てんです。筋とおってますよね。で、このすれっからしどもはですね、宿題を全員出すわけであります。どれを見ても、差は五十分、こう書いてある。教科書の丸写しですよ。したら、一人の生徒が、――まちがうといけないからお書きになったものを読みます――。ひとりの生徒だけが六十一分て数字を出してきた。二日にわたって観察するわけですけど、一日の差が、この日とこの日とでは六十一分だってのを出した。この子はちゃんと起きてて、自分の目できっちり観察した。自信を持って出したら、高校の先生、なんだい、なんです。
○×の×をつけたってんです。あとのすれっからしどもに、みんなをつけたってんです。

 で、そいつを54321に割りふると、どうなるんですかね。その子だけが1なんですよ。正しいのは六十一分なんです。平均五十分の差があるんであって、ある日とある日でいえば、六十一分の時もあれば、あるいは五十分より下まわってるいる、四十何分て差の日もあるわけです。高校教師、知らないんですよね。そして未知でなくて無知なんですよね。で、教科書を丸写しして教える。生徒のすれっからしどもも、そうだと。教師も、僕はあえていうけど、主観的には誠実かもしれないけど、客観的にみると、というのはおかしいけど、いいかげんすれっからしですよね。教師としてなすべき学習、研究をしてないってことですよ。そうして恐るべき非教育的なことを教えちゃった。

 いわゆる教科内容についてだけではない、生徒の生活態度に関しても、です。何かを写してごまかしちゃうってんです。それから、生徒のもつ迷信、教科書に載ってるものは正しいという迷信。さらには、活字になったものは正しいって迷信。教科書を編集してるのは何とか博士で、何とか教授で、これは正しいに決まってるという迷信。生活指導にも大きなマイナスをしてるし、学科の教育に関してもでかいマイナスをやってるわけです。そこで、古在さんは言うわけです。こんな調子が今でも行なわれてるが、共通一次が行なわれてるから、天文学に関する出題がたった一題だけど出るようになった。これは、教師も勉強せざるを得ないだろうし、生徒も勉強せざるを得ないだろう。これは一つのプラス面だ。その面だけに目をつければってことですよ。共通一次のあの方式はけしからんという前提で、まさにそれが結論で、アルファでオメガで、ただ、その部分をとってみると、天文学にとっては、天文学教育という面からすればですね。その限りプラスであったと、おっしゃるわけであります。


 教科教育に手抜きはないか――「人間教育」を隠れみのにして
 で、古在さんのおっしゃる言葉にはすてきなことがありました。今、流行ですね。そしてあの流行はまちがってはいませんね。ただ学科をどうとやら教えるだけでなくて、パーソナリティーを形成することだ。パーソナリティーをどうとやらして、人間教育をやってどうとやらして。いや、僕は人間教育大いに賛成なんですよ。ただ、人間教育という隠れみのに隠れて、実は非人間教育を教師はやってはいないか、と彼は言うわけであります。今の例なんかも、その通りであります。で、もう少し、つまり、試験、試験、試験、だから制度が悪いんだけれども、悪い制度をだれが容認したって考えると、僕らの年輩の教師が、反対反対といいながら、カッコ[格好?]でアッー、アッ―、ってやってるとね、トマホークみたいにこうやってると、反抗したみたいな気分なんです。だけどトマホークはやって来るって調子です。阻止しなきゃだめなんです。そういう点、組合慣れっていいますか、組合行事みたいな――僕なんかその張本人です――で終わってるんです。だから、僕らのジェネレイションなんか、負わねばならぬのですけれど、とにかく阻止しなきゃならぬのであります。しかし、ついに共通一次は実施されて、しかじか。その他テスト教育が実施されて今日に至るわけでありますが、そういう中でいかにも非現実的にみえるでしょうが、古在さんはあえておっしゃる。我々は入試に何人生徒を入れるか、とか何とかというところに教育目標をおくんじゃなくて、教育目標をもっと遠くにおかない限り、日本は滅びるってことです。それから生徒の人間をスポイルする。教師は、両刀使いでもって、組合員としてはヨーッ、ヨーッとやって、片っぽではどっかにペコペコして要領よく立ち回って自分自身をスポイルする。そのことを縷々古在先生は御指摘になっているわけです。

 そして、古在さんについて紹介したいことはあと一点です。さしあたって。それは、今の話に続けます。人間教育という隠れみのに隠れちゃいけない。学科教育である以上ですね。ある教科の教育である以上ですね。その教科の学力をつけなくちゃいけないってんですよ。これを横においといて人間教育なんてのは、これはとんでもないことだ。それは人間教育にならない。中学程度の学校を卒業した時の卒業の条件になるような学力、それが身につかないで、身につかないような人間ばっかりが九十パーセントで、高校へ行ったって小学校の算数ができないっていうような高校生がウジャウジャいるわけでしょ。こういう状態じゃ日本は滅びる、人類は滅びるのであります。で、この教科教育をもう少し徹底しておやんなさいと。たとえば、それは、覚えるってことも大事だろうが、教科書にあることを丸暗記するなんてことじゃだめだ。考えることだ、思考することだ。それが欠けてるために、とんでもない天文学の、地学の宿題を出す教師が出てくる。すれっからしがそれに相呼応する。日本という軍艦だか何だか知りませんけど、中曽根がいったあれですけど、不沈空母なんてもんじゃありませんで、必ず沈没するってことです。

 御当地出身の井伏先生は、戦争直後にその問題を小説のフィルター、フィクションのフィルターを通してまるで予言するかのごとく語っておられますね。「侘助」ってんでしたか、あの作品。日本は滅びるってこと。江戸時代に舞台を求めながら、津波のために、ある流人の島が流される話。書いておられます。今の天文学教育に関する古在さんの――いかがですか。これ、国語教育の問題になりませんか。天文学だけの問題ですか。それからまた、文学教育に無関係ですか。共通一次でもいい、何でもいい、文学教育の問題が出てますか。出てないってのは何なんでしょう。そういうようなこと、いろいろ思うわけです。そして最初に、私はこれから文学教育を中心に、教師はどう教えたらいいんだろう、ということを皆さんと御一緒に考え合いたいと思います。で、それに先立って、古在さんのそれに触発された東京グループが例会をもちました。その中で、これを文学教育の次元に翻訳すれば、こういう問題になりはせぬか、というようなことを荒川さんがリポートしてくれました。時間もありませんので、うんとしぼってここでお話しいただきたい。


 社会現象としての文学現象――その特質をふまえて
【荒川有史氏の報告】
 本当はこういうはずじゃなかったんです。が、だましうちにあいました。しかし、先生から御指名されて、私たちは断る習慣持たないものですから。ですから、一言、東京グループでお話ししたことを簡単に申します。天文学とか数学の場合、すごくはっきりするんですね。天文学を知らないで私たち教師としての仕事ができないわけですよ。ですから、夜中に月の出知らないで宿題出す先生は詐欺だと思いますね。本当に教師にあるまじき仕事だろうと思います。ところが、じゃあ文学教育の場合にそういう詐欺行為、私達やっているかいないのか問われなくてはいけないんじゃないか。つまり文学といいますと、日本語で書かれてる。母国語で書かれているものですから、小さい時からおふくろさんに話してもらった言葉を自然と覚えている。小・中・高と学んで、日本語で書いたり話したりすることがある程度できるわけですね、大人になりますと。そうしますと、作品読むと何となくわかるわけですよ。ですから、小学生、中学生の前に立った時に、大人である自分の方が子どもたちよりも深い理解を持っているという錯覚をつい持っちゃう傾向が、僕にはごく最近までありました。それで、文学って何だということを、天文学って何だっていうことと同じくらい真剣に問いつめていなかった自分を発見するわけです。

 私たちは、天文学や数学の知識なしに理科教育や数学教育はできない。と同じように、文学とは何かっていう問いかけを持たずに文学教育できないんじゃないか、ということを一つ痛感したってことがありますね。じゃこんどは、第二に文学って何だと問われた時に、人によって答は千差万別じゃないんでしょうか。ただ、千差万別であるんですが、芸術現象というのは、好き嫌いということが深くかかわっているような気がします。ですから僕は、大学の一般教養が好きなのは、選択課目だということなんですよ。ところが小学校や中学校の場合は必修でしょ。そこに、僕もかつて小学校や中学の教師やりましたからよく分るんですが、生徒は教師を選べない。教師も生徒を選べないんですよ。そこにすごく難しい問題を感ずるんですね。ところが僕は、太宰が今好きですし、芥川、今好きですけども、その生徒の中に三島由紀夫が好きな人だっているわけですよね。志賀直哉が好きな人だっているわけですよ。そうしますと志賀直哉なんてのは、「奉教人の死」の作品なんかをとらえて、あれは文学じゃないなんてことを言うわけです。三島由紀夫は、太宰大嫌いだっていうわけですね。そうしますと、惚れてる人を嫌いだっていわれると頭にきちゃうわけですね。そこからもう対話が始まらない条件があるわけですね。選択の場合ですと、お互いにいやなことは我慢しないでやっていこうねって呼びかけられるわけです。但し、どうしても時間の都合やなんかで単位とりたかった場合は、自分自身の文学観を絶対とみなさないで、一年間、自分の文学観を問い直そうとする柔軟な姿勢で、一緒に勉強しないかと呼びかけるわけです。それが義務教育段階では不可能ですね。その場合どうしたらいいのかって問題は、あとで先生
[熊谷]の方からいろいろお知恵をうかがうことができると思うんです。

 その場合に先生が三省堂からお出しになった「芸術の論理」という本の中で、アメリカの女流哲学者のランガーの考えにふれながら、社会現象としての文学現象の独自性を解明してらっしゃるわけですね。僕が知ってる限りでは、日本の文芸認識論を扱ってる人たちの中で、ランガーの意見を、本当に教育現場に活かせる形で問題を展開されているのは、今のところ熊谷理論だけじゃないかなと、密かに思っているわけですが、そこでは自然現象と文学現象とは違う、経済現象とは違うということを明確に展開されているわけです。私たち、今日は飛行機で来たわけですが、もしこの飛行機が事故になった場合に、私たちが死んでも美しい瀬戸内海の自然は残るだろう。先生と一緒に死ねるなら本望だ、なんて思いながら来たんですね。そういう点で、私たちの意識にかかわりなく自然現象は、核戦争を除けばですよ、持続していくわけです。しかし文学現象は、一人ひとりの読者が真剣にむかわなければ成立しないっていう独自性があるわけですね。そうしますと、文学は自分でわかるしかないわけですよ。教師がこう思いなさいっていったからって、あの憎たらしい生徒たちがわかるか。逆に反発したりする場合だってありますね。そうしますと、私たちのやれることは何だ、となりますと、一人ひとりの子どもたちの体験をほりおこしながら、そういう条件におかれた場合に私たちはどう考えるかっていう、考えるにあたっての助言しかできないんじゃないかっていうことなんです。

 しかし、そういう助言に徹するっていうふうな指導方式、そういう反省も、文学って何だっていう原理までつきつめていかないと生まれてこないんじゃないか。だから一つひとつの段落をおさえ、一つひとつの子どものわからない単語を説明すれば文学がわかるかっていう問題ですね。そこの認識が指導過程に対しての違った発想をもたらすんじゃないかと思います。それからまた義務教育段階の評価のつらさってのがあるんじゃないですか。僕はすごく苦しかったですね。僕は今、熊谷先生の直伝なんですが、優か不可かどっちかに徹してます。九十五パーセントは優なんです。五パーセントは不可なんです。つまり文学の場合、文学がわかるって何かと問いかけた時に、どこで規準を決めるか。漢字をていねいに書けるとか、正確に書ける、主語・述語の関係が正確に書ければ優を与えていいのか。そういう子に限って、すごく心が冷たいという場合がありますでしょ。ところが碌に漢字が書けないんだけれども、素朴な、これだけは訴えずにおれないという文章を書く子がいて、その場合、じゃ、たし算して割って評価を出しますかって問題があるわけです。そういう点で文学がわかるっていうこと、文学って何だっていうことをつきつめていった時に、指導の方式も違ってくるし、評価の仕方も違ってくるし、それから教材体系も違ってくるんじゃないか。そういう点で、天文学と同じように、理科教育と同じように、私たちは自分の専門対象に関して明確な研さん、原理にもどった研さんが必要じゃないかなと思います。
【以上、荒川氏の報告】


 文学教育の精神は対話の精神
 教育の方法・手段にまで言及されたので、ぼくのいうことはほとんどありません。ただ、荒川さんの話をなぞる形で一言だけ言えば、ひとつは古在さんの話にあった「天文学のわからない教師が天文学を教えることはできない」ということ。実は文学の場合も同じことなんだということを、ある意味でおっしゃったと思うのです。文学のわからない人間は文学を教えるわけにいかない。また、文学というのはある意味で自然現象を研究する天文学とは違ったまさに文学現象であります。あるいは、言語現象であります。これを対象にした場合は、いっしょに論じることはできないという面を持つことも、そこにご指摘になったとおりで、つけ加えるべきものはその点に関して何もありません。

 ただ、荒川さんがおっしゃったように、こういうことがあるわけですね。自分にわかっていないものは相手に教えられない。それはそうだが、すべてのことが教師にわかっているわけではない。教師の自分を顧みると、何かわかりかけている面もあるし、そんなこと考えてもいなかったということが生徒の発言で教えられるようなことがしょっちゅうあるのではないかと思うのです。これは、たしか、大野晋さんだったと思いますが、要するに指導要領は間違っている、文学教育ないし国語教育でいうと指導要領は明らかにまちがっている、あんなに、なにもかも教えなくてはならぬというのは無茶な話だ、教師に対して。指導要領は次の如く書くべきだ。自分がほんとに感動している作品を選んで生徒に教えるべきだ。益田勝実さんは、「ごもっとも。根本はそうですよね。けれどね、やはり、公教育の場にたずさわる教師にとって、自分が源氏物語が大学時代、あるいはそれ以後の専攻であったとしても、やはり井伏鱒二の文学も教えねばならぬと思う。芥川も教えねばならぬと思う。例は違いますけど、その場合どうするか。わからぬものは教えるなといっても無茶な話だ、公教育の現実からいって。また、どんなに改革されようとそういうことはつきまとう。自分の専門でないものを教えなくてはならぬ。どうするか。やはりこれは、生徒と共に学ぶという姿勢が必要なのだ。教師が何もかもわかっているわけがない。で、自分が苦手なものは避けてとおるというのではでめなんだ」と。こういうわけです。私もそう考えるわけです。

 ただ、古在さんも言っておられました。今の先生はひどい圧迫をこうむっている。疎外されている。なにもかも教えなくてはならぬみたいになっている。これは無茶だ。それから、ある学年が8クラスあるんですか。あるいは中には13クラスなんてのがあるのをぼくは知っていますけど、そのそれぞれが4人の教師で国語なら国語をもって、協同にやっていかなくてはならないものですから、進度を一致させなくてはならぬものですから、あれもこれもとやるわけです。そうすると、あれもこれもわからない。わからせることのできない教科をやっているわけです。で、いわゆるおちこぼれをこしらえたりしているわけです。これはたしかに無茶だと古在さんはおっしゃる。教師はほんとは自分の一番好きなもの、一番得意なものにたっぷり時間をかけて教えるようなしくみでないとまずい。苦手なものを教えるなというのではなくて、一番基本になるものはそうあるべきだと。そこで、古在さんも間接的にですけど、自主編成をとなえていらっしゃいます。それ以外に教育の改革も何もありはしないとおっしゃっています。私もそう思います

 しかし、一面不得意なものも教えなくてはならないというわけです。生徒と共に学んだらいいわけです。ただその場合、生徒と五分と五分になって学ぶのでは教育でもなんでもない。これは今荒川さんが縷々指摘されたとおりです。私も同調したい点ですが、なぞり返す時間をカットします。

 で、要するに文学に関していえば、そして、文学教育に関していえば、それは考えあう教育・対話の教育なんですね。一方がそれを筆記して終わりというものでは、文学の教育では少なくともない。それでは文学の教育にならないことはたしかです。考えあう姿勢・話しあうという姿勢・対話の精神、これこそがじつは文学精神、別の側面でいうと対話の精神です。文学教育の精神は対話の精神です。考えあうという姿勢が教師になかったら、その時文学教育は教室から、その場から姿を消し去ってしまいます。考えあう、のであります。

 しかし、教師はある意味で材料なしに何もできはしません。そうです。ある文学作品の小説なり評論なり詩なり、なんなりですね。それを材料として、武器として、その材料を使って。つまり、それを教材というわけですね。作品を教材化して、そして考えあうのです。ところで私は言いたい。考えあうだけの値うちのある作品・教材でなくては無意味だ。これはあたりまえでしょう。考えたってどうってことのない作品はありますよ。いかがですか。いや、そういうものの方が量からいったら90%以上です。で、10%に満たないすぐれた作品を教師は選んで生徒の前に提供する。そしてそれを理解する作業を仲だちする。これが文学教育の仕事なんだと思います。

 第一にまっとうな文学観・文学とは何か、それを自分が、教師が持たなくてはおしまいだということです。それには、ただ考えていただけではしようがないのです。学ぶ必要があるわけです。いろんな研究書があるでしょう。それから、いろんな研究者がいるでしょう。その人について学ぶ面もあるでしょう。と同時に、それを受け売りでなくて、だれが言おうと正しいことは正しいと同時に、まちがっていることはまちがっているわけです。教師の自己・自我・自分、これを正面にうち出して研究するんです。「私はそう思わない」では困る。「私はそう思う」でも困るのです。思う根拠・論拠、思わない根拠・論拠、それを自分に問いかけるのですね。こんどは自分が二人に分かれて対話するんです。対決するんです。討論するんです。対話とは、だれかとだれかが話しあうだけではない。自分が別の自分と話し合うことですね。

 何だかお化粧品のコマーシャルで、夏のことでしょうか、「別の自分に会う季節」なんてのがありました。ぼくなんて年中同じですけどね。はだかになっているかコート羽織っているか、それは違いますけど、別の自分に会ったことはないですけどね。女の方は幸せだと思うのです。別の自分と出会うシーズンが近づいてきました。で、その基礎にのっとってすぐれた文学作品を生徒に提供する。提供できるためには教師の文学作品の選択眼、これなしには文学教育は始めから成り立ちません。つまり、選択眼を養うのです。で、選択眼を養うことは受け売りではできないのです。たとえば自分の学生時代、井伏鱒二をその教授は専攻していられて、たんまり話を聞いたと。だからわかったと。だけど芥川はわからない。なぜなら自分は習わなかったと。こんなベラボウなことがありますか。自分が習ったのが近代である。だから中世はわからない。こんなことってありますか。教師失格です。わからないことに先程言いましたように無知と未知とがあるのです。未知なのは、人間未知だらけです。これはやむを得ないことです。宿命です。けど、無知ってのはもうこれは非人間です。教師が非人間であっていいですか。


 第一級の作品を選択し、教材化する――対話の材料の提供
 ええと、時間があるかどうかわからなくなったのですが、ここに、どなたもお読みの芥川の作品の「河童」がありますが、すてきな場面がありますよね。河童にとって恥ずかしいことは、「お前は蛙だ。」って言われることですって。「お前蛙だ。」「この蛙野郎。」と言われること。蛙というのは、人間で言えば人でなし・非人間のことに相当することばだそうです。だから河童というのはみごとにできていて、裁判官殿は罪名だけを読みあげるとか。「お前はカクカクの罪名により蛙である。」と。それをきいただけで被告は死んでしまうようです。すてきではないですか。少し違うかもしれないけれど、それから、お前は蛙だといわれたら、被告はその日帰って一生懸命考えるそうです。顔をまっ赤にして。そして、そのうちに、いつとはなしに死が訪れるそうです。河童というのは素敵ですね。

 これが人間世界へのサタイアー・皮肉なんですけど。いうまでもなく。人間もそうだといいですね。「お前、五億円盗ったから有罪だ。」その河童は死んでしまいます。人間の場合どうも違いますね。すべて人間のルールと河童のルールはあべこべだそうです。そんなこと書いていますね。

 何のためにこんなこと言いだしたか忘れてしまいましたが、とにかくそれ自体おもしろい話ですね。そういうふうに、人間とは何かということを「河童」に登場する河童について対話をするなら、教師と生徒が、また、読者である我々が、真剣にもう一人の自分と対話をするならば、そこに文学が現象するし、教育の場でいいますと、文学教育がそこに実現するのであります。それは「河童」のような第一級の作品をとりあげるから可能なのです。さもないくだらない作品、私は推理小説が好きなのですが、くだらないものがひじょうに多いですね。推理小説の読み方は、ご存じのとおりです。いいえ、あなたが実践していらっしゃるとおりです。まず初めの方一頁読んだら最後の頁をあけて読むのですね。どうなるかと。これで成り立つような、推理小説ではないがそれに準じるような小説・文学が何と氾濫していることよ、であります。こういう中から自分が感動した作品、そして、これは発達段階からいっても生徒が、わが愛する生徒が、これに親しめると思うような作品。これは親しめないと思う作品だったらその作品を大学に行ったら読めるように、(今、中学生だけど)その下地(素地)になるような作品を選んでやるとよい。たとえば「赤と黒」という作品は古典だと思います。すばらしい古典だと思います。ぼくは原文で読んでいませんのでデッカイことは言えませんが、翻訳の本でさえ感じます。すばらしいが、あれを小学生の前へ、教室へ持っていって、いっしょにやるべえという教師がいたらオタンチンですね。「お前、蛙!」ですね。

 「赤と黒」のような作品が、じっくりほんとうに読めるような人間に大学生のころはなれる。その可能性づくり、素地づくりのためにいかなる作品を選択するかなのであります。そういうことを含めての第一級の作品をセレクトして生徒の前に提出する。対話の材料として。芥川文学を、そういう中のひとつにぜひ加えてほしい。なぜここで我々は芥川文学について考えあうか。要は教育の問題です。文学教育の問題なのです。具体的なものがなくてはいけない。きょうは、芥川文学がわかるというようなキザな意味でなく、ほんとうに生活の支えになるというか、また、ある場合には生活の刺戟になると申しますか、そういうふうな作品にみちみちている芥川文学としてとりあげるわけです。

 正直に言います。私は、今回は、芥川文学はしゃべりたくないことはないけど、あまり意欲がわかなかったのです。というのは、昨日まで井伏文学をやっていて、今月末に、遅くも来月の初めに「井伏文学手帖」というのを出版いたします。姉妹篇でございます、「芥川文学手帖」の。で、昨日何を書いたかっていうと、もう校正刷りが出ているわけです。その構成の段階で序文を書いたわけです、最後に。だから、芥川のことはさしおいて、井伏のことばっかり考えていたわけです。だから井伏のことを話すのだと、きょう楽なんですけど芥川文学でまいりますが、少なくとも、森鷗外の文学と、違った意味で夏目漱石の文学と、夏目漱石と森鷗外のお弟子 ―文学の系譜の上で― である芥川龍之介と、その芥川を終生慕いつづけ、芥川文学をこえることが文学目標だという太宰治。そして、その太宰治を育んでいったご当地福山の井伏鱒二さん。これら五人の名をあげましたが、これらの作品は、今いったように第一級品だから私は推薦いたします。それから芥川の恩師を二人あげました。鷗外と漱石と。その、恩師・お弟子ということをぬきにして、芥川のあの繊細な文章、また鋭敏な文章は、どうやって生まれてきたのか
[それを考えることはできない]。それを考えるに、ホトトギス系の写生文を思いおこすほかないのであります。で、さっきもチラと申しました。あの写生文の運動、その中に漱石が参加しまして、かずかずの初期の名作を発表していますでしょう。「草枕」であるとか「坊ちゃん」、「吾輩は猫である」とか、というようなホトトギス系のもの。それから鈴木三重吉さんです。ホトトギス系の。「千鳥」を書いたでしょう。あの「千鳥」。そういうものに深く学んで芥川の繊細で鋭いあの文章がうまれたわけです。

 芥川は言っている。「どんなに文章に凝ったって良い文章なんかうまれはしないよ。文章・ことばってものは、人間でたとえて言えば肉体だからね。肉体なしには何もないだろうけれど、肉体だけあったって、なんてこともない。それに精神が加わらなくてはならない。その精神が文学を左右する。そして、ことばの操作、ことばの使い方を厳密なものにして、ことばの芸としての文学が生まれ育つのである」と。そんなふうに彼がいうゆえんのものは、写生文の理論と実践に学んだからでありましょう。

 で、彼の精神といったものの面、それについてこれからいくつかふれたいと思います。さしあたって、現実ということを中心にして芥川文学を考えたい。そして、もし、ぼくのいうことに採るべき点が爪の垢ほどでもございましたら、どうぞうけ入れてくださいまして、生徒諸君との対話の材料にしていただけませんでしょうか。お願いいたします。

  じつは、ぐちをいうつもりは無かったのですが、二月に完全に倒れまして、三ヶ月倒れまして、まだ足がふらつくというより頭がふらついておりまして、長時間もたないのです。そういう意味でも手伝っていただきたいのですけど、ひとつ芥川の基本精神を「大導寺信輔の半生」の作品に即して、うんと手短かに ―あまり時間がございませんので― これを消化してきている人にお話しいただきたい。これからとりあげる芥川文学を、対話の材料として、生徒諸君との対話の材料として、それからあなた方ご自身の中のもう一人の自分と対話する材料としていただきたいと思うのですが、その理由のようなものをちょっと。これは、作品の順序からいうと晩年の作品ですから、その前に「羅生門」やら何やらにふれるべきでしょうが、ちょっと順序を入れかえて、佐藤嗣男氏にごく手短かにお話しいただきたいという無理な注文をします。で、佐藤さんの話の終わったところで休憩ということにします。ぼくのとりとめない話を助けるように、すばらしいお話を期待します。

【佐藤嗣男氏の報告】
 この二日、風邪を引いて、今日はちょっといいのですが、変な声でごめんなさい。
 今、先生からお話がありましたが、ひとつ大きく芥川のやった仕事、その達成はどんなところにあるだろうということを考えてみたいと思います。もっと長生きすればよい作品をもっともっとうみだしたと思いますが、「大導寺信輔の半生」が芥川文学のひとつの頂点になっているんじゃないか。大正14年1月に発表された作品です。大体同じ時期に、一方で「侏儒の言葉」という随想を書いていますけど、その中で彼は言っていますね。「この世で一番不幸なのは、親子と生れたことだった。」と。そういうベースをもっていて、一人の大導寺信輔という人の精神の風景画をずーっと追って書いた作品。これが「大導寺信輔の半生」だった。で、その中の大導寺信輔、今言いましたように、頑迷な父親と、母親からは、おっぱいも飲ませられないで育っちゃったわけですが、その彼の心・精神を築きあげていったものが、中流下層階級者の貧困です。じつは、彼は、中流下層階級者の子供だった。中流下層階級者の貧困がうんだ人間だった。しかし、ただ単に中流階級者、生活上のそういう階級の中に彼がいるということではなくて、そういう人にしか見えない世界、その人でなくてはつかめない現実、そこをみごとに「大導寺信輔」という人間を造型する中で芥川はつかんでいたんじゃないでしょうか。

 大導寺信輔は言います。「自分は友人をつくるとき頭脳ぬきには決して友人をつくらなかった。頭脳のない人間なんて考えられない。」そこに人間がほんとに人間らしく生きていくための教養・インテリジェンスの問題がひとつ大きく出てくるのではないか。ほんとうに人間として生きるための支えとなる教養を身につけた、そして、中流下層階級者でなければもてない神経と感覚・意識をもちつづけた人間をみごとにつくりだして見せたんだと思います。私たちはそれを名づけて「教養的中流下層階級者」といっていますが、その視点的立場に立った文学、そこに芥川が確立していったものがあり、それを大きく位置づけたいと思うのです。
【以上、佐藤氏の報告】
(休憩)


 生まれたくて生まれたのではない――中流下層階級者の貧困
 休憩前の佐藤さんのお話へつなげる形でまいります。「大導寺信輔の半生」、あの作品は、単純化したいい方をすれば、芥川の作品の中から五つの傑作をあげよ――ばかみたいな話です。言えるもんじゃないことは承知で言ってんです。初期と中期と後期、それぞれ意味が違うんで、そういうことは言えるもんじゃないんですけど、言えるもんじゃないけど無理に言ってみると、「――信輔の半生」は最高の作品の一つなわけですね。(中略)ある人は、芥川の、あれは自画像だ、というようなとらえ方も出てくる。また、芥川の要するに自伝的小説――、などと誤ったことを言うんですけど、そう言いたくなるくらい芥川は自分てものを投げ出して、そしてなおりっぱなことは、私たちの中の私ですか、自分の世代の中の一人という自覚をもって描いたのが、信輔という青年の姿でありました。

 最初は少年信輔、やがて青年信輔とこうなって、旧制高校の生徒であった信輔のとこで、残念ながら中断してしまったわけでありますが、その作品をめぐって、教養的中流下層階級者の視点というふうなお話が佐藤さんからありました。それへつなげていうんですが、中流下層階級者の貧乏、貧困がうんだ人間、それがすなわち信輔だ。自分で自分と対話して、しみじみ思う。こんどは母親の姿を見て、しみじみと空しさやら悲しさやら、憤ろしさを感じるのが、正に信輔の世界でしたね。中流下層階級者、貧困なる中流下層階級者は、否応なしそうしなければ生きていけないからそれをやるってことです。そのそれ、具体的に何だっていうと、信輔の母は、お読みになった方、御存知の通り、貧乏人のおかみさんです。でも、奥様気取りでふるまわないと成り立たないお役人の奥さん。盆暮れにはちゃんとあいさつのしかるべき品を持って、親戚まわりをし、そして勤め先の上司やなんかのところへ品物を配給して歩く。配給っていわないんですね。何てんですかね、こう、配って歩くんですよね。その時に彼女は虚偽を、嘘つきになるわけです。みようによっては詐欺師にさえなってるわけです。なぜならば、持ってくものは、風呂敷をひろげてみますと、ちゃんとお店の商標が出ている。今の風月堂を考えてもらっちゃ困る。風月よりずんといいお菓子屋さんもたくさん出てきてるから。しかし、大正期にあっては、最高の唯一の、東京で唯一の高級なお菓子屋さんですね。そこの包み紙に風月堂というのがある。それを持って歩くわけですね。中味は有名な、だったそうです。風月堂のカステラです。これ最高品だったわけですね。それを一軒一軒配って歩くわけです。僕のいう配給して歩くわけです。もらった方もありがたがるわけです。よく気がつく方じゃなんていってもらうわけです。食べてみるとわかると思うんだけど。というのは中味は、近所の、信輔の家の近所の、本所の下町のごみっぽい所の駄菓子屋のカステラなんです。安い。それを風月の御菓子だといって、もったいつけて配って歩くんです。

 これ嘘です。虚偽です。と同時に詐欺でさえあるかもしれない。しかしその程度のもの、風月程度のものを配らなければ生活が成り立たない、中流下層階級者の貧困であります。自分にはそれができないからなんていったら、長い眼でいうと、あと五年職場にいられるのに三年あたりで首になるとか、配置転換になるとかってことです。亭主が。そこで止むを得ずというか、そういう虚偽を母親はやるわけです。中流下層階級者は嘘つきにならなきゃ生きていけない。その悲しみと憤ろしさを語っているわけであります。

 信輔は言うのです。下層階級、第四階級はいいなってんです。たしかに自分たちの家の収入より額面は少ないかもしれない。でも、こんな見栄をはらなくたって生きていけるんだ。当時の工場の労働者の姿、油臭い工員服を着て、それで毎日過ごせるわけです。おかみさん、当時のアッパッパ着て過ごせるわけですよ。ところがしかるべき所の奥様ってのは大変でしょ。そういう悲しみを、怒りを彼は語ってるわけであります。これが中流下層階級者の貧困だと。中流下層階級者の眼はそっから生じる。第四階級はいいな、下層階級はいいな。油臭い工員服でとんで歩けるし、服装費もかからなければ、盆暮れのつけ届けなんてしなくたって生活できる。裸になって暮らせる。自分たちは裸になっては暮せないという、そういう階級なんだ。第四階級はいいな。

 私たちの階級の悲しみ・つらさ、これは私たちの階級者じゃなきゃわからない悲しみ、怒りである。この眼でなくては見えてこない現実というものが在る。芥川は正にその現実を探り求めたわけであります。だから、プロ文学には絶対ならないわけです。それから、いわゆる意味のブルジョア文学にもならない。芥川の文学は中流下層階級者の文学であります。しかも、中流下層階級者にもいろいろあります。無知な人もいる、さっきからいってる。それから、ほんとうに文化を身につけた人もいる。その文化人としての中流下層階級者でなくては見きわめられない現実ってものがある。これが我々の現実だってんです。その現実を追求した文学、それが芥川文学であります。まずそのことを申しあげたいのであります。

 そして今、信輔の母親の話を、「大導寺信輔の半生」という作品に即して申し上げました。それについてなお一つ言い添えて、「河童」にふれたいと思います。一つは何かと申しますれば、大学生がです。僕、国立
[音楽大学]にいたのが二十何年でしょう、おりました。その前、法政大学におりました。その他その他通してみまして、高校を出てやってくる新人、大学生諸君、教養課程の授業で、芥川の作品でどんなもの読んだってきいたら、名前だけでもいい、知ってんのなあにってきくと、決まりきってんで、高校の教科書に出てるやつですよ。とってもすばらしい作品だけど、「羅生門」。まるで一生かかって「羅生門」書いたみたいな。もっとないかい、「蜘蛛の糸」。こっちはガクッとくるんですよ。「蜘蛛の糸」、すてきですけどね。一級品じゃありません。芥川といったら「――信輔」とこう出てほしい。「河童」と出てほしい。というふうな作品が数々あるわけです。出たためしがない。高校文学教育、何やってるって言いたいけれど、あっちはあっちで、高校の先生大変なんですね。だけど損するのは学生ですね。入学試験に文学教育は出ないから。でも損するのは学生ですね。そういうわけで、どうぞ第一級品を選んで対話の材料にしてくださいってことを重ねて申します。

 高校あたりだったら、「信輔」ぜひやってください。「河童」なんか、いい対話の材料ですよ。きっと、少し一ページ、二ページ、三ページと読み進むともう教室が、生徒はいやになってきますから。教師のご託宣きくのが面倒くさくなって、自分で読んでいきますよ。そういう授業をやってくださるなってことです。読みたかったら今日は、じゃみんなで読もうね、はい、自由に読みなさいと。自分は、僕みたいな煙草吸いですと廊下へいって吸ってりゃいいんですよ。校長がまわってきそうだったら、あわててもみ消して入ってくりゃいいんですよ。生徒は自由の読んでる。これ、文学教育なんですよ、本当に。つまり、話をもとへもどして、第一級品を、芥川に関して、すべてが傑作だってわけじゃない。芥川の作品だって、選んで与えてください。あなたの選択眼にすべてがかかっているということです。

 さて、 信輔の母親のカステラ、そこへ話を戻して下さい。信輔の母親も、母親の子である信輔もです。いいえ母親のご亭主である信輔の父親もです。何も中流下層階級者に生まれてきたくてうまれたんじゃない。これ、れっきとした事実です。人間生まれたくて生まれたんじゃないってことです。この前提からどうして出発しないんでしょうか。たとえば、小林多喜二のある種の作品、文学として非常に敬意を払ってますよ僕は。そうじゃなくて三文もあるわけです、プロ文学には。そして多いわけです。その三文小説に出てくるブルジョアとか、地主ってのは悪玉ですね。歌舞伎の世界みたいですね。クマでも隈どりしてね、おれは悪者でござい、と出てきそうな悪玉ですね。搾取して痛めつけて、農民を、労働者をふんづけてます。それに対して労働者はりっぱですね。何てりっぱなんでしょうね。(中略)[「講義録」に?印を付し欠]

 あの第四階級の人たち、労働者階級の人たちは、労働者に生れたくて生まれたんじゃないんです。ブルジョア、一代で財を築いたのはちょっと横においといて、親父、祖父の財を受け継いで、その財閥の中央に君臨まします人間てのがありますが、そういう家に生まれて、あとで得したと思ったかもしれません。あるいは、中にはそうでない人もいたかもしれません。とにかく生まれたくて生まれたんじゃないが、結果は中流下層階級者の家に、これが人間の好むと好まざるとにかかわらず、宿命とでもいうべきもんでしょ。宿命なんてないなんていばんないでください。生まれたくてその家に生まれた人は、この中に一人もいないんです。人間の世界では許されないことなんです。その現実から出発した場合にブルジョアは悪玉だ、プロレタリアは善玉だ、プチブルってのは一番たちが悪い、なんて論議がありますね。結局はプルジョアの側につくんだ、そういうふうな鋳型にはめたみたいな、ステレオタイプで人間を考えるぐらい非文学的なことはありませんですね。

 芥川は文学的に考えようとしました。現実を文学的現実としてとらえようとしました。そういうことにまず目をむけてください。それが際立って書かれて、言葉の上にまで書かれてる、描写されてる、描かれてる作品は、まず第一に「信輔」です。第二にもっと単純素朴な形で、――素朴ってのが悪いと決めちゃ困りますね。素朴でも素敵なものがある。複雑だからいいってのは変な文化趣味です。――そういう意味で、きわめて単純な形で書かれたのが「河童」ですね。お読みになった方が多いと思います。河童の国へ迷いこんだ人間が、三十ぐらいの若者でしたね。今は精神病院の一室にいるわけでしたね。その人間が、河童は自分の意志でうまれることもできるし、生まれずにすむこともできる。人間とあべこべな存在なことを中心に縷々書かれてる章がありますね。お願いしておきました。高田さん、お願いいたします。

――「河童」本文(略)――
[原文のママ]

 
どうもありがとうございました。お読みになった方も記憶が薄れて、文章のとおりには覚えてらっしゃらないわけです。思い出してくだすったと思うし、いかがでしょう。こんな作品だったら、高校なんかで生徒と充分楽しんで対話できるんじゃないですか。ユーモアに満たされてます。ただの笑いじゃありません。そして、私たちは、子どもたちをそうは育ててるつもりありません。こういう作品が理解できないような人間に、であります。これは、言うまでもない、読解指導の方のいう、表の意味に対する裏の意味なんていう、あんなケチなもんじゃありません。この表現こそ、人間そのものを語ってること、中流下層階級者の悲しみと怒りを語っていること、いうまでもありませんね。これだったら納得いくんですよね。生まれたくて、父親と話し合いがついて生まれるんだ、もうじき生まれるから今後よろしく頼むよママ、パパ。うん、ひきうけた。なんて会話ができて、それだったら納得いくんですが、生まれてみたら、あの親父のわしゃせがれでね、遺伝だけでもたまったもんじゃないと、こうなちゃうわけですよね。こないだ、僕、今ある学校でちょっとお手伝いさせていただいてるんですけれど、そこの学生も言ってました。高校出て二年目の子です。あいつは一浪したから三年目の子ですね。見るからにきかない子なんですがね。僕が鬼娘、鬼娘ってんですけどね。お母さんは君にはちっとも注意しないの、君そうとうなもんだねっていうと、「おふくろ、おふくろ、鬼婆みたいよ。」なんて言ってましたが、鬼婆ってのは比喩でしょうけど、鬼婆の子どもに生まれたくて生まれたわけじゃないんですよね。生まれてみたら、このおふくろの自分は子どもであった。こんな兄貴の弟に生まれちゃった。こういうことなんです。こんな階級に生まれちゃった。そういうことなんですよね。生まれたくて生まれたんじゃないってことです。

 そういう想念は、まず芥川ってのは井伏さんとも違い、漱石や鷗外ともかなり違って、いい意味の、単なる概念じゃないけど、すぐれたイメージ、すぐれたイマジネーションに支えられた概念的認識、それがどうしても先に立ってくる人なんです、ことに若いころは。そのころ書いた作品に、「羅生門」があります。最初の第一稿は言うまでもない、学生時代に書かれている。「帝国文学」に書かれてる。そのうち彼が、かけ出し作家ですけど単行本が出せるようになって、「羅生門」て本を出した。トップにこれを載せた。その時ちょっぴりこれを書きかえた。それから「鼻」ですね、あれを中心の短編集をその次に出版する。その時にこれをもう一ぺん載せた。またかと思うのはまちがいで、中味は、題は同じだが中味はまるで違うみたいな「羅生門」を彼は書いた。それが、私たちが文庫本や何かで読んでる現在の「羅生門」であります。こっちも必死に書いてるんですよ、書きかえ書きかえして。読む方も必死に読もうじゃないか、ですよ。相手の誠意がわかんない人間、いやですね。生徒でも、僕なんか気が短いもんだから、心根は優しいんだけど、こんちきしょうと思う時がありましてね。こっちが誠意をもってやってるのにそれがわからないのは
……


 善玉・悪玉的発想の否定―― “善悪不二”の芥川文学

 そういう若い日の、芥川の書きました「羅生門」なんですが、この中でかなり彼は理屈っぽくものを考えています。そして別の敬愛する、尊敬してやまない恒藤恭なんて年上の同級生、旧制一高で、そして生涯つきあった人ですね。兄のように慕ってた恒藤恭にあてた手紙なんかにも、縷々「羅生門」段階の自分の気もちを書き送っておりますが、その中で彼、善悪一如ってことを語ってます。そして、改稿「羅生門」、我々が今目にする「羅生門」、それを書く段階で、明らかにもはや善悪一如にあらず、善悪不二とでもいうべき、仏教言葉ですけど、そういう人間観に彼は立ちました。どういうことかっていいますと、さっきの善玉悪玉の話、ブルジョアは悪玉、プロレタリアは善玉というふうな類型把握がありますね。そして人間を、こいつは善人、あいつは悪人というふうに子どもっぽく分ける考え方がありますね。こういうものを彼は否定して、人間ていう存在は、そんなもんじゃないと。第一善とか悪とかいうが、善悪一如の方であります、これは故郷を同じうした、同じ故郷から出発して、人間世界へやってきたものなんだと。善とか悪とかいうけど、これはそもそも故郷は一つなんだ、そっから出発してんだ、これが善悪一如ってんであります。従ってこの善悪一如の観点では、人間はもはや善玉悪玉に分ける発想を越えております。もとは実は同じじゃないかって発想であります。それを「羅生門」の段階でさらに善悪不二と、二つじゃないってことは、一つですね。こっちのようにもとが同じじゃなくて、一つだってんです。善とか悪とかって言葉は、その社会その社会の、その時代その時代の、便宜上使ってるだけの話で、善とか悪とか分けることがちゃんちゃらおかしいって発想です。

 私はある時のこと、ある講演会か何かで次のようなことをお話ししました。同じことを言わせてください。私の小学校の時、―東京グループ我慢してください―、国語の教科書であったかと思います。国語読本で、こういう題の、それこそおはなし的なものが出ておりました。「マリーの機転」てんです。今ふうにいったらマリーじゃなくてメアリーなんでしょうけど、「マリーの機転」て書いてありました。第一次世界大戦の時であります。かなりの期間、ドイツ軍の勝ち戦を続けております。ベルギーの軍隊も、連合国側で戦っております。しかし、ついに負け戦なんであります。そして、ベルギーの兵隊が、場面はフランスの片田舎だったかと思いますが、ドイツ兵に追われて逃げこみます。ドイツ兵が数名後ろを追っかけております。ひとりのベルギーの敗走する兵士は、その辺にあった小さな家をみつけて、もしかしたら匿ってもらえるんじゃないかと思ってとびこみます。フランスも同盟国だもの、あるいはと思ってとびこみますと、あいにくと、と最初は思うわけです。ひとりの少女が留守番しているだけなんです。子どもじゃ話がわからないと思うんですが、ねえねえお嬢ちゃんたのむよたのむよ、とか言います。そうすると、あいよ、とは言わない、もっと礼儀正しい言葉で申しますが、戸棚の中か何かへ隠してくれるんです。それから彼女は変装するのであります。今日はお婆さんがよそいきに着かえて出たあとですから、普段着があそこに脱ぎすててあります。それを身にまとって、お婆ちゃんの眼鏡をかけて、頭巾をかぶってそこの揺れる籐椅子に腰かけて、編物をしてるふりをします。そこへどっと数名のドイツ兵がかけこんで、ベルギーの兵隊が逃げて来たはずだ、言え。というけど、お婆さんになりすましたマリー君は返事をしないのであります。そしてただ眼をパチクリするだけなんであります。お婆さんの耳がきこえないわけなんです。だから返答する必要もないんです。なまじっか口に出して失敗したりする、若々しいお婆ちゃんの声なんていけませんので、これ、彼女の機転でございます。とうとう黙りこくったまま、口もろくにきけないお婆ちゃん。耳も遠い。兵隊どもは諦めちゃいまして、しょうがねえやあこりゃあ、婆あ一人のところへ逃げこむはずもねえよ。とかなんとか言って行っちゃうんです。それだけの話なんですけど、これ、マリーの機転です。

 私たちはその当時、一方で修身という課目をみっちりしこまれておりました。その第一条、嘘はついてはいかんてんです。嘘をつくのは悪であるってやつです。本当のことを言うのは善であるってんです。そこで我々の間から不満の声がおこりました。先生は修身を教える人も国語を教える人も、担任の同じ受持の先生ですから、先生先生ってわけです。ああ、今日は珍しく質問があるのか、言え、なんて――。はあい、先生、この間言ったのはありゃ嘘ですか。そんなことない。だってマリーはうそを言ったでしょ。ところがこれを先生は立派だってほめたじゃないですか。嘘を言うことはいいことだと教えてるじゃありませんか。前の時間の修身の時はうそを言うことは悪いことだと言ったじゃありませんか。どっちがほんとって、こうくるわけです。先生は、目を丸くしちゃって、幸いにもチャイムがなったのであります。そういうような一場面がございまして、嘘は悪い、本当はいいというふうなこと、これは善悪一如どころか善悪不二では無論ないわけです。善は善、悪は悪と決めてかかってるからそういうことになるんであります。

 そこで、どういう場面でどういう言葉や行動がとられたかという、その場面の条件、これをおさえることなしに、いいことだ悪いことだってのはナンセンスであります。そうですね。別の言葉で我々は場面規定といっていることなんであります。つまりマリーは、仮にそれを善というならば、善をしたってことは自明のことであります。少なくとも悪は行なわなかった。だから、この世に善というものがあり、悪というものがあるという考え方自体、誤れる考え方であるとして芥川は否定するわけであります。


 芥川の言葉に善悪不二って言葉があるわけではございませんが、我々、名付けましてこれを善悪不二と呼んでおります。善だ悪だという考え方をまず自己否定する。芥川文学は善悪不二の文学でございます。だから、信輔のおふくろさんに話をもどしましょう。駄菓子屋のカステラを持ってって風月のだというのは嘘です、確かに。嘘ってことは確かです。けど、あれは悪なのか善なのか。これ教室だったら、はあい、わかった人手をあげて。だれも言わないと、まちがってもいいから言ったら五点増しだなんていうのですが。どなたも急には答は出ない。答が出ないってことが正しいんで、考えるべき問題ですね。芥川はそれを善悪不二と名付けました。そもそも、善だ悪だなんていうつかみ方ぐらいナンセンスなものはない。人間という宿命的存在は、であります。

 嘘をつくほか、一日だって生きられない信輔の母。信輔もまた嘘つきに育っていくんですよ。だって、親からお小遣いもらえないから。無類の読書好きなんです。テレビ好きじゃなくて、読書好きなんです。本がほしくてほしくてしょうがないんです。しかし親は貧乏です。それで親をだますわけです。中学生の頃です。学校でこんどクラス費というのができて、それを出さなきゃならなくなったから、、それちょうだいとこうやるわけです。そしてくれるわけです。カステラと同じなんです。こういう存在もあるわけなんです。そういう存在、階級存在者の眼から、世界を考えていこう、それしか自分にはつかみようがない。

 というのは、文学も真理を追い求める、科学も真実を追い求める。結局、手段がちがうだけで同じじゃないかという意見があるかもしらんが、根本的に違うんです。文学ってのは実践でございます。自分がどういう行為を選ぶかという実践でございます。頭でいい悪いを考えることではありませんし、頭で正しい
□□[?原文でも不明]を考えるものでもありません。自分の行為の問題として考えるわけであります。科学は、少なくともその限り頭で考えるものであります。だから自分にとって不都合であっても、自分にとって不可能であっても、真実は真実、という考え方を科学の場合いたします。その他にないです。科学は正に一般を対象としているからです。だから大人も対象になれば、子どもも対象になる。中曽根総理も対象になれば、クマも対象になる。お嬢ちゃんも対象になれば、おばちゃまも対象になる。そうです、2+3=5というのは科学の考え方です。これ子どもにとって真実だけど、大人にとって虚偽だってことないです。子どもであれ大人であれ2+3は5です。ただ、修練ができてないために、、ちっちゃい子どもは2+3が5だってのがわかるまでにたいへん手数がかかります。しかし、手数がかかろうがかかるまいが、これ真実です。こういう真実を追求する、これ一般を追求する。子どもも含まれます、大人も含まれます。何でもかんでも入ります。それを対象としたのが科学です。

 文学はちがう。芥川はもう死んじゃったから次の例にあてはまらないけど、中曽根さんにわかるものじゃありません、芥川ってのは。教養的中流下層階級者の頭をもって、我が現実を考える人にのみ適用されるものです。従ってブルジョア ―いわゆる意味の― にも、第四階級にも通用する文学なんてのは、その限りありません。文学の階級性です。文学は一般を対象にするのでなくて、普遍を対象にするわけです。たとえば世代というのも普遍であります。世代ってのはよく誤解をしてる人が多いのでありますが、君の世代はねえ、というのは年のこと言ってるんですね。今時の若えもんはなっちゃいねえよ、おめえたちの世代はねえ、というと、向こうは、おめえたちのオジンの世代はねえ、とこうくるわけですね。あれが世代だと思ってるけど違うんです。共通の、あるいは共軛する、ふれあう認識のしかた、感情のありかた、それをもってなくちゃ世代じゃないんです。二十歳の同じ人間だって、別の世代の人間がいるんです。同じ五十歳だっていろんなのがいるんです。どうしようもないのだっているんです。が、どうしようもあるのもいるんです。それから、六十と二十歳、本当に握手できる感情体験を共有してる場合もあるんです。これ、一種の、世代に準ずる準世代とでもよんだらいのでしょうか。

    その世代というのは、その共軛性をもつ同士に通用するってことです。一般とは違うんです。だからさっきいったじゃありませんか。「赤と黒」って作品は子どもにはだめだって。単に字が読めないとか発達が遅いとかだけじゃないんです。だれにとってもあれはいい作品なんかじゃないんです。そういう、文学は普遍にかかわっている。一般を問題にするのは、それは科学の問題です。
[文学は]その世代なら世代の実践の問題なんです。自分がそれを行動として選ぶ。その時、文学がわかったということなんです。科学の、こういう意味での抽象の論理のわかったというのとは違うわけです。2+3は5だってのがわかったというのと、「信輔」という作品がわかったというのとは、全然次元の違う、またオーダーの違う、秩序の違う問題であります。そういうことを私としては訴えたわけであります。



 味方の中に敵を(芥川)/敵の中に味方を(太宰)

 そしてこんどはさらに普遍の問題からなんですけど、芥川、お読みいただけたでしょうか、「プロレタリア文芸の可否」という短いエッセイの中で語っております。人は私のことを政治意識のない作家だと、あるいは政治の問題に触れるような作品を否定する作家だというがとんでもない。そういうことを言う人たちが考えてる以上に、政治ってのは文学にかかわる問題だ。文学という名の政治なんだ。政治ってのは何も国会でだけ営まれるものじゃない。文学も政治なんだ。そのことを私は強調したい。昨今、プロレタリア文芸と称するものが流行しはじめたが、遅きに失してる。もっと早くあの種の文学が生まれるべきだった、ということを彼は強調しているわけです。あわせて、ある種のプロレタリア文学者たちは、プロレタリア文学以外は文学でないみたいなことをいうが、さあそれはどうかね。こういうことを付け加えていっているわけです。そして文学を文学たらしめているものは何だろう。精神の自由を愛する精神だってことをいっています。もっとつづめて言えば、精神の自由、それが文学の精神なんだ。私の文学もそうありたいと必死になってる、ということを彼は語ってるわけです。

 具体的にいおう、と次のように語るわけです。私たちは、そして私の文学も、「羅生門」このかた、絶えず次の問題を追いかけてる。エゴイズムとの闘い、これが私の文学による政治であったし、また人々の闘争目標であった。だが、敵の側のエゴイズムを批判することは、感情的にも容易い。憎いやつの悪いところをみつけるのは容易い。仮に悪いといういい方をすれば、というのです。しかし、いま大事なことは何なのか。自分自身の、そして自分を含めての味方のエゴイズムを認めることだ。まるで自分の側がエゴイズムの要素を持ってない、悪いのはみんな敵だって考え方ぐらい恐ろしいものはない。今、現代の文学として必要な文学精神は、味方の中に敵を発見することだ。その味方のどまん中に私がいる、私の中のエゴイズム、空恐ろしいエゴイズム、それから目をそらさないで見つめて、そのエゴイストの自分を向こうにまわして対話することだ。こう言っているわけであります。これが、芥川の文学精神に関して最も重要な一つのファクターでありモメント、動因、大事な要因だと考えます。これを受け継ぎまして、芥川を越えたいと太宰治は考えます。そして彼は遂に、その意味で芥川を越えました。敵の中に味方をみつける、これも困難なことです。敵は敵、味方は味方と考えがちなんです。敵の中に味方を見つける、この作業に太宰は進みました。


 たとえば、彼のごくごく初期の作品でだれしも親しんでる「葉」という作品、その中で、私という闘志が、活動家が、警官に、特高にふんづかまって警察の留置場へぶちこまれます。留置場の窓からみてますと、狭い庭なんだが、その庭で巡査たちが、若い、年老いた、中年の巡査といろいろですが、その平巡査たちが、巡査部長だか何だかしらないけど、まだ二十歳そこそこの若い、どうみたって大学の法学部を出て将来は警察署長になり、警視庁の何とかになるような出世コースの人間の指揮にしたがって、教練をさせられてる(、、、、、、)。平の警官たちもまた、疎外された人間なんだ、痛めつけられた人間だってことを描き、そして私は、何とはなしにこの巡査たちの家庭のことをふっと思ったってことが書いてあります。家へ帰れば父親なんですね、夫なんですね。貧しいんですね。そして将来共に部長になんかなる見込みもないし、出世の見込みがないんですね。当時は、警官は“犬”といわれてました。我々学生の時もそうでしたが、“あの犬”ってんですね。“警官”なんて言ったことがない。中間とって“おまわり”なんて言い方をしましたけど、たいてい“犬”でした。これは犬としか見ない、つまり悪玉とみているんです。警官は犬、警官は悪玉、我々は善。ところが、敵であるはずのその犬の中に、味方を、自分たちと同じ姿をみつけていくわけです。

そしてそういう発想が深まっていった時に、昭和十八年、太平洋戦争が十六年から始まって、二十年に終わるわけですが、結果からいえば、そのどまん中の昭和十八年て年に、彼は「右大臣実朝」、あの中編小説を書きます。これは正に右大臣実朝、鎌倉の将軍源実朝です。敵の中枢の存在です、将軍として。その将軍実朝の悲しみ、怒り、そして誠実に生きようとするその姿。人間生まれたくて将軍の家に生まれてきたんじゃない、源氏の御曹司に生まれてきたんじゃない。生まれちゃって将軍にさせられちゃったんです。その将軍の悲しみ、誠実に生きるためには、この条件の中でどう生きることが人間らしく生きることか、それを必死に模索して、力尽きて最後には滅茶苦茶なことをやりだす。その実朝のより若き日と、若き日の姿を描き続けた。そして単に英雄として、英雄はピンからキリまで、頭のてっぺんから足のつまさきまでといったものじゃなくて、人間には限界があります。これでもか、これでもかと限度に追い込むものが戦争ですね。人間には限度があります、限界があります。そういうことを逃げ口上に使うんじゃなくて、限度があります。その限界を越えた時に人間は非人間になります。河童は蛙になります。実朝も蛙になりました。そこまでごまかさずに、実朝チャン好き、と善玉にしたてるんじゃなくて、河童の実朝と蛙の実朝、蛙実朝は如何にして生れたか、それを徹底的に追求した作品。そしてとにかく人間として誠実に生きようとして精一杯生きたが、生まれたくて生れたんじゃない、こういうがんじがらめの源氏の本家の御曹司に生まれついた人間の宿命、そこへ問題がいくわけであります。
 


 “普遍的世代” にとっての “一つの現実” を描く――文学の仕事

 さて、現実ということを言えば、これはどなたも常識として御了解のとおり、世界との対になる言葉であります。つまり、世界というのは一般にかかわる問題です。だれにとっても真実だったり、誰の目から見ても虚偽であるとか、二たす三は五だというのは真実ですね。二たす三は八だというのは嘘ですね。まちがいですね。そういうふうに対象化して物事をとらえていく場合に、これを世界といいますね。科学は世界を対象とします。あるいは対象を世界としてつかみ直します。これが科学ですね。非常にだいじなものですね。

 ところで、実践であるところの現実というのは、それとは違うのであります。第一に現実っていうのは、ここに、さあ、何人の人がいらっしゃるんでしょう。百人ちょっとですか。そうすると、ここに百の現実があるのです。極端にいえば、一人一人めいめいに違うものです、現実は。つまり世界というのは一つです。二たす三は五というのは、○×の唯一の○です。あとはみんな×です。ところが現実というのは、人によって違うんです。普遍に属していますから、信輔のお袋さんの見たものと、大ブルジョアの、金に何の不自由のない人の見たものとは、世界としては同じものが、全然違ったものに写るわけです。

 ぼくは、いまでもそうでないとは言いませんが、特に苦しんだことがあります。大学の助手時代、大学院は出たけれど、
……です。いくら、今とお金の相場が違っても、月給が五十五円、食えたもんじゃありません。家庭教師やってみたり、書きたくもない原稿書いたり、やりたくもない翻訳をやったり、食いつなぎました。それでもまだ本が買えなくて、せいぜい図書館へいって読むというようなことでした。その時、恐ろしいのは今日みたいな時です。季節の変わり目、もう一人の自分に会えるなんてのんびりしたものじゃないんです。着る物が困るんです。当時のこと、一般もそうぜいたくじゃありませんでした。大体、シーズンが終わると、それを質屋へ入れるわけです。洗濯して入れると高いんです。知らないでしょう。汚れっぱなしだと半値なんです。いくら借りられるか見通しをつけて洗濯に出すわけです。洗濯屋に明日は持って来るから待ってくれと言って、払いを延ばしておいて、その日のうちに飛んで行くわけです。真に迫っているでしょう。そうです、経験的なことです。そういう風にして、季節の変わり目ってのは、おっかなかったんですよ。まさか今、冬服着てるわけにはいきませんからね。それ一つの現実なんです。熊谷にとって、同級生でも違う現実を生きている人間はたくさんいました。もう一人の自分に会える自分を楽しみにしている学生もたくさんいました。早速、早めに着替えなんかして、おしゃれなんですね。シーズンより少し早めに着替えるのが、おしゃれなんだそうですね。だから現実は百人いれば百の現実なんです。

 文学はさらにそれを一つにするわけです。多にして一、さっきそんなことを書いたような気がします。文学の現実は一つなのです。その世代にとって、その普遍的世代にとって一つなのです。中曽根の現実と熊谷の現実は全然別個のものです、同じことに向かい合っても。その一つの現実、これがほんとうに現実というに値するかどうかを問いつめて、確かめていく、これが文学の作業です。

 現実というのは、よく安直に考えられているように、わかり切った自明のものではありません。(中略)ちょっと自分はこう考えるけど現実はこうだなんて、文学の現実とは違います。分かりきったものではありません。どこまで行っても分からないものであります。その分からないものに迫っていくのが文学です。

 そう、読んでいただくつもりでしたが、時間が無いので、五、六分でしゃべっちゃいますが、芥川の「竜」って作品、お読みになれば、特にそれを感じられると思います。ここに読んだ方も大勢いらっしゃる。

 昔々の話である。平安の末期か、中期末期あたりを考えてください。奈良の興福寺に恵印という坊主がいた。まだ若かった。年とって彼は徳高き高僧として、日本国中の尊敬を受ける僧侶なんですね。ことに哲学者なのです。墓守りじゃなく、学僧であります。若い日の恵印というのは、今の学生諸君も、みなさんが学生であった頃も同じだと思うのですが、かなり茶目っ気があるんです。茶目っ気のない学生は何だか苦々しいですね。いたずら一つしない学生なんて付き合いたくないね。そう思いませんか。そうでもないって顔なさいましたね。自分が学生の時は相当いたずらっぽかったはずなのに
……。かっこうつけてるんですね。冗談です、さぞ昔から聖人君子でいらっしゃいましょう……。というのも冗談で、とにかく恵印という若い学僧がいたわけです。哲学を勉強しているわけですよ。そして、この人、鼻の格好が、大きくて悪くて、何か鼻に関するあだ名なんかつけられて、プリプリしているわけですよ。よおし、いつか見返してやると思って、ついに、読んでいる方はよく御存知のとおり、部隊は奈良です。奈良の猿沢の池のところに高札を立てるわけです。何月何日、ここより、池の主である竜神様がですね、竜が昇天するものなりってのを書いて立てるのわけです。
 
  そして、そばを通る人がどういう反応を示すかを見ていると、だんだん人々は、見ているうちにそれを信用しだすのです。こんなに長く立っているんだから本当だろうとか、中味は自分に対して、―― 今、いじめっ子、いじめられっ子が大問題ですが、彼はいじめられっ子です。彼をいじめる学僧がいるわけなんですよ。当然、そいつ、いやな奴なんだけど、それにまで、とうとう信じさせちゃったんです。デマに乗ったと申しますかね。そして、その何月何日か近づきますと、たいへんなんです。奈良中の人はいうまでもなく、国外の人、山城の国の人、河内の国の人、和泉の国の人、など周辺の何カ国の人々がですね、竜神様の昇天する姿を是非一度、この目で見てみたいと思うわけです。そして、その日がやってくるわけですね。そして、池のまわりが十重二十重と、とり囲まれるわけです。いつでも抜け目のないのが商人でありまして、その辺に屋台がたくさん出るわけです。なかには一杯なんかも出たかもしれません。とにかく何万という人が、猿沢の池をとり囲むわけです。しかし、空は日が照り、さんさんとさしておりました。竜神様が昇天する時は決まっているでしょう。一天にわかにかき曇っちゃって、車軸をながすような雨が降ってその中を稲妻が走って、そこをサァーと行くわけですね。そんな気配が毛頭ない。でも、人々は辛抱強く待っています。

 それで恵印、こいつがデマの作成者ですが、初めは、反省するわけです。〝困っちゃった、こんなに大勢の人間をだませるなんて思わなかった。困った〟と思っているところへ、腰の曲がった、隣の国に住むおばあちゃんが訪ねて来る。おばが〝どうか自分もそこへ連れて行っておくれ〟と総入れ歯かなんかでしゃべる。それで連れて行きます。〝愛するおばまでだましたか〟ってね。彼女も最後はついに信仰心まで裏切られて無残な死に方をするんですが、恵印坊主、反省たけなわなんです。

 刻々と時がたっていきます。けれど天候はいっこうに変わらないのだけれど、あな不思議、昇天の時刻は決まっているんです。その時が、あと三十分、あと二十分となると、空は晴れているんだけれど、恵印は、だんだん変な感じになってくるんです。これは竜神様がのぼるかもしれないと思い出すんですよ。そんなはずはない、自分が作ったわるさなんだから。ところが、そのわるさのもとになる人間が、だんだん信じはじめるんです。信じ切ったとたんに、一点にわかにかき曇り、車軸をながすような雨が降ってきて、稲妻が走り、目の前を竜神様がパァーとのぼっていっちゃったんです。

 これが現実なんです。現実は変り得るんです。竜神様なんて、現代人が考えればいないに決まっていますから、迷信だと決まるわけですが、迷信も信仰ですから、信ずれば、何でもできるのです。なんでも実現するんです。信ずるってことの恐ろしさということです。

 現実を、本当に批判的に自己摂取しないと、自分にとってこれが現実だ、現実はこんなものだと思った時に、だめなのですね。信じた時に実現するんですね。そんな恐ろしいものなのです。だから、ゆめゆめ、ゆがんだ現実感などもつなかれなんですね。

 芥川は、現実の名に値する現実とは何かを、あの短い生涯でしたけど、二十歳前から追求し、三十いくつの死ぬ時まで、追求しつづけたのです。今日、言いもらしている問題は、世代のなんのと言って、芥川の世代のものの考え方・ものの見方・発想の仕方はどのようにして作られたか、そこで徳冨蘆花の旧制一高における「謀叛論」という講演、幸徳伝次郎たちを死なせた悔いを底にたたえて怒りをぶちまけた講演、それを芥川は、恐らく、他の学生と共に聞いたであろうこと、その辺の証明の問題、そして、世代というのは、若いということが条件です。若い日に共通のある事件を共通に体験した人々、ある仕方で体験した人々、それが一つの世代を形成するわけです。

 芥川世代というのは、大逆事件との関連の中で、芥川世代といい得るような世代が誕生します。言い換えれば、ある発想、中味は縷々申した通りです。善悪不二、そういうふうなことを時間を取って、荒川さん、佐藤さんのお二人に話していただこうと思ったのです。彼等は今、学界の注目の的の人でして、それは、芥川龍之介の世代形成を実現させた大逆事件、それを芥川に媒介した徳冨蘆花、その蘆花と若き一高生、十九歳の芥川龍之介、その辺を、かなり徹底して調査し研究している方たちなのです。文教研が誇りとするような研究を着々と実現させ、今、学界の注目の的になっているお二人です。その当事者にお話しいただこうと考えたのですが、なにわ節語りではありませんが、亡き広沢虎造師匠の有名な言葉のように、〝もはや時間となりました。〟です。ささやかな講演で、おわびの言葉を申し上げます。〝お役に立てなくて、申しわけございません。〟



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